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switch23

 その日、深夜にホテルに戻った透耶は、フロントで鬼柳がまだ戻ってきてない事を聞いた。
「え? 一度も戻ってないんですか?」
 一旦戻って出掛けたのではなく、朝透耶と一緒に出てから、鬼柳は一度も戻ってきてないのだと言われた。
「嘘、どうして?」
 玲泉門院に行ってから、既に12時間は経っている。
 まだ、話し込んでいるとは思えない。
 もしそうだとすれば玲泉門院から連絡が入っているはずだ。
 透耶はすっかり困惑してしまう。
 どうして……。
 鬼柳が出掛けて、少しでも遅くなるなら連絡をくれる。今まで一度も欠かした事ない事に透耶はどうしていいのか解らなくなってしまう程パニックになっていた。
 そのパニックになっている透耶にSPの富永がそっとアドバイスをする。
「まず、鬼柳様の携帯に連絡をしてみて、それから、玲泉門院に連絡をしてみては如何でしょう?」
 パニックを起こしていた透耶は、ハッとして頷いた。
「そ、そうだ。そうだよね」
 慌ててバッグから携帯を取り出して、鬼柳の番号を探し掛けてみる。
 鬼柳の携帯は、何度も呼び出しが鳴るのだが、鬼柳が電話に出る事はなかった。
 ……どういうこと?
 電話に出れないの?
 呼び出し音はするのに……。
 それだけで、透耶は不安になってくる。
 鬼柳に何かあったのではないだろうか?という事に不安が大きくなってくる。
 鬼柳は透耶との連絡を欠かさない為に、絶対に携帯を手放さない。だから、出れないとなれば、その前に電源を切るという報告が入る。それがないという事は、そういう事態ではないはずなのに、鬼柳が電話に出ないのだ。
「どうして……呼び出し音はしてるんだけど……出ないよ!」
 透耶は更に混乱してしまっていた。だが、冷静に富永が玲泉門院の方へと促したので、透耶は頷いて玲泉門院の方へ連絡を入れた。
 深夜なので、執事の迦葉の携帯の方へ連絡をする。
 12時回ってはいたが、迦葉はすぐに携帯に出た。
「か、迦葉さん。あの、恭……訪ねて行った鬼柳恭一はまだそこにいますか!?」
 透耶は必死に迦葉に聞く。
『いえ、3時半にはこちらを出られましたよ。タクシーを拾うのに、歩いて大通 りまで出るとおっしゃられてましたが、まだお戻りでらっしゃらないのです?』
 迦葉も驚いた様子で、透耶に聞いてきた。
「はい……。ホテルに戻ると言っていたんですけど。この時間にも戻ってなくて……。携帯も出なくて……」
 泣きそうになる声を押さえながら透耶は状況を説明した。
『落ち着いて下さい。携帯は呼び出し音はするのですね。申し訳ありませんが、もう一度掛けて貰えませんか? 誰が出なくてもいいので鳴らし続けて下さい』
 迦葉はそう透耶に要求した。
「鳴らしていればいいんですか?」
 訳が解らないままでも、今は迦葉に従うしかない。
 何か考えがあっての事なのだろうと予想出来たからだ。
 一旦、迦葉との電話を切って、再度鬼柳の携帯へ掛ける。
 何度鳴らしても、鬼柳が出る事はなかった。それでも透耶は迦葉に言われたように、電話を鳴らしつづける。
 出来れば鬼柳に出て欲しいと思いながら鳴らし続けた。
 そうして長い五分程が過ぎた頃、いきなり鬼柳の電話に誰かが出た。
「恭!!」
 透耶がそう叫ぶ。
 だが、相手は鬼柳ではなかった。
『透耶様ですね』
 そう言われて透耶は驚いた。
 電話に出たのは、迦葉だったからだ。
「ど、どうして迦葉さんが!」
 透耶の言葉を聞いて、富永も石山も驚いた。
『それが、この携帯は、玲泉門院の家の近くの道に落ちてました』
「落ちてた?」
 透耶には何故なのか訳が解らない。
 鬼柳が携帯を落とすとは思えない。
 玲泉門院を出たら戻る時に連絡をくれたはずだろうから、落とすなど考えられなかった。
『落ち着いてよく聞いて下さい。数日前からですが、不審な車が家の周りをうろついているという報告があったのです』
 迦葉がいきなりそう言い出した。
 透耶はそのセリフに首を傾げた。何の関係があるのか解らないからだが、それで関係ない話を迦葉はしないという確信もあったからだ。
「不審な車ですか?」
 透耶は聞き返した。
 迦葉はそれを受けて話を続ける。
『ちょうど、鬼柳様がお帰りになられた頃から見かけなくなったのです』
「それって……」
 まさか……。
 透耶の脳裏に嫌な予感がよぎった。
 迦葉は一呼吸置いてから透耶にこう言った。
『こう申し上げた方が宜しいかも知れません。透耶様が京都へいらした日から、不審な車が見られるようになり、鬼柳様がいなくなられた瞬間に消えた。そう考えると、不審な車は、お二方に用があったとしか考えられません』
 迦葉の言い出した事は透耶も解った。
 狙われていたのは、もしくは待ち伏せされていたのは、玲泉門院葵ではないという事なのだ。
 その他で訪ねてくる誰かを狙っていた事になる。
 それも透耶達が京都に入ってからとなると答えは一つしかない。
「俺達が狙いだった?」
 まさかと思いながらも透耶はそう聞き返した。
『もしかしたら、明日にでも何かあるかもしれません。宜しければ、明日、私もそちらへ参りますが』
 迦葉がそう申し出たが透耶は慌ててそれを断ろうとした。
「い、いえ、迦葉さんまでに迷惑は……」
 そのセリフを言い終えないうちに迦葉が言い出した。
『主人の葵がそうしろとおっしゃってまして。明日一番でそちらへ参ります。この携帯の事もありますし。あ、主人に代わります』
 いきなり、葵が出てきて透耶は更に混乱する。
 この騒ぎに葵まで巻き込んでしまっていた。
「葵さん?」
 電話を変わる音が聴こえて透耶は呼び掛けた。
 だが、電話を変わるや否や、葵は透耶の言葉を聞かずに喋り出してしまう。
『おお、透耶。今、どういう状況かまだ解らねぇから憶測でしかモノが言えねぇが、どうなっていようと、相手からの接触はあるだろう。あいつがお前に無断で消える事はねぇからな。とにかく、今日はしっかり寝てろ。明日の事だ。てめぇが倒れてたら、どうにもならねぇぞ。明日、迦葉をやるから好きに使え。以上だ』
 葵は一気にそう言うと、携帯を切ってしまった。
「あ! 葵さん!!」
 透耶が叫んで止めてももう遅かった。携帯はとっくに切れている。
 もう一度かけ直そうにもたぶん出てくれないだろうと透耶は思った。
 携帯を呆然と持ったまま固まっている透耶に石山が我に返すように肩を叩いた。
 それで、やっと透耶も我に返る。
「透耶様、ひとまず部屋へ戻りましょう」
 ロビーで大声で叫んでいてもどうしようもないと判断した富永がそう言った。
 透耶もさすがにそれには従った。
 ロビーで叫んでいても、鬼柳の行方が解るわけではない。
 ひとまず部屋に戻って、今の状況を話し合う必要があった。




 部屋に戻って、透耶は富永と石山に電話での内容を話した。
 その話を聞いた二人は驚いたように顔を見合わせていた。
「それでは、鬼柳様は御自分の意志で行方をくらましたのではなく、何者かに連れ去れられたという事ですか」
 そう聞き返されて透耶は頷いた。
 今の所、それしか考えられないからだ。
 携帯を無くしたとしても、鬼柳ならホテルに戻っているだろうし、公衆電話などを使って連絡を入れてくるだろう。
 それすらないのだから鬼柳が誰かに連れ去られたと考えた方がいいだろう。
「あの鬼柳様に限って、強引に連れ去るという事は出来ないでしょう」
 そうなのだ。
 もし不審者が鬼柳を連れ去ったにしても、鬼柳はかなりの腕を持っていて相手に簡単にやられるはずはないのだ。
 その鬼柳が連れ去られたというだけでさえ、嘘のような話しだ。
 ただ、この中で石山だけは気が付いていた。
 鬼柳の唯一の弱点。
「鬼柳様は、透耶様の事に関しては敏感ですが、御自身の事に関しては殆ど関心がないとしかいえません。何か、その場所で透耶様に関する何かを考えていたとしたら、かなりの隙が出来ていたのではないでしょうか?」
 その指摘に透耶はハッとした。
 思い当たる事はあった。
「俺……俺の元実家が、あの近くにあるんだ……。もしかしたら……そこを見に行こうとしてた?」
 透耶はそう呟いた。
 玲泉門院の近くに、透耶が中学まで住んでいて、両親の死後処分した家がある。
 鬼柳は透耶の思い出の場所を巡る為に、迦葉が呼ぶはずだったタクシーを断わり、歩いてその場所へ向かっていた可能性がある。
 鬼柳ならそうしただろう。
 透耶に関わる事なら、鬼柳は何でも知りたがる。
 そう言われて、富永も納得した。
 あり得る出来事だからだ。
「近くに実家があったのですか。鬼柳様なら、それを見に行こうとなさいますね」
 石山にそう言われ、透耶もそれは間違い無いと思った。
 住所は何処で調べたのかは解らないが、玲泉門院で聞いたのかもしれない。それなら、鬼柳は必ず一度は見ておこうと考えるだろう。
 だが、そうだとしても鬼柳が携帯を落としたままで行方不明になるはずはない。
 やはり、誰かに連れ去られたとしか考えられない。
「どうして、恭を連れ去ったり……」
 それが解らなくて透耶は悩んでしまう。
 鬼柳はアメリカでは、富豪として知られているから、誘拐しても価値があるだろうが、日本でしかも京都で誘拐しても、鬼柳家とは交渉出来ないだろう。
 日本と関わりある職種ではない親類だ。日本でもめ事を起こすとは思えない。
 それに鬼柳一人を、一人の人間が連れされるとは思えない。数人は共犯がいるはずだ。
 では、エドワード関係で鬼柳がした仕事で何かトラブルでもあったのだろうかと透耶が考えたところで解る訳は無い。
 鬼柳がしていたのは、アメリカ時代に作った企画書の再編成だけで、経営自体に直接関わっていた訳では無いのだ。
 それこそ、連れ去られる原因が解らない。
 事故に巻き込まれたなら、病院を当たればいいだろうが、それらしい人物がいたなら、免許証などで自宅が解り、東京の家にいる宝田から、既に連絡が入っているはずである。
 何も連絡が無いのはおかしい。
 もし、鬼柳家絡みなら、もうエドワードの耳にも入っているはずだろうし、そこから連絡も来るだろうが、それもない。
「一体、どうなってるの……」
 透耶は訳が解らなくなり、携帯を握り締めた。
 こんなに恭が居ない事が苦しいなんて……。
 今にも倒れそうな程、透耶は目眩を覚えていた。
 恭も、俺がいない時、こんな思いをしたんだろうか。
 こんなに辛い思いをしたんだろうか。
 そう考えるだけで、透耶は過去の事を思い出して反省をしてしまう。
 今、考えなくていい事が、頭を巡ってどうにかなってしまいそうになる。
「透耶様!」
 倒れそうになる身体を支えられて、透耶はハッと我に返る。
「……あ」
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。すみません……」
 何とか体制を戻して、透耶は石山に進められるままに寝室へ連れて行かれた。
「今日は、もう眠って下さい」
「でも……」
 透耶は石山を見上げて続きを言おうとしたがそれを遮られた。
「もし何かあれば、すぐにお知らせします」
「……すみません」
 シュンとなって透耶は頷いた。
 何かあったら二人は知らせてくれる。
「お疲れになられているのですから、しっかりと眠って下さい。何かあった時に倒れてしまっては大変です」
 石山にそう諭されて、透耶は頷いた。
「そう……ですね。すみません、俺、寝ます」
 顔を上げて石山に向かって微笑みかける。
 心配を掛けてはいけないという気持ちが先にたっての事だったが、無理をしているのは明らかだった。
 それでも石山はそれを指摘せず、透耶を落ち着かせようとする。
 透耶がぐっすりと眠れるはずはないだろうが、こうして言っておく事で透耶はそれを実行しようとするだろう。
「そうされた方が宜しいです。朝は、確か8時でしたね」
「はい」
 透耶はそう頷いて、自分が今手伝っている仕事の事を思い出した。
 鬼柳の事も心配で仕方が無いが、仕事を放り出して鬼柳を探しに出掛けたりすると鬼柳はきっと怒るだろう。一度請け負った事を放り出す事を鬼柳は許さない性格だからだ。
「では、6時半にお起こし致します」
「お願いします」
 透耶はそう石山に頼んだ。
 石山が部屋を出て行くと、透耶は大きな溜息を吐いた。
 泣きたい。
 鬼柳がいないだけで、こんなに不安でこんなに泣きたい気持ちになるとは思いもしなかった。
 それを痛感する。
 だが、泣いたところで何かが解決する訳では無い。
 そう思い、グッと涙を堪える。
 ……こういう時こそしっかりしなきゃ。
 その言葉を言い聞かせる。
 着替えを済ませて、鬼柳がいないベッドへと潜り込んだ。
 隣にいないその感触が、また寂しい気持ちになる。
 自分が誘拐されて監禁されていた時以上に苦しい。目眩が起って気を失いそうになる。
 駄目だ。
 ……俺が倒れている場合じゃないんだ。
 こんな事で駄目になってっちゃ駄目だ。
 しっかりしなきゃ。
 透耶は自分に言い聞かせるように、何度も何度も繰り返した。
 昔、繰り返した、あの呪文。
 大丈夫、まだ大丈夫。
 何度も何度も目を瞑って透耶は繰り返した。
 そして気を失うように眠りに落ちて行った。





「透耶様は眠られたか?」
 寝室から出てきた石山に富永が聞いた。
「はい、かなり参っているようですけど」
 石山は憔悴しきった顔で頷いた。
 あんなに辛そうにし、しかもそれに耐えようとしている透耶を見るのはこれが初めてだった。
 いつも笑顔で、誰にでも優しい透耶。その印象が強いだけに、今の透耶を見るのは辛すぎた。
「仕方ない。鬼柳様があんな消え方をしたんだ。動揺もするだろう」
 お互いがお互いの事ばかり考える二人だ。
 こんな状況になって動揺しないはずはない。ましてや、こんな風に消えるはずのない鬼柳がいなくなったのだ。
 透耶が動揺するのは当然だろう。
「何故、お二方ばかりにこんな事が……」
 石山はそう呟いていた。
 透耶は二度も誘拐され、更にメイドにまでも酷い事をされている。報告書や鬼柳の話、そしてその状況に立ち合って来ただけに、そう思ってしまうのは仕方ない。
 SPを始めて、これほど大変だと思ったのは石山は初めてだった。
 エドワードや色んな人を守って来たが、こんなに何かが起る事はなかった。
「資産家という部分を差し抜いても、騒動が多すぎる」
 富永も石山同様そう思っていた。
 長い事SPをしてきたが、この短期間にこうも騒動に巻き込まれる一般人は珍しい。
 いくら透耶がああいう容姿であろうとも、そこまで起るはずのない事が起きている。鬼柳にしてもそうだ。
 もし鬼柳が何かに巻き込まれたとしたら、それは鬼柳らしからぬ失敗であろう。そういう危険を察知する能力は、SPである自分達以上にある人なのだ。
 報告もなしに消えるなど考えられないので、何かあったのだろうが、一体何があったのだと考えても思い付かない。
「エドワード様に報告は?」
 二人に何かあった場合、鬼柳や透耶の意志とは別に報告するように言われていた。
 二人の事を暖かく身守っているエドワードである。何か起った場合は何をおしても協力を惜しまないと言っているくらいに心を砕いている。
「まだしていない。どうなっているのかも解らない状況でエドワード様に報告するのは早すぎる。それにあの方はもうここにいらっしゃるから」
 富永はそう答えた。
 二人に何かあった場合にと、エドワードと連絡する為に二人はエドワードのスケジュールも把握している。
「そうでしたね。明日でも遅くは無いと……」
 石山は溜息を吐いた。
「勝手な判断だが、我々は透耶様を守る為のSPだ。それを最優先しなければならない。それが仕事だ」
「そうですね」  
 石山は頷いて、ソファに座った。
 こっちでは透耶の身内が動いている。
 エドワードを巻き込むのは、何が起っているのかを把握してからでも遅くは無いと富永は判断していた。
 その夜。富永と石山が眠る事は無かった。



 その頃、鬼柳は痛みを感じて目を覚ましていた。
 ……いてー。
 それが最初に思った事。
 そして目を開いてみる。
 視界に入ったのは、古惚けた部屋。
 視界の様子がおかしいと思ったのは、自分が横になって眠っているからだと気が付いた。
 そして匂い。
 ……透耶の匂いがしねぇ。
 嗅いだ匂いは埃の匂いと、錆びた鉄の匂い。
 自分がホテルにいるなら、そんな匂いがするはずはない。
 ……ちくしょー。あれだな。
 やっと自分に起った事を思い出した。
 透耶の元実家の周りを見ようとして、一応透耶に連絡を入れようと携帯を出した時に、前から来た男に道を聞かれ、それに答えようとした時、後頭部を何かで殴られたのだ。
 ……二度も殴りやがって。
 二度目の衝撃で気を失ってしまった鬼柳。
 寝転がったままで、鬼柳は自分の危機感のなさを後悔した。
 言われた側から騒動かよ……。
 そう考えて落ち込んでしまう。
 目を開けて部屋を見回すと、どうやらここは廃屋らしいという事が解った。
 腕を動かそうと思ったが、何かで縛られているようで、動かす事は出来なかった。
 更にジャラという音がする。
 鎖か、手錠か何かで柱に縛られているようだ。
 今度は逆か……。
 今までは透耶が被害にあっていたが、今度は自分が囚われの身の上である。
 忠告されたばかりなのに、同じ事繰り返してるな……。
 鬼柳は、玲泉門院葵に言われた事を思い出した。
 双方共に騒動に巻き込まれやすい性質だと。
 今まさにその状況だ。
 だが、鬼柳には何故自分がこんな目に合っているのかが解らない。
 自分をどうにかしたところで、どうにもなるものでもない。
 日本で、自分を誘拐したところで、アメリカの実家の事が解るわけはないし、もう5年も連絡を取って無かったくらいだ。無関係といってもいいくらいなので、鬼柳家関係で自分がこういう目にあっているとは思えない。
 衝動的に誘拐する馬鹿なのだろうか?
 そう考えてみても、数人でそんな馬鹿な真似をするとは思えない。
 一人が話し掛けて、もう一人が殴ってきたのは確かだ。
 何か目的があって待ち伏せをしていたのだろうが、玲泉門院の名前を出してきたあたり、何か裏がありそうだ。
 まさか、透耶と間違えたんじゃねぇだろうな……。
 そう考えてしまって鬼柳はゾッとした。
 もしこれが透耶だったとしたらと思うだけで、それだけで胸が痛くなる。
 もうこれ以上、透耶を辛い目に合わせたく無い。
 そう思っても、今自分はこんな状態だ。
 目を開けて部屋を見ると、もう真っ暗になっていて何時かも解らない。
 ホテルに戻った透耶が、今頃自分がいないことに気が付いているかもしれない。
 泣かせたく無いのに……。
 心配して泣いているかもしれない透耶を思い浮かべて、鬼柳はなんとか自力で逃げなければならないと思った。
 まず身体を起こしてみた。
 だが、やはり後ろ手に手錠で柱に縛られている。
 これでは身動きが出来ない。
 手錠が壊れないかと力を込めて引っ張ってみるが、手首に激痛が走るだけで一向に外れる気配さえしない。
「腕でも切らなきゃ駄目だな……」
 思わずそんな呟きが洩れてしまった。
 だからと言って、それを本当にやるわけにはいかない。
 そんな事をしたら透耶を抱けなくなるだけじゃなく、透耶が悲しむだろう。それさえ自分のせいにしてしまうかもしれない。
 別の脱出法を考えるしかなさそうだ。
 まず状況を把握しなきゃならないのだが、今、この部屋には誰もいない。
 ドアが一箇所だけあるが、その外にでも見張りが居るのだろうか?
 どうなっているのか訳を聞かなければならない。
 鬼柳は息を大きく吸い込んでから大声で叫んだ。
「誰か居ねぇのか!! この状況を説明しやがれ!!」
 鬼柳の叫び声は部屋中に響いた。エコーしてしまう程の大きな声だったが、すぐに何処からも反応はなかった。
 何度も叫んでは見るが、やはり反応なしだった。
「誰もいねぇのか……?」
 思わずそう呟いてしまう。
 自分をここへ連れてきた誰かがでもなく、周りにさえ誰もいないのだ。
 これだけ叫んでも誰も覗きに来ないのは、叫ぶだけ無駄という事を意味している。
「ちくしょうっ!」
 鬼柳は呟いてまた寝転がった。
 これではどうしようもない。
 周りではまったく音が聴こえない。
 静かな場所だ。
 夏の虫の音さえも聴こえて来ないのだ。
 ただ蒸し暑さだけがある。
 夜でこれだけの暑さなら、日中はもっと暑くなるだろう。
 だが一つだけ良かったと思う事があった。
 これが透耶でなくて良かったと思ったのだ。
 自分なら耐えられる。だが透耶には無理だ。
 鬼柳はそのまま目を瞑って眠った。




 冷たい水を頭からかけられる感触で鬼柳は目を覚ました。
「?」
 何故水が?
 そう思い目を開けると、誰かが側に立っていた。
 スニーカーにジーパンの足が見え、鬼柳はゆっくりと起き上がった。
「やっとお目覚めだぜ」
 その男が言った。
 日が照っているので、いつの間にか朝を迎えていたようだ。
「この状況で爆睡とは、すげー馬鹿だな」
 もう一人いる誰かがそう言った。
 そこへドアが開いてもう一人入って来た。
 そこで、鬼柳はやっと視野がハッキリとしてきた。
「馬鹿じゃねえぞ、そいつ。侮ったら痛い目みるぜ」
 その声を聞いて、鬼柳はその首謀者らしい男に視線を向けた。
 だが、視線が噛み合った時、鬼柳は叫び声を上げていた。
「何でてめぇがここにいるんだ!!」
 その鬼柳のいきなりの叫び声に、側にいたジーパン男が鬼柳の腹を蹴って来た。
 鬼柳はうめき声は上げずに、ぐっと息を呑んでそれに耐えた。
「殺すんじゃねえぞ。殺人は趣味じゃねえしな」
 鬼柳がてめぇ呼ばわりした男が笑いながらそう言った。
「……解った」
 笑いながら言われたのだが、ジーパン男は恐れているような口調で頷いて鬼柳の側を離れた。
 その音さえ、鬼柳の耳には入って無かった。
 何故だ!?
 その言葉が頭を回っていた。
「……何故だ」
 言葉が呟きのように出たのを首謀者には聴こえていた。
「簡単だ。捕まらなかったのさ」
「嘘だ。捕まったと聞いている」
「お前らが、表沙汰にしなかった事にしか俺は関わって無かったんで、無罪放免で捕まりさえしなかったんだぜ」
 そう言われて鬼柳はハッとする。
 そうだ。そうだった。
 透耶が誘拐されたのは、会社に不満を持っていた他3人で、こいつは違う。透耶に麻薬を使ったという事は、透耶の為にとエドワードがもみ消している。
 身代金の受け渡しにもこいつは現れなかった。
 つまり、警察は、この首謀者である、三沢を捕まえる事が出来なかったのである。
 そう、今、鬼柳の目の前にいるのは、4月に透耶を誘拐し身代金を要求するという事件を起こした張本人、三沢だったのだ。
「……三沢」
 鬼柳の中では二番目に憎い相手だ。
 透耶に麻薬を使い、あれ程苦しい副作用を起こさせたのだ。それを今でも鬼柳はつい最近のように覚えている。
 今でも透耶の悲鳴が聞こえるようだった。
「まさかあんただけがあそこから出てくるとは思わなかったぜ。おかげで予定変更だ」
 三沢はそう言った。
「何?」
「本当はあの可愛い少年の方が誘拐しても俺が得したのにな」
 三沢はそう何気なく呟いた。
 だが、鬼柳を怒らせるには十分だった。
「……どういう意味だ」
 低い怒気を込めた声で鬼柳は三沢に言った。
「意味も何も、前回のお楽しみが残ってるって事だ。どうせ、あんただって似た様な事やってんだろ。あの透耶とかいう少年を抱いてるんだしな」
「きさまと一緒にするな!」
「随分と御執心だから、抱き心地は最高らしいな。これは楽しみだ」
「三沢!!」
「あんたの目の前で、透耶を犯してやるよ」
 三沢はそう言い切った。
 その言葉で鬼柳は切れた。
「てめぇ!!」
 繋がれている事すら忘れて三沢を殴ろうとした。
 繋がれている柱がギシリと音を立てて揺れる。
 さすがに動揺したのか、他の男がもう一度鬼柳の腹を殴って大人しくさせた。
 鬼柳は不意打ちを食らって、床に倒れた。
 それでも三沢を睨んだままだったが、殴られた事で大人しくならざるをえなかった。
 落ち着け。
 鬼柳は自分に言い聞かせた。
 透耶の周りには今、SPがいる。透耶だけを誘拐してくる事など簡単には出来なくなっている。
 しかも透耶は仕事で始終会社の人間に囲まれている。その中から透耶を連れ出す事は不可能だ。
 だから、三沢が言った事は、鬼柳の反応を見て面白がっているだけに過ぎないのだ。
 鬼柳はつくづく思った。
 透耶にSPをつけていて良かったと。
 自分がいなくても、透耶を守ってくれる人がいる。それも透耶の事を心配し、信頼厚いSPの富永と石山だ。自分がいない状況でも彼等は透耶を落ち着かせて、より厳しい警備をしてくれるだろう。
 それだけは信頼出来る部分だ。
 そういう人間が今の透耶の側にいてくれるだけで、鬼柳は透耶の周りを心配しなくてもいいのだ。
 ただ、自分が突然いなくなった事で透耶が泣いているのは確実だ。もしくは自分を追い込んでしまう。その状況だけは早く脱しなければならない。
 ここからどう脱出するか。
 もし三沢が何かするとしたら、三沢の事情ではなく、他の男達の事になるのではないだろうか?
 鬼柳はそう考えて、そのまま怒りを収めた。 
「ちょっと待ってくれよ、三沢さん」
 案の定、鬼柳と三沢の会話を聞いていた男の一人が三沢に尋ねてきた。
「あ?」
 三沢は、鬼柳から視線を外し、言って来た男の方を向いた。
「話が違うじゃないか」
 憤っているようだが、強くは出られないような話し方。
 三沢はジロッと男達を睨むと、鬼柳を指差して言い返す。
「ま、行き違いがあったのは、あんたらがこれを誘拐してきた事から始まってるんじゃねぇか」
「た、確かにそうなんだが」
 男は痛い所を突かれて言い淀む。
 これで鬼柳にははっきりと解った。
 この誘拐は、鬼柳と透耶を間違えての誘拐だったのだ。
 下調べをしてない時点でおかしな話だが、とにかく鬼柳は誘拐されたのが自分の方で良かったと思った。
 だが、透耶を誘拐して何が目的だったのかはまだ謎だ。三沢が言っているような目的ではなく別 の何かが目的のはずだ。
 鬼柳は耳を済ませて、連中の話を聞いていた。とにかく状況を把握しなければならないからだ。
 三沢は手帳を開いてその中を覗きながら何かを書き加えている。そしてそれが済むまで全員が三沢の答えを待った。
 三沢は手帳を閉じると、視線を上げて言う。
「予定は少し代わるが、やる事は変わらねぇよ」
「そ、それならいいんだが」
 何か三沢を恐い存在だとでも感じているのか、それで納得した一人が頷いた。
 三沢は他の二人も睨み付けるようにしてみる。
「不満でもあるなら中止するか?」
 鬼柳から見て凄みがあるとは思えない言い様の三沢の言動だが、それでもここにいる三人の男には十分に効いているようだった。
「いや、今更後戻りは出来ねぇよ」
 一人がそう答え、もう一人も頷いた。
 人一人を誘拐しておいて、今更なかった事になど有り得ない。本当に後戻りは出来ない状況だった。
「なら、黙ってこっちの指示に従ってりゃいいんだ」
 三沢はそう言った。
 どうやらここでは、三沢が一番偉いらしい。
 しかも唆したのは三沢でも、実行しているのは三沢ではないのだ。
 これでは、前の時と同じだ。
 いよいよ悪くなったら三沢はまた逃げるだろう。
 もしかしたら、計画自体が成功しなくても三沢にはなんの痛みもないのだろう。
 では、三沢は何の為にそんな事をしているのだろうか?
 それが鬼柳の中で謎になった。
 意味が解らないからだ。
「一体、何をしようとしてるんだ……」
 鬼柳はそう呟いた。
 目的が何なのか、それが解らない。
 透耶を誘拐しての身代金要求なのか、それとももっと他に透耶を使って出来る事とは何なのか。
 鬼柳の掠れた声を聞いた三沢がニヤリと笑った。
「今に解るさ。もう暫く大人しくしてるんだな」
 三沢はそう言うと、男達を引き連れて部屋を出て行った。
 鬼柳ははあっと息を吐いた。
 水なし、飯なしの状態で、鬼柳はこのまま放置されるらしい。
 その状態では辛くは無い。
 こんな状況で仕事をした事もある。
 あの場所の暑さに比べればなんてことはない。
 鬼柳はそう思っていた。
 ただ本当にこれが透耶でなくて良かったとも思った。
 三沢がもし透耶を誘拐することに成功していたとしたら、さっき三沢が公言したような状態になっていたはずだ。
 それだけは二度とさせてはならない。
 佐久間の時の二の舞いはさせたくない。
 だが、自分がこうなっている事で透耶は苦しんでいるだろう。
 それを考えるだけで、鬼柳も苦しくなってくる。
 無理をしてなきゃいいが……。
 透耶の事だ、泣くまいとして泣くのを我慢して大丈夫なんて思い込んでやしないだろうか?
 そういう時の透耶はたぶん危ない。
 殴られて誘拐されてしまった身の上、透耶の心配をしている間に自分をどうにかしなくてはならない。
 何か鎖を外すものがないかと辺りを見回す。
 すると、錆びた鉄の針金を見付けた。
 ちょっと離れているが、足で引き寄せて、旨い具合に手に渡った。
 素人がする事ではあるが、これしか方法が無い。
 鬼柳は手を器用に使って手錠の鍵穴に針金を挿して鍵を開けようとしていた。
 無謀だろうが、出来るかもしれないという期待もある。
 巧く行けばの話だが。




 透耶はハッとして目を開いた。
 寝ていたのだろうか、それとも?と思わせる光景を目にした様な気がした。
 鬼柳が必死になって脱出しようとしている姿。
 それが頭に浮かんで、透耶は目を開いた。
 バッと起き上がって隣を確認した。
 いるわけがない……。
 その確認だけで透耶ははあっと息を吐いた。
 恭がいない。いなくなった。
 それだけなのに、自分はこれだけダメージを受けている。
 それが恐い。
 自分がどうにかなってしまいそうで、それを一生懸命押さえている。
 でもどうなってもいいとさえ思う自分もいる。
 恭さえ戻ればそれでいいと。
 透耶は起き上がって外を見た。
 外はまだ薄暗く、朝がやっと明けようとしている。
 もう眠れないと判断した透耶は、側に置かれていた自分のバッグを持ってテーブルに座る。
 何かしていないと鬼柳のことばかりを考えて駄目になりそうだった。
 だから、紛らわそうと会社の書類を取り出して広げて目を通す。元々、帰ってきてから少しやろうとしていたモノだ。
 ちょうどいいからと透耶はそれに取り組んだ。
 仕事というスイッチを入れると、なんとか鬼柳の事を考えてしまう部分は少しは弱まった。
 それでも気が付くと鬼柳の事を考えている。
「俺、どうかしちゃってる」
 鬼柳以外の事しか考えられなくなっている。
「駄目だ。駄目。仕事ちゃんとしないと、恭にも呆れられる」
 透耶はそう呟いて仕事に向かう。
 自分が請け負ったものなのだ。それを途中放棄するなんて、鬼柳にも馬鹿にされるだろうし、会社にも迷惑をかける。
 それだけはしてはならない。
 そう何度も自分に言い聞かせる。
 暗示をかける。
 大丈夫、出来る。
 そして恭は大丈夫、生きている。
 その言葉を暗示のように繰り返して自分の中へと押し込んで行く。
 そうしないと、透耶は自分が発狂してしまいそうな感覚に陥るのだ。
 朝、石山が透耶を起こしに部屋に入った時、透耶はベッドにはいずに、側にあるテーブルに書類を広げてそれを必死になってやっていた。
 まさか、ずっとやっていたのか?
 と石山は思ってしまう。
 透耶が眠れるようにと、物音を立てないように部屋は覗かずにいたが、それは失敗だった。
 透耶が元から眠れるはずはないのだ。
「透耶様」
 石山がそう透耶に話し掛けると、透耶はハッとして顔を上げた。
「もう時間ですか? もう少し待って下さい、これ終わらせますから」
 透耶は淡々と答えてまた書類に目を落とす。
 その姿を見て、石山は妙な違和感を覚えた。
 透耶様ではない?という感覚だった。
 透耶はてきぱきと言っていた仕事を済ませると、荷造りをして着替えた。
 それがいつもと違うと思う石山の考えを確信させるものになっていった。
「あの……玲泉門院様から、迦葉様がいらっしゃってますが」
 石山がそういうと一気に透耶の顔が緊張する。
「迦葉さんが?」
「はい、お待ちになっております」
「解りました。今行きます」
 透耶は慌てて支度を済ませて、飛び出してくる。
 そう石山の違和感は、透耶が鬼柳の事を自分から言い出さない事であった。
 目が覚めたら真っ先に聞いてきそうな事なのに、透耶は意識的なのか無意識なのか、必要以上に鬼柳の事を言い出さないようにしているように見えた。
 それが、そうしないと透耶が自分を保っていられないという無意識の行動であるのに気が付くのはもう少し後の事だった。
「迦葉さん!」
 透耶は部屋を出るや否や迦葉を目にすると、飛びつくようにして縋った。
 さっきまでの冷静な透耶ではなくなっている。
 身内に会った安心感もあったのか泣きそうな顔をしていた。
 迦葉は冷静に透耶を受け止め、一礼するとまず鬼柳の携帯を取り出してテーブルに置いた。
「これが透耶様の元実家の近くに落ちていた鬼柳様の携帯です」
 そう言われて透耶は携帯をさっと取り上げて確認した。
 鬼柳の携帯には、透耶が以前プレゼントした青いイルカとピンクのブタのストラップが付けられている。
 こんなストラップ鬼柳がするばずないと透耶はプレゼントする時思ったが鬼柳は何の躊躇いも無くそれをしてくれた。
「透耶からのプレゼントだもんな」と笑っていた鬼柳の顔が浮かんできてしまう。
 携帯は落ちた衝撃からか、角に傷が入っていた。
 中を確認するとローマ字で住所録が出てくる。
 日本語を苦手とする鬼柳らしい表記の仕方。
 ただ透耶の項目だけには何も記して無い。
 盗み見られたら困るからと鬼柳が気を使ったのか、それとももう暗記してしまっているからなのか。住所や電話番号には透耶とだけしか記されて無い。
 履歴を見れば、鬼柳は京都に来てから、自宅にいる宝田にだけしか電話をかけていない。
 この携帯は間違いなく鬼柳のものだ。
「携帯の事からして、深夜に申した通り鬼柳様は何者かに連れ去られたと考えて宜しいようです」
 迦葉がそう言ったので透耶はハッと我に返る。
「……やっぱり……」
 では目的は?
 透耶はそう聞きたかった。
 鬼柳を誘拐してどうにかする。それは鬼柳の実家関係とも考えられるのだが、そうした連絡が入るとすれば、透耶ではなく宝田に連絡が入っているはずだ。
 その連絡すら今は無い。
「目的をお考えでしょう。主人、葵からの話ですが。透耶様、今何に関わってらっしゃいますか?」
 迦葉に聞かれ、透耶は素直に祖父維新の会社だった所の仕事を引き受けている事を話した。
 すると、迦葉は納得が出来たようだった。
「それでは、答えは簡単です。原因はそれです」
「か、会社の事で!?」
 透耶は思わず叫んでしまう。
「他に透耶様に関わる事、そして鬼柳様に関わる事はありませんでしょう?」
 確かにそうだった。
 それで透耶もハッとする。
 もしかして、玲泉門院から出た鬼柳は透耶と間違えて誘拐をしてしまったのではないだろうか?という事である。
 何か手違いか、それとも透耶の方が現れなかったのか、それとも透耶の方がガードが固かったので鬼柳にターゲットを変えたのかは解らない。
 だが、人違いではなく、透耶達を狙ったのは間違い無いという事なのだ。
「ど……どうして……」
 透耶は目を見開いて迦葉を見つめた。
 どうして会社に関わっただけで、こんな目に?
 それは迦葉に伝わっていた。
「何か今合併の事で問題があるようですね?」
「ええ、確かに。でもそれは会社同士の問題で……」
 他には何も聞いていない。
 それは正直な答えだった。
「それだけではないようですが」
 それは富永の印象だった。
「富永さん?」
「いえ、私が感じた事なのですが、どうも会社内でも何か問題があるように思えました。透耶様には直接関係ないと思いまして、報告はしなかったのですが」
「そうした些細な事で、馬鹿な行動に出るのも人間です」
 迦葉がそう言った。
「そうですね。出過ぎた事とはいえ、報告すべきでした」
 そうすれば、鬼柳はもっと身の回りを気を付けただろう。
 富永はそう思い後悔していた。
「今でも構いません、報告して下さい。一体何が問題なのですか?」
 いつもの透耶ではない、少し迫力がある言い方だった。 
 富永はそれに驚きながらも、些細な事ではあるが気になった事を透耶達に報告した。
「私が感じた事ですが、会社内では合併に賛成してない社員もいるようなのです。それを感じたのは透耶様が代理として入られた時なのですが、そうした反対派の社員がいる事に気が付きました。それを社長が話してらっしゃらないので、問題は水面 下では解決してなかったのではないかと思います」
 本当にそれは透耶も気が付いて無かった事だった。
「それだけが原因とは思えませんが、何か裏があるのではと思うのです」
 こんな事になった以上、こんな事でも調べなくてはならなくなってくる。
「今日、出社したら社長に聞いてみます」
 透耶はそう答えた。
「会社関係で誘拐されたのなら、会社の方に身代金か何か連絡があると思いますよ」
 迦葉がそう付け足した。
 確かに今まで連絡が無いのは、会社の時間が過ぎていたか、社員が揃った所で無いと犯人に困る状況もあるのだろう。
 連絡があるとしたら、今日、合併の話が出た時であろう。
 それは透耶にも解った。
 社内に犯人がいる。
 それが解っただけでも透耶には良かった。
 身近にいるならなんとか出来る。
 自分が手に出せない状況だったら、透耶はさっさと合併話を纏めて飛び出すつもりでいた。
 だが、すぐにそう出来る状況でない事も解っている。
 恭の為に何か出来る。
 それが今の透耶を支えている。
「後は会社で手がかりを掴んだ方が良さそうですね」
 迦葉がそう言って話を打ち切った。
 ここでいくら犯人の事を考えても仕方ないという事が解ったならもう話し合う必要はないからだ。
 迦葉はそうした無駄な事を嫌う。
 透耶もそれが解っているので頷いて話を終わらせた。
 朝食を簡単に済ませると、透耶はすぐに出社した。
 もちろん、迦葉も一緒にだった。




「お早うございます、代理」
「お早うございます。ちょっと社長と幹部の人に話があるのですが、出社してますか?」
 透耶が受付嬢に聞くとすぐに調べてくれた。
「はい、全員出社しております」
「それでは、全員会議室に集めて貰えませんか?」
「はい、畏まりました」
 受付嬢は頭を下げて頷いて、すぐに内線電話で全員を集めてくれた。
 透耶は頷いて自分達も会議室へ向かう。
「何故、全員を?」
 話を聞くなら一人の方がいいだろうと思っていた富永が透耶に問う。
 透耶は真剣な顔で言う。
「その場に全員がいる時の方が簡単に話が聞き出せると判断したからです。社長とか、俺を代理にと言っている人以外とは、あまり話をしてないでしょ? たぶんその人達は合併の事を快く思っていないか、もしくは俺の事をよく思って無いかのどちらかかもしれない。そうすると、バラバラで呼び出して話なんかしたら打ち合わせとか勝手されてしまう。なら、言わざるを得ない状況にするしかないと思っただけです」
 透耶はそう答えた。
 迦葉はそれに反対をしなかった。本当に見守っている。
 という事は透耶の判断は間違っていないという事になる。
 会議室にいきなり集められた幹部達は朝から何事だという風だったが、透耶が会議室に入るといきなり静かになった。
 黒服の男達に付き添われた透耶はどうみても何処かの御曹子で、こっちが代理ではなく社長のように見えたからだ。
 しかも今日の透耶の雰囲気は違う。
 昨日までの柔かさが抜け、以前の冷徹さが全面に出ている。
 それは富永や石山にもはっきりと解った。
 鬼柳がいなくなって透耶の何かが外れたのか、隠されていたものが出てきたと言った方が解り易いだろうか?
 笑みは浮かべてはいても、それは本当の笑みではない。
 冷酷さが混ざるもの。
 見ている人はこの迫力を凝視出来なかった。
「お早うございます、皆様」
 透耶は頭を下げて全員に挨拶をした。
「お、お早うございます……」
 バラバラだったが、全員が慌てて挨拶をしている。
「お集り頂いたのは、少しお話があったからです」
 透耶はそう切り出した。
 透耶は席には座らずに立ったままで全員を見渡した。
 今まで挨拶程度にしか会って無い幹部までちゃんと揃っているのかを確かめているようだった。
「この中で、合併などに関する事で反対なさっている方がいるようですが」
 透耶がそう切り出すと社長が慌てたようにそれを止めた。
「だ、代理! それは、貴方には関係ない事です!」
 まるで聞かれる事を嫌がっているのが解る対応だ。
 透耶は静かに社長を見下ろした。
「関係ない?」
 透耶は低い声で問い返した。
 社長はその声にハッとしたような顔をした。
「合併の話を進めるように頼まれて仕事をしている私には関係ないとおっしゃる?」
 透耶の強い口調に社長は黙ってしまう。
 透耶を支持している幹部さえも黙ってしまっている。
 これだけは透耶に知られたく無かったという顔だ。
 つまり、会社内部の混乱は秘密にして、合併の話だけを透耶に纏めさせようとしていたのだと解る。あわよくば、透耶の持ち物だった訳の解らない仕事だけ整理してもらおうとしていたのだ。
 社長や幹部は透耶を利用して、内部問題も全部代理がやった事にしてしまおうとしていた事になる。
 それが表面化しても透耶は冷静な顔をしていた。
 怒っている訳でも呆れている訳でもなかった。
 何も感じて無い顔をしていた。
 その冷静な無表情とも言っていい顔が恐い。
 感情を表に出して怒鳴られた方が、嫌味の一つでもネチネチ言われた方がと思える程に恐いのだ。
 富永はこれで納得してしまった。
 鬼柳がよく「透耶が本気で怒ると恐い」と言っていた意味が解ったのである。確かにこれは恐い。自分に向けられているものではないと解っているのに、恐さを感じてしまうのだ。
 とは言っても、透耶はここまで鬼柳の前で怒った事はない。
 鬼柳を巻き込んでしまったかもしれない事に、透耶は更に怒りを感じてはいるが、感情が表に出て来ないでいる。
 そうした目が恐ろしく部屋中静かになってしまう。
 ここで、初めて透耶が社内事情を知らされずに行動していた事が露見。喜んだのは反対派の人達だった。
「すみません、代理」
 年輩の幹部の一人が手を上げて立ち上がると透耶に話し掛けた。
「どうぞ」
「代理は内部の事は知らなかったのですか?」
「申し訳ありません、まったく知りませんでした。こちらももっと考えて動くべきでした」
「あ、いえ。代理が今なさっている事は一体何なのですか?」
「主に昔残した私の企画書の整理だけです。それは合併の時に必要なモノだという話から手伝っています」
「では、会社経営に関わっているのではないんですね?」
「まったく関わっていません。どういう事です?」
「いえ、我々幹部一部の者は、代理が経営にも関わってきているときいていたので、それで……」
「なるほど」
 それだけで、透耶は何が行われていたのが解った。
 透耶が無理矢理、経営に口出ししていて、経営状態がおかしくなっている事を社長はアピールしたかったらしい。
 透耶が代理をしていた時は経営状態も良かったが、その後は下降気味で、しかも出す企画全て透耶以外のモノが上手く行かない事も重なっていたのだろう。社長は透耶に劣等感でも感じ、全て透耶のせいにしてしまえればと、前から考えていたらしい。
 透耶が京都へ来る事を調べ上げ、駅で待ち伏せ、泣き落しでもして会社に関わらそうとしたのだろう。
 企画書云々で、合併先がどうこう云ってくるのは話的におかしい。まだ合併していないのだから、会社内容の深い部分までは知らないはずである。
 合併に企画書は必要ないのである。
 今更ながら透耶はそんな事に気が付いた。
 もっと合併話が進んでいるのだと思っていたから、まさかこんな罠を用意されているとは思いもしなかった。
 鬼柳さえも気が付かなかったのは、合併話はもっと踏み込んだところまで進んでいて、その中で出てきた事だと思い込んでいたからだ。
 まさか、合併する話もまだそれほど公になってないとは知らなかったのである。
 富永は道理でと納得してしまう。
 合併に話が進んでいるなら、もっと会社内の動きがあるはずなのに、それがないのは、まだ社員が合併話を知らない段階なのだという事である。
 反対派は、透耶が合併話を完全にする為に来たのだと思い込んでいたのだろう。
 そうした反対派幹部と透耶を話させる訳にはいかないので、透耶は社長室に閉じ込められた状態で企画書の練り直しをさせられていたのである。
 接点がなければ、どちらも近付く事は出来ない。
 社長や賛成派の考えた策略は、鬼柳が誘拐されなければ解らない事だったかもしれない。
 今露見して良かった事だった。
 もしこのまま合併話が進んでしまっていては、透耶は反対派から何かされていたかもしれない。
 ただでさえ危険な状態が何度も続いた透耶に、これ以上の事が起こるのはいけないだろう。
 だが、結局情に流されて仕事を引き受けてしまった透耶。
 やはり、自分が騒動を持ち込んでしまったと透耶は胸が痛んだ。鬼柳が誘拐されたのは、やはり自分のせいである。そう思ったのだ。
「聞きたい事があります。何故合併に反対なのですか?」
 透耶はそう切り出した。



 合併話を反対する人達は、合併されると解体されるかもしれないと恐れているからだった。
 透耶の案の中でも、それはやはり危惧していた。
 解体された場合、会社は会社として成り立っていけるのかは、相手側の器量 によるという事も記してあった。
「合併話はまだされてませんでしょう。たぶん、今日初めて話し合いをするのだと思います。その時にどれだけの事を相手が要求してくるのか解ります。それは報告させます」
 透耶はもう相手の者に会うことになっているので、手順を決めて行く。
 社長はもう何も言えない状態になってしまっていた。
 透耶を填めようとした事は、透耶に知られてしまった。
 今更言い訳も出来ないし、透耶を追い出す事は不可能である。透耶を追い出すなら、企画書全てが無駄 になるのだ。
 透耶が練り直したものは、ここの会社社員が出した企画書も一緒に織り交ぜたものに完成している。それを捨てれば会社は成り立たなくなる。合併にも不利になるだろう。
 透耶を上手く使って上手く騙し、合併に持ち込もうとしたツケが今の社長の上にのしかかっている。
 今活発に意見を出しているのは、疎外されていた反対派だった幹部達である。
 透耶は今までの会社の状況を再度把握して、共に会社の為になるように提案を受け付けて会議をしていた。
 この中に鬼柳を誘拐した犯人がいるなら、今の状況を利用すべきであると思ったのだ。
 そうすれば、何事もなかったかのように、鬼柳を解放してくれるはずである。
 透耶はそれを願って、全員の意見を聞いたりし答えた。
 その采配ぶりがあまりに見事だったので、富永と石山は驚いていた。ここまで透耶ができるとは思って無かったからだ。
 だが、迦葉はまったく驚いていなかった。
「迦葉様は知ってらしたんですね」
 石山がそう迦葉に云うと、迦葉は透耶から目を離さずに答えた。
「知っているというよりは、当然ですと答えるしかないですね」
「当然、なんですか?」
「透耶様は、祖父維新様から帝王学を学ばれてますし、玲泉門院の血を引いてらっしゃいますから、それを組み合わせれば、出来ない事はないのですよ」
 当然だとばかりに迦葉は答えた。
 石山には不思議だった。
 以前から鬼柳が「玲泉門院」という家の血を引いているから透耶はやっかいな事に巻き込まれるし、人を魅了し過ぎると。
 透耶の本質の秘密は、玲泉門院にある。
 手に入らないモノは無い。だが、唯一のモノは手に入らない呪われた一族。
 そうした報告は受けていた。
 つまり透耶が望めば何でも出来るという事になる。
 それでも透耶の性格のせいか、高望みはしないから、出来ない事の方が多いくらいだ。
 そんな透耶ばかり見てきたから、今テキパキと会社について話し合っている透耶を見ると違和感ばかりが沸いてくる。
 だが、その違和感の中で、透耶の経歴を合わせると納得出来るのだ。
 冷静で秀才だったという高校2年までの榎木津透耶という人物と。
「今の透耶様は崖っぷちにいらっしゃいます。非常に危険な状態ですから、気を付けて下さい」
 迦葉はそう石山にアドバイスした。
 鬼柳がいない、それだけで不安定な状態なのに、究極の状態で仕事をしている。常人には出来ない程の忙しさだ。
 透耶を安定させるモノがないのだ。
 危ない存在となっている透耶が何をするのか解らない。
 それを止める役割は、今側にいる石山達しかいないという事なのである。
「解っています。それが私の役目ですから」
 鬼柳がいない時こそ、透耶を守らなければならない。
 それも一層気を付けて。
「SPを付けていたのは正解ですね」
 迦葉がそう言った。
 透耶に好きな人が出来たと聞いた時から思っていた事だった。報告を逐一受けていたからこそ言える。今の透耶は玲泉門院の中で二番目に危険で一番危うい存在である。
 だからこそ、迦葉は、葵に透耶に付き添っているように言われたのである。
 だが、透耶の周りにはしっかりとした人物達が揃っているようだ。




 会議を開くつもりはなかった透耶だが、ここでとばかりに会議にしてしまい、やっと話し合いが纏まったのは昼を過ぎた頃だった。
「透耶様、お昼は如何致しましょう?」
 執事である迦葉がそう申し出ると、透耶は少し考えた。
 今までは社員食堂を使っていたが、今日はそんな気分では無い。
「今日は……」
 いらないと口にしようとした時、警備を抜けていた石山がコンビニの弁当を持ってやってきた。
「手作りとはいきませんが、何か食べていないといざという時に駄目になりますよ」
 石山は優しく言って透耶に弁当を手渡した。
 透耶は、キョトンとしていたが、すぐに笑顔になった。
「ありがとうございます」
 自分が食べなかったら、石山達もたぶん食べなくなるだろう。それくらいやる人達だ。
 それにいざという時という言葉に透耶は食べる意欲を見せた。
 会議室で弁当を広げて一緒に食べることにした。
「まだ何も連絡ないんですか?」
「ええ、それらしい動きもありませんでした」
「もし、この中に恭を誘拐した人がいたとしたら、今頃考え直してくれてるかもしれないね」
 透耶はニコリとしてそう言った。
 石山は微笑み返したが、富永と迦葉は笑えなかった。
 それはこの中に犯人はいないのではないかと思えてきたからである。
 ただふと思った事だったのだが、今の透耶を不安がらせるのは駄目だと思い暫くは黙っている事にしていた。
 透耶のメンタル面については石山が担当する事になっていた。透耶自身、年が鬼柳と同じ石山の方が何かと話しやすいらしい。
「午後から合併の話合いですけど」
「ええ、結局俺も出なきゃ駄目になっちゃいましたね」
 ……なんだかんたで、社長に頭下げて謝られたらね。
 透耶を罠にはめた事を社長以下幹部までもが土下座して謝って来たのである。
 それには、さすがに透耶も驚いた。
 適当に話を纏めて、会社から抜け出すつもりでいたのに、反対派までもが土下座して社長の所業を謝って来たのである。
 そして、もう少し合併の事でやってもらいたいと頼まれたのだ。
 こうなると透耶は断われなくなってしまう。
 合併の話し合いにでて会社方針だけ説明するという形でなんとか収まったのだが、この勢いでいけば、社長代理復帰なんて話になりそうだった。
 早い段階で、迦葉が間に入ってくれ、上手い具合に幹部を誘導して、合併の話し合いだけの間という期間を設けてくれた。
 合併後の事は、既に透耶は書類に全てを纏めていたし、代理などという仕事は期間限定での最初の約束だったはずだと持ち出すと、さすがに誰もそれ以上は言い返せなかったのである。
 ……やっぱ、迦葉さんがいてくれて良かった。
 透耶はそう思った。
 自分だけではあれよあれよの間に、代理復帰させられていたかもしれない。
 ……本当に恭は大丈夫なんだろうか。
 大丈夫だよね。怪我してないよね?
 透耶はそうやって大丈夫だと自分に言い聞かせる事しか出来ない。
「透耶様」
 弁当を食べる箸が止まったところで、迦葉にいきなり呼ばれた。
「あ、はい」
「食は進みませんか?」
「あの……何だかお腹いっぱいになっちゃって……」
 ちょうど弁当は半分食べた感じになっている。
 するとそれを迦葉が片付けてくれた。
「半分は食べたようですから、いいでしょう。ですが、決まった時間には必ず何かを口にして下さい、宜しいですね」
「あ、はい……」
 食べる自信はないのだが、とりあえず返事をしてしまう。
 だがそれを見抜かれたようで、迦葉は苦笑して言ってくる。「石山様にちゃんと見張って貰いますから食べているかいないかはちゃんと解りますからね。誤摩化しても駄 目ですよ」
 そうハッキリと言われてしまって透耶は頭を掻く。
 ……もう、何でバレたの?
「食べたくないという言い訳はききませんので」
 石山にもそう言われてしまう透耶。
 どうやら食事はこの四人で取る事になりそうだ。
 昼が終わると、透耶は社長室へ向かった。
 ここで合併の話をする為だった。
「代理、こちらへどうぞ」
 進められたのは、ちょうど真ん中。
「いえ、俺は端でいいです。社長、説明は出来ますよね?」
 透耶はそう言って端に座った。
 纏め役はあくまで社長でなければならないと透耶は思ってそうしただけだったのだが、それは幹部には脅しに聴こえた。
 どうせ、今日一日一緒にいるだけなのだから、会社経営について口出しするつもりはないという事だった。
 暫くして、相手の会社の副社長が現れた。
 だが、そこに現れた人物を見て、透耶は一瞬だけ驚いた顔をした。
 相手の方も、一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに冷静な顔に戻った。
「初めまして黒田社長。私は、エドワード・ランカスター、アドベンチャラーズ社の副社長です」
 そうここに現れたのは、あのエドワードだったのである。
 透耶もエドワードもまさか商談場所で出会うとは思っても見なかったのだった。
 合併話は、午前中に纏めたモノを社長が説明をし、それにエドワードが質問すると、何故か透耶が答えてしまうという展開になってしまっていた。
 最後の方は、エドワードも薄々気が付いたのだろうか、透耶に質問してくる始末。
 それでも、反対派幹部も参加しての合併に向けての一回目の話し合いは上手く終了した。
 今後透耶は参加しない事も説明していた。
「すまないが、榎木津君と二人で話をしたいのだが」
 エドワードがそう申し出た時だった。
 社長室の電話が鳴った。
 それを素早く取ったのは執事の迦葉だった。
「はい、はい、解りました。透耶様」
 短く話した後、迦葉が透耶を呼んだ。
 透耶は少し首を傾げてそれを受け取ろうとした。
 すると迦葉に耳打ちされた。
「え? まさか……」
 信じられないと透耶は迦葉を見る。
「落ち着いて下さい、いいですね?」
 静かな声を聞いて透耶は何とか頷いた。
 そして電話に出る。
「はい、榎木津です」
『合併の話は済んだかい?』
「すみました」
『じゃ、それをなかったことにしろ』
「なかった事? どういう事ですか?」
『反対してるって事だよ。それも解らないのか?』
「残念ですが、今朝幹部全員と会議した結果、合併の話は進められました。反対をしている人はいませんよ」
『え?』
 犯人の目的が合併話を破談させることにあるのは解ったが、今朝の会議での話し合いについてはまったく知らなかったようだ。
 ……犯人は社内にいないって事?
 透耶は更に不安になってしまう。
「恭を、鬼柳を早く解放して下さい」
 透耶はやっとの思いでそれを口にした。
 だが犯人からの応答がない。
 何か電話の向こうで揉めているようだった。
 犯人にも予想外の出来事だったらしい。
『おっと、まだ切れてないな。じゃ、予定変更だ、透耶』
 いきなり電話の相手が変わって、透耶はビクリとした。
 相手が変わった事ではなく、この声に聞き覚えがあったからだ。
 ……どうして俺、震えてるの?
 自分の頭で考えるより先に、本能でこの声を拒絶している。
 透耶が震え出したことに迦葉も気が付いた。
 電話で何を話しているかは、別の電話で聞けているが、何故予定変更を伝えた相手に透耶がここまで敏感に反応するのかが解らない。
『身代金要求は懲りたからな。人質はそのまま放置する。だが繋いだままだからな、透耶探し出せるか?』
「探し出すって……」
『ヒントは廃屋。早くしないと、この暑さで脱水症状にでもなって死ぬかもな』
「死ぬだって?」
『じゃあな、透耶』
 そう向こうが言って電話が切れた。
「廃屋を探すって……何処を」
「透耶様、落ち着いて下さい。今条件に合う廃屋を全てピックアップします」
 迦葉がさっそくその手配の電話を掛け始めた。
 そういう為に迦葉は付き添っていたのだ。
 透耶は一人オロオロとしてしまう。
 廃屋などここには沢山ある。その中の一つを見つけるのは難しい。
 透耶がそう困惑していると、そこにいたエドワードが透耶を問い詰めた。
「一体何が起きているんだ透耶。恭がどうかしたのか!?」
 身体を揺さぶられて言われ、透耶は我に返る。
「え、エドワードさん……痛い……」
 ガシリと両腕を掴まれていた為、透耶は顔を歪めていた。
 エドワードは慌てて手を離した。
「あ、すまない」
 ここにいる会社の関係者は意味が解っていなかった。
 まず透耶にかかって来た奇妙な電話の内容。
 そしてそれを得て行動する付き添いSP。
 何より驚いたのは、透耶とエドワードがフルネームで呼び合う程の知り合いである事。
 そして、恭と呼ばれている人物がどうにかなっている事。
 何がどう繋がってそうなっているのかが理解出来ないのである。
「エドワードさん、恭が、恭が誘拐されて……」
 透耶は泣きそうな声でそう言った。
 エドワードはそれを聞いて驚いた。
「恭が誘拐された? まさかこの会社の事と関係しているのか?」
 エドワードは鋭く突いてきた。
 透耶は困惑しながらも今まで起った事と、事情を全てエドワードに説明をした。
 その中には困る表現もあったので透耶は英語で全部話した。
 それを聞いてエドワードは一応は納得したらしい。
「それでどう動いているんだ?」
「玲泉門院の、俺の母親の実家の伯父さんが色々協力してくれて、あの迦葉さんが手配してくれてます」
 透耶がそう説明すると、エドワードは舌打ちをした。
「玲泉門院絡みなのか……」
 そうなるとエドワードに出来る事は限られてくる。
「解った、人手が必要なら私が貸そう」
「いえ、エドワードさんまで巻き込む訳には……」
「恭は私の親友だ。その為に何かをしたいと思ってはいけないというのかい?」
 そうエドワードに指摘されて透耶は言い淀んだ。
 そうなのだ。今まで散々エドワードに世話になっているから今回は遠慮したかったのだが、鬼柳はエドワードの親友であるのは間違いないのである。それを心配して手を貸してくれるというのを断わる事は出来ないのだ。
「廃屋を探すなら、人手が必要だろう」
 エドワードは透耶にではなく、迦葉に話し掛けていた。
 迦葉はエドワードが何者なのか解っているので、怖じる事もなく頷いた。
「ええ、必要です。もしお手を御貸し頂けるなら幸いです」
 迦葉はそう言った。
 いくら地元とはいえ廃屋だけでも膨大な数になる。
 手伝いが増えるなら、その手を借り手でもやらなければならないのだ。
「解った、すぐに手配する」
 エドワードは頷くとすぐに電話を始めた。
 こうなるとエドワードの行動は早い。
 ただ呆然としている社長達は一人になった透耶に説明を求めた。
 合併話は上手くいったが、それが原因で何か起っている事くらいは感じられたからだ。
 透耶は一度目を瞑って自分を落ち着かせた。
 大丈夫、大丈夫。
 何度も繰り返して、透耶は目を開いた。
 そうした時には、もう透耶は怯えた透耶ではなくなっていた。
「すみません、お騒がせしました」
 透耶はそう謝ってから、事情を説明した。



 廃屋を探す手配が整ったのは、その日の深夜だった。
 それまで人が立ち入りそうにない場所をピックアップしてくれていた為、時間がかかった。
 その間にエドワードが手配した捜査人が揃っていた。
 会社側は、この事件の根源が自分達にあるという責任感を感じたのか、捜査をする場所として会議室を貸してくれた。
 もし、また電話がかかるとすれば、会社にかかってくるだろうからだ。
 透耶はそこに寝泊まりしようとしたのだが、断固として反対された。
「私が付き添うからホテルへ戻るんだ」
 エドワードにキツクいわれて、透耶は反論出来なかった。
 ここでは透耶の意志は通らない。
 それに自分も役に立たない事は嫌という程解っていた。
「落ち込む事はない。透耶は恭が見つかった時にこそ、元気でいなければならないんだ。そうしないと、恭に私が恨まれてしまう」
 エドワードはそう言って透耶を慰める。
 透耶は少し笑って頷いた。
「顔色は悪くないな」
 ヒョイッと顎を持ち上げられて透耶はエドワードに顔色を確認される。
 ……こういうの平気でやるよね。
 透耶はされるがままでそう思ってしまう。
「食べさせてないと恭に怒られるな。私と食事をしよう」
 エドワードはそう言って勝手に話を進めてしまった。
 透耶はそれを断わる事が出来なかった。




「おい、起きろよ」
 眠っていた鬼柳はいきなり顔を殴られて目が覚めた。
 ……てーな、普通に起こせよ。
 そう思いながら目を覚ました。
 暑い中ではあったが体力を消耗させない為に鬼柳は身体を動かさないようにしていた。
 目をあけると、三沢がしゃがみ込んで鬼柳を見ていた。
「何だよ……」
 鬼柳は面倒臭そうに三沢を見上げて聞く。
 三沢はニヤリとして言った。
「お前、人質として必要なくなったんでな。ゲームをする事にした」
 三沢にいきなりそう言われて、鬼柳は驚く。
「ゲームだと?」
「透耶がお前を見つけ出せるかどうかというゲームだよ」
 三沢はそれは楽しそうに説明してきた。
「透耶にだと?」
「ま、お前が死なない程度に見つけ出せるだろうがな」
 三沢はそう言った。
「そりゃ、透耶の地元だ。協力者は多いだろう」
 鬼柳はそう言った。
 透耶が助けを求めるとしたら、それは玲泉門院しかないだろう。玲泉門院がどれだけ京都で知られた存在かは解らないが、その繋がりで氷室財閥が出てきてもおかしくはない。
「まったく、あんたらに関わるととんでもねぇな」
 三沢は愚痴を洩らすように言った。
 鬼柳にはさっぱり意味が解らない。
 何がとんでもないというのだろうか?
「会社の事であんた誘拐したのによ。もう問題解決してやがるし、あんたを探す為に変な輩がまた動いてるしな」
 三沢は上手く行くはずだった事が上手くいかなかった事を愚痴っているのである。
 とにかく上手く行かない事だらけだ。
 警察を騙す事は考えていたが民間の捜査人が動くとなると、誰が動いているのか把握出来ないのである。
 そうなると危険が伴う。
 それで三沢はこの作戦をゲームに置き換えた。
 そのゲームでさえ上手くいきそうにない気配がする。
「だったら、もう俺等に関わるな」
 鬼柳はそう言った。
 三沢が関わったお陰で、自分は誘拐されるわ、透耶に心配かけるわで、散々である。
 一人で考えると、玲泉門院で言われた事を考えてしまう上に、落ち込んでしまう。
 それだけで最悪だ。
「関わりたくねえけどな。透耶はあの時より可愛くなってるじゃねえか」
 三沢はニヤリとしている。
 だが、その挑発には鬼柳は乗らない。
「最初から透耶は可愛いんだ」
 のろけるように鬼柳は言った。
 その透耶を手に入れたのは自分。
 それを自慢しているように言い放ったのである。
「……のろけか」
 さすがの三沢も呆れている。
「手ぇ出しやがったら殺すからな」
 鬼柳は本気の殺気を込めて三沢に言った。
「あんた本当にやりそうだ」
「本気だからな」
「本気か……そりゃそうだな。あれだけ血相変えて取り返しにきたんだからな」
「てめぇ見てたのかよ」
「ヤバそうだったから待ち合わせ場所にはいかなかったんだよ」
「それで逃げ延びたのか」
 道理で、その後のエドワードからの事件の報告がないと思った。と鬼柳は今になって思い出した。
 三沢に逃げられた事をエドワードは黙っていたのだ。
 一応は探していただろうが、三沢は上手い具合に逃げ延びていた。
 警察でも三沢の話は出てきていないから、透耶と警察との接触を断っているから、余計に三沢は捕まらない。
 今回も三沢は捕まらないだろう。
 鬼柳は何となくそんな気がした。
「さて、あんたはゲームのゴールだ。俺には用のないものだから、このまま放置していくが、死んだりしたら透耶を恨みな」
 三沢はそう言って立ち上がった。
 すると鬼柳が言った。
「誰が透耶を恨むか。透耶は絶対俺を見付けてくれる」
 鬼柳はそんな自信に満ちた言葉を吐いた。
 三沢は振り返って驚いた顔をしたが、何も言わずにそのまま部屋を出て行った。
 それを見送って、鬼柳はまた目を瞑った。
 次に目を開けた時に透耶が目の前にいてくれるといいなと思いながら鬼柳は眠りに落ちて行った。




 暑さがいよいよ本格的になってきた京都。
 この暑い中、鬼柳が放置されていると思うと透耶は居ても立ってもいられない。
「俺も廃屋を探しに行きます」
 透耶がそう言い出したのは、もう二日経ってからだった。
 最初からそう言っていたのだが、エドワードに何度も止められてしまい、透耶の願いは取り下げられていた。
 だが、もう透耶も限界だった。
 鬼柳が居なくなって三日目だ。
 何かしていないとおかしくなりそうだった。
「心当たりでもあるのか?」
 エドワードにそう聞かれて、透耶は頷いた。
 これだけ探した中で、透耶はある場所を思い出したのである。
 地元では子供が良く知っている廃屋。
 まだその場所は探されていなかった事に。
「地元では有名な廃屋なんですが、土地の持ち主が中を覗かせる事を拒んでいると思って」
 透耶はそう話した。
 確かにその廃屋は最初にピックアップされていたが、廃屋の持ち主が、中へ入る事を断固拒んでいて中を覗かせても貰えなかったのである。
 管理はちゃんとしているから人の出入りはないと言い張られてしまうとこちらとしても動けないでいた。
「どうやって中へ入るつもりだ?」
「ちょっと卑怯ですけど、警察の手を借ります」
 透耶はそう言った。
「警察沙汰にするつもりか?」
「いえ、知り合いに刑事がいるので、ちょっとお願いしてみようと思いまして」
 透耶はそう言った。
 何故かそこに鬼柳がいる気がして仕方なかったのだ。
 ただ夢で見た勘だと言ったら笑われるかもしれないが、透耶はそこに鬼柳がいるという何か不思議な勘が働いていた。
 だから今日だけは譲れない。
 絶対に1人でもそこへ行くつもりでそう言い出したのだった。
 エドワードは透耶に刑事の知り合いがいる事に驚いていたが、迦葉がさっと気を利かせて連絡を入れてくれた。
 その人物はすぐに協力してくれると言ってくれた。
「仕方ない」
 迦葉までが加わって透耶に協力しているから、エドワードがこれ以上透耶を縛り付けておく事が出来ないのである。
 エドワードが頷いたので、透耶はすぐに笑顔になった。
「私も同行しよう」
 エドワードまでもが一緒にくることになってしまって透耶は困惑する。出来れば少人数で行ければいいのだがと思ったが、エドワードがそれを承諾するとは思えない。
 でも、ぞろぞろと黒服のSPがついてくる訳だから、相当な人数になってしまうからそれだけが大事になりそうで気掛かりだった。
 だが、そこは迦葉がやんわりと言ってくる。
「神元様はお一人で参りますから、SPが居た方が警察としての捜査らしく見えると思いますよ」
 そんな事を言われて透耶はやはり断わる事は出来ないでいた。
 断るより早く、その場所へ行かなければならないと思い、断るのを諦めた。





「透耶君。これは一体……」
 そう言ったのは、迦葉に呼び出された神元警部である。
 神元警部は、玲泉門院葵の友人で、京都府警の警部。
 現れるのは精々透耶と迦葉だけだと思っていた神元警部は、透耶を守るようにしている黒服の男達や、さらに金髪の外国人が黒服の男に守られているのに驚いていたのである。
「ご、御免なさい。なんか大事になっちゃって……」
 透耶は頭を下げて謝る。
「いや、いいんだけど……知り合いなんだ?」
 神元警部は驚いていたが、透耶にこうした人がついている事には少しは納得出来ていた。
 榎木津の資産を全て引き継いだ孫なのだから京都では有名であるし、葵と友人である神元警部は、内情もよく知っている1人だった。
「うん。凄くお世話になってる人で」
 透耶がそう説明すると、神元警部はそれ以上突っ込んだ追求はしなかった。
 こうして極秘で神元を呼ぶという事は、やっかいなことに巻き込まれているからだと解っているからである。ましてや、迦葉からの呼び出しであるなら警察沙汰にしたくないという意志があるのは十分に解っていた。
 それに透耶が巻き込まれているのだと解ったのは今だが、それでも警察、いや友人である自分を必要として訪ねてくれた事が神元警部には嬉しい事だった。
「さて、さっきここの持ち主とは話つけてきたから、自由に調べていいよ」
 神元警部は簡単にそう言った。
「え?」
 驚いたのは、透耶と迦葉を除いた他の全員である。
 そして透耶と迦葉は「あ……」と言って思い出した。
「……神元警部がここの持ち主と親戚だったの忘れてた」
 透耶はそう言った。
 自分がてんぱっていたので、神元警部の存在を忘れていたのである。それは迦葉もそうだったようだ。
「そうでしたね……」
 迦葉もそう言った。
 二人とも忘れていたのだった。
 ……こんな非常時に忘れてるなんて俺って馬鹿なのかも。
 透耶はそんな事を思っていた。





 廃屋になっている家は地下室まである大きな屋敷だった。
 持ち主が住まなくなって何十年も経っているが、取り壊しにもお金がかかるとかでそのままにされている。
 透耶は迷わず地下室を探す事にした。
「透耶様!」
 透耶は何か感じるかのように真直ぐに地下へ降りて行く。
 SPは危険だから先導しようとしたのだが、間に合わない。
「何か感じるんだろう」
 エドワードがそう言って後を追った。
 透耶にしか解らない感じ方がある。それが今透耶を呼んでいる。呼んでいる相手はもちろん鬼柳だろう。そうとしか考えられない透耶の動きである。
 改めて、二人の結びつきが強いのかを思い知らされる。
 地下へ降りるとそこは蒸し暑かった。
 何処からか風が熱風を運んでくるのか、異様な暑さだ。
 透耶は迦葉に懐中電灯を渡して貰うと、迷わず一つの部屋を目指した。
「まるで、鬼柳様のようですね」
 そう言ったのは石山だった。富永も頷く。
 鬼柳も同じ様な事をした。
 佐久間の事件の時である。
 鬼柳も迷わず地下を目指し、透耶の名前を確認する前にドアを蹴破って部屋へ突入していたからだ。
 今の透耶に何を言っても聴こえないのだろう。
 その透耶はある部屋の前で立ち止まると、一気に部屋のドアを開けて中を覗き込んだ。
 すると、その目に寝転がっている鬼柳の姿が映った。
 探して探して探し続けた鬼柳の姿。
「……恭!!」
 透耶は叫んで部屋へ入った。
 それを聞いた他の人達も慌てて走ってくる。
 透耶はしゃがみ込んで、寝転がっている鬼柳の顔を覗き込んだ。
 鬼柳は目を瞑ったままで透耶が触っても起きようとしない。
「恭? 恭?」
 耳元で呼び掛けても鬼柳は目を覚まさない。
 どうしよう……どうしよう……。
 間に合わなかったの!?
 息を確認するとゆっくりではあるが息はある。
 大丈夫生きている!
 透耶は自分を落ち着かせて鬼柳の状態を確かめた。
 鬼柳の顔は明らかに殴られた痕がある。そして後ろ手されている腕には手錠がされている。
「迦葉さん!!迦葉さん!!」
 パニックになった透耶は必死に迦葉を呼んだ。
 だが呼ばなくても迦葉は既に手錠に気が付いていた。
「大丈夫です、すぐに外します」
 迦葉は胸ポケットから出した針金のように細いモノを鍵穴にさして簡単に手錠を外した。
 こういう事は迦葉にはお手のものだった。
 他の人は二人の様子を見ていることしか出来なかった。
 腕を自由にすると迦葉がすぐに鬼柳の様子を確かめる。
 透耶は何もする事が出来ずにそれを見ている事しか出来ない。
「透耶様、水を持ってらっしゃいますか?」
「はい!」
「では、飲ませて上げて下さい」
「はい!」
 透耶は自分の鞄からペットボトルの水を取り出して、自分の口に含むと、鬼柳の口に付けた。
 少し口づけると、鬼柳の方が反応して口を開いた。
 そこへ割り込むようにして透耶は唇を付けて水を流し込んだ。
 すると無意識だろうが、鬼柳は水を欲していたようで、その水を飲み干した。
 それで気が付いたのか、鬼柳は透耶の首に手を回してきた。
「恭?」
 透耶が呼び掛けると鬼柳は薄らと目を開けた。
「……透耶、もっと」
 枯れた声でそう言われて、透耶は慌ててまた水を含んで口づけをする。
 鬼柳はその水も飲み干して、今度は離れようとする透耶を押さえ付けて深いキスをしてくる。
「……んっ!」
 そうじゃなくて!と叫びたい透耶だが、鬼柳は夢見心地なのか、透耶とのキスを楽しんでいる。
 でも鬼柳とキスしているだけで、透耶はその快感にのまれてしまう。駄目だという気持ちから答えようとする気持ちになるのだ。
 そのキスが激しくなってきた所で。
「透耶様、その辺で」
 と迦葉の止めが入った。
 透耶はハッと我に返って、鬼柳を離そうとするが、鬼柳が離れてくれない。
 キスに満足したのか、鬼柳は透耶を抱き寄せて、背中を撫で回し、更に腰にまで手が回ってくる。
「恭! 恭ってば! 起きて!!」
 ……寝惚けてる!! 思いっきり寝惚けてる!!
 さすがにシャツの中まで手が這ってくると透耶も真剣に鬼柳を起こそうとする。
 透耶の叫びが聴こえたのか、鬼柳の開いた目に精気が戻ってくる。 
「恭!?」
 透耶の呼び声に鬼柳は驚いたように目を見開いた。
「……透耶……?」
 いるわけない。
 そういう気持ちが込められているのか、鬼柳は不思議そうに透耶を見上げる。
「そうだよ。恭、大丈夫?」
 透耶は鬼柳の顔を覗き込んで必死に呼ぶ。
 すると、鬼柳は驚きながらも透耶を引き寄せて抱き締めた。
「わっ! 恭?」
「良かった……本物の透耶だ」
 鬼柳はそう呟いた。
 会いたくてしかたなかった相手。
 触りたくて触りたくて溜らなかった相手。
 それに触れられるというだけで鬼柳は嬉しくて泣きそうだった。
「恭……痛いよ……」
 ギュッときつく抱き締められて、透耶はそう言った。
「悪い……」
 透耶が痛がっていると解った鬼柳は、少し力を弛めたが離そうとはしない。
「恭、離して……」
「やだ」
「やだって……」
「やっと本物の透耶だもん」
 夢ばかりで透耶を抱いていた。
 目が覚める事に悔しい思いをしていた。
 その透耶が目の前にいる。
 しっかりと抱き締めて透耶の匂いを嗅いだ。
 本物だ。本物。
 それだけで鬼柳は嬉しくて仕方なかった。
 中々離してくれない鬼柳に透耶はゆっくりと話し掛ける。
「それは解るけど……ずっとここにいる訳にはいかないでしょ」
 透耶が正論を言うと鬼柳もやっとここが何処だか思い出したようだった。
「……それもそうだ」
 だが次に出た言葉で透耶は頭を抱えてしまう。
「こんな所で透耶とセックスするのは駄目だな」
 全員がずっこけそうなセリフ。
「馬鹿な事言わない! それより大丈夫なの?」
 ……どうして大丈夫じゃない状況でそんなセリフが口から出るの!?
 と叫びたい所である。
「大丈夫って……まぁ、ちょっとだるいな」
 鬼柳はそう言って身体の力を抜いた。
 本当に疲れているようだった。
「病院いかなきゃ」
 透耶は慌ててそう言った。
 三日も放られていたのだ、大丈夫なはずはない。
 だが、それを鬼柳が止めた。
「そこまで酷くねえ。脱水症状くらいだろ?」
 鬼柳はそう迦葉に言った。
 それには迦葉も少し笑って答えた。
「ええ、自分で解ってらっしゃるんですね」
 それには鬼柳も苦笑して答えた。
「この暑さで三日。そんくらいになるだろうと思っただけだ。透耶水くれ」
 鬼柳は自分で自分の状態を把握していた。
 長年の管理で状態など簡単に予想出来たのだ。
 こういう所はさすがであろう。
「はい」
 透耶は素早く水を鬼柳に渡した。
 鬼柳は透耶から貰った水を一気に飲み干した。
 それでもまだ足らないらしく、透耶はもう一本取り出してそれを渡した。それも鬼柳は一気に飲み干した。
 そうすると満足したらしく、はあっと息を吐いて透耶を見つめた。
 本物だと何度も確認するように鬼柳は透耶から目を離さない。確認する度に鬼柳は嬉しそうに笑顔を見せる。
 そんな鬼柳に透耶も微笑みかける。
 その見つめ合う二人を中断させるのはやはり迦葉だった。
「医者関係なら、玲泉門院に運んで下さい。そこで全部出来ます」
 迦葉がそう言って、富永や石山に言った。
「お願いします」
 富永達SPが鬼柳を抱えて外へ出て行こうとした時、透耶と迦葉が話を纏めてしまってエドワードがホッとした顔をして立っていた。
 透耶は素早く駆け寄って声をかけた。
「あのエドワードさん。ありがとうございました」
 何度も頭を下げる透耶。
「いや。無事だったから良かった。透耶も恭が無理しないように見張っていなさい。私は会社に戻って本部を解散させてくるよ。暫く京都にいるから、何かあればこのホテルへきなさい」
 エドワードはそう言って、透耶にホテルの名前を書いたメモを渡した。
 透耶はそれを受け取って深く頭を下げた。
「ありがとうございました……」
 本当に透耶はエドワードに感謝して頭を何度も下げた。




 玲泉門院に運ばれた鬼柳はやはり脱水症状で、点滴を受けることになった。見た目よりも身体が弱っているのだと医者に言われたのだが。
「透耶〜こっち〜」
 点滴を受けながらも鬼柳は離れてみている透耶を何度も呼ぶ。
 だが、近寄ると腰を触ったり、キスしてきたりと悪戯を始めるので透耶とは離されている。
 触れたいのは解るが、今は診察中という事で透耶は我慢して離れていた。
 その間、医者に邪魔だと追い出された透耶は葵に礼を言っていた。
「ありがとうございます」
 居間で状況を迦葉から聞き終わった葵は、まったくいつものような感じで、煙管を吹かせていた。
「いや、あれが無事で良かったな」
 ここからきちんと送らなかったのもこちらの責任だと葵は思っていた。だから迦葉を貸したりして協力をしてくれたのだ。
 タクシーなり、迦葉に送らせるなりしていれば、この騒動は少しは回避出来て居たはずだという認識はあったようだ。
「はい」
 透耶が笑って頷くと、すぐに葵の顔が厳しくなる。
「だが……解ってるだろう」
 説明をしなくても、透耶にはそれが何を意味するのかすぐに理解出来た。
「……」
 言葉が出ない透耶に葵はハッキリと言った。
「お前が原因だ」
 そうハッキリと言われて透耶も顔色を曇らせた。
 それは解っていた。
 言われなくても、今回の事は完全に自分のせいだった。
 会社の事を気軽に受けてしまったが為に鬼柳が誘拐されてしまったのだから。
 もう少し考えて行動していれば、こんな事は起こらなかったのだと。
 会社の内情も考えもしないで、簡単に仕事を引き受けたのは透耶だった。だから鬼柳の今の状態も自分のせいだと透耶は思っている。
 いくら大丈夫だと解っても、次も大丈夫だとは言えない。
 葵が言いたいのは、次何かあったとしたらどうする?という事なのだ。それも透耶が原因で何かが引き起こされる事は、もう今までの経験で解っている事だった。
「……解ってます。でも、もう少し時間を下さい」
 透耶はそう答えてしまう。
 解っているのに行動出来ない自分。
「考える時間が欲しいってか?」
 葵がそう聞き返した。それに透耶は頷いた。
「きっかけが欲しいんです。それに恭の心が少しでも傾かないと問題は解決しないと……」
 今の鬼柳を説得しようとしても無駄なのは解っていた。
 せっかく考えてた事がたぶん今回の事で逆行している可能性が高い。
 そこで仕事の話を出した所で鬼柳が納得するとは思えなかった。
「トラウマか」
 葵がそう言った時、透耶は頷いた。
 たぶん鬼柳の事は全て調べられているという確証があったからだ。それにトラウマと出る所を見ると、鬼柳がどうして仕事をしないのかという理由をも知っている。
 全てを知っていて、それでも尚、責めてくれる相手。
 それが葵だった。
「俺が言えば行くかもしれない。でも、それだけじゃ駄目だって思って」
 透耶はそう思っていた。
 報道の仕事に戻って欲しいと願えば、鬼柳は自分に納得してなくても戻ってくれるだろう。
 だがそんな状態で仕事が出来るとは透耶は思えなかった。
 本当に鬼柳から戻るという決心をしない限り、この話は進まないのだと、最近になって透耶は悟った。
 鬼柳の心次第で。
「そうだな。まあ、考える時期になってると悟ってるだけでも誉めてやる」
 葵はそう言った。
 透耶がそこまで深く考えているとは思ってなかったらしい。
 相手の事を思い遣って、そして自分も考える為に京都へ戻ってきた。それだけでも葵は誉めてやろうと思ったのである。
「すみません。心配かけて」
 透耶は少し笑って頭を下げた。
「心配はしちゃいねぇ」
 ふんっと鼻を鳴らして葵は言う。
 ……相変わらずだなぁ。
 そう思うと透耶はホッとしてしまう。
 こういう葵はいつもの葵だ。
 ここへ来る事が出来て本当に良かったと透耶は思った。
 自分が京都さえ戻れない状態で、鬼柳に戻れとは言えないからだ。
「ま、あいつを一人で来させたのは、あいつが来たかったからだろうが、俺にもけしかけて欲しかったからだろうとは予想出来たがな」
 葵はジロリと透耶を睨んで言った。
 嫌な役を勤めさせられた事を葵は怒っている。
 ありゃー……。
「……バレてましたか」
「バレバレだ」
「すみません」
 透耶は素直に頭を下げた。
 やっぱり葵さんにはバレてたんだなぁ……。
 などと思ってしまった。
 鬼柳に発破かける為に京都へ来た事もバレているのだろう。
 そして透耶自身が京都へ戻る事で、鬼柳に考える余裕を与えようとしていた事さえも全部バレている。
「言う事だけは言っておいた」
 あくまで、玲泉門院としての役割としてと葵は付け足した。
 透耶を心配しているからとは言えない。
 それは鬼柳との秘密である。
 玲泉門院がなんであるかを伝えるのが葵の役割なのである。だからそれを伝えただけだと言ったのである。
「ありがとうございます」
 本当にそれは透耶も感謝していた。
「これでもう少し真剣に考えるだろう。なにせ、言った側からだからな」
 葵にそう言われて透耶は暗い顔をする。
「……そうですね」
 忠告されたとたん、事件に巻き込まれてしまった。
 さすがの鬼柳も迷信だとは思えないだろう。
 透耶も散々巻き込まれた事を思い出して、もっと真剣に考えるべきだと思った。早くしないと鬼柳が傷付いてしまう。
 それだけはさせてはならないと。
「お前達は近くにいすぎる。ちょっと離れているくらいがちょうどいい」
 その葵の言葉は何故か暗示のように聴こえた。
 葵が言うからそう聞こえるのかもしれないが、今までの出来事を考えると、そうなのかもしれないと頷く所があった。
「そういうお前も、俺にこう言われたかったんだろう」
 葵はニヤリとして透耶にそう言った。
 誰かに背中を押して欲しくて葵の言葉を待っていたという顔をしていた。
「……それもバレてましたか?」
「そんな情けない顔してりゃ、解るに決まっている」
 葵は煙管を吸いながらそう言った。
 そんな情けない顔してたのかなあ?
 透耶は思わず自分の顔を押さえてしまう。
「まあ、背中押すには、まだカードが足らねぇな」
 葵がそう呟いた。
「え?」
 何を言われたのか解らなくて、透耶は聞き返した。
 だが、それに葵は答えてはくれず、別の事を言い出した。
「いや、独り言だ。それより、そろそろあいつの所へ行ってやれ。さっきからうるせぇ」
 そう言われて透耶は顔を赤らめてしまう。
 さっきから、遠くの方から鬼柳が透耶を呼ぶ声が響いて聴こえているのである。
 恥ずかしい……。
「とーや」
 絶対に姿を見るまではとでも思っているのか、止まらない鬼柳。
 仕方ないと透耶が鬼柳がいる部屋に入ると、待ってましたとばかりに鬼柳が両手を広げて透耶を呼ぶ。
 側まで行くと腕を掴まれて引っ張られた。透耶はそのまま鬼柳の上に乗る形で倒れてしまう。
「きょ、恭、安静にしてなきゃ……」
 透耶がそういうと鬼柳は平然と。
「透耶がいないと安静になんて出来ない」
 と弱っているからの弱音なのか、ただの我侭なのか、どちらともつかない口調で言われてしまった。
「もう……」 
 こういう我侭言う鬼柳は初めてで透耶は苦笑してしまう。
 点滴も後少しで終わりそうだった。
「一緒にいるから、腕離して」
「やだ。また透耶が遠くに行ってしまう」
 余程離れている時の事が堪えたのか、鬼柳は腕を離してくれない。
「解った……眠れるまで側にいるから」
「こうしてて、そしたら眠れる」
 こうしててというのは、透耶を抱き締めて寝る事。
 本当にそうしたいだけなのか、鬼柳は透耶を抱き締めるとそのまま眠りに入って行った。
 だが、透耶を抱き締めている腕の力は尋常ではなくて透耶は抜け出せなくなっていた。
「鬼柳様にとっての安定剤は透耶様なんですね」
 身の回りの世話をしてくれていた迦葉がそう呟いた。
 そう言えば、と透耶は前に言われた事を思い出した。
 透耶が誘拐されて入院していた時、鬼柳は透耶の側を離れないどころか、そこで透耶の手を握り締めて熟睡していた事を。
 鬼柳はやっと手に入れた透耶を手放したくない。
 だからこうした甘えを見せる。
 鬼柳の外見からは想像も出来ない甘えっぷりだ。
 そこで透耶はさっきの葵の独り言を思い出した。
 背中を押すにはカードが足りないな。
 確かに何か足りない。
 透耶はそう感じながらも、鬼柳の腕に抱かれたままで自分も眠りに入ってしまった。




 次に目を覚ました時、透耶はすっかり鬼柳と同じ布団の中で眠らされていた。
「……あ、れ?」
 眠い目を擦りながら顔を上げると、既に起きていたらしい鬼柳と目があった。
「起きてたの?」
 透耶はそう言いながらも今にも眠りそうな声で聞いた。
「うん、起きてた」
 鬼柳はすっかりスッキリとしたような顔をして透耶を見ていた。
「いつから起きてたの……?」
「ん? 透耶が寝てから起きてた」
「え?」
 ……それってずっと起きてたって事じゃないの?
 透耶はもぞもぞとして起き上がって、鬼柳を見下ろした。
「寝なくていいの?」
「透耶こそ寝てないんじゃないか? 熟睡してたぞ」
 起き上がった透耶を寝かせるようにして鬼柳は透耶を抱きかかえる。
「点滴!」
「もう終わってる」
「あ、そうなの?」
 鬼柳の腕を見ると、もう既に点滴の終わった後があっただけだった。
「なんだ……」
 透耶はホッとして鬼柳の腕を離した。
 でもまたギュッと鬼柳の腕を抱き締めた。
「透耶?」
 透耶はすごく泣きたい気分だった。
 ここに鬼柳がいる。
 それだけで嬉しかった。
「もう……いきなり……居なくならないで……」
 泣き声のような透耶の声に鬼柳はハッとした。
 透耶がどれだけ心配していたのかが解る。
 泣けない程、透耶は心配をしていた。
「透耶、泣いていいよ……もういいから」
「恭……」
 泣かないつもりだったのに、透耶は鬼柳の胸に縋って泣いてしまった。
 こんな事をしたら後戻りしてしまうと解っていても、それでも泣きたい気持ちは止まらなかった。
「ごめんな。心配かけて」
「しんぱい、したん、だから……」
 透耶は子供のように鬼柳に縋って泣く。
 その様子を見て、今まで透耶が泣かずに我慢していたのだと鬼柳は悟った。
 人前で泣けない透耶は、鬼柳の前でしか泣けない。
 それがどれだけ辛いのか鬼柳には解っていた。
 大事にしたいと思っていたのに、余計に心配をかけてしまったのだと後悔した。
 それが葵が言った言葉と重なる。
 離れている方がちょうどいい。
 その言葉を思い出して、鬼柳は胸が痛くなった。
 まさしく葵の言う通りだ。
 このままでは、少し離れただけで、透耶は壊れてしまう。
 そして自分も自滅するだろう。
 それでは一緒に生きる意味にはならない。
 だが、それでも透耶の側を離れたくないという気持ちが先攻してしまう。
 それではダメだと思うのに、逆行して考えてしまう自分がいる。
「ごめんな」
 鬼柳はいろんな意味を含めて透耶に謝った。
 透耶はただ泣き続けて居たので、鬼柳は透耶を抱き起こして顔中にキスをした。
 涙を吸い取って、最後に唇にキスをする。
 涙を拭いて貰っている間に透耶はハッとしてしまう。
 泣かないと決めたのに泣いてしまったからだ。
 鬼柳がもし前向きに考えていたとしたら逆行させてしまったかもしれない。
 そんな事を思っていたが、キスが激しくなってくるとそんな考えも飛んでしまう。
 ただ獣のようにキスを繰り返す。
「は……ん……はぁ」
 キスがやっと止むと、透耶は荒く息をしてしまう。
 鬼柳は透耶を寝かせると上にのしかかるようにして透耶を押さえ付けた。
 そしてまた顔中にキスをしながら、耳もとでこう言った。
「透耶の中に入りたい」
 鬼柳はそう言って透耶の意志を確認せずに透耶が来ている服を脱がせて行く。
 透耶はぼんやりしたままでされるがままだった。
「は……ぁ」
「綺麗……だな」
 鬼柳は独り言のように呟いて、透耶の肌を撫でる。
「ん……」
 触れられるだけでも今の透耶は感じてしまう。
「良かった透耶じゃなくて」
「ん? 何?」
「誘拐されたのが透耶じゃなくて良かったって事」
 鬼柳はそう言い終わると、首筋にキスをした。
 いつものようにとやろうとした所で透耶がハッと気が付いた。
「だ、ダメ……!」
「なんでー?」
「ここ本家!」
「いいじゃん」
「ダメったら、ダメ」
「えー」
「えーじゃない! 恭は病人なの!ダメ!」
 悪戯するように胸の突起を舐められてしまい透耶の身体が跳ね上がる。
「やっ!」
 そうやっていた鬼柳だが、さすがに体力がないのか鬼柳も途中でやめてしまった。
 ずっしりと重い鬼柳が透耶の上に乗りかかってきた。
「恭? 大丈夫?」
「ちょっと、体力ねぇなぁ……」
「だからダメだって、安静にしてて」
「透耶の中に入りたいのに……」
 ……体力ない時まで何言ってんだ、エロ魔人。
「馬鹿言ってないで、ほら」
 透耶はなんとか鬼柳の下から抜け出して、鬼柳を寝かせる。
「透耶、隣」
 鬼柳は布団を上げて隣に入れと言う。
 透耶も鬼柳がこれ以上変な事はしないだろうと安心して隣に潜り込んだ。
「どうやって俺を探し出したんだ?」
 鬼柳が不思議そうにそう聞いてきた。
 透耶は、経緯を説明してから、最後は勘だと言った。
「そこに恭がいると思って……」
 そういう感じがしたのだ。
 本当にいるという感覚はなかったのだが、それでも鬼柳がそこにいる予感がしたのだ。
「すげーな透耶。本当に俺を見つけてくれた」
 鬼柳は嬉しそうに透耶を抱き締めた。
「だって恭だって絶対俺を見つけてくれるでしょ。だったら俺だって何を使ってでも恭を見つけるよ」
 透耶はそう言った。
「どこに居たって、恭を絶対見つけるから……」
 透耶はそう決めていた。
 いつもと逆の展開に戸惑ったが、自分にも鬼柳を見つける事が出来るのだと確信した。
 その為には何を利用してでも見つけ出すつもりだった。
 玲泉門院だろうが、氷室だろうが、何でも使うつもりだった。
 迷惑をかけているのは解っていたが、それでも鬼柳を見つけたかった。
 この人が居なくなったらと考えただけでも気を失いそうだ。
 失う怖さを味わって、透耶はそういう決断をした。
「やっぱり俺の透耶、何でも出来るな」
 ……それってどういう意味?
 鬼柳の言葉に首を傾げた透耶だったが、安堵の方がまさって結局一緒に眠ってしまった。
 鬼柳は透耶の言葉を受けて嬉しくて仕方なかった。
 何処に居ても透耶は見つけてくれる。
 前に自分が透耶に言い聞かせた言葉。
 何処に居ても探し出すと言った言葉と同じ事を透耶も思ってくれているのだ。
 それがどれだけ力を与えてくれたことか。
 透耶の何気ない言葉でもあっても、鬼柳には、嬉しい言葉だった。

 そしてそのまま二人とも大人しく眠りについた。   

 翌日には鬼柳はすっかり回復していて、狂人的な回復力だと医者に太鼓判を押されてしまった。
 葵には苦笑されるし、迦葉も安堵した顔をしていた。
「本当にお世話になりました。ほら、恭も頭下げて」
 透耶は、鬼柳にも頭を下げさせてお礼を言った。
 葵はそれを受けてこう言った。
「俺が言った言葉。忘れるなよ、お二方」
 それが葵から貰った最後の言葉だった。
 そして二人は玲泉門院を後にしてホテルへと戻ったのだった。
 けれど、そこで唯一鬼柳の背中を押すカードが待っているとは思っても見なかったのであった。