novel

spiralling-28

 大矢浩行(おおや ひろゆき)は、毎朝目が覚めると生きていることに感謝する。
 いつ死んでもおかしくない環境に身を置いている自覚があったのは、京都の嵯峨根会の一つの組から盃を受け、一年くらいのことだ。その時は鉄砲玉としていつ担ぎ出されるかという不安があった。それから暫くしてビデオで知ったヤクザが存在しないことに気づいた。
 現実はもっとえげつない。仁義なんて目に見えていたものは、破防法の規制から次第になくなっていき、いかに地下に潜って活動できるかという時代に突入していた。
 ビデオみたいな出会ったら喧嘩、ピストルを持ち出して発砲なんて馬鹿なことは絶対にしない。
 つまり馬鹿なだけのヤクザはやっていけないのだ。
 諜報活動、地味なお使い。学がないヤクザがやれることは、インテリヤクザが用意したマニュアル通りに行動するだけ。今や詐欺は多種多様、小金持ちのお年寄り相手にいくら引っ張れるかが成績だ。昔のような危険は減り、収入も安定している。ヤクザやってるのもまあいっかと思うような若者に慕われて、いつの間にか兄貴と呼ばれる存在になっていた。
 今年こそは年間3億という目標を持ってオレオレ詐欺を働いていた時、組の幹部から話があると言われ、待ち合わせの喫茶店に行くと、そこで一人の男を紹介された。
 名前は、棟方要(むねかた かなめ)。大矢より一歳上の新入りなのだが、大矢の兄貴にあたる山城が妙に神妙としていて変だった。とにかく紹介された棟方(むねかた)は、陽気な男であった。世間一般でイケメンという部類に当たる人間であるが、それでもどこか普通の人とは違う部分が見えたりする。大矢の感想では兄貴の山城より切れていそうだという感じだった。
 その棟方は、山城以外の組関係者とは距離を置いていた。大矢に話しかけてくる他の組員が棟方を避けているのである。
 どうしてなのかと尋ねると。
「俺は客人みたいな扱いで、本当の組員じゃないんだろうな」
 苦笑してそう言うので、そういうものなのかと大矢は思った。幹部のことはわからないし、上の人間が何を考えているのかなんて、大矢が知る必要がないのが、京都の嵯峨根会にいて学んだことだ。
 その棟方から、一日人を見張っているだけで1万入る仕事を紹介された。
 見張る人間の名前は、植野千代(うえの ちよ)。二十六歳の女性。
 どういう理由で見張るのかは知らなくていいことで、相手も見張られていることを知っているとのことだった。場所は北海道。住まいや食費などの費用は棟方が用意してくれる。期間はとりあえず三ヶ月だった。
 その三ヶ月の間、遊びに行く暇はないし、酒を飲んで寝るなんてこともできないが、たった三ヶ月で100万になる仕事だ。受けないわけがない。
 詐欺の時のように電話をかけたり、ノルマをこなしたりという面倒くさい仕事ではなく、ただ女性のボディガードみたいなものだとおもえば、気が楽だった。
 紹介された植野千代は、ひどくおびえた様子だった。びくびくと体を震わせ、握手しようとした大矢の手を握ることさえできなかった。可哀想にと思ったのが第一印象だ。
 自分ともう一人、キャバクラ嬢の川原亜衣という女性も一緒にボディガードとして紹介された。彼女は千代の身の回りの世話をして、千代が困らないようにするのが仕事だ。
 この三人で一軒家の隣同士として暮らした。周りは少し離れたところに民家があるが、通り道ではないので親しくはならなかった。
 千代はなかなか大矢には笑顔を見せることはなかった。もちろん川原にも素っ気ない態度で川原曰く、感じ悪いーっということだった。
 どうしてなのかという疑問は、一ヶ月を過ぎたあたりで判明した。
 大矢がわざわざどうしておびえているのかと本人に聞いたのだ。 
 その日、川原が一人で出かけており、出かけない千代を一人で見張っていた時のことだ。聞いた大矢(おおや)に千代は驚いた顔をしていた。知らないのかと尋ねられ。
「聞いていないというか、考えたことがなかった」 
 大矢はそう答えた。幹部から与えられる仕事に「どうして」や「何故?」は存在してはいけないことだったからだ。そういうと、千代は軽く事情を話してくれた。
 恋人が殺されたこと、それが自分のためであり、また組関係の重要なことに関わっていたからだという。その内容は最初は話してくれなかったが、段々と詳しい内容になっていった。 
 まず千代が誘拐され監禁された。そこで二日ほど拷問をされ逆らうことが出来なくなった。その拷問をしているところを撮影され、恋人の八木功司(やぎ こうじ)に見せた。そして八木は千代を助けるために、嵯峨根会会長だった都寺冬基を暗殺することになった。
 大矢はそれを聞いてぞっとした。
 都寺冬基はボディガードの運転する車で事故死している。最初は暗殺を疑われたが事故死であると警察が発表し終局した事件。千代はその生き証人になるわけで、組関係からなぜか殺される事無くこういう監視される生活を強制させられている。
 千代がおびえているのは当然で、いつ大矢が殺しに来るのかおびえていたのだという。
「いや、さすがに殺しは……」
 そこまでの覚悟をしてこいとは言われなかった大矢は、殺しにきたのだろうと言われて慌てた。
 確かにヤクザになったときは、鉄砲玉になる覚悟も少しはあったが、詐欺という人を殺すわけではない犯罪でぬるま湯につかっていたから、いきなり殺してこいと言われても出来ない。
 大矢がびっくりしていたことに千代は意外だったらしく、それから大矢(おおや)には笑顔を見せるようになった。
 親しくなるにつれ、大矢は千代を助けたいと思うようになった。
 そして事件が起こったのは、二ヶ月前。監視から二ヶ月以上経っていた。
 千代は一人で逃げようとして準備していたのを川原に見つかって、棟方に報告されそうになった。それで千代と川原は争い、突き飛ばしたところ川原が頭を打って倒れた。
「大丈夫だ、生きてる」
 幸い川原は頭を打ったショックで気を失っているだけだった。
 だが、千代が逃げようとしていたことは川原が気がつけばしゃべってしまう。
「どうしよう」
 大矢は、千代の肩を手でつかんでから言った。
「俺と一緒に逃げよう。今なら逃げられる」
 川原という存在が気がつけばもちろん組に報告されるだろうが、それまでに人里離れたところまで逃げればいい。大矢がそう言って荷物を軽くかき集めて、千代と一緒に逃げだした。
 この仕事で手に入れた金があるかぎり、とりあえず逃げられる。そう思って逃走した。
 その金が尽きたのは、三週間してからだ。
 そもそも金勘定をまともに出来ない大矢は、節約という言葉を知らなかった。千代が止めるのも無視して部屋を分けたり、ちょっと豪華な弁当を買ったりと散財した。三週間後には、千代が今まで世話になっていたからと、持っていた金に手をつけだした。ヤクザからもらった金だからできれば使いたくないという理由は聞いていたが、そうもいっていられない。結局、大矢はお荷物になった。
 その大矢たちを追いかける輩が目に入ったのは、ホテルを出立する時。
「あの、お客様を訪ねてきた怪しい男たちがいたのですが……」
 ホテルの支配人がそう言った。ホテルとしては客の情報を漏らすわけにはいかないので、居ないと言うことにしたが、特徴的に大矢たちであることは間違いない。写真も少し前の大矢で、女性と二人であることまで知られていた。
 これからホテルに泊まることはできない。追っ手が迫っている。
 しかし大矢には逃げる手段も方法も思いつかなかった。 
 そうして駅に向かったところ、黒服の男たちが人を探しているところに遭遇した。向こうは気づいてなかったが、千代を見つけたと走って行く。千代は喫茶店で待っていて、駅までは大矢が切符を買いに来て様子をみようとしていたところだった。
 慌てて喫茶店に戻ると、千代はいなかった。男たちは店の主人に千代の行方を聞いていたが、主人は出ていったから知らないといい、男たちもそれ以上粘るわけにもいかず、店から出て行った。
 千代を探すと、老人と一緒に店の奥に隠れていた。
「実はわしも追われていてね」
 そう言う老人は、久山と名乗った。この老人、いいところのお爺さんという風に恰幅がよく、顔も厳ついが仕草が丁寧だった。元ヤクザで引退したばかりである。悠々自適の生活を送ろうとしたら、何者かに追われていることに気づいて逃げているところだという。
 喫茶店の店長は知り合いで、それで匿ってくれたのだが、その時同じく追われている千代も焦って匿ってくださいと一緒についていったわけだ。
 そこで二人で話をしていると、追われているのは二人とも嵯峨根会のヤクザであることがわかった。
 久山は友人の秘密を探っていたために狙われたのではないかと逃げていて、捕まったら命はないだろうと確信している。もちろん千代も大矢も同じく命はない。
 そこで久山は「警察に保護を頼めばいいだろう。わしと違って一般人なら守ってもらえる」と言うのだが、千代はそうはいかない事情があった。
 そう警察官もグルの人間がおり、もしその人が引き取りにきたら嵯峨根会に売られるのだというのだ。それは大矢も暫くして知ったことで、さらに行けない理由があった。
 そう逃げるときにうっかり怪我をさせてしまった川原亜衣が放火によって殺されていたこと。あれは千代と間違えて殺したのか、それとも逃げたことに気づいて殺したのか。
 千代の追っ手が暫くなく、ここ最近増えたのは、あのとき死んだのが千代ではないと知られたからだと千代は言っていた。つまり千代は何が何でも殺されるしかないわけだ。
 つまり確実に助けてくれる警察関係者が出てくるまで千代は逃げるしか道がないのだ。
「そうか、じゃあわしと一緒に逃げようか?」
 いきなり久山がそう言い出した。他人を信じるなんて出来ないが、一ヶ月逃げたところで金の問題が再浮上していた。久山はこの町外れの山奥にペンションを持っている友人が匿ってくれるというのでここまで逃げてきたと言う。さっきの千代たちを追っていた人間は駅を張っているだろうし、もし町で見かけなかったら、隣町と逃げた方へと彼らは追ってくる。動きを予測しているのだろうか、追いつかれて逃げる範囲を絞り込まれている。
「ここは少しだけお世話になります」
 助けてもらった千代が先に言った。自分たちが金欠になり、お金を引き出した辺りからヤクザ以外の誰かにも追われているような気がするのだ。
 警察もきっと川原の遺体だとわかったなら、千代を追っているはずだ。そろそろ世間に顔がバレ始めている。ニュースになっていたのは川原が千代に間違われて死んだことだけだったが、警察が非公開で追っているならマスコミがかぎ付けて追ってくるかもしれない。
 二人だけで逃げるのは限界で、冬になると北海道で野宿ともいかなくなる。
 久山は確かに怪しいが、ここで捕まるかもって一週間かというところまで切羽詰まっている自分たちの状況からして賭けるしかない。
 大矢は千代が決めたことに反論したかったが、自分がどれだけ役に立たないのか身をもって知っているだけに反論は出来なかった。ただ久山が怪しい動きをしないかどうかだけでも監視するしかない。
 ここで一緒になった久山は、山の中にあるペンションへ友人の車で向かった。
 ついた場所は本当に人里から離れた場所で、ペンションは夏の間だけ、川でキャンプをする都会の人が避暑に使っているだけなのだという。昔は冬にも雪に閉じ込められながら過ごすという変わったことを好む客も居たが、それも近年ではいない。久山は知り合いだからということ、冬の間管理をしてくれるならということで借りた。
 冬眠でもするのかというような荷物をオーナーが買い込んでくれていて、一冬超してもまだ大丈夫な食料や日用品が山盛りのペンションだった。さすがに生ものは冷凍されているけれど、それでも贅沢はいえない。
 ここにきてから千代は安堵したのか、笑うようになった。外には一切でないし、雪が屋根から落ちる音におびえていたのも最初の数日だけ、次第に自然な世界になれていった。
 元々千代は山里の出身で、不自由な生活に嫌気がして田舎から都会に来た部類だ。しかし都会では上手くいかず気づいたら借金を抱えてキャバクラで働いていた。
 八木はその時出会った男であったが、非常に思いやりのある男だった。身内には優しいが他人には厳しいというような男で、暴力を振るわれたことはない。このままヤクザの舎弟で終わるような男と暮らしていくのだなと妙な納得とともに覚悟を決めた時、誘拐されたのだという。
 そして戻ってきた時、八木は死んでいた。
 そこで千代の世界は終わってしまったようなものだった。
 望んだことはすべて失敗してきた。それが自分の失敗からならわかるが、誰かに必ず壊された。千代は監視されて生きていくのも仕方ないと最初は受け入れていたが、大矢(おおや)と出会って話すようになって、これでは駄目なのだと思うようになったのだという。
「大矢さんのおかげで、私、もう少しだけ生きようと思った」
 それが逃走する準備に繋がったのだが、そこを川原に見つかった。
「私、川原さんを殺したんだわ」
「違う、あのときちゃんと息をしていた」
「でもあのままおいて行ったから殺されたんでしょう?」
「それはわからないよ。だって俺たちも殺せといわれていたかもしれないだろう? 実際、俺は千代さんを殺しに来るなんて誰からも聞いていないんだ」
「じゃあ、どういうこと?」
 それをたまたま聞いていた久山が口を挟んだ。
「大矢くんに頼んだ人間とは別の人間が、千代さんを殺したいということじゃないだろうか。川原さんや大矢くんの行方を誰も気にしていなかったのは、その存在を知らなかったと思われる」
 久山の言葉に千代はまさかと考え込む。確かに川原は逃げることに関してやめさせようとしていた。けれど殺し屋が来るからというような話になっていたなら、彼女はきっと凶器を持って千代を殺していたと思われる。
「私の知り合いの警察なら、きっと千代さんを保護してくれるだろうが、時期が早すぎるかもね。私の友人の話ではやっと嵯峨根会元会長都寺冬基の事故死が再捜査されることになったらしい」
 それを聞いた千代ははっとする。
 それなら捜査協力という名目で保護を願い出ることが出来る。しかしやっと捜査を再開したなら、それなりに疑わしい人間が出そろう前だ。久山はそうした怪しい人物が出そろったところで千代が保護を願いでれば証人保護として裁判が終わるまで警護をつけてもらえるだろうと話していた。
 つまり千代が生きていることは警察も知っている。だから警察が捜査を進めて、絶対に千代の証言が必要になったと思ったところで久山の知り合いの刑事に連絡すれば、安全に移動が出来るというのだ。
 今の所、北海道から本州に抜け出すには電車に乗るか空の便に乗るかのどれかだ。だがそのどれも見張られている。
 警察に行く前に安全に移動出来る手段がない。
 北海道に冬中潜伏に成功すれば、さすがにやつらも北海道から脱出していると思うかもしれない。
「そうすれば、移動も楽になる」
  警察が本当に捜査を進め、事件解決まで進められるかわからない。保護を求めたあと、捜査打ち切りにでもなったら目も当てられないのだと久山は言う。
「確かに久山さんのいう通りね」
 久山もヤクザから逃げているのもあり、警察やヤクザの行動はしっかり読んでいる。しかも久山の友人は警察とも繋がっているようで、その情報も入ってくるらしい。
 とにかく、久山の言う通りに行動していれば、安全であるのは間違いない。
 久山に何かの思惑があったとしてもだ。
 嵯峨根会の差し金ならとっくに殺されていただろう。それがないということはそれ以外であるということ。さらに嵯峨根会に探されているのは久山も同じだった。
  売り渡すにしても久山もろとも殺すのが嵯峨根会だ。
 この事件の証人は誰であっても生かしておくわけにはいかないのだろう。

  この三人で冬の山小屋で暮らす。
  春になる頃事件解決に向けて進んでいるようにと願いながら。
 その願いが意外なところから叶おうとしていたなど、彼らは想像だにしなかっただろう。


 都寺冬哩(つうす とうり)が植野千代を探すように命令した人間から意外な人間の名前が報告された。
「久山鉄男? 前の久山組組長か」
 すでに引退をしたヤクザの組長が何故北海道にと思うのはおかしなことだった。彼はもう自由で、旅行をかねて北海道にいてもおかしくはない。何故報告したのかを聞くと。
「秋篠啓悟(あきしの けいご)が行方を捜していた」
 というのだ。本人の依頼ではなく、どうやら俐皇の用事であるらしい。
 その話は冬哩は聞いてなかったので聞くと、滋賀のヤクザ、火浦組の元組長がタイで殺された事件を久山が調べていたという。滋賀の火浦組の今の組長根本は、元々は九十九組の出身で、どうやら火浦の大本の輸出業である中古船販売を隠れ蓑に何かをやろうとしていたらしい。
「ふん、どうせ覚醒剤の密輸だろうな。中古船を売り、儲けた金で覚醒剤。それを売った金で中古船を仕入れる」
 元々中古船を売る事業を戦前から続けていたから出来ることらしいが、それに俐皇が食いついた。火浦の根本が組長になればそれを大々的に出来るわけだが、そうは問屋が卸さない。
  経営権の問題が残っており、それで火浦組と元組長の妻が裁判沙汰だ。さすがに警察に見張られていたら妻を殺すわけにもいかず、裁判に応じるしかないが、どうやら負けが確定しているようだ。
  しかしここにきて急展開になる。妻が偶然自動車事故に巻き込まれ、軽傷であるが入院した。
 もちろんそれに火浦組は関係していないのだが、妻は経営権を売ってもいいと言い出したのだという。火浦組はそれを買うことでこの事件を示談にするつもりなのだという。
「偶然の事故ね」
 おかしな話だが、その偶然を作れる男が一人存在した。
 真栄城(まえしろ)俐皇だ。
 この男は偶然を利用して画策する。俐皇が帰国したとたんに事態が急速していることから、俐皇が関わっていることは確実だ。
 久山はこの事件を追っていて、権利書のことを気づいたらしい。そして妻を使って訴訟を起こさせ、妻にそれ相応の金を手に入れさせようとしたようだ。結局、俐皇側が折れるしかなかったわけだ。
「久山の作戦勝ちか」
 つまりただで手に入るはずだったものに、火浦(ひうら)の慰謝料を払う羽目になったわけだ。
 もうヤクザの世界と関係ない久山にそれだけのことをやられたら殺したくもなるだろうが、その久山にも逃げられているらしい。
 その久山が北海道にいるという。
 この偶然があるだろうか?
 植野千代たちが逃げ延び、久山と接点があったとしたら、匿われている可能性がある。
「久山が北海道にいたことは誰にも言うなよ」
 報告した人間にだけそう伝え、報告書には書くなと命令した。
 これによって秋篠啓悟(あきしの けいご)は久山の行方を知ることが遅くなる。
 冬哩は情報を集めてまず、秋篠啓悟の情報筋を混乱させた。
 俐皇と啓悟の二人を切り離すことを考えた。
 秋篠啓悟は嵯峨根会を乗っ取るための資金集めに煌和会や九十九を巻き込んだ。それを呼び込んだのは俐皇で、啓悟は俐皇を使って海外取引を活発化させ、人身売買などを繰り返している。
 東南アジアの人間を安く買いたたき、別の東南アジアに売る。そこまでの間に売春を覚えさせ、臓器などを抜き出したりしている。人権無視の行動だが、これで嵯峨根会は急成長した。地元のヤクザとの金銭感覚の違いは大きく、こちらの少額で向こうは大金だ。その金額の差が嵯峨根会に入る。
 そうした仁義などに反した行動を平然と行うのは、秋篠啓悟(あきしの けいご)が留学時代に海外マフィアから学んだ方法だ。日本には合わないのだが、似たよなことをしている組は多い。海外からきた人間を安く雇い、ぼろぼろになるまで働かせる。過酷な労働条件に逃げ出した人間は臓器を抜き出されて殺される。
 年間何万人という行方不明者がいることか。その半分はこうやって消えていく。
 当然捜索願なんて誰も出さず、帰国したようにみせかけられる。
 この辺り、冬哩にとってどうでもいいことではあるが、この事件のせいで冬哩が責任を取らされる可能性がある。
 そこで冬哩は、まず秋篠啓悟の力を弱めるために海外からの資金の滞りをおこさせようとした。
 それにはまず俐皇だ。
 この俐皇を嵯峨根会会長の暗殺事件の主犯として警察に通報した。
 もちろん声などがわからないように、亜矢子にやらせる。亜矢子は北海道まで行って電話をかけて戻ってきた。電話を入れた相手は警視庁の杉浦警視だ。亜矢子がかけたときは休みだったようで、代わりに阿部警部に伝言を頼んできた。阿部警部は杉浦警視の相棒でよく現場にも顔を出している。
 これで俐皇のことを聞きに来たのが昨日のこと。杉浦警視はある程度俐皇がこの事件に関わっていることは確信していたようで、的確な情報を聞こうとしていた。
 会長である冬哩に話を通したいといいながら、冬哩を直撃するも冬哩はそういうことは秋篠に聞けといいその場を後にした。
 話を聞くために裏に回ると。
「確かに高岸一家は嵯峨根会の一次団体ですが、基本、一家の内容に対して何か言っているわけではない。よって真栄城(まえしろ)総長が何をしているのか知らない」
 しかしこれで引き下がる杉浦警視ではない。
「ここ最近の真栄城俐皇の行動は、嵯峨根会の様々なところで目撃されている。それどころか縄張り外の滋賀まで及んでいる。これを知らないなんて、いくらなんでも会として道理が通らない」
 ほらみろ、滋賀の火浦の事件はとっくに俐皇が絡んでいることがバレている。これは確証があるだけで証拠はないだろうが、それでも杉浦警視が持ってきた話だ。受け流しなんて出来ない。
 この男は些細なことからすべての証拠を持ってくる。杉浦警視が捕まえられなかったのは九十九朱明だけだと言われているくらいのものだ。
 それ以下である俐皇が杉浦警視から逃げられるのかは面白いところであるが。
「もしそれが本当だった場合、会としては一家の総長である真栄城(まえしろ)に問い、会の会議にかけるだけですが?」
 しれっと本当かどうかわからないと答え、それ以上話はないと会話を打ち切った。
「ああ、そうですか。ですがこちらとしては植野千代を殺させるわけにはいきませんでね。真栄城(まえしろ)俐皇には出頭するように要請しておいてくれませんかね? 本人が日本に居ることは知っているのですが、どこをほっつき歩いているのやら、京都に入ってから見当たりませんでね」
  杉浦警視が向こうが調べている事件の情報をちらつかせてきた。 
 植野千代は嵯峨根会元会長の暗殺犯、八木功司(やぎ こうじ)の恋人で、八木が強制されて暗殺をしたことを知っている人間だ。
「残しておいた結果、自分の足を引っ張ることになるとは思わなかっただろうな」
 冬哩は苦笑する。
 元々冬哩をはめるために残しておいた切り札だろうが、それが自分たちの足かせになっている。杉浦警視は冬哩が関わっているなど一ミリも思っておらず、はなっから秋篠啓悟が真栄城俐皇にやらせたと睨んでいたようだ。 
  選りにも選ってそこらの組織犯罪対策部ではなく、杉浦警視に睨まれたことは胸にナイフを挿されたも同じ。
「さあ、真栄城(まえしろ)がどこにいるかなど我々にもわかりかねます。風来坊の総長だと聞いておりますゆえ。出頭等に関しては高岸一家に行かれた方がよいのではないですか。仮にも総長ですからね」
  啓悟はそう言い、高岸一家に責任をなすりつける。
  だが杉浦警視がにやりとしていたことからして、啓悟が混乱していることは読めているらしい。これはここに来たこと自体が、啓悟を填めるための何かなのかもしれない。
 俐皇だけを捕まえる気はないようだ。
 そういえばさっき杉浦警視は言っていた。
「おまえはそのままでな」
 そう言っていた。
 つまり余計なことをするなということなのだろう。しない方が冬哩にとってもよい結果になるという見通しなのだろうが。それでは冬哩の望む結果にはならない。
「残念だけど、その通りには出来ないな」
 冬哩は杉浦警視の言う通りには動けない。それはきっと杉浦警視も知っているような気がした。捜査の邪魔にさえならなければ、杉浦警視は冬哩をどうにかすることはできない。そして杉浦警視は冬哩が何も知らないことを証明してくれるだろう。
「このままいけば、俺が疑われることがないということか」
 冬哩は気をよくしてさっさと俐皇に不利な情報を流してやろうと思った。
 警視庁の杉浦警視と話し合いが終わった秋篠啓悟は通りかかった冬哩に対して不信感を持っていた。
「どうして警察などに協力を」
 ヤクザは警察とは話し合いはしないのが基本。
「だが今回は杉浦警視がどこまでつかんでいるのか、おまえは知っておく必要があったんじゃないのかと思ってな。杉浦警視って九十九以外すべて逮捕してくるような人間だろう?」
  犯罪が証明されて逮捕されなかったのは九十九だけであることは有名だ。テロリスト並みの行為をしておきながら、方々から圧力がかかり本人がやったという証拠が出せない以上逮捕にならないし、捜査もできない日本では、九十九は無罪放免である。
 杉浦警視のことだからと言い訳をすると啓悟は険しい顔をしながらも、一理あると思ったようだった。
「次は突っ返せばいい。こっちはこっちで協力してやったといえばいい。で? なんだって?」
 内容を知っているわけではない冬哩に文句を言いたくなったのだろうが、何に文句を言われているのか冬哩が理解していないことに啓悟は気づいてはっとする。
「いや、俐皇についてだった」
「あいつとうとう人でも殺したのか?」
 冬哩が面白そうにして尋ねると、啓悟は口を滑らせないように注意しながら話してきた。
「そう疑われているがそうではない」
「ふうん、まあ俺には関係ないから啓悟、ちゃんと俐皇をどうにかしておけよ。まさかあいつと一緒に嵯峨根会も心中なんてごめんだぞ」
 冬哩がそう言うと啓悟は舌打ちでもしそうな顔で言いよどむ。
「それだけはない」
 どうやら俐皇を捨てる覚悟が出来たのか、啓悟は冬哩に頭を下げてから奥の部屋に消えていった。
 冬哩はそれを見送ってから、スキップでもしそうな足を押さえて亜矢子のマンションに移動した。そこまでくると誰もいないので、やっと本音が吐ける。
「ざまぁないな、啓悟。よほど俐皇は必要だったようだな」
くくくっと高笑いを一時したあと、ふと真顔に戻る。
 第一段階の仕込みは成功した。後は俐皇が日本にいられなくなれば、嵯峨根会に干渉することも難しくなる。さらに織部寧野を武藍(ウーラン)に奪われた俐皇は、煌和会とにも亀裂が入っているはずだ。
 そう、俐皇はどんどん不信感をためて、やがて九十九に牙をむく。そうなれば、九十九からすれば俐皇なんて邪魔以外の何者でもなくなる。そうなったら俐皇はきっと殺されるだろう。
「これは面白い」
 冬哩はにやりとして思惑通りにいくといいと思いながらも、それが意外なことで順当にはいかないことを知ることになる。