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switch101-38 地下鉄

 あたしが学校へ行く時に乗っている地下鉄で、ある男の人に出会った。
 ちょうど痴漢にあっていて、そいつを捕まえようとした時だった。

「おい、お前」
 あたしを触っていた手を男の人が捻り上げたの。

 見上げると物凄く身長が高い人で、190センチはあるんじゃないだろうかと思うくらいの高さ。
 しかも強面の顔。綺麗だけど綺麗過ぎて表情がなくて怖い。
 痴漢もまさかそんな男に捕まるとは思ってなかったみたいに呆然としている。

「お前もやられっぱなしでどうする」
 低音があたしに降ってきた。

「ちょ、ちょうど、声出そうとしたのよ!」
 あたしは大きな声で怒鳴ってしまった。
 そんな事言うつもりじゃなかったのに。

 そうしょげてしまったあたしを見て、男の人はニヤリとして言った。

「デカイ声出るじゃねえか」
 そう言われてあたしはキョトンとしてしまった。

 そんな言葉が返ってくるとは思わなかったから驚いてしまったの。

 痴漢は逃げる事も忘れて、次の駅で交番に突き出された。
 男の人は別に先を急いでないみたいで、あたしに付き合ってくれて、交番でも証言してくれた。

 男の人の名前は、鬼柳恭一。
 報道カメラマンで、今日は家に帰る途中だったんだって。

 痴漢は最初は往生際悪い事を言っていたけど、鬼柳さんが睨み付けると、畏縮したようで正直に罪を認めた。

「ありがとうございました」
 あたしは交番を出て、鬼柳さんに頭を下げた。   

「別に、礼を言われるような事はしてない」
 鬼柳さんはそう答えた。

「でも、痴漢捕まえてくれたから」
 そうあたしがそう言うと、鬼柳さんは頭を掻いて。

「ああ、別に痴漢だったから捕まえたんじゃねえよ」
 こんな言葉が返ってきた。

「え? じゃあ、何で?」
 警察まで付き合ってまで痴漢を捕まえる意味があるのだろうかとあたしが不思議顔でいると、鬼柳は。

「目の前で鬱陶しかっただけだ」
 へ?

 更に訳が解らなくなってしまったんだけど。
 次の言葉で爆笑してしまった。

「あいつのハゲ頭が俺の顔に当ってたんだ」

 これを聞いてあたしは爆笑してしまった。

 だって、それだけの理由で邪魔だったってだけで?
 捕まえてみたら、ちょうど痴漢してたやつだったってだけなの?!

 もうそれだけで痴漢男も災難だったわねえと思ってしまった。
 ハゲが原因だったなんて、可笑しくってたまらないわよ。

「じゃあ、なんで、警察まで付き合ってくれたんですか?」

「ちょうど降りる駅だったんだ。で、ついで」
 そう言われて、またあたしは笑ってしまった。
 全部ついでで偶然の出来事だったんだ。

「もういいな、じゃあな」
 鬼柳さんは、あたしが笑っている間にさっさと改札を出て行ってしまった。

 ちゃんとしたお礼が出来なくてあたしは追い掛けようとしたけど、学校へ行く時間も迫っていたし、改札を潜れなくて鬼柳さんの後ろ姿を見送るだけになった。

 もう二度と会えないんだろうなと思った。



 それから、あたしが大学生になったある日、あの鬼柳さんを偶然同じ地下鉄で見かけた。

 でも、その時の鬼柳さんにあたしは近付けなかった。

 怖かった。

 鬼柳さんが纏っているオーラが他人を拒絶しているから。
 あたしは近くの席に座って、鬼柳さんを見ていたけど、鬼柳さんは自分が降りる駅まで顔を伏せたままで一度も上げなかったの。

 何があったのか解らないけど、何かあったのだと解った。

 それも悲痛な出来事。
 そういう顔をしていた。

 その日以降、鬼柳さんの姿を見る事はなかった。




 あたしが大学の飲み会から帰る途中。
 偶然に、違う地下鉄で鬼柳さんを見かけた。

 でも一人じゃなかった。
 側には、可愛らしい少年が一緒だった。

 鬼柳さんは少し思いつめた顔をしていたけど、あの悲痛な顔ではなくなっていた。
 見るからに幸せそうな感じで、少年ともいい雰囲気だった。

 二人の関係は解らないけど、なんだかいい雰囲気だったから、あたしは思わずホッとしてしまった。

 ちゃんと幸せになっている。
 そう感じたから嬉しかった。

 一人でいる時の鬼柳さんは、何故か寂しそうだった。
 一人でいる事が苦痛ではないけれど、寂しそうに見えた。
 誰かただ一人でいい誰かを求めているように見えた。
 
 その誰かを見つけて、今は幸せなのだ。
 そう思えただけで、あたしは鬼柳さんに会えて良かったと思った。

 幸せの大切さを学んだ気がしたから。


 それから鬼柳さんを見かける事はなかった。


 でも鬼柳さんの作品には沢山出会えるようになった。
 作品を見るだけで彼が幸せでいるのだと思えた。