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switch101-26 the world

 とにかく、最初に話した時。
 あたしは、もう頭がクラクラしてしまった。

 そいつの名前は、鬼柳恭一。
 本当に嫌な男で、顔がいいとかそういう事は全然思わなかった。

 最初に見たのは、あたしが通っていたピアノ教室だった。
 変わった客がいるとは思ったけど、その時は別に気にも止めなかった。

 二度目は、お祖父様のホテルのバーだ。
 ピアノの事でもめて、言い合いをしていたけど、完全にあたしはあいつの掌で踊らされていた。
 軽々とあしらわれてしまった。

 だけど、怒る事すら忘れてしまう程、あたしは、その男に感謝しなければならなくなった。
 目の前で見事なピアノを聴かせて貰ったからだ。

 もちろん、その男、鬼柳恭一が弾いたのではない。
 その男と一緒に居た、まだ高校生だろう人のピアノ。

 あたしは言葉も出なくて、一晩悩んでしまった。

 次の日には、ピアノを教えて貰うように頭を下げていた。
 これほど弾ける人なら、凄い師事を受けた事があるはず。
 あたしはそう思って、必死で頭を下げた。

 その人、榎木津透耶は、凄く困った顔をしてあたしを見ていた。
 それでもあたしが必死になっているから、周りにいた外国人達があたしの要求を呑むように説得している。

 結局、榎木津透耶が折れる形になり、あたしは外国人部隊に囲まれる形で、母親を説得する事になってしまった。

 こんなつもりはなかったので、さすがにこの集団は恥ずかしかったんだけど…。

 今思えば、あの美形集団…あたしはよく普通でいられたものだ。
 今じゃ、美形を見なれてしまって、ちょっとやそっとの美形と呼ばれる人を見ても、何とも思わなくなってしまった。

 ある意味、恨んでもいいのかなあ?


 ランカスターさんのお屋敷に、榎木津さん…先生は、あの男、鬼柳さんと泊まっている。
 何故、ここにいるのか解らないが、先生は何処ででも出来る仕事をしているらしい。鬼柳さんは休暇中との事で、二人で沖縄に遊びにきているんだそうだ。

 でも、屋敷内で、あたしが自由に出入り出来る範囲は、本当に限られていた。
 メイドの知念さんには、絶対に二階へ上がらないように言われるし、一階でも応接室や書斎と出入りをしてはいけない場所が幾つかあった。
 ここでは、あたしが行動をしていると、使用人の誰かが必ず見ている。

 先生が行動をしていても誰かが必ず見ているので、もしかして、これはこの家の特徴なのかと思ってしまうくらい。

 ピアノ室には、あたしと先生以外は誰も入って来なかった。
 あの鬼柳さんですら、練習をしている所には絶対に入って来ない。
 でも、終わった頃を見越してやってくるから、何処かで聴いているのではないだろうかと思ってしまう程。

 でもねえ、一日目にさっそくなのか、宣戦布告をされてしまった。

 先生の身体にわざと…だとしか思えない…触って、あたしの方を見ているから、絶対に宣戦布告だ。
 これは俺のもの的な行動に、あたしは内心ムカついてきた。


 何故、そう思ったのか。
 ただ綺麗な先生を好きにしている鬼柳さんが憎たらしかったんだと思う。
 先生を好きだとか、そういう恋愛感情は元からなかったから。

 そりゃ、先生の事は人間としては好き。尊敬しているし、優しいけど、練習の時は厳しくて難しい。
 普段は天然ボケで可愛いし、年下のあたしでも守ってあげたくなるくらいだったから。

 そうは思ってたけど、意外に先生は強かった。
 鬼柳さんですら、頭があがらない事もあって、それが凄く可笑しかった。

 キスシーンを目撃した時は、少し驚いたけど、何だか納得してしまったのもあった。
 悔しいけど、鬼柳さんは、本当に先生の事が好きで溜まらないという顔をしているから。
 先生はそういう鬼柳さんを解っていて、でも何だが受け入れてない感じはした。

 首筋の歯形…あれは、申し訳ないけど、物凄い妄想してしまって、演奏が滅茶苦茶だった。
 だって、あんな所にあんなものがあるなんて…驚くのは無理ないよね。
 大丈夫、今は想像しても、妄想しないから。
 妄想までいかなくてもいいわけよね。
 男女の性関係となんら変わりない事をやっているだけなんだから。

 でもね、先生ってば、鬼柳さんが散々マーキングしてた事にも気が付いてなかったのよ。
 もう、こうなると、さすがにあたしも鬼柳さんが可哀想になってきた。

 甲斐甲斐しくやっているのに、それに気が付いて貰えないどころか、受け入れて貰ってない事が、本当に謎であったし、先生が何を考えているのか、全然解らなかった。

 ここまできたら、やっぱり、エロ魔人っぷりを発揮してでも、思いを伝えないと先生の方が逃げてしまうような気がしたくらい。
 ある意味、鬼柳さんのやり方は間違ってないのかもしれない。


 でも、先生が何に悩んでいるのかという理由が解った時、あたしは何だか脱力してしまった。

 先生には、中々鬼柳さんに話す事が出来ない事があって、それを話す事で逃げられるのではないかという不安があったんだ。
 そういう事、あんまり必死で考えるものじゃないんだけどなあ。

 あたしは、ストレートに思いを伝えて、とにかく自分はこう思っているという事を、さっさと言ってしまう方がいいと言った。

 だって、完全に両想いなんだもん。
 あたしは、好きなら好きだってハッキリ言ってしまった方が話が進むだろうと思ったから、そう進めたら、先生は何か吹っ切れたような顔をして、微笑んでくれた。

 もしかして、先生の周りには、ただ鬼柳さんを受け入れればいいとか、何で受け入れないんだとか、鬼柳さん側からの考えでしか先生を説得しなかったんじゃないだろうかと思えた。

 先生が何を考えて、何を悩んでいるとか、難しい考えをする方向でしか聞けなかったんじゃないだろうか?

 もう、だから大人は駄目だ。
 先生には、もっと単純な言い方で、背中を押してやるしかないって事、全然解ってない。

 だってねえ、先生は恋愛した事ないんだよ。
 誰かを好きになった事はあっても、誰かと付き合うなんてした事ないんだもん。

 それに、これが最後だって顔してるからさあ。
 あたしは思っている事をガンガン言って、納得させた。

 先生の事もあったけど、鬼柳さんだって恋愛した事ないから、初心者同士なら、まず告白でしょ。

 絶対、鬼柳さんの事だ。付き合ってくれとか言った事ないはず。
 もう、ちゃんと手順踏んでやらないから、ごちゃごちゃしてんのよ。


 好きなら好き、それでいい。
 問題なんて後から解決すればいい。
 そういうあたしに、先生は友達になってほしいって言ってくれた。

 あたしは嬉しかった。
 本当に嬉しかった。

 だって、あたしは先生も鬼柳さんも大好きで、二人が一緒になってくれるとあたしも嬉しいから。

 先生の告白は、あたしが沖縄から東京に向かう飛行機に乗っている時にあるはずだ。

 鬼柳さんは、あたしと先生の秘密の話に凄く敏感に反応していたけど、あたしからこれを話す訳にはいかないから、お預け状態にしてしまった。

 しつこく聞かれるかと思ったけど、全然聞かれないどころか、納得されてしまった。

 本当に、先生の事、好きなんだよねえ。
 強面の男が、すごく可愛く見えてしまう瞬間。
 憎らしさなんかもうない。

 最後のお膳立ての同窓会には、本当に感動してしまった。
 それを計画したのが鬼柳さんだと解って、あたしは驚いてしまう。

 もしかして、鬼柳さん、無茶苦茶優しい人なんじゃないかって。

 それを確信に導いたのは、空港で貰った先生の音が入ったMD。
 先生は、自分の音を聴かせないと言っていたから諦めてたのに、あたしが凄く聴きたがっているのを知っていた鬼柳さんがこっそり取ってくれたモノだ。

 しかもサイン入り。
 思わず脱帽してしまう、この気遣い。
 

 まったく、最初の最悪な印象から、全然違う、イイ人に見えるから不思議だよねえ。

 この先、あたしはたぶんこの二人に関わって行く事になると思う。
 先生は一生先生だし、鬼柳さんはやっぱり先生にメロメロな所とかいいと思うし。

 あたしは、こういう二人をずっと見ていたいと思った。



 ただ、最近、先生に言われた言葉を思い出した。

「なんか、綾乃ちゃんって、恭に気に入られてるからさ。恋人が出来たとか言ったら、厳しいお父さんみたいに口出してくると思うんだけど」

 これはこれで困る事。
 とっても怖い事。