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 エドワードが去ってから、一週間が過ぎた。
 透耶はエドワードの言い残した言葉を気にしていた。
 それは、夕食が終わって、鬼柳が風呂の準備に席を外した時だった。
「君は、このまま恭と暮らしていくつもりかい?」
 エドワードの言葉は意外ではなかった。
 透耶は言われるだろうとは思っていた。
 何故なら、エドワードは、透耶を快く思っていない事を透耶自身がヒシヒシと感じていたからだ。
 たぶん、これはきっかけだろう。
「それは、ないと思います」
「何故?」
「確かに鬼柳さんは、その……ああいう強引な所があって、俺、少し流されているんじゃないかって思うんです。それに優しくされると弱いんです。でも、それは違うと思う……。本当はもっと早く逃げるつもりだったんです。東京に帰れば、俺と鬼柳さんはまったく違う人生を歩むことになっているはずです。違いますか?」
「違わない。それは合っている。君はここから、恭から逃げたい? では何故逃げなかった?」
「あの、すみません。俺、ここが何処なのか知らないんです。それに交通手段の元手のお金もなくて。電話をかけようにも部屋に鍵かけられて……」
 透耶が状況を説明していくと、エドワードの顔色が変わった。
 怖いくらいに真剣に。
「解った。君が東京に帰る手伝いをしよう。恭が君を諦められるようにしてあげよう。大丈夫、恭は元から来る者拒まずで飽きるのも早いから、君の事などすぐに忘れる。君も忘れる事だ」
 エドワードはどんな方法なのかは言わなかった。
 そう言った時に鬼柳が戻ってきて、エドワードを追い出したからだ。
 本当にエドワードはそれを実行してくれるのだろうか?
 本当に東京に帰れるのだろうか?
 何だか、たった一週間、それだけなのに、ホームシックにかかっているみたいで、早く以前の生活に戻りたかった。
 早く、鬼柳恭一の事を忘れてしまいたかった。
 そうしないと、一番恐れていた事になりそうだった。



 それから一週間経っていたが、エドワードからの連絡はなかった。
 長くなればなるほど、透耶は苦痛になってきていた。
 帰ろうとして帰れなく、諦めていた日の方がどれだけ気分が楽だったか。下手に期待をしているから、余計にそう思うのだろうか。
 では、この胸にある棘は、一体何の棘なのだろう?
 誰も好きにはならない、誰も愛さない。全てを拒否し続ける。そう約束したのは随分昔の話。
 自分が榎木津透耶である限り、呪われた存在である限り、誰も思ってもいけないし、誰にも思われてもいけない。そう約束した。京都で、あの呪われた場所で、3人で約束した。
 一人は失敗した。そして呪われた。
 どうして自分達は望まれるのだろう?
 失敗した一人が言った。
 誰も私達を見なければいいのに。
 地位も名誉も金も何もいらない。呪われていてもいい。ただ思った相手だけは、生きてて欲しい。だから誰も愛してはいけない。皆一緒に落ちる事を願ったけれど
、それを後に残してはいけない。だから、私はあの人を愛して一緒に逝く。本当に愛した人は残して逝く。
 一番複雑な心を持った彼女が本音を話した時、意味は解った。一緒に逝く人はここへ残しておけない人物。残していく人は彼女が何より大切にしている人。
 だから、俺達は平等にしか好きにならない。求められても答えてはいけない。人は離れれば心変わりする。
 鬼柳も同じ。離れれば忘れる。
 だからこそ、鬼柳から離れなければならない。
 そう思うだけで、胸が痛むのは何故だろう?
 溜息を吐いて、透耶は書斎の窓から腰を上げた。
 コン!という、入り口のドアがノックされる音がして、びっくりして振り返ると、そこに鬼柳が立っていた。
「どうした?」
 低い声が問うてきた。
 いつから立っていたのかは解らなかった。
「ううん、ちょっと物語に行き詰まったから、少し休憩してただけ」
 透耶はそう答えて、胸の内を悟られないように心掛けた。
 鬼柳はじっと透耶を見ていたが、透耶の方が先に目を反らして、椅子に座った。
 あれから一週間、まったく物語がかけていなかった。
 こんなに書けないのは初めてだった。
 俺ってこんなに繊細だったかな?
 何だか、自分の奇妙な感覚に不安を覚えた。
「エドワードに何か言われたのか?」
 いやに真剣な怖い声が頭の上から降ってきた。
 驚いて顔をあげると、鬼柳が側に立っていた。
 いつの間に……。
「エドワードさんが? 何故?」
 だけど、ずっと顔を見る事が出来なかった。
 透耶は下を向いて平静を装って何とか言った。
 すると、鬼柳は机に腰をかけ、手が透耶の顎に伸びてきた。
 透耶の顎を掴むと、無理矢理顔を上げさせ、視線を合わせようとする。
 透耶は恐る恐る鬼柳に視線を合わせた。
 恐ろしい、冷酷な、人を何もかも見透かした様な鬼柳の瞳がまっすぐ向けられていた。
 もうそれだけで、目を反らす事が出来ない。
「あいつのいう事は信用するな。透耶、俺だけ見ていろ」
 顎から離れた手が頬を撫でている。そして、鼻、額となぞり、指が唇をゆっくりとなぞっていく。
 怖いくらいの視線を向けているというのに、なぞる指は優しく愛撫してくる。
 一つ一つを確かめるように、何度も何度も繰り返している。
 透耶は思わず目を閉じてしまった。
 どうしてそんなに優しいのだろうか。
 どうしてこんなに後ろめたいのか。
 こうして貰う資格はないのに。
 少し口を開かせるようにして、鬼柳がそこへ割り込んできた。
 さっきの優しさとは違う、何もかも奪うような、荒々しい食らい付くようなキス。
 まるで獣だ。
 息をも吐かせぬ、このまま息をも止めてしまうかのように、激しく犯していく。侵入してきた舌が口内を刺激し、それに答えるように、透耶も舌を絡ませてしまう。
 求めに応じると、尚激しく、舌を吸われる。
 頭の芯が、思考から欲望へと変化していくのを感じる。
 答えてはいけないのに、透耶は腕を伸ばして、鬼柳の首へ回した。
 まるで、自分から求めているように引き寄せ、鬼柳もそれに答える。
 そしてそのままもつれるように、二人は重なり合った。


 透耶が虚ろ虚ろとしていると、背後にいる鬼柳が透耶を抱き締めている腕が動いて、透耶の髪を梳き始める。
 そして、愛おしそうにキスをする。
 外が寒いだけに、抱き合って寝るのは心地よかった。
 セックスは嫌だが、こういうのは嫌ではなかった。寧ろ、気持ち良くて、安心する。
 無理矢理、身体を奪った後に、鬼柳は透耶に甘く優しくする。
 その場しのぎで抱くなら、こんな優しさは透耶には辛すぎる。
 好きだとか嫌いだとか、そういう問題じゃない。
 鬼柳は、透耶の全てを奪ってしまう。
 そして、透耶はそれに答えてしまう。
 どんどん、流されてしまっている。
 鬼柳は、誰を抱く時も、きっと同じ事をしているのだろう。期待してはいけない。思ってもいけない。
 透耶はそう思いながら目を閉じた。
 離れられなくなる前に、離れてしまわなければと思った。
 何だか、泣きそうになっていた。



 透耶が目を覚ました時、鬼柳はもう起きていなかった。
 欠伸をして、暫くボーッとしていると意識がはっきりして完全に目が覚める。
 落ちているバスローブを拾って着ると、シャワーを浴びる為に一階へ降りた。
 そのままバスルームに入ってシャワーを浴びて出ると着替えが置かれてあった。いつもの事だ。
 それに着替え、溜息をついて居間へ行く。
 鬼柳はいなかった。
 ダイニングを覗いてもいない。
 ただ食事の用意はしてある。
 そこに近付くとメモがあった。
『買い物へ行ってくる。一時間で戻る』
 そう英語で簡単な単語を並べてあった。
 一時間って、一体何時に出たんだろう?
 そう考えたら、何だか可笑しくなった。
 透耶は笑いながら、折角作ってくれた料理が冷めていたので、レンジで暖める。そのレンジを見ていると、外で車が停まる音がした。
「鬼柳さん?」
 ふと、鬼柳が帰って来た事が嬉しくなっている透耶がいた。
 何が嬉しいのだろう?
 ダイニングから外を覗くと、その車は鬼柳の車ではなかった。
 黒い、普通の国産車。
 一瞬、エドワードが来たのかと思って、どきりとした。
 降りてきたのは、鬼柳でもない、エドワードでもない。
「誰?」
 この別荘の持ち主なのだろうかと思ったが、そうではないだろう。
 身なりが、普通の若者風で、でも何か異様な感じがした。
 ダイニングから見ていると、男が三人玄関に向かっている。
 訪ねて来られると、透耶はどういう対応をしていいのか解らない。
 鬼柳の仕事の仲間なのかもしれない。
 透耶には、鬼柳の事は何も解らなかった。
 ふと、自分は今まで鬼柳の事を殆ど聞かなかったのではないだろうか?知らずにいようとしたのではないだろうか?
 透耶はそう思って、頭を振った。
 自分はここから逃げようとしているのだ。
 だったら、それを考える訳にはいかない。
「そうだ、逃げるんだった」
 エドワードが何かしてくれるはずだった。
 もしかして、あれはエドワードの知り合いなのかもしれない。でも何か違う気がして、透耶はその場を動けなかった。
 暫くすると、ガン!と凄い音が聴こえた。
 ドアが開いたのだ。
 ドカドカと足音が聴こえる。
 透耶は怖くなって、ダイニングの中で隠れる所を探した。
 あの男達が何者なのか解らないが、何か嫌な予感がした。
「泥棒……」
 エドワードの知り合いじゃない。
 こんな乱暴な入り方しなくても、透耶がいる事はエドワードだって知っている。一言言えばいいことだからだ。
 取り合えず隠れてやり過ごすしか方法はなかった。
 自分では3人の男を撃退する事は出来ない。
 別荘の人、鬼柳には申し訳ないが、自分は隠れる事しか出来ないのだ。
 そうしていると、いきなりレンジが音を鳴らして出来上がりの合図をしてきたのだ。
「しまった……」
 透耶は慌てた。
 とにかく、ダイニングから庭へ逃げるしかない。
 ドカドカと足音がダイニングへ向かってくる。
 透耶はダイニングの裏ドアの鍵を開けて、庭へ飛び出した。
 後ろで、「居たぞ!」と男が叫ぶ声が聴こえた。
 逃げなければ!
 いつもはそんなに走らない速度で、透耶は門に向けて走り続けた。
 透耶は、靴を履いてなかった。裸足で鋪装された道を走った。足の裏がちくちくした。
 後ろは振り向かずに走り続けた。
 息を切らして走っていると、前方に門が見えた。
 ここを出れば車が通る。もしくは、鬼柳が帰ってくる所に出くわすかもしれない。
 そうした期待があって、門に手をかけた。
 その時だった。
 門の横から誰かが飛び出してきた。
 透耶がはっとした時は、もう遅かった。
 もう一人、門に見張りがいたのだ。
 黒い服を着た男が何かを振り上げ、それを透耶の頭上目掛けて振り降ろした。
 頭に強い衝撃があって、透耶は意識を手放した。


 

 鬼柳は車で別荘の門を潜ろうとした時、何か違和感があった。
 胸騒ぎと言ったらいいのだろうか。
 とにかく、いつもと違う気がした。
 一旦、車を停めて降りてみる。
 ふと、門の柱の上を見た。
 門の上部に付けられた監視カメラが何かで壊されていた。
 一時間前に通った時には、何ともなかった。だが、今は壊れている。
「一体……」
 鬼柳は呟いて、はっとした。
 門の真ん中に、赤い色が見える。
 しゃがみ込んで触ってみると、まだ湿ったばかりだ。
「……血?」
 ここが日本ではなくて、仕事でいった場所なら、まだ疑いはしなかった。そこでは血があるのが日常。危険と隣合わせだ。
 だが、ここは日本で、しかも田舎の別荘地だ。
 まさかと思いたい。
 鬼柳が地面を睨み付けていると、ふと足跡が目に入った。
 よく見ると、門から別荘に向けて足跡が無数ある。
 いや、逆だ。
 別荘から門に向けての足跡だ。
 足跡は薄れている。たぶん庭を通ったのだろう。だから泥が付いている。僅かだが、ここは誰も歩いたりしていないから、足跡がある事態、異様な光景だ。
「透耶!」
 鬼柳は叫ぶと、急いで車に乗り、別荘に向けて飛ばした。
 乱暴に車を停めると慌てて中へ飛び込んだ。
 玄関は開いていた。
 何かで壊れたようで、鍵の部分がバールの様なもので抉じ開けられている。
 そこには無数の泥で出来た足跡がある。
 全部で三人分。
 普通の人なら見過ごす程度の足跡だ。しかし鬼柳にはちゃんと見えていた。
 それを追うと、居間からダイニングに向けて続いていた。
 ダイニングを開けると、ダイニングの裏口へ出るドアが開いている。足跡はそこへ消えてた。
 そのまま逃げたのか、それとも。
 まさか、まさか!
 鬼柳の胸騒ぎが、嫌な予感に変わり始めた。
「透耶! 何処だ! 透耶!!」
 鬼柳は叫びながら、鍵が唯一開いている部屋を探し始めた。
 風呂場へ入ると、脱衣所に置いてあった透耶の服が無くなっており、代わりにバスローブが洗濯籠の中にあった。
 透耶がここを使った事は確かだ。
 バスローブを放り投げて、二階へ駆け上がった。
 寝室のドアを開けて飛び込むと、そこはもぬけのから。
 透耶がさっきまで寝ていた形跡が残っているだけ。
 側には透耶の靴が綺麗に揃えられたままで放置されている。
 透耶は、起き出したばかりの時は、癖なのだろう。裸足のままで行動してしまい、スリッパさえも忘れてしまうのだ。
 いつも鬼柳が靴を持って追い掛けていた。
 残るは書斎しかない。
 ドアを蹴り全開にして通路を横切り、書斎を開けた。
 だが、そこには冷えた空気しかなかった。
「透耶! 何処だ!」
 鬼柳は力一杯叫んだ。
 しかし、その声は空しく響くだけで、透耶の返事が返ってくる事はなかった。

 

「恭、一体、どうしたんだ?!」
 鬼柳が一階へ降りていくと、そこにエドワードが立っていた。
 エドワードは、玄関が開きっぱなしになっている事を奇妙に思ってそう言った。
「エド、何をしに来た」
 エドワードをこれほど睨んだ事はない。それくらいに冷淡に感情を消して、唸るような声で鬼柳は言っていた。
「監視カメラが壊れていた。それにこの人数の足跡。お前が透耶に何かしたのか」
 怒鳴り散らす事はせず、ただ静かに怒っていた。
 エドワードは、これほど真剣に静かに怒っている鬼柳を見た事がない。
 鬼柳は、エドワードの前では、確かに嫌がって怒鳴る事はある。それでも自分は、それほど嫌われている訳ではないという自信はあった。
 だが、今は違う。
 はっきりと解る完全な怒りでエドワードを見ている。
 今なら、殺されるという危機があった。
 こんな鬼柳は見た事はなかった。
「何? 透耶がどうかしたのか?」
 エドワードには意味が解らなかった。
 それは、自分が一番透耶が出て行く切っ掛けを持っている。だが、まだ何も行動を起こしていない。
 今日、しようとしていた所だったのだ。
 しかし、その様子を透耶から感じたのか、薄々は気が付いている。
「お前じゃないのか?」
 鬼柳の冷たい視線が突き刺さる。
 何があったのか解らないが、今は、透耶が出て行こうとしていた事は、黙っている必要があった。
「何の話だ!」
「お前が透耶を連れ出したんじゃないのか、と聞いている」
「え? 透耶はいないのか?」
「何処にもいない。誰かが透耶を追い回して連れて行った。お前じゃないならいい。探してくる」
 鬼柳はエドワードから視線を外して、外へ出て行こうとした。
 エドワードは慌てて鬼柳を止めた。
「おい、恭、何処を探すというんだ! 誰が侵入したのか解らないんだろう!」
「お前は解ると言うのか」
 鬼柳のまっすぐな瞳がエドワードを射竦める。
「とりあえず、お前は落ち着け。無闇に捜し回っても相手の目的が解らなければ何も出来ない。私に任せろ」
「……」
「ここへ私の手の者を呼び寄せる。少し時間をくれ」
「……解った」
 やっと身体の力を抜いて、鬼柳がソファに座った。
 頭を抱え、「透耶」と何度も呟いた。
 エドワードは鬼柳が落ち着いた所で、自分が乗ってきた車へ戻った。
 車にはSPが二人乗っている。
「緊急事態だ。ここへ人を集める」
 そう言ってエドワードは電話を掛けた。
「ああ、私だ。友人が何者かに連れ去られた。伯父さんに言って、別荘の方へ人を集めて貰いたい。二時間以内だ」
 エドワードはいくつか指示を出して、電話を切った。
  
 

 エドワードが言った時間以内にSPと警察顔負けの捜査員が集まった。SPは10名、捜査員は40名にもなる。これだけの人材を集める事が出来るのは、やはりエドワードの財力だからだろう。
「連れ去られたのは、榎木津透耶、18才。170センチ、体格は細め、一見女の子に見えるので、そういう人物にも気を付けてくれ」
 そこへ鬼柳が何かを持って現れた。
「恭、透耶の特徴を……」
「これで解るだろう」
 そう言って、鬼柳は写真を人数分差し出した。
 その写真には、透耶が写っていた。
 初めて出会った、あの海で撮りまくった透耶の写真の一部で、顔がよく解るのと、全身が映っているものだ。
「これは……?」
 エドワードが呟いた。
 報道写真以外では、人間を撮らないと言っていた鬼柳の言葉を思い出したからだ。
 その写真は、プロが撮っただけに、何気ないものであるのに一つの作品として見る事が出来るものだ。
「前に撮ってた物だ。言っておくが、これは透耶だ。なんか、双子の弟が芸能人らしい。自分では周りからよく間違えられると言っていた。もし、誰かが見ているとしたら、榎木津光琉という弟に間違えられているかもしれない。その分、見かけられたら誰かが覚えている可能性が高い」
「なるほど、それなら目撃情報は多いかもしれない」
 日本では有名人である榎木津光琉の事は、ここでは誰も知らなかった。
 もちろん、SPなどは興味がない為であり、エドワードもそういうのには詳しくなかった。
「では、手分けをして探してくれ」
 エドワードはそう言って捜査員を送りだした。
 鬼柳は窓側に立って、外を見つめていた。
 家の中は、全部調べ終わった。
 警察のように指紋を取り、証拠になる靴跡なども収集し終わっていた。
 エドワードは、調査員に資料を貰い、鬼柳の隣に立った。
「今まで解った事を報告しておく。まず、ここへ入り込んだのは4人で、車で侵入している。門の解除方法を知っていた者とみて間違いはない。伯父さんに要請して、ここの管理をしていた者を総当たりで調べている。透耶が門まで逃げたのは解ったがそこに血痕があった。それが透耶のなのか、犯人のなのかは解らないが、誰かがかなりの怪我をしていると思う。周囲50キロにある病院と薬局には手配した。それから、犯人の車が監視カメラに写 ってた」
「え?」
「門にあるのは壊されていたが、塀にあるのは生きていた。門のカメラが壊れた時間が解っているから、逆算して塀のビデオを調べたら、黒の国産車だけが一台通 っている。ここへ入ってそれから出て行った時間にして、たった十分程で往復しているから、その車で間違いはない。該当する車種を調べて、ここへ出入りしていた人間と照合してる。塀にカメラを付けたのは、ここ最近なんだそうだ。つまり、それを知らなかった関係者ということだ。すぐ判明するだろう」
「……すまん」
 横を向いたままで、鬼柳が謝った。 
 珍しい事だ。
 鬼柳が素直に謝っている。
「謝る必要はない。はっきりいって私も怒っている。お前程ではないにしろ。記録検証から、犯人は元からこの家を狙っていたと見て間違いはない。車の出入りを調べたり、わざわざお前が出ている隙を狙っているんだからな。しかも往生際悪く、透耶を連れ去っている。強盗なら物だけ持って出ればいいものを誘拐するとは、最低、最悪だ。必ず引きずり出してやる」
 エドワードが静かにそう言った時、鬼柳が怒気を込めた声で言い放った。
「そんなの当たり前だ。見付けたら息の根止めてやる」
 そんな事を言う鬼柳は初めてだ。
「……お前でもそんな事を言うんだな」
 驚いた顔でエドワードが言うと、鬼柳は顔色を変えずに言った。
「さっきから、透耶を俺から奪った奴をどうやって殺してやろうかって考えてる。首の骨を一瞬で折ってやろうか、それとも生かしたままで、手足を切り落としてやろうか。死ぬ まで殴り続けてやろうか。どれがいいと思う?」
 ジョークでなく本気で言っているのだから、エドワードは顔で笑っても内心笑えなかった。
 透耶を連れ出そうとしていた事がバレたら、私も殺されるかな?



 透耶は朦朧とする意識で、痛みと戦っていた。
 頭を殴られて気絶してから、どれくらいの時間が流れたのかは解らない。
 頭はズキズキと疼き、痛みだけに意識が集中している。
 寒い。
 ぶるっと身体を震わせると、誰かが抱き寄せた。
「……き……」
 鬼柳さん?と口には出来なかった。
 瞬間、違うと感じた。
 よく感じると、それは鬼柳の気配ではないし、暖かさも違う。そして、匂いが違う。
「だ……れ……?」
 怖い、逃げたいのに身体が思い通りに動かない。
 声も出ない。
 微妙な意識しかないから、透耶は余計に怖かった。
「喋らないで。意識が戻ってないふりをしてて」
 女の声が降ってきた。
 意外な言葉だった。
「簡単に説明するわ」
 女はそう言うと手を握ってきた。
「イエスなら手を握り返して、それだけでいいから」
 透耶は朦朧としながらも、何とか状況を判断しようとした。
 自分に何が起っているのか。
 それは、知らなければならない。
 一回握り返して返事をした。
「OK」
 女は笑っているらしい。
「貴方、頭を殴られたのは覚えてるわね」
 一回握る。
 そうだった、頭を殴られたから頭が痛いんだ。
 ふと、思い出した。
 門で誰かが襲い掛かってきた。それで殴られたんだ。
「貴方の家に強盗がきたのは?」
 一回握る。
 やっぱり、強盗だったんだ。
 でも、何故自分は連れ出されたのだろう?
「その人達が貴方を連れて来たの。あたしは、その中の一人の姉、司よ。貴方の面 倒を任されたの。で、貴方、身体は動く?」
 握らなかった。
 動かない。鉛のように重く、沈み込んでいる。
「いいわ。貴方、頭を殴られて、かなり出血したの。今、弟が薬を買いに行ってるわ。事情が事情だから、あたしが勝手に病院に連れて行く訳にはいかないの、御免ね」
 一回握った。
 自分を無理に連れ出したりしたら、この人が危険になる。
 透耶は咄嗟にそう思った。
「ありがとう。何故貴方を連れて来たのか。動転して思わずって感じみたいだけど。ちょっと熱が出てるわ。解熱剤も一緒に頼んだんだけど。もう少し我慢してくれる?」
 一回握った。
「水は?」
 握らなかった。
「何か食べる?」
 握らなかった。
 ただ気持ち悪かった。
 吐き気はする。頭は痛い。喉が痛い。身体が動かない。
 寒い。寒い。寒い。
 震えると司が抱き寄せてくれる。
「戻ってきたみたい。意識のない振りをして」
 司が透耶の耳もとでそう言って離れた。
 ドアがノックされる音がして、司がドアを開いた。
「姉貴、どうだ?」
「何も」
「そいつ、意識は?」
「まだ戻ってないわ。熱も上がってるみたい」
「そう、か。出血は?」
「今は止まってる。それ早く頂戴」
「あ、ああ」
「まったく、世話がやけるわね」
「姉貴に迷惑掛けているのは解ってる。だけど、あの男を困らせるには脅しが必要だって」
「あんた、あいつが何やるか解ってるの?」
「チャンスだって言ってる。身代金取れるって」
「どういうこと?」
「あの別荘に、偉い金持ちの男が入って行った。調べたら、あの男より、もっと金が取れる相手らしい。そしたら、あの男は身内を攫われて、他人に借りを作る事になる」
「そう……」
 そこまで聞いて、透耶は意識が遠退いていった。


 

 透耶が次に目を覚ました時、まだ瞳に何も映らなかった。
 見えない。暗い。
 一瞬、何処にいるのか判断出来なかった。
 相変わらず、身体が重い。節々が痛くて、まるで風邪を引いた時のようにムズムズする。それが身体を動かしてない反動だとは気が付かなかった。
 そうか、自分は誘拐されたんだ。と認識するのに数分かかった。
 思わず溜息が出た。
「起きた?」
 ふと手を握られた。
 一回握る。
「よかった、もう四日も寝たままだったのよ」
 四日?
 一瞬だったような気がする程しか、寝ていない感覚だった。
「今の状況を話すわね。頭の傷のせいで熱が中々下がらなかったの。汗をかいてたから着替えさせたわ」
 ありがとうの意味を込めて、一回握った。
 もう恥ずかしいとか、そういう意識はなかった。
「それから、薬を混ぜた水を何度か飲ませた。食事はさすがに出来ないから、ポカリスエットを飲ませてたわ。今食べる? 大丈夫、今誰もいないから」
 握らなかった。
 食べ物と聞いた時は、いきなり吐きそうな気分になった。
 病気や、風邪を引いた時も食事が出来なくなる。
 自分でもどうしようもない。
「もしかして、病気の時は何も食べられないタイプ?」
 一回握った。
「そう。無理矢理食べてもらう方法を取りたいけど、吐いたら同じだもんね。ポカリスエットを頻繁に飲ませるようにするわ。それから、貴方を無事に返す方法だけど、身代金を貰う事になったようよ」
 誰から?
 一瞬透耶はドキリとしてしまう。まさかバレた?
「聞きたかったんだけど。あなた、榎木津光琉に似てるって言われない?」
 一回握った。
「そうでしょう。本人かと思ったけど、その日に光琉が生放送に出てたから、本人じゃないのは解ってた。本人だったら大変だわ」
 司はそう言って笑った。
 どうやら、身内だとはバレていないらしい。
 それこそ、バレたら大変だ。光琉に心配をかけるわけにはいかない。身代金は払えたとしても、ただでは済まないだろう。
 今まで、ひた隠しにしてきただけに、それは知られてはならないと思った。
 しかし、だとしたら、誰から身代金も貰うというのだろう?
 透耶は、誰から身代金を貰うのか気になった。
「…み…の…」
 聞こうと思ったのだが、相変わらず声が出ない。
 何日も喋ってない上に、喉がガラガラで掠れて全然言葉にならない。
「ん? 身代金?」
 一回握った。
 何だが、司ととは言葉を交わさなくても、割合意志が通じる。司の聞き方、言い方が上手いのだろう。
 だが、これはさすがに言わないと通じない。
「も…ら…」
「身代金を貰う? うーん、誰から貰うのかって事かしら?」
 一回握った。 
「エドワード・ランカスターってお金持ちらしい。今、日本で企業を買収して運営している、やり手の企業家だそうよ。どうもあの別 荘の持ち主と知り合いらしくて、貴方の事を探してるわ」
 エドワードがこっちに来ている?
 いや、鬼柳が呼んだのかもしれない。
 しかも、自分を探している?
 居なくなった方がいいと思っているのに、今探さなくてもほうって置けば、このまま知らない振りをすれば、厄介払いができるのに、探してる?
 東京の光琉には連絡しなかったのだろうか?
 そうすれば、完全に鬼柳とは切れるはずなのに。
 何で?
 透耶には訳が解らなかった。
「凄いわね、あんな人と知り合いなんて」
 司がそう言ったが、透耶は握らなかった。
 知り合いではない。エドワードは、鬼柳の知り合いだ。
 自分はただそこに居合わせただけの人間だ。
 なんか、大事になっている。状況が判断しにくい立場にいるだけに、透耶には事の重大さが解ってなかった。
「知り合いじゃない?」
 それには握って答えた。
「え? じゃあ、何で? 別荘の持ち主の家族でしょ?」
 握らなかった。
 どれも違う。
 犯人は何か勘違いをしている。
 自分から取れるお金など微々たるものだ。そう、自分の正体をはっきりと解っている人物なら可能だが、誰も知っている様子はない。
 司は混乱しているらしく、聞いてくる。
「ええ? どういうこと?」
「もう……ひと……り……の」
「もう一人の? うーん、ああ、一緒に別荘にいたもう一人の人の知り合いなのね」
 一回握った。
 鬼柳さんは心配しているだろうか?
 もしかしたら、どうでもいいとか思っていて、もう自分の事など忘れてしまっているかもしれない。
 何か、大変な事になっている気がする。
 エドワードが、自分の為に身代金を出すとは思えなかった。
 どうせなら、このまま殺された方がいいかもしれない。透耶はそう思って喋ろうとしたが喋れなかった。
「なるほど」
 司は納得して手を離した。
「飲み物とってくるわ」



透耶が誘拐されて4日目。
 別荘では、鬼柳が一人荒れていた。
 ドアを乱暴に蹴って入ってくる。
「うるさいぞ、恭」
 捜査会議をしていたエドワードが、睨み付けて鬼柳に言った。
 一日、一日と時間が過ぎるにつれて、鬼柳は喋らなくなっていた。ただ怒って、辺りの物に当り散らす始末。
 自分も捜索に行きたいのに、寸前でエドワードに止められる。エドワードが鬼柳を止める理由は、いくつかあった。
 まず、夜通しで車を運転して絶対事故る。物に当たる癖があるので、器物破損で捕まらない様にするため。そして、犯人から連絡があって、それを報せたら犯人を殺しに行ってしまうからだ。
 はっきりいって、どれも警察沙汰だ。
 何とか透耶の名前を出して、捕まったら悲しむとか、誤摩化し誤摩化しで行動を制限している状況だ。
 ここまで、犯人についての情報は幾つかあった。
 透耶を乗せているらしき車を高速道路のパーキングエリアで目撃されていた。
 中で榎木津光琉似の少年が寝かされていて、女の子の間で少し話題になっていたのを、パーキングエリアで働いている女性が聞いていた。
 ドラッグストアで、包帯と消毒液、ピンセット、脱脂綿、ガーゼ、解熱剤などを購入した人物がいた。現在似顔絵を製作中である。
 車の車種は断定出来たが、ここに勤めていたことのある人物のものではなかった。
 しかし、ここのセキュリティに勤めていた人物で、現在行方が解らない男が一人いた。名前は断定出来ている。しかし、乗っている車は車種違いだった。
 ここの別荘の持ち主に、何か恨みでもあるのかと調べてみると、若い男が一人いた。
 その人物も現在、行方が解らない。この人物は車には乗っていなかった。
 この二人の顔写真を持って聞き込みをしてみた。
 この二人が数カ月前まで出入りしていた、この地元の飲み屋で意気投合しているのを店の主人が覚えていた。
 もう二人、男が加わっているのが目撃されている。そのうち、一人は、地元でも有名な悪で、誰もが名前を知っていた。この人物の車の車種は別 だった。だが、車ごと行方が解らなくなっていた。
 三人目までは、何者なのかは解ったが、もう一人だけが名前が解らなかった。
 たぶん、ドラッグストアに明らかに傷手当て用としか思えない買い物をした人物が4人目なのだろう。
 既に、三人の自宅などを張ってはいるが、そこに帰ってくる気配はないので、唯一名前が解らない人物の自宅辺りが、犯人のアジトなのだろう。
「ちっ、肝心の透耶の居場所が解んねえじゃあ、意味がねえ」
 それが鬼柳の言葉だった。
 そうして鬼柳を無視して、エドワードは捜査会議をしていた。
 捜査員も自分の腕を見せつける場所でもあるので、どの顔も真剣だ。
「結論ですが、怪我をされているのは、透耶様とみて間違いはなさそうです」
 捜査員の一人が言った。
 これは既に情報を集めた段階で、鬼柳が気が付いていた。だから、余計に機嫌が悪い。
「だろうな、犯人が怪我をしていたとしたら、まず自分で病院に行っているだろう」
 そう話している所に、エドワードの携帯電話が鳴った。
 失礼、と断わって電話に出た。
「何だ。……え? 内容は」
 一瞬にしてエドワードの顔色が変わる。
 仕事の内容なのか、と誰もが思った。
「ほほう、そう来たか。構わん、この電話番号を教えろ」
 エドワードは言いながら、ニヤリとした。
 だが、その笑いが怖い。
 上から人を見下した、馬鹿にした微笑。
 電話を切ると、エドワードが鬼柳を見て言った。
「さっそくかかったぞ。透耶を誘拐した犯人から、私に身代金要求があった」
 興味もなかった内容が、一気に関係ある内容に変わっていた。鬼柳は驚いて振り返った。
「なんで、お前の所なんだ」
 身代金要求が来るなら、この別荘の持ち主に来るだろうと誰もが思っていた。もちろん、その手配もしてあった。
 それなのに、エドワードを指定してきた。
「犯人は、ここを見張ってた訳だ。私が来た事を知っていて、ここの主人より、私からの方が確実で、身代金の額が違うと踏んだのだろう」
 エドワードの言い分は、当たっていた。
 しかし、鬼柳は納得しなかった。
 少し考えてエドワードを見て言った。
「いくらだ?」
「五千万」
「俺が払う」
 鬼柳がそう言ったものだから、エドワードを始め、捜査員までもが驚いた。
 捜査員の驚きは、いくらエドワードの友人とはいえ、その金額を軽々払うというほど、鬼柳は金持ちには見えない見てくれをしているからだ。
 ただ、エドワードは別の事が気になっていた。
「お前が?」
「クソじじいにでも頭下げてみるさ。俺の口座は何故だか凍結されててね。まあ、あれもじじいの金だからな」
 何でもないというように、鬼柳は言って居間を出て行こうとしている。
 それを呼び止めるように、エドワードが言った。
「条件を付けられるぞ」
 鬼柳が振り返って、鼻で笑った。
「は! んなもん、金さえ戻せばいい。文句言わせん。金が戻らなくても、透耶が戻ればそれでいい」
 最初の方は憎たらしいとばかりの悪態だったが、最後は穏やかな笑顔になっていた。
 そこまで、鬼柳は透耶を思っている。
 執着だけではない。心から思っていなければ、そんな笑いは出来ないだろう。
 愛しい者の為には、自分の価値すら根底から覆す。
 この男は、こういう男だっただろうか?
 もしかして、自分でも気が付いていないのかもしれない。
 エドワードは溜息を吐いて、両手を上げた。
「……お前がそれでいいのなら、私は何も言わん。だが、断わられたら、私が出そう」
「頼みにしてるぜ」
 鬼柳は振り返りもしないで、執務室へ消えた。

 

 
 鬼柳が連絡をつけてから、約数時間で一人の老人が別荘を訪れてきた。
「恭一様、お久しぶりでございます。エドワード様、御無沙汰しております」
 60を越えているだろうに、すっと伸びた背筋で、身体を綺麗に折って挨拶をする。
 エドワードが挨拶をしようとしたが、素早く鬼柳が言った。
「挨拶なんざぁ、いつだって出来る。宝田、持って来たか」
「はい、こちらにございます」
「まさか、上下だけで、中が新聞紙ってことはないな」
「滅相もありません。これは、恭一様を買った代金でございます。もちろん全て本物、御希望通 りに全てのナンバーは控えております。御自由にお使い下さいませ」
 宝田はそう言って、黒いスーツケースをテーブルに置いた。
 それを鬼柳が確認していると、エドワードが驚いた顔をして鬼柳を見ていた。
「お前、自分を売ったのか?」
「あのくそじじい、俺だったら五千万で十分だとかぬかしやがったんだよ!」
「さすが、叔父さんだ。だが、お前がその値段で買えるのなら、私が買ったのにな。今から五千万払うから、買われてくれないか?」  
 これは真剣に願い出た。
 それだけの代金で、鬼柳を買えるのなら、安すぎるくらいだ。
 この男の価値は、億出しても欲しい程。
「……お断りだ。それに俺は買われてやる気も、売る気もねえ。透耶も、金も全部取り戻して、犯人殺して、一件落着だ!」
 鬼柳は真剣に言い放った。
「それは一件落着とは申しません」
 宝田が冷静にツッコミを入れた。
 エドワードを始め、SPまでもが力強く頷いた。
「うるせえ!」
 そう鬼柳が叫んだ時、エドワードの携帯が鳴った。
 出ると、相手は誘拐犯だった。
「君か。……今日、午後十時。ああ大丈夫だ、警察には報せていない。……所で、彼の傷の具合はどうなんだ? よかろう。既に用意出来ている。ああ、解った。次の指示を待つ」
 エドワードはふうっと溜息を吐いて電話を切った。
 それからすぐに別の所へ掛け始めた。
「おい、エド。透耶の様子は?」
「ああ、意識が戻ってないらしい。手当てはしたと言っているが、素人手当てじゃ、破傷風が気になる所だ」
 それを聞いた鬼柳は舌打ちをして立ち上がって、居間を出て行った。
 エドワードは、それを見送りながら電話の相手に言った。
「私だ。今、この携帯に連絡があった。……ああ、隣街の公衆電話。場所は、公園前。解った」
 また次に電話を掛けた。
 捜索をしている男達にである。
「その街の……公園前。全員集めろ。午後10時に受け渡しが決まった。犯人は最低二人は動くと思っていい。残りを確認してほしい」
 エドワードは幾つか指示を出して、電話を切った。
 そこへ鬼柳が戻って来た。
 コートを着て、出かける準備をしている。
「おい、お前、何処へ行く気だ」
「あ? 俺には金の受け渡しなんか興味ねえ。そっちで勝手にやってくれ。場所が限定されてるなら、探しに行った方が確実だ。向こうで捜査してる奴に落ち合う」
「ここにいろ」
 エドワードが強くそう言った。
 だが、鬼柳は呆れた顔をして振り返った。
 何寝惚けた事を言っているんだ、という表情だ。
「あのなあ。俺はもう何度お前の指示に従った? 限界なんだよ。じっとしてるのは性分じゃねえしよ。ああー解った、犯人見付けても半殺しにしとく。透耶を医者に見せる方が優先事項だからな。じゃな」
 今まで素直に言う事を聞いていたのは、透耶の居場所が限定されないからだった。
 ここまで解れば、自力でも探す事は出来る。
 これはさすがに譲れなかった。
 車に乗って飛び出して行った鬼柳を、宝田は呆気にとられて見て、エドワードに聞いた。
「エドワード様。透耶様とは一体?」
 宝田は、透耶が鬼柳の友人だと思っていたが、ここまで真剣に行動する鬼柳を見た事はなかった。
 ただの友人なら、助ける事はするだろう。特別な友人だからこそ、自分の価値を売ってまでお金を集めようとした。
 だが、見ている限りでは、それだけの感情で動いている様には見えなかった。
「ああ、あいつおかしいだろう? どうやら本気になったらしいよ。なんていったって、最初に透耶を誘拐して監禁したのは恭の方なんだよ」
 最初に誘拐という言葉に、宝田は不審な顔をした。
 一体、どういう関係なのだ?
 友人だからではないのか?
「といいますと? 透耶様は御友人ではないと?」
「私が聞いた所では違うらしい。海で拾ったと恭は言っている。まあ、透耶は素直で可愛い所もある、宝田は気に入ると思うけど」
 いや、海で拾った訳ではないと思う。
 強引に連れ去ったが正しいが、誰もそれに気が付いてない。
 エドワードはそう宝田に説明して、手元に残っている透耶の写真を手渡した。
 宝田は驚いた顔をした。
 そこに写っているのは、まだ未成年の少年だったからだ。
 確かに綺麗な少年と思う。姿形が華奢過ぎて、みようによっては、女の子と思えるくらいに、愛らしい姿をしている。
 これでは、あの鬼柳の友人にはなれない。
 つまり、透耶は鬼柳にとって、恋しい存在なのだ。
 それは珍しい所ではない。初めてだ。鬼柳から行動して誰かを欲しがるなど、今までなかった。
「海で拾った少年ですか? それはまたおかしな。透耶様の御家族の方はどうなされているのですか?」
 そう、未成年なら当然、家族がいるはずだ。
 聞けば、少年はここ二週間程、ここで暮らしているという。
 だが、いくら旅行とはいえ、男と男の、年の差のある友人関係では、疑いようがある。けれど、透耶が鬼柳と同じカメラマンを目指しているなら、この行動も解らなくはない。
 家族にはそうした説明が出来るだろうが、宝田は知っている。鬼柳が、仕事以外で、人間にカメラを向ける事も、写 真自体を教える事はない。
 だから、宝田には、透耶が鬼柳にとってどういう存在なのかは解っていた。
「さあ、特に恭は言ってなかった。透耶もそれについては心配はしてないようだったな。うん、弟が芸能人らしいという事だけは聞いている」
 なるほど、家族の事が出ないということは、透耶には少なくとも親はいないらしい、と宝田は思った。
 弟だけ、という状況、鬼柳が監禁まで行ったのは、心配する者が透耶にはそういないとふんだからだ。
 何とも、用意周到な人だろう。
「そうでございますか。失礼、余計な詮索を致しました」
「いや、気になるのはお互い様だ。恭をあんなにした人物には会って置かなければならないんだろう?」
 エドワードはこういう事には聡い。
 宝田がどういう目的でここへ来たのかは、解っていた。
 鬼柳が自分を売る真似までしてお金を集めようとした、助けようとしている人物を見ておく必要があったからだ。
「おや、見抜かれていましたか」
「金を届ける為だけに、宝田が出てくるのはおかしいだろう? 叔父さんにも命じられて、透耶を見に来たのだろう」
「いえいえ、ただの私の好奇心からです。深い意味はありません」
 宝田はそう言ってにこりと微笑むと、素知らぬ顔をした。
 食えないじじいである。
 宝田の内心は行動しなければならない、である。