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 風が強く吹いて、鬼柳恭一(きりゅう きょういち)は覗き込んでいたカメラのファインダーから目を離した。
 ちょうど、今は三月の半ば。
 寒さはまだ残っており、浜辺となれば寒さは一層に増す。
 日が落ち初めて、辺りは暗くなっていた。
 鬼柳は今日は暇なのでカメラを片手に海辺にやってきていた。特段、海を撮ろうとかそう言う事を思った訳でもないが、いつもの癖でカメラを持ってきてしまった。
 そうなっては、海でする事もないのでカメラを構えていたが、そこに不思議な光景が目に入っていた。
 鬼柳がここへやってきたのは、朝10時くらいだった。
 その時には、その不思議な光景は始まっていた。
 寒い海に、一人の少年が立っていた。
 立っているだけなら、散歩に来たのかと思っただろうが、その少年は拾った漂流物であろう木の棒を持ち、それを砂に当てて何かを描いているのだ。
 不思議に思った鬼柳はファインダーを覗き込んで、その光景を眺めていた。
 何かの図のようだったが、鬼柳には解らなかった。
 少年は一筆描いては立ち止まり、何か思案しては、描き始めるという行動を繰り返している。
 難しい顔をしたり、頷いて笑ったり。
 一人百面相だ。
 華奢な体つきで、コートの下から覗くジーンズのズボンから見ても、かなりの細さだ。
 顔は綺麗なものだった。ああいうのを美少年というのだろうと鬼柳は思った。だがキツさがなく笑うと可愛いという印象。
 猫毛の細いショートが、風に揺れている。少し色素が薄いのか、太陽に当たると光って金色に見える。
 瞳が大きく、くるくると動く表情。
 だらだらとした最近の若い人の動きではなく、綺麗にしなやかに動く仕草は見愡れる程だった。
 鬼柳は思わずシャッターを押していた。
 撮るつもりはなかった。
 なのに、自然と指が動いた。
 気が付いた時には、入っていたフィルムを使い切っていた。
 少年の方も撮られているという意識はなく、周りに人が通っても気が付かないほど集中している。
 通る人が、少し興奮したように振り返っていたが、何か話し掛けても無視している感じだった。
 暫くすると、少年の動きが止り、座り込んで目を瞑り考え込んでしまったようだ。
 フィルムを変えた鬼柳は、やはりよく解らなかったがシャッターを切り続けてた。意味なく、ただ静かに撮っていた。
 少年が動かなくなって、鬼柳は一度昼食を取りに海を離れたが、やはり勝手に写真を撮ってしまった事を詫びようと、鬼柳にしては珍しく神妙になり、また海へと戻ってきた。
 たぶん、もういないだろうと思っていたのだが。
 しかし、その場に戻って驚いた。
 少年はまだその場にいた。それも鬼柳が海を離れた時のままの、座り込んだ体制のままで。
 これは何か変だと、鬼柳は思った。
 少年は眠っているように、身動きもしなかった。
 これだけ見ていれば、いつか気が付くかと、人を待つのが嫌いな鬼柳にしては、最長記録という程の時間が過ぎて行った。
 そして、少年が動いたのは、もうすぐに日が暮れる頃。
 身動きして、立ち上がると背伸びをし、下を見ると、また何かを考えているのか、その周りを2周ほどして、波打ち際に足を進めた。
 波打ち際で止まるだろうと、通常の人ならそう思うだろう。
 だが、少年は歩く速度を緩めず、海に向かって進んで行ってしまったのである。
 仰天したのは鬼柳だ。
 カメラを放り出すと、少年目掛けて走り出した。
 少年は既に、腰まで海水に浸かりながらも、寒さを感じないようで、まだ進んでいた。
 鬼柳も海へ入り、やっと少年に追い付いた。
 腕を引っ張り、少年を振り返させて叫んだ。
「お前! 死ぬつもりか!」
 鬼柳の怒気の声に、少年はやっと我に返ったように、不思議そうな顔で鬼柳の顔を見上げた。
 今やっと意識を取り戻した、という大きな瞳が鬼柳の顔を覗き込んでくる。
「あ、あの? どちら様?」
 こういう所でこういう質問。
 はっきりいって、頭大丈夫か?と言いたくなる所ではあるが、鬼柳もそこは変わっていた。
「俺は、鬼柳。お前、何やってるか解ってるか?」
 鬼柳の真剣な顔に、少年は少し考えて。
「鬼柳? うーん、覚えはないなあ。会ったことあります?」
 と、首を傾げて尋ねてきた。
「会った事はない」
「良かった。また人の顔が覚えられてないのかと思ったぁ。じゃあ、初めまして。俺は、榎木津透耶(えのきづ とおや)です」
 満面の笑みで自己紹介され、さすがの鬼柳も肩の力が抜けてしまった。
「どうでもいいが、透耶。そろそろ陸に上がらないか?」
 透耶はいきなり名前を呼び捨てにされた事よりも、今指摘された「陸」という言葉に不思議な顔をしてたが、すぐに今自分が何処にいるのかを感じて叫んだ。
「ええええぇぇ!! な、何で?! ここ何処!?」
 海を見て、周りを見て、くるくると首を回して、心底驚いたという態度。
 やはり、頭大丈夫か?状況である。
「取り合えず、海からあがるぞ」
 鬼柳は有無を言わさず、透耶を引き摺って、波を掻き分けながら浜へ上がった。
 その途中でも、透耶はしきりに、「あれ? 何で? ここって何処ぉ? また何かやったかなあ?」と、首を傾げていた。 
 浜辺に上がった透耶を離した鬼柳は、透耶を見下ろしていた。
「あの、俺、何かやってしまいました?」
 鬼柳は溜息を吐いて、説明をした。
「自分で海へ入って行った。覚えてないのか?」
「あー、うーん。やっちゃったかあ」
 上を向き、下を向き、そして顎に手を当てて頷いた。
「すみません。俺、考え事していると、少し周りの状況が掴めなくなってしまうんで」
 精一杯という感じで頭を深く下げ、透耶は鬼柳に謝った。
 その様子で、鬼柳は少しホッとした。
「死ぬつもりがないのなら、いい。家は近くか?」
「近くでは、ないと思います。海は近くにはないですし……。所で、ここ何処なんでしょう?」
 あまりの真剣さに、さすがの鬼柳も頭を抱えたくなってしまった。だが真剣に覗き込んでくる透耶。
 別に人をからかっている訳ではないらしい。
 透耶は身長は、170センチくらいだろう。190センチもある鬼柳を見上げる形になっている。
 長身で身体も大きくしっかりした造りの鬼柳に対して、透耶は少し低めで身体の造りも細く華奢。
 やはり、近くで見れば見る程、綺麗な顔立をしてた。
 透耶は鬼柳を見上げて思っていた。
 灼けた肌、鼻梁が高くて掘りの深い顔。日本人、とははっきり言えない顔立ち。鋭い瞳で人の何もかもを見透かす様な視線。そして雰囲気。何者も簡単に寄せつけない気配。
 それでも、人を引き付けるカリスマ性がある。
 かっこいいなあ。それが透耶の第一印象だった。
「クッシュン!」
 海を出て数分。
 さすがに寒さを我慢出来なくて、透耶はくしゃみを一つして震えた。
「ああ、悪い。何処だかの前に、透耶は風呂だな」
 鬼柳は苦笑して、戸惑う透耶の腕を取った。
「あのー?」
「あ?」
 不安に思った透耶の声に鬼柳は振り返った。
「何処か、ホテルでもあれば、俺、そこへ行きます」
 送って貰うのは仕方ないかもしれないが、風呂まで世話になるわけにはいかないと思い、そう言った透耶だが。
 「金かかるから、俺の家でいいだろう。近いしな」
 金がかかる、近い、という理由だけではないのだが。
「そういう、問題ではなくて……」
「どういう問題だ?」
 鬼柳は本当に、透耶が遠慮をしているとは思っていないらしく、真剣な顔で聞き返してきた。
 うーん、どうやら外見だけが日本人離れしているのではないらしい。
「助けて貰って、何ですけど。そのこれ以上、御迷惑をお掛けするのは申し訳ないと……その……」
 どうはっきり言ったものか、と思案している透耶の言葉に、鬼柳は、はあなるほど、と納得したようで、微笑んで言った。
「気にするな。俺は一人暮らしだ」
 ……解ってない。
「いえ、そういう意味でもなくて……」
 更にいい続けようとする透耶に、鬼柳は面倒臭そうな顔をして。
「ああ? 全然わからねえ。まあ、いいから一緒に来い。話はそれからだ」
 鬼柳は言うは早く、透耶を引き摺って歩き出した。
 途中で、鬼柳は自分で放り投げたカメラを拾い上げた。
 カメラは砂に突き刺さるようにしてあったのだ。
 それを見て、透耶は鬼柳がカメラを放り投げて自分を助けてくれたのだと解った。
「すみません、カメラ。壊れてたら弁償します」
 そう言う透耶を不思議そうに見る鬼柳。
「はあ? 何で?」
「え? だって、俺助ける為に……」
「別に壊れたってかまやしねえ。放ったのは俺だからな。中身が無事ならそれでいい」
 鬼柳はふっと笑って簡単に言い放った。
 やっぱり、そういう問題ではないと思う……。
 どうも日本的会話が旨くいかないので、透耶もさすがにどうしていいのか解らなくなってしまった。
 鬼柳は車で海まで来ていたらしく、助手席のカメラバックを後部座席に投げて片付けると、透耶に座るように言った。
「でも、濡れますよ」
「透耶は言い訳多いな。どうせ濡れるんだ、構やしねえ。さっさと乗れよ」
 鬼柳はもうエンジンをかけて、車に暖房を入れていた。
 さすがにどうしようもなく、凄みのある口調で言われると、断われなくなり、透耶は大人しく助手席に乗り込んだ。




 車で約30分ほど走ると、鬼柳の家に辿り着いた。
 途中で見た標識によると、東京からかなり外れている場所である事は解ったが、はっきりここが何処なのかは、透耶には解らなかった。
 近くに駅はあるだろうが、自分がここへどう来たのかさえ思い出せない。
 うーん、本格的にヤバイかも……。
 記憶喪失行動もここまでくると笑えない事実だ。
「おい、どうした?」
 また一人の世界に入っていた透耶は、鬼柳の呼び声にはっとして顔を上げた。
 鬼柳は既に車を降り、助手席のドアをあけて透耶を覗き込んでいた。
「え? あ」
「着いたぞ、降りろ」
「は、はい」
 透耶は慌てて車を降りた。
 鬼柳は後部座席に乗せていたカメラバックを肩に担いで先に玄関を開けて入って行く。
 透耶が見上げると、そこは別荘の様な造りで、ただの民家とは思えなかった。それにしても大きい家だ。
 車を降りてすぐに玄関があるのは、門からすぐではなく、門をかなり入った場所にある感じだ。振り返っても門は見えない。
 もしかして、鬼柳は物凄いお金持ち?
 うーん、と考えていた透耶に声が掛かる。
「風邪ひいて、熱出したいのか?」
 家に入ったと思っていた鬼柳が戻ってきて、透耶の腕を掴んで家に引きずり込んでいた。
 部屋に入ると暖かかった。
 暖房が強く焚かれていた。
 家の中の調度品は、どれもかなりの値段がしそうな物ばかり。透耶にはやはりかなりの金持ちなんだという認識しかなかった。
 床にはペルシャ絨毯。天井にはシャンデリア。
 大きな暖炉の前には虎の毛皮の敷物が……。
 壁には絵画。皮張りのソファに大理石のテーブル。
「うーん、究極?」
「何が?」
「わ!」
 独り言で呟いた所へ鬼柳が現れて返答したものだから、透耶は飛び上がって驚いた。
 まったく気配のしない人だ。
 いや、透耶がボケているだけだろう。
 「あ、びっくりした」
 胸に手を当てて心臓を落ち着けていると、鬼柳が覗き込んできた。不思議そうな顔をしている。
「何が究極?」
「……うん、この家。鬼柳さん、お金持ち?」
「俺? そんなに金持ってないよ。金持ちの方が好き?」
「うーん、程々でいいと思うけど……って、ここ鬼柳さんの家じゃないの!?」
 真面目にお金持ちが好きか嫌いかの話をしているんじゃないと、慌てて透耶は我に返る。
「こんな悪趣味は俺にはないぞ。ここは知り合いの別荘だ」
 憮然とした顔でそう言う鬼柳。
 悪趣味ねえ。まあ、典型的な金持ちの家って感じだ。
 じゃあ?ふと、透耶は思った。
「知り合いにお金持ちがいるんだあ」
「まあ……。話は後で聞いてやるし、質問があるなら何でも答えてやるから、まず風呂に入ってくれ」
 懇願されるように言われると、さすがに断われない透耶。
「鬼柳さんは?」
「俺は後でいい」
「それじゃ悪いよ。俺、後でいいから、鬼柳さん先入って」
「駄目だ。透耶が先だ」
 真剣に言われ、またもや引き摺られて風呂へ連れて行かれる透耶である。
 なんか、このパターンばっかじゃない?
 またまた大層な脱衣所。金ぴか縁取りに、大理石な床。
 多分、一生見ないだろうと思っていた家を見せられ、透耶は目がくらくらしていた。
「透耶。トリップは風呂に入ってからだ」
「あ、はい」
 透耶が何かある度に、トリップする性格だと見抜かれてしまっていた。
 気が付くと、鬼柳が目の前にいて、透耶のコートを脱がし、更にジーパンのベルトを弛めに入っていた。
「き、鬼柳さん?」
「あん?」
「自分で出来るし……」
「そうか?」
 鬼柳はそう言って手を止めた。
「じゃ、早く脱いでくれ。洗濯する」
「え? 鬼柳さんがするの?」
「他に誰がする」
 まあ、確かにここには鬼柳以外の人はいないらしい。
 これだけ大騒ぎしても誰も出てこなかったからだ。
 しかし脱げと言われて、はいそうですかとは脱げない透耶。少し考えて、男同士なんだから平気だよな、と思い直して、急いで服を全部脱ぐ。
 とにかく、服を乾かして貰わなければ、帰る事も出来ない状況である。
 意を決して脱いでいた透耶を、鬼柳はじっと眺めていた。
 やっぱり細い。が感想だ。
 しかし、ガリガリというわけでもない。
 線が細い、造りが細いのだ。
 さすがにじっと舐めるように眺められると、気になる透耶は、不安そうに振り返って鬼柳を見上げた。
 視線が合うと、鬼柳はスッと動いて透耶が持っている洋服一式を受け取った。
「中に一式揃ってる。どれでもいいから使って洗え。それから、湯にはちゃんと浸かれ。出たら、そのタオルとバスローブ使ってくれ」
 そう言うと、透耶の返事も聞かずにそそくさと出て行った。
 ドアが閉まると、透耶は茫然と見送った。
「監察されてた?」


 風呂に入ると、急いで溜めただろうお湯が張ってあった。
 浸かれと言われたから、浸からないと怒られそうだ。
 透耶は苦笑して、まるで光琉みたいだと思った。自分にそっくりな弟は、それは口喧しく色々と言ってくる。歯を磨いたかまでだ。
 鬼柳はそういう面倒見がいいんだろうか?
 強面なのに?
 なんか変なの。
 そう思いながら、言われた通りにボディーシャンプーをスポンジに付けた。
 透耶が風呂から上がって出てくると、鬼柳は居間にはいなかった。
 何処へ行ったんだろうと辺りを見回していると、居間への反対側のドアが蹴り開けられて鬼柳が入ってきた。
 びっくりして振り返ると、鬼柳は両手にお盆を乗せて、その上に何か食べ物を乗せて入ってきた。
「鬼柳さん、ドアは蹴るものじゃ……」
 これだけの家である。傷でもつけたらどうするんだろう、という不安の声で言ったのだが、鬼柳はお盆をテーブルに置くと。
「手が塞がってんだ。どうやってドア開けんだよ」
 と言い放った。
 やっぱり、そういう問題じゃあ…。
 
透耶とは基本的に価値観が違うらしく、どうも日本人的会話は通用しない事が判明。
「透耶、お前朝くらいから飯食ってないだろう。これ食べてろ」
 そう言ってテーブルに並べたのは、見事な日本食。ご飯に、味噌汁、焼き魚、お漬け物、サラダ。何故かデザートに梨が付いている。
「これ、鬼柳さんが作ったんですか?」
 ほわーっと感動して見ていると、鬼柳は煙草を吹かせながら真面目に頷いた。
 ここまで完璧にご飯が作れるとなると、余程日本食に詳しいはずだ。しかし、日本的会話が妙なのはどうなんだろう?
 でも名前は日本人みたいだし。とふむと悩む透耶。
「毒は入ってないぞ」
「いえ、そういう意味では……頂きます」
 一口、味噌汁を飲む。
「うわあー。美味しい!」
 本当に美味しかったので、透耶はにこりと微笑んで鬼柳を見た。
「そうか、良かった」
 鬼柳は味が口に合うのか心配していた様で、ホッとしたように微笑んだ。その微笑みがあまりに優しかったので、透耶はびっくりしてしまう。
「鬼柳さんって日本人ですか?」
 何だか、どうでもいい事を口走ってしまう透耶。
 だが、それに反して鬼柳は簡単に答える。
「あ? 三分の一くらいだな。国籍は日本じゃない」
「えーと、何処か聞いていいですか?」
「アメリカ」
「ふーん。フルネームってもしかして……」
 そういやフルネームは聞いてないや、と透耶が思っていると、鬼柳は素早く答えた。
「鬼柳恭一。アメリカ風じゃねーぞ」
「ミドルネームに、アランとかクリフとかついてるのかと思った」
 素直に言うと、鬼柳はすごく嫌な顔をした。
「そりゃ、親父が完全に向こうだったらな。親父は日本系2世だがなんだかだ。母親は日系だが三世だしな、色々混ざってんだよ」
「通りで、日本人らしくない顔だと思った」
「そうか?」
「うん、すごく美形だし」
「そうか?」
 二度目のそうか?は、何だか本当に不思議がっている感じの口調だった。
 透耶はなんだか可笑しくなって、くすくすと笑いながら、進められた食事を口にしていた。
 質問をしなくなった透耶をじっと見ていた鬼柳は、煙草を吸い終わり、灰皿で消していた。
「もう、質問は終わり?」
 そう言われて、ふと顔を上げて鬼柳を見る。
「う、うん」
「風呂入ってくる」
 鬼柳はそう言うと、すぐに居間を出て行った。
 そうか、自分が質問してしまったから、鬼柳は風呂へいけなかったんだと思い、透耶は悪い事したなあと頭を掻いた。
 どう考えても透耶も怪しいはずなのに、鬼柳はその辺をまったく聞いてこない。
 まるで、聞く必要はない、という感じだ。
 透耶は、鬼柳は他人に興味を示さない人なんだと思った。
 そうこの時まで。



 食事を食べ終わって、お茶を啜って、デザートの梨を食べていると、鬼柳が風呂から出てきた。
 バスローブ姿の鬼柳は、鍛えられた身体がはっきりと解る姿だった。無駄 のない筋肉、引き締められた肉体は、それは美しいと言ってもおかしくはなかった。
 こんな人もいるんだ。が透耶の感想。
 梨をシャリと齧っていると、足でドアを蹴って居間の隣の部屋に入って行く。
 
 どうもそこはダイニングらしい。
 うーん、どうも足でドアを蹴るのは、必要に駆られてやっているのではなく、癖らしい。と判断。
 ドアを見ていると、鬼柳はビール片手に戻ってきた。さすがに閉める時は手を使うようだ。
 鬼柳は透耶の隣に座ると、ビールのプルトップを開けて飲み始める。一口飲むと、眺めている透耶に気が付いた。
「何?」
 不思議そうな顔をして聞いてくる鬼柳に透耶はなんでもないと首を振った。
「旨いか?」
「うん。食べてないの? はい」
 折角美味しい梨なのに、鬼柳が食べずにいるのは、もしかして自分に全部出してしまったからではないか、と透耶は思って、梨を一つ取って差し出した。
 鬼柳は、透耶があまりににっこりと差し出すものだから、びっくりして透耶を見てしまう。透耶は少し首を傾げて鬼柳を見ていた。
 数分、そうして見つめ合っていたが、根負けしたのは鬼柳の方だった。
「貰おう」
 鬼柳はそう言うと、梨を手にすることなく、透耶の手にあるままで梨に齧り付いた。
「へ?」
 そういうつもりで差し出したのじゃない透耶は驚いてしまう。
 まだ梨は半分残っていた。
 透耶が手を引っ込めようとしたが、鬼柳の方が素早く、透耶の腕を掴むと引き寄せるようにして、残りの梨に齧り付いた。
 だが、その梨の半分は、殆ど透耶の手の中である。
 鬼柳は、透耶の指先を少し噛んだ。
 透耶は慌てて指の力を抜いて、梨を離した。
 梨は既に鬼柳の口の中なのに、鬼柳は透耶の手を離さない。
 するとゆっくりと鬼柳の口が開いて、目の前にある透耶の指を舌でペロリと舐めた。
 自分で指を舐める事はあるが、人に舐められた記憶はない。くすぐったい気持ちと、何処か何か違う感覚が身体を走り抜けていった。
 ピクンと震えて身を固くすると、鬼柳が握っていた手を離した。
「旨いな」
「う、うん」
 うわー指舐められた。と透耶が驚いていたが、鬼柳は至って平気な顔でビールを飲んでいる。
 こういうのって、アメリカでは普通なのかなあ? と透耶は真剣に悩んでしまった。
 んなこたあないぞ、透耶。
「透耶。お前、家は何処だ?」
 今度は鬼柳からの質問が始まった。
 とりあえず、梨齧り事件(?)は置いておくとして、透耶は自分の事は何も言っていないのを思い出した。
「うん、東京の…」
 詳しく説明するにも住所を言った方が早いと思い、その住所を説明すると、次の質問が出た。
「家族とか?」
「ううん、うち、親がいないんだ。弟がいるけど、今は事情があって離れて暮らしてるから、一人暮らしだね」
「学生?」
「ううん、高校卒業したばかり。就職というか、仕事は一応決まったけど、ちょっと不安かな。安定してないし」
「何故だ?」
「物書きなんだ」
「物書き?」
 ぽかーんとしている鬼柳。
 うーん、これは素直に答えた方がいいのかなあ。透耶はその名称があまり好きではなかった。
「小説を書いてるから、小説家なんだろうけど。あ、鬼柳さんは、仕事何してるの?」
「カメラ。今は休み」
「え? じゃあ、商売道具投げちゃったの!?」
 信じられない!と声を上げた透耶だが、鬼柳はまったく気にも止めてないらしく、「あんなもん、どうでもいい」と言い放ったのだ。
 あんなもんって、あれってニコンじゃないの?プロ用のカメラって高いんじゃあ? と見つめていると、振り向いた鬼柳と目が合った。
 見つめる目は真剣だった。
「言っただろ。中身が無事なら、カメラなんてどうでもいいって」
 そう言いながら、鬼柳の顔が段々と迫ってくる。
「えっと鬼柳さん」
「何だ?」
「何で近付いてくるの?」
 鬼柳が段々と近付いてくるものだから、透耶はじわりじわりと後ろへ逃げる羽目になっている。
「透耶は、何で逃げる?」
「鬼柳さんが、近付いてくるからで……って何でそんなに寄るの!?」
「透耶が逃げるから」
 透耶が逃げる距離以上に、鬼柳が追ってくる。
 そのうち、透耶は壁に追い詰められ、横へ逃げようとしたが、すぐに伸びてきた鬼柳の両腕が壁に付けられ、透耶の逃げ道を塞いでしまう。
 前を向けば、真剣な鬼柳の顔。透耶は顔を背けて叫んだ。
「よ、酔ってるでしょ!」
「あんなもんで酔うかよ。別の物で酔いたい」
 声は耳のすぐ側で聴こえた。
 瞳だけで横を見ると、鬼柳の顔はもうくっ付いていると言ってもおかしくない。
 耳に息を吹き掛ける様に、低いバリトンが言う。
「セックスしよ」
 頭の中が真っ白になる、というのは、こういう事なんだなと、透耶は後で思った。
 本当に何を言われたのか、何を言っているのか。どうしてそんな言葉が出て来たのか。色々考えてみても解るものではない。
「え?」
 やっぱり出るのは聞き返す言葉。
 しかし、返ってくる言葉は変わらない。
「セックス」
 鬼柳はそう言うや早く、立ち上がると同時に透耶を抱え上げた。
「わあああ!」
 急激に景色が回ってあたふたする透耶は、今自分がどういう状況なのかを一瞬忘れた。
 190センチもある男の肩に担ぎ上げられて運ばれている。
 次にハッとして、透耶は暴れ出した。
「き、き、き、鬼柳さん! ちょ、ちょっと待って!ちょっとじゃなくてストップ!ストップー!!」
 透耶が暴れて叫んでも、鬼柳はびくともしない。普通、人間を、それも暴れている人を平気で担いで歩ける人間がいるとは思えない。
 それでも、鬼柳は慣れた様子でどんどん進んで行く。
 階段を上がる前に鬼柳が言った。
「暴れても構わないが、下手すると落ちて骨折。悪くて即死なんてなるぜ」
 特に慌てている声でなく、冷静なトーンに透耶はびくっとなり全ての行動が止まってしまう。
 死ぬのはどうでもいいが、痛いのは嫌だ。
 そうして止まったと同時に、鬼柳はにやりとして意気揚々と階段を上がって行く。
 透耶は担ぎ上げられた状態で階段を眺めていた。
 確かにこれじゃ落ちたら死んじゃうな……。
 などと眺めてたが、階段を登り終わったとたんに、また透耶は暴れ始める。
「鬼柳さあん!俺、男ですってば!そんな趣味ない!」
「俺もそんな趣味はない」
「だ、だ、だ、だったら何で!?」
「透耶が好きだから、したい、入れたい、抱きたい、中に出したい」
 ひぇえええ!これでもかって説明!ってじゃなくて!
「俺は! そんなのしたくない!」
 そう叫んだ時には、鬼柳は既に寝室のドアを足で蹴り開けていた。
「だから!ドアは足で蹴るもんじゃない!」
 なんだか、意味解らない怒りになってしまってる透耶。
 掴んでいる腕が緩むと、そのまま倒されるように透耶はベッドに転がされた。
 チャンス!と逃げようとしたが、既に遅し。がっしりと肩を押さえ付けられて身動きが取れなくなってしまう。
「い、嫌だ! やめてよ鬼柳さん……」
 懇願して鬼柳を見ると、にこりと笑った顔が覗き込んでいる。
「逃げてもいいけど、どこまでも追い掛けるぞ。追い掛けて連れ戻してセックスするから」
 笑っているが目はイッている。
「……嫌だ。お願いだから、やめて」
 震える声でやっとそれを告げるが、鬼柳はその言葉を聞いてない。
「大丈夫。俺、うまいから。最初はやっぱ痛いだろうけど、まあ慣れるまで我慢だ」
「大丈夫じゃない!嫌だ!これは犯罪だぞ!強姦だぞ!」
「それでもいい。透耶、抱けるなら、何だっていいよ」
 うわあ!全然話が通じない!
  日本人的意思疎通がまったく出来ない。
 次に「人の話を聞け!大馬鹿!」とは叫べなかった。叫ぼうとした時には既に鬼柳に口を塞がれていた。
「……ん!」
 激しく吸われ、叫ぼうとして開いた口の中には、鬼柳の舌が割り込んできて、暴れようとしたが、いつの間にか頭を両手で固定され、もうキスを受けるしかない状態だった。
 口の中を這い回る舌に犯される。
 激しく舌を吸われ、透耶は目眩がした。 
 こんなキスは知らない。
 息も接げない。頭の中が朦朧としてくる。
 鬼柳を押し返そうとしていた、透耶の腕の力が段々と抜けて行く。
 それを見越した様に、やっと長いキスを終わらせる鬼柳。
 やっと息が出来る様になった透耶は深く息を吸い込んだ。
「……はぁ、ん……、はぁ……」
 目尻には涙が溜っていた。
 眉を顰めている透耶の眉の間に、額にと鬼柳はキスを降らせてくる。
「な……何で、こんな……こと」
 激しい呼吸をしながら、やっと言葉を吐いた透耶に、鬼柳がまたキスを降らせてくる。
「ちくしょう、こんな事ってあるんだな」
「……?」
 うっすらと目を開くと、歪んで見える鬼柳が言い出した。何を言うのかと透耶が耳を傾けていると。
「こんな感情湧くとは思いもしなかった。ガキみたいにただ欲しいだなんてよ。俺が自分から欲しいだなんて、ほんと昔の話だぜ」
 興奮したように語る鬼柳。
 彼にしてみれば、この感情は決してあり得ないものだった。それなのに、こうして透耶を目の前にしていると、こうも欲情を押さえられないとは。
 もう何も考えられない。
 ただ、抱く事だけしか出来ない。
 
 
 
「ひゃあ……!」
 透耶が身体を震わせた。
 鬼柳の手が、透耶の身体を這い回る。
 肌をしっかりと確かめるように、その後を鬼柳の舌が追い掛ける。
 胸に辿り着き舌が胸を舐め、噛んでくると、透耶は自分でも思いもしなかった甘い声が口から漏れていた。
「あ……ん……」
 与えられる快楽を、不快とは思わなかった。
 不快とか思う前に、こんなのは知らない。ただ怖いだけで、そして訳もなく翻弄される。
 鬼柳の指は更に進んで、透耶の中心をいきなり握り締めた。
「あ……いや……!」
 透耶が我に返ったように、その手を除けようと身動きしたが、それより早く、鬼柳の手がゆっくり動き始めると、もはや透耶には抵抗は出来なかった。
「あああ……あん……」
 指の動きが激しくなると、もう口から出るのは甘い声しかなかった。それが一層、鬼柳を興奮させているとは透耶は思っていない。
 もう、自分がどんな声を出しているのかさえ解らなくなっていたからだ。
「ああ……はあん……ああ……ん」
「すげーイイ顔。感じてる?」
 翻弄されて、自分の激しい呼吸の音しか聴こえない所へ、耳元から低いバリトンのいい声が、耳から犯す。
「やあ……やめ……て」
「嘘だ。こんなに濡れてるくせに。いいんだろ?」
 卑猥な言葉に顔を赤らめ、透耶は鬼柳から顔を隠すようにしてシーツに伏せるが、すぐに顔を元に戻される。
「いきたいんだろ。出せよ、透耶」
 ゾクッと身体中が、鬼柳の卑猥な言葉に犯されて、透耶は自分を放ってしまう。
「あ……ん……!!」
 放ってしまうと、透耶の身体の力は全て抜けてしまい、全身を投げ出してベッドに横たわっていた。
 鬼柳は透耶の放った物を漉くって少し舐めた。
 だが、まだ終わってはいない。
 すくったものを鬼柳は一つの所へ集めた。
 透耶は茫然としていたが、鬼柳の指が自分の孔にあてがわれて、ハッと意識を取り戻した。
「な、何?」
 顔を上げると、鬼柳が見ていた。目が合うとにこりと微笑まれた。
「何って。入れる準備だよ」
 入れる、という言葉にサッと青ざめた。
「む、無理!絶対無理!嫌だ!鬼柳さん!」
「大丈夫だってば。あんま暴れると余計に痛いぞ」
 にこりと笑って口付けられて、透耶の抗議の言葉は奪われてしまう。
 その間も指は孔の中へと進んで行く。一本中に入ったとたん、透耶の身体は跳ね上がった。
「んんん……!」
 あまりの痛さに身体を強ばらせると、孔を締める結果になる。
「いやあ!」
「透耶、力抜けよ。傷をつけたくないんだ」
「だ、だったら、やめろ!」
 キッと睨むが、すぐにやっと収まった前を触られ、扱かれると身体の力が抜けてしまう。
「あ……う……」
 そうすると、指がスムーズに入り、くくくっと中で回転し、内側を犯して行く。不快感、違和感が入り乱れている中で、一つの点が透耶に甘い声を上げさせる。
 
 指が増え、また最初から中を犯して行く。
 透耶は怖くなって震えていた。
 どうしてこんな事に。
 そう思うと涙が出た。
 怖い、怖い、怖い。
「泣くなよ。大丈夫だから」
 流れる涙を鬼柳は優しくキスで吸い上げていく。
「怖いなら、俺にしがみついてろ」
 いくら怖いと言っても、やめてと叫んでも、懇願しても、もう鬼柳が途中でやめる気は全然なくて、最後まで犯すまで終わる事はないと透耶は思った。
「む、無理……んん……」
 散々内側を嬲った指が引き抜かれた。
「あう……」
 不快感がなくなり、安心したとたん、透耶の足は高く持ち上げられた。
「……え?」
 それと同時に、鬼柳の熱いものが孔に押し付けられた。
「力を抜けよ。ちょっと痛いけど、すぐよくしてやるから」
 ぐいっと鬼柳が腰を動かし、中へ侵入してきた。
 その力に、痛さに、透耶は悲鳴を上げた。
「い、痛い! いた……い! い……つ……!」
 指とは比べ物にならない程の、大きな熱いものが無理矢理身体を裂いて押し入ってくる。その衝撃は、今まで味わったことのない痛さと不快感。
 ズンと力強く鬼柳が押し入って、呻いた。
「き、きつう……。すげえ、締まる。透耶、あんまり締めるなよ。はあ、サイコー」
 卑猥な言葉に、透耶は身体を赤くさせて反論した。
「か、勝手に。知ら……ない……!」
 力を込めて言葉を吐くと、鬼柳がうっと呻いた。
「……うわ、そんな締めたら、イクだろうが……!」
 鬼柳は慌てたように、腰の動きを始めた。急速な動きに透耶は痛みと不快感を息を殺して堪えた。
 だが、鬼柳の動きが激しくなってくると、もう痛みが痛みなのか解らなくなってしまっていた。
「あん……はぁ……あ……あ……」
 痛みで我慢していた口から、喘ぎの声が漏れてきた。
 鬼柳は透耶の中を自分自身で犯しながら、その喘ぎを聞いた。
 よくしてやる、というのは本気だったから、こうして感じてくれている事が更なる喜びになる。
 鬼柳の腰の動きに合わせて、透耶の喘ぎが漏れる。
 甘い声、普段とは違う高い声。
 それを自分が出させている。
 そして自分もそれを聞いて感じてる。
「もう、一生……離さねぇ。他の……誰にも、絶対、渡さねぇ」
「ああああ!」
「透耶、好きだ」
 鬼柳は、甘い声で呟きながら、透耶が達するのと同時に締め付けられ、一緒に達していた。 


 崩れ落ちた透耶は気を失っていた。
 荒い息をしながらも、呼んでも返事はしなかった。
 鬼柳は甘い息を吐いて起き上がった。
「滅茶滅茶にやろうと思ったのに、やっぱ初めてじゃ刺激強いよな」
 まだ繋がったままだったものを引き抜いて後始末をする。
 薄らと汗を掻いて、触ると身体が熱を持っている。
 綺麗な身体だ。
 まだ誰も触った事も、こうして肌を合わせた事もない綺麗な身体だった。
 そう思ったから、どうしても欲しかった。
 欲しくてたまらかった。
 このまま帰しては駄目だ。
 そう思ったから、ここへ連れ込んだ。
 納得して抱かれてくれるとは思わなかったから。
 無理矢理抱いた。
 やっぱり正解だった。
 透耶の寝顔を見ていると、思わず笑みが零れる。
 透耶の顔中にキスをして、ベッドの中に潜り込むと、透耶を抱き締めて眠った。
 初めて穏やかに眠れた。



 朝の光の眩しさで、透耶は目を覚ました。
「う……ん」
 何だか暖かい。
 うーん、と手を伸ばすと、何だか広い。
 目を開けると、見た事がない天井。
「え?」
 一瞬で完全に目が覚めた。
 がばっと起き上がって、周りを見回した。
 が、急に身体の痛みが襲ってきた。
「いたたたたた……な、な、何?」
 身体が痛い、腰が痛い…、あそこが痛い。
「……!」
 夢じゃないんだ。頭の中は真っ白だ。
 思い出しても恥ずかしい出来事。
 男同士でセックス。あり得ない、自分には考えられない。と思っていたのに、しっかり翻弄された透耶。
 一体、何がどうしてそうなったのかが解らない。
 鬼柳は透耶を好きだと言った。
 何故、好きだとか言ったのだろうか?
 鬼柳が男色家、ホモで、誰でもいいから抱きたかったんじゃないか、そう考えるとただの行きずりの自分を抱いただけではないだろうか?
 うん、そう考えると納得出来るかもしれない。
「そうだよ……事故だ。ここを出れば、それで終わるんだよ」
 透耶は呟いて、決心した。
 帰ろう。
 黙って出て行けば、鬼柳も追っては来ないだろう。
 しかし、起き上がったのはいいが、透耶が昨日鬼柳に渡した洋服一式が何処にあるのか解らない。
「洗濯すると言ったから、洗濯機」
 呟いて、寝室の鏡台の椅子に掛けられていたバスローブを羽織って、ゆっくりと寝室を出た。
 階段を降りて、居間の方へ歩いて、ドアの前で音がしないかを確認する。しかし、音はしなかった。
 そろっとドアを開けて中を覗くと、そこには誰もいなかった。
 ほっとして、透耶は忍び足で次のドアを開けて中を覗く。
 そうやって幾つものドアを開けて行って、ようやく最後に洗濯機を発見した。
 飛びついて蓋を開けてみたが、中には何も入ってなかった。
 洗濯機は全自動だから、ここに入ってないとなると、乾燥器だけだ。だが、乾燥器の中にも入ってなかった。
「……うーん、これは片付けた本人に聞かなきゃ解らないって事?」
 納得がいかなくて、透耶は一人ぷんすかと怒りながら、居間へ入った。どうも待っている場所はここしかなさそうだ。
 ふと、見た居間の大理石のテーブルの上に、メモがあった。
「? どっか行ったのかな?」
 透耶が見たメモには英語で何か書いてある。
「思いっきり筆記体って……。鬼柳さん、もしかして日本語書けないとか?」
 うーん、と考え込んだ。
 日本語はペラペラだが、どうも日本人的感覚はなさそうだし、ネイティブが英語なのか。大いに悩む透耶。
 メモとにらめっこをしていると、表で車のエンジン音がした。
 窓から外を覗くと、鬼柳が買い物袋を下げて、車から降りてきた。どうやら買い出しに出掛けていたらしい。
 やっぱりドアが蹴り開けられて、鬼柳が入ってきた。
 うーん、この場合は仕方ないかもしんない。思わず溜息が出てしまう透耶。だが、昨日の出来事を思い出して、透耶は鬼柳を見ると真っ赤な顔になってしまう。
 鬼柳の方は、まったく平然としたもので。
「お、起きたか。今、飯を作る」
 満面の笑みでそう言われると、拍子抜けする透耶。
「う、うん」
「昨日、聞かなかったけど、好き嫌いはあるのか?」
「え? うーん、特にはないけど」
「そうか」
 鬼柳は頷くと、ダイニングのドアを蹴り開けて入って行く。
 はたっと思い出した透耶は、その後を追った。
「鬼柳さん! 俺の服は!?」
 真剣にそう言ったのだけど……と透耶は思った。
 荷物をダイニングテーブルに置いて、いきなり抱き締められてキスされたら、何だかもう訳が解らない。
「んんン!」
 透耶は暴れて背中を拳で叩いたのだが、まったく動じないのが鬼柳というわけで。散々好きにされてキスが止む。
「はあ、はあ、はあ、も、もう!いきなり何すんだよ!」 
 と叫んでも、まだ離してはくれない。
 何とか逃げようとしても、これも無駄な努力なわけで。
 透耶が半ば諦めて鬼柳を見上げると、満面の笑みで見つめられていた。思わず、ドキリ、としてしまう。
「な、何?」
「うん、あんまり透耶が可愛いから。どうしようかなあって思って」
 何だか思いっきり殴っていいか?この馬鹿を。
 というか捕まる俺がもっと馬鹿?
 誰か教えてくれ! と、かなり真剣な透耶。
「あのね、そういう馬鹿な事はどうでもいいけど、俺の服、返してくんない?」
「返してもいいけど、逃げるだろ?」
 鬼柳は、ぴくっと眉が跳ね上がって無表情になっている。

 うーん、図星かもー。

「あの、俺はとにかく帰りたいの!」
「じゃあ、返さない」
 鬼柳に拗ねた様に言われて、「はあ?」となってしまう透耶。
「何で、そうなるの!?」
「帰ったら、後追い掛ける、家に上がり込んで住み着く」 
「は? 何で追い掛けるんだよ! 嫌だよ」
「じゃあ、ここで監禁」
「全然意味が解んないよ!!」
 ストーカーに監禁!?何考えてるんだ、この男は!
 大体、この考え方は明らかにおかしい。
 双方共に自分の意志が通じてないと思っている。
 鬼柳の方も眉を顰めて、透耶を見ている。
「どう言えば、解るんだ? 透耶が好きなだけなのに」
「好きだったら、ストーカーして、挙げ句監禁するのかよ!」
「うん」
「……」(難)
 即答されて透耶は頭を抱えた。
 解んない、解んないよぉ。
 とにかく、自分の意志は通した方がいい。
 透耶は深呼吸をして、鬼柳を見上げて言った。
「俺、そういう趣味ないから、こういうの嫌なんだよ。だから、ストーカーされても、監禁されても、絶対に嫌だ。犯りたいなら、他行って、そういう人とやって」
 透耶がそう言うと、鬼柳は少し天井を見上げて考え込んでしまった。
 よし!通じた!
 と、思った透耶は甘いのだろう。
 少し迷った鬼柳が言ったのは衝撃的一言である。
「……俺、セックス下手だった? 自信あったのになあ」
 本格的にずっこけたくなった透耶。
「下手、上手いの問題じゃなくて……根本的に違う」
 ああ、頭痛がしてきた。
 このまま押問答で、到底、透耶の意志が伝わる事もなく、もちろん鬼柳の言葉の暴走はエスカレートする一方。
 根気負けしたのは、許容量を越えてしまった透耶の方だった。
「解った。逃げないから、とりあえず服返して……」
 結局、当初の目的である、服を返してもらう所で落ち着ける事にした。ここから始めないと話にならない。
「……逃げない?」
 念を押すように、鬼柳は尋ねてくる。透耶は、うんうんと頷いた。取り合えず、嘘でも頷かないと返してくれそうにない。
 するとやっと抱き締めた腕を離してくれて、透耶は自由になった。
 だが、次の鬼柳の行動に唖然としてしまう。
 なんと、鬼柳は透耶の洋服一式を台所の一番上にある棚の中にしまっていたのである。
「そ、そんな所に!? 何で!?」
 鬼柳は洋服を渡しながら、平然と言って退けた。
「買い物行っている間に逃げないようにと思って」
「……用意周到過ぎる」
 行動を読まれているというか、ただ用心深いのか、はたまた、ただの変態なのか。
 強姦、監禁、ストーカー……。ある意味、究極の男だ。
 俺って、このままどうなっちゃうんだ?
 無事に家に帰れるんだろうか?
 透耶の深い溜息が、ダイニングに響いて余計に大きく聴こえた。