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switch101-74 合法ドラッグ

 最初にエドワード・ランカスターに会ったのは、アメリカのホテル内に新しいカフェを造る企画があって、そこで初めて顔を合わせた。

 名前はよく知っているし、噂も聞く。

 無表情で冷徹で、容赦がないやり方で、アドベンチャラーズの会長よりやり手だという事。
 秘蔵っ子と言われ、経済学で博士号を取り、いきなり副社長の椅子に座った若造だ。
 まだ26という事だが、ここまでやり手だと油断する訳にはいかない。
 相手が若かろうが、経験値が低かろうが、取り引き相手である以上全力でやるしかない。

 ホテルのラウンジで顔を合わせた時は、少し驚いてしまった。
 無表情なのは噂通りだが、これほどの美貌の持ち主であるということは、聞いてなかった。
 大理石の肌に美しい金髪、見据える瞳は新緑の色。
 動かなければ、置き物だと勘違いしてしまいそうな位だ。

「初めまして、ランカスターです。ハーグリーヴス氏とは、いつか一緒に仕事をしてみたかったので、この機会は私にとって、最良の企画です」
 不適に笑うランカスターは、私を前にしても、まったく気後れするどころか、しっかりと挑戦してきた。

「私も君の噂はよく耳にしているよ」
 私がそう言うと、ランカスター氏はさっきまでの無表情を崩して、ニコリと微笑むと言った。

「ほう。それは下らない噂でしょう?」
 この言葉と笑顔が妙に物騒だったので、私は苦笑してしまう。
 この見た目でかなりのやり手企業が食われているのだろう。

「中々のやり手だと言われているぞ」

「弱輩者を捕まえて、有頂天にさせる為の噂でしょう。相手の機嫌を損ねる訳にはいかないので、甘んじて受けております」
 こう返してきたので、私は少し驚いたふりをして言い返した。

「私の言葉は受けられないと?」

「いえ。会長から釘を刺されておりまして。ハーグリーヴス氏の言葉は油断するなと」
 ランカスター氏は、こう言ったのだが、あの天才と言われるランカスター会長がそんな忠告をわざわざ出すとは思えない。


「はははは。それは私も同じ言葉を返した所だ。君が噂に喜んで有頂天になる所を見たかったのだが、どうやら私も見た目で騙されそうになりそうだったよ」
 

「そんな事はありませんでしょう。ある種の方面にはこの顔も有利に働きますが、貴方にはまったく効かないと理解しました」

「顔も利用しているとは、自分の見た目を解っている訳か」

「いえ、私はそうは思いませんが、友人が使えるモノは、自分の顔でも有利になるなら使うべきだと言っていたもので」
 こう言ったランカスター氏は、さっきまでの作り笑顔とは別の、たぶん本当の笑顔だった。
 この無表情な男に、こういう顔をさせる相手というのは、どういう人物なのだろうか、それを詮索してみたくなってきたが、今やる事ではなかった。

 仕事に入る前の会話としては、これは上々な方だ。
 ランカスター氏は、私より下手に出ながらも、私を牽制し、更に私を見透かそうとしている。
 本当に油断ならない若者だ。

 この仕事の話は上手く纏まり、ホテルへの出店もし、店の経営も予想よりもいい結果 をもたらした。


 それから、私は沖縄のホテルに視察に向かった。
 普段はゆっくりと出来ないが、今回は休暇も兼ねている為、少しゆっくり出来そうだった。
 ホテルに入ってすぐに、レストランの経営状態をこっそりと見る事にした。

 昼間は、観光客にもレストランを開放しているため、ごった返して満席状態。
 日本のトラベラーペーパーでも紹介されているらしい。

 私が食事をしていると、客が一方を見て固まっている姿が方々で見られた。
 何を見ているのだろうとその方向を見ると、4人の男性が食事をしているテーブルに視線が集まっている。

 そこにランカスター氏がいた。
 向こうはまだ気が付いてないが、そこだけ異様な世界が展開しているようだった。

 美形の集まりは、周りの客には刺激が強すぎたらしい。
 三人は同世代のようだが、一人は明らかに少年だ。
 どういう関係かと見ていると、珍しい事にランカスター氏が笑っている。
 それも柔らかい微笑みを浮かべているのだ。

 少年が何かを言えば、隣の男が何かを言い、それを聞いてランカスター氏が笑っている。
 友人の集まりなのだろうと、私はそう思い、声をかけるのはやめておくことにした。

 やめておいたのに、ランカスター氏の方が私を見つけて話し掛けてきた。
 彼は、さっそくとばかりに、東京での仕事の話をしだした。
 私は気を使って、言ってしまう。

「友人との時間はいいのか?」

 私がこういう事を言うのは珍しいのだろうか?
 ランカスター氏は少し驚いたような顔をしたが、苦笑して言った。

「構いませんよ。彼等は散歩に出掛けましたから」
 そう言った顔が、企業家の顔ではなかったので、私はからかうように言った。

「何か楽しい事でもあったのかい? いつもの君じゃないみたいだ」

「まあ、少し面白い事がありまして」
 何かを思い出したように、ランカスター氏は口に手を当てて少し吹出すように笑った。
 思い出し笑いだ。
 この男が、思い出し笑いなどするとは思いもしなかったので、ますます興味が湧いてしまう。

「君にそういう顔をさせる人物がいるとは思わなかったよ」

「前にお話しましたよね。私の顔を有利に使えと言った友人がいると。その友人と恋人が騒動をしましてね。私は振り回されている訳です」
 ランカスター氏がそう言ったので、私は彼にこういう顔をする相手をみたくなった。

「なるほど。それは一度見ておきたいな」

「後で会わせましょう。たぶん、嫌われると思いますが」
 変な言葉が出てきたので、私はキョトンとしてしまった。

「嫌われるとは?」

「貴方のような曲者タイプは、彼の嫌いな人間になってしまうんですよ」

「そういう君もそうだと思うが」

「ええ。だから私も十分嫌われてますよ」
 ランカスター氏は、言って苦笑している。
 嫌われているの分類が違うのだろう。
 友人だからこそ言える、嫌いの種類。本格的に嫌っているのなら、近づきもしないし、彼もその人物の話を出したりもしないだろう。

 この男の友人とやらに、私は久しぶりに本当に興味が湧いた。


 一度部屋に帰るというランカスター氏を見送って、仕事の打ち合わせにはホテルのラウンジを利用した。
 あらかた終わった所で、夜のバーで飲む約束をした。
 友人を紹介してくれると言うが、もう少し話を詰めておきたかったので、そこで会う約束をした。


 私がバーについた時は、まだランカスター氏は来ておらず、先に軽く飲み始めた所で、あの4人がやってきた。
 ランカスター氏は友人に軽く何かを言って私の方へやってきた。

「お待たせしました」

「いや、ちょうど一杯やってた所だ」

「では、私も付き合いましょう」

 ランカスター氏は言って、バーボンのストレートを頼み、それが届くと二人で乾杯した。
 殆ど仕事の話は終わっているので、軽い打ち合わせ程度をやり、酒を飲んでいると、向こうのカウンターの方でランカスター氏の連れが女の子と大声で言い合っているのが聴こえた。

「あの馬鹿」

 ランカスター氏が額に手を当てて唸った。

「もしかして、あれが利用しろと言った友人かね?」
 私がそう聞くと、ランカスター氏は頷いた。

「ええ。まったく非常識な男で、やることなすこと、私の意表を突きます」

「で、彼は何を揉めているんだ?」
「たぶん、ピアノです」
 この言葉に私は本気で驚いてしまう。

「彼が弾くのかい?」
「いえ、彼の恋人が弾けるんですよ」
 ランカスター氏は言って少し黙ると、面白そうだと笑みを浮かべた。

「このまま放っておきましょう」
「というと?」
「私は、透耶の完全なピアノの音が聴きたいんです。大丈夫、恭は上手く取り引きしますよ」


 よく解らないが、とにかく成り行きを見守る事にした。
 すると、彼は上手くというか、卑怯な戦法を用いて、少女をハメてピアノを弾く事を承諾させた。
 それから、テーブルに戻り、今度はピアノを弾くという少年、透耶との話が微妙にこじれていた。

 だが、そこに少女が混じり、言い争いが続いていると、透耶の方が妥協したらしく立ち上がってピアノに向かった。
 バーにいた全員が、この騒動の結末を見守っている。
 これは相当なプレッシャーになるのではと私は思っていた。

 しかし、手始めに弾き始めたピアノの音で、私は驚愕してしまう。
 これほどの音を出せる人物だとは思ってなかったからだ。

「彼は、ピアニストなのか?」

「いえ。ピアノは14年やってましたが、ブランクは一年半です」
 辞めていた?
 ブランクがあるということは、一旦は辞めていたという事になる。

「何故だ?」
「色々と事情があったようです。今はピアノは趣味程度で、普段はまったく練習はしてません。私が練習を聴いたのは、三日程で、一回に5〜6曲を弾く程度です」

「ぶっつけ本番なのか」
 私はますます驚いた。
 そんなブランクがあるというのに、これだけの音が出せるとは信じられない。

「その方が彼は実力を発揮しますよ」

 ランカスター氏がそう言った時、ピアノの本番が始まった。
 曲は、難曲と言われる「ラ・カンパネラ」
 リストの曲の中でも、超絶と言われる練習曲だ。
 それを一年半のブランクで、いきなり弾き始めたのだ。
 音は澄んでいて、まったく聴いた事がない音色を奏で出している。

 私は釘付けになっていた。
 沢山の天才と言われるピアニストの音を聴いてきたが、この音は初めて聴く。何処にもない音だ。

 約五分。
 丸々一曲を弾き終わった時、周りは壮大な拍手を送った。
 私も思わず立ち上がって拍手をしてしまった。

「素晴らしい。何故、彼はピアニストじゃないんだ?」
 私がそう呟くと、ランカスター氏は少し悲しそうな顔をした。

「彼がピアニストである事を拒否したからです。あくまで唯一一人の為にしか弾かないと決めて、ピアノを再度弾く事を始めたばかりです。彼の音が素晴らしいのは、今も昔も変わりませんが、私は今自由でいる彼の音の方が、心に響いていいと思います」

 ランカスター氏の言いた事は私にも解った。
 透耶はピアニストである自分に絶望していた。
 だから弾く事を辞めた。だが、また弾こうと思ったのは、好きな人の為であり、他の誰の為でもない。そう 自分自身の為でもないのだ。

 本当にピアノ自体にあまり興味がないのか、弾き終わるとさっさとテーブルに戻ってしまった。

「紹介してくれないか?」

 私がそう申し出ると、ランカスター氏は微笑んで案内をしてくれた。

 私は日本語が出来ないので、英語で話し掛けると、透耶は少し困惑したような顔で、ゆっくりでお願いしますとまだ覚え立ての英語で返してきた。

 聴き取り能力はあるらしく、ゆっくりであれば私の言う事も解るらしい。
 自己紹介をした所で、透耶が私を「ジョージさん」と呼んだ。
 私は一瞬表情が固まってしまったかもしれない。

 そう、私はファーストネームで呼ばれる事が何より嫌いなのだ。
 理由と言えば、まあ対した事ではないのだが、名前の響きが好きではない。

 それは業界では有名な事で、私はファーストネームを呼ばれるのを拒む為に社長まで上り詰めたようなものだ。
 それが透耶は解らないのだろう。無邪気に名前を呼んできた。

 だが、不思議と不快感が湧かなかったのである。
 理由は簡単だ。
 こう無垢な存在に素直に接しられたら、さすがの私も悪い気はしないというものだ。

 私は微笑んで話を続けた。
 何処に住んでいるのかとか、もう本当にどうでもいい事を羅列してしまった。
 透耶は嫌な顔一つしないで、私の言葉に耳を傾け、一生懸命答えを返してくる。

 その後ろで、その彼氏である、鬼柳が痛い視線を向けている。
 どうやらかなり嫉妬深いようだ。

 私が見た所では、彼はモノに執着しない人間だ。
 たぶん、透耶だけに執着するのだろう。
 面白いから、わざと透耶の肩を叩いたり、腕に触ったりもしてみた。
 案の定、今にも飛びかかってきそうな顔付きだ。
 透耶も少しは気が付いているらしく、顔が引きつっている。

 自分の彼氏の嫉妬深さは理解しているらしい。

 散々話した所で、私は透耶を解放した。

 ランカスター氏がバーの外まで送ってくれて、そこで私は少し話した。

「あの子は本当に愛らしい子だね。君が心を砕くのも解る気がするよ」
 私がそんな感想も漏らすと、ランカスター氏は苦笑して言った。

「ええ。あの無垢な所は、さすがに私達も適いません。必要以上に構いたくなるものですね」
 そう言われたので、私は頷いてしまった。

「それがあの男のモノなのか。なんだか納得がいかないよ」

「早いもの勝ちですよ。とはいえ、恭が透耶と出会ってなければ、私も貴方も透耶に一生会わずに終わっていたでしょうね」

「そういわれると、そうだとしか言えないな」
 私は苦笑してしまった。

「あの二人はまだ本格的には付き合ってないのだろう?」
 私が感じた指摘に、ランカスター氏は小さく笑った。

 答えは返って来なかったが、ゴールは近いのだろう。


 沖縄を去る日。
 ロビーでランカスター氏達もチェックアウトをしていた。
 私が気が付いた時には、もう鬼柳は私を見つけ、物凄く嫌な表情をした。

 私は期待に答えるように、わざと透耶に近付いて話し掛けた。
 何だか、透耶と話していると、自分の子供に接している感覚になってくる。

 まあ、私は独身で子供もいないのだが、透耶みたいな子供だったら、手元に置いて可愛がるだろう。
 そういう気持ちで接していると、そこへ昨日もめていた少女が現れ、透耶に何かをお願いしている。

 私は内容が解らなかったので、ランカスター氏と一緒にいた、ヘンリーという男性に通 訳をお願いした。
 ヘンリーは、快く応じてくれた。

 このヘンリーという男性は、傍観者タイプで、どんな事が起こっても常にサポートする側に回るような人間だ。
 さすが、ランカスター氏が選んだ友人だという所だろう。


 結局、少女、綾乃が透耶に要求したのは、ピアノの師事の事だった。
 私は、それに興味を覚え、綾乃がお願いしているのだからと透耶に言って説得した。

 内心、透耶がどれだけやれるのかを試したかったのだ。
 ランカスター氏もそれに乗ってきたのか、もう決定事項だとばかりに話を進めて行く。
 こうなると透耶も嫌だとは押し切れないらしく、少し考え、鬼柳を見上げて何かを言ってもらったらしいが、すぐに結論を出した。

 面白い事に、透耶が綾乃の師事をやる事が決まり、綾乃の親に承諾も貰って、一騒動は落ち着いた。
 いや、透耶や鬼柳にとっては始まったのかも知れないが。

 私はその出来を調べる為に、綾乃のコンクールに行く事を決めた。
 幸い、ランカスター氏がチケットを取ってくれると言うので任せた。

 すっかり二人に関わってしまった私だが、これで日本に来た時の愉しみが増えたというものだ。
 透耶は可愛いし、鬼柳はからかうと面白い。
 ヘンリーは気さくで話やすい上に教養もある。
 ランカスター氏は、仕事関係だけでなく、あの二人の事ででも親しく付き合っていけそうだ。



 後日談

 二人が一緒に暮らすのに家を買ったと報告があり、私はニヤリとしてあるモノを送った。
 透耶はたぶん貰えないと言うだろうし、鬼柳は送り返せ、いらんといいそうだ。
 でも、私に取次ぐ電話は一切無しにして、諦めた頃に顔を出してみよう。