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switch101-60 轍

 ホテルのバーでは、先程のピアノの事で盛り上がっていた。
 客である少年、まあここでは年齢に関しては無視してしまう事にして、彼が騒動の末に弾いた見事なピアノの音は、まだ耳に残っている。

 が、それを無視したように、騒動のあったテーブルでは、美形の男が三人、優雅に酒を飲んでいる。

「マズイな…」
 鬼柳がそう呟いた。

「何? お酒が美味しくないのか?」
 ヘンリーが聞き返した。

「そうじゃなくて、透耶にピアノ弾かせた事だ」

 鬼柳の憮然として言った言葉にエドワードが思い出したように言った。

「あれは、見事だな。本領発揮という所だろう」
 今でもまだ余韻に浸れる程だ。

「透耶は元々上手いんだ。それはいいんだが、ここでやらせたのはまずかった」
 鬼柳は自分が望んでやらせた事ではあったが、今の周りの状況が気に入らなかった。

「何が気に入らないんだ」
 エドワードが尋ねると、鬼柳は煙草を吹かせてから答えた。

「周りが騒がしい。下手に噂が立つと透耶が困る」
 鬼柳の言葉に、エドワードとヘンリーが顔を見合わせた。

 自分の事より、まず透耶の事。
 透耶のピアノがどんなに凄いモノなのかを理解してない鬼柳に、二人は溜息を吐いた。


「そんな事、弾くと決めた時に透耶は覚悟していると思うが」
 エドワードは何を今更と言った。

 しかし鬼柳は、透耶のピアノがこれ程人を引き付けるモノであるというのを理解してなかった。
 それゆえの行動だったのだ。

 だから後悔しているのだ。

「だから、やめときゃ良かったって言ってんだ。よし、次からは外で弾かせるのはやめよう」
 鬼柳は独りで納得して決めると話を終わらせる。

「今更後悔した所で、遅いと思う」
 ヘンリーが新しい酒を作りならが言った。

「何でだ?」

「ここでピアノを聴いてた人の中にここのオーナーがいたでしょ。あの老人、音楽界でかなりの権力を持っている人がいたんだよ。演奏家に関して凄く厳しい人でね。それがさっき拍手してた。だからさ、透耶の事は調べられてしまうのは確実。下手したら、接触してくるかもしれないよ」

 妙に事情に詳しいヘンリーだが、鬼柳の関心はそこにはない。
 物騒な笑みを浮かべて言い放つ。

「来たって会わせねえよ。今日のは、俺が我侭言ったから、透耶はやってくれただけで、他の誰かに聴かせようとしてた訳じゃないんだ」

 こう言い放った鬼柳に、エドワードが言った。

「それは、透耶が甘い。彼は自分の実力がどれだけのものなのか理解してない。人前で弾くという事がどういう事なのかさえも理解してない。それでも透耶が弾くのは、全部恭の為だ。透耶にピアノを弾かせるという事は誰にでも出来る事じゃないんだ。恭、お前解ってるのか」

 唯一、嫌がる透耶にピアノを弾かせる事が出来る人物である鬼柳であるが、エドワードが言っている意味は理解してなかった。

「そう言ったって、透耶はエドの前でも弾いたんだろ?」
 そう言った鬼柳に、エドワードとヘンリーは特大の溜息を吐いた。


「そりゃ練習の事だよ。リクエストは駄目だったんだから」
 ヘンリーが肩をすくめて言うと、鬼柳はますます解らないという顔をした。

「どういう事だ?」

「何を言ったんだが知らないが、練習は聴いても構わないが、リクエストであれを弾いてくれってのは駄 目だと言われた。恭の為にしか弾かないんだと」
 エドワードは、鬼柳がクラシックに疎いのをよく知っているから、勿体無いと呟いてしまう。

「もう、それ聞いた時、鬼柳さんは愛されてるんだなあとか思ったよ」
 ヘンリーの言葉に鬼柳は少し暗い顔をする。


「まあ、好かれている自信はあるんだが…どうも、透耶は何か話したいのに話せないと思ってる。それが何なのか聞きたいのに」
 話してくれないと、拗ねる。
 鬼柳がそう言った時、エドワードとヘンリーが顔を見合わせた。

 透耶の謎の一つ。
 呪いの話。
 鬼柳はまだそれを聞いてない。


 その二人の様子を見て、鬼柳は呟いた。

「どうせ、お前らは知ってるんだろ?」

 エドワードが鬼柳に関わる事を調べない訳はないと、鬼柳自身がよく分かっている。
 それをヘンリーが見ていると思っても間違いはない。

「噂程度は知ってる」
「うーん、あれは本人に詳しく聞かないと、全然解らないかもしれない」

「言うな。俺は透耶から聞いた事しか信用しない」
 鬼柳が言い切ると、エドワードはそんな事は解っているとばかりに言い放った。

「言うつもりはない。透耶が自分で話すと言ったんだからな」
 エドワードの言葉に、鬼柳は頷いた。

 そう透耶はちゃんと話すと言ってくれたのだ。
 だから、それを待とうと鬼柳は決めていた。



「そういえばさ。鬼柳さんはどうして透耶が良かったわけ? そこの所、全然解らないでもないんだけど、綺麗だとか、そういう事じゃないでしょ?」
 ヘンリーがいきなりそう言って、話を変えた。

「んー。何だろう。いきなりピンときたって感じしかない」
 鬼柳はそれだけ言って黙った。

「それだけ?」
 ヘンリーが更に詳しく説明を求めると、鬼柳は思い出しながら話し出した。

「後から色々思ったけど…最初は変な子だと思って、でも目が離せなくて、ずっと何時間も見てた。思わず写 真は撮っちまうし、放っておけなくて、一旦帰ったのにまた戻ってしまった。それでもずっといるから、日が暮れるまで見てた」
 少し笑っている鬼柳の表情に、ヘンリーも笑みが零れてしまう。

「へえ、一目惚れなんだ。それで監禁に至るって?」


「いや…別に最初からそう考えた訳じゃねえ。とにかく風邪とかひかせたらいけないと思って、連れて帰ったんだが、それから、綺麗だとか、可愛いだとか思って、無茶苦茶抱きたくなった。俺の方が余裕がなかったんだ。ここで離したら、それで終わるだろうが、帰したくなかった。制御なんて出来やしない」

 正直に自分の気持ちを話している鬼柳。ヘンリーには意外だと思えた。
 何でも適当に済ませている風な感じなのに、透耶の事に関してはきちんと話そうとしているからだ。

「抱いたら、余計に離せなくなった…と」
 ヘンリーは呟いて、自分の見解は間違ってなかったと再確認した。

 透耶を抱く事は簡単だ。しかし、後が問題。抱いたら離せなくなる。
 そういう危険があるとヘンリーは即座に感じたからだ。
 経験豊富な鬼柳でさえ、完全にはまっている。

「俺の方がハマッたな。嫌がるのを無理矢理ってのは趣味じゃないが、そうでもしないと抱けないし、俺は他に自分の思いを伝える方法を知らないんだ」
 恋愛をした事がない鬼柳らしい言葉だった。

 エドワードは苦笑して言った。

「透耶は強い。普通なら、こんな事があれば逃げるだろうし、側に居ようなどと考えるはずはないんだが、恭に屈している訳じゃない。ちゃんと考えている。恭がこういう方法でしか相手に思いを伝えられない事も理解している」

 ストレートに与えられるモノを透耶は流されて受け入れている訳ではない。
 これでいいのかと真剣に考えている。
 いくら、あの呪いの話があろうとも、その決心を揺り動かすくらいに鬼柳の表現は純粋でストレートだから、透耶は真剣に悩む事になっているだけなのだ。

 きっと誰かの一押しがあれば、透耶はそれを超える事が出来るだろう。
 それに必要なのは、自分達男ではない、女性の立場での意見が必要なのだろうと、エドワードは感じていた。しかし、それの適任者が見つからない。
 出来れば、透耶の年齢以下が相応しいのだろうが…。

「こんな俺に付き合ってくれるんだから、透耶は強いよ。怒ると怖いしな」
 鬼柳はそう言って、怒っている透耶を思い出した。
 それも本気での時を。

「そうだな。透耶は普段はあまり怒らないんじゃないか?」
 エドワードはふとそんな事を呟いた。
 鬼柳の行動に怒る事はあっても、感情が制御出来ない程怒るという事はないような気がしたからだ。

「俺はいつも怒られているけど、本気で怒ったのは初めてみた。本当にどうしていいか解らなかったよ。冗談なんかで誤魔化せないしさ」
 本気で怒っている時は、本気の言葉でなければならない。
 しかも透耶に通じる言葉でなければ、怒りを納める事は出来ない。

 散々怒った後で、本気で泣かれるから、鬼柳もお手上げ状態。
 別の意味で泣かせる事はあっても、こういう事で泣かせたのは初めてであった。




「そういや、何で透耶は英語覚えようとしてるんだ?」
 暫く黙って飲んでいた鬼柳がいきなりヘンリーに聞いた。

「何か、鬼柳さんと会話するなら英語の方が安全だとか言ってたけど」
 ヘンリーにその意味が解らなかったのだが、透耶にお願いされて断れなかった。
 意外に覚えは早く、一日中、日常会話を英語でやろうとして、普通なら単語を覚える期間に、もう既に軽い日常会話なら出来るようになっていた。

 こんなところでも、透耶の驚異の記憶力が発揮されている。


「ははあ。それは、恭があまりに卑猥な事を何処でも口走るからじゃないか?」
 エドワードがそう言うと、ヘンリーが吹出した。

「うわ、たぶんそれ正解!」
 二人がそう言ったので、鬼柳はキョトンとして言った。

「何だ。英語だったら卑猥な事言いまくっていいのかよ?」

 自分が左程卑猥な言葉を吐いているとは自覚してない鬼柳は、もっと卑猥な言葉を想像していた。

 だが、すぐにエドワードが遮った。

「いいわけないだろう」

「そういうのは、二人っきりの時にとっておいて下さいな〜」



 美形が優雅に飲んでいる。
 そういう姿を見れて、周りは和んでいたのだが、英語で繰り広げられる内容がこれでは、解る人には幻滅する部分であろう。