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switch101-46 名前

 自分の隣に温もりを感じないのを不振に思って目を覚ました。

 だが、目を覚ました瞬間に深い後悔に捕われる。

 手が冷たいシーツの上を這う。
 そう、ほんの数日前まで、ここには愛しい存在があった。

「…透耶」

 思わず口から名前が漏れる。

 ここ1ヶ月で、どれだけこの名前を呼んだだろう。
 どんな者より、一番愛おしい名前。

 その存在の不在は大きすぎた。

 自分の不甲斐無さ、殺そうと思った心を思い出すと深く眠れなかった。

 もう透耶は戻って来ないかも知れない。

 当たり前だ。
 強姦、監禁…あらゆる事をして、透耶を束縛した。

 何があっても、誰にも渡さないと思った。
 それを自分の嫉妬から、壊した。

「嫌な男だ」
 最低だ。

 あれだけの事をしたのに、透耶はここまで付いてきてくれた。
 過去を話してくれた。
 
 後悔で、涙が出るとは思わなかった。
 謝罪、それだけで許されるはずはない。
 
 それでも逃したくはない。
 しかし、エドワードの事だ。徹底的に透耶を隠すだろう。
 
 もう会えないのだろうか?
 もう声も聴けないのだろうか?
 もう触れる資格もないんだろう。

 鬼柳さん

 ちくしょう、幻聴まで聴こえる。

 名前を呼ばれただけ、心に染みて、嫌いな名前なのに、透耶が呼ぶと違う。
 ここに自分があると確認出来た。
 そんな存在、今まで何処にだっていなかった。

 名前を呼んで欲しくて、必要以上に透耶に触れた。
 あの声で呼ばれたくて、仕方がなかった。

 嫌い、大嫌い。

 痛い。
 こんな言葉がこれ程痛いとは思わなかった。
 逆上する程、敏感に反応するとは思わなかった。


「後で怒るから…」

 今はこの言葉だけが支えだ。
 もう一度、透耶に会うには、これだけしか約束がない。

 その後、透耶は東京へ帰るかもしれない。

 そうなったら、どうしよう。
 本当に狂いそうだ。

 今度こそ、誰にも見せない、会わせない、触らせない。
 自分だけしか居ない世界に閉じ込めてしまいそうだ。

 そんな事したら、透耶が透耶じゃなくなる。


 そこまで考えて、ベッドから出て、バスルームへ向かった。
 だが、鏡に映った自分を見ると、透耶にはこれが怖いんだろうなと思ってしまった。

「最低野郎」

 呟いて、側にあった灰皿を鏡に投げ付けた。
 激しい音を立てて、鏡が粉々に砕け散る。

 バスルームを出て、手当たり次第に目に入る鏡を全部割っていく。

 自分の姿が映る物は、徹底的に壊す。
 自分の姿を見ていたくはなかった。

 自分を生かすも殺すも透耶次第だ。

 こんな最低な奴、捨ててくれと思う反面、
 頼むから、捨てないでくれと願う。

 だが、もう手放す事など出来はしない。
 これ程、誰かを求めた事はない。

 何故、透耶なのか。
 そんなの解らない。

 何故、透耶だけなのか。
 全然解らない。

 何故、透耶じゃないといけないのか。
 考えるだけ無駄だ。


「…透耶」

 謝罪の言葉なら、腐る程出てくる。
 許されるなら、いくらでも何度でも言える。

 眠れない。
 透耶が居ないと眠れない。
 気が失うように眠っても、苦しさ淋しさから目が覚める。

 何度も何度も名前を呼んで、返事がない。
 居ない事を痛感する。