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switch外伝6 We can go 12

 透耶が部屋に訪ねてきた子供達にせがまれて子供達の部屋に連れて行かれている間に鬼柳は休みだった父親に戸籍に関する書類を揃えて貰っていた。本当は自分でやっていたのだが、鬼柳がやるよりは父親の手を借りた方が日数がかからずに済むということだったので、任せていた。
 最後くらい何かしたいと言い張る父親を拒否出来なかったのは、大学まで出してもらった恩もあるし、今まで我が儘放題にしてきた自覚があっただけに、申し出を断ることは出来なかった。
 全ての書類にサインをして、執事に手渡す。これを提出したら後は日本で受け取るだけだ。
 鬼柳の日本帰化。そして家とは関係ない状態を作る。これが今回のアメリカへ来ることに同意し、長期の休みを取った理由でもある。
 仕事が忙しく、日本へ帰ることを念頭に置いていたから、戸籍のことはほとんど気にしたことはなかった。しかし、せっかくの休みにアメリカへ書類を揃える目的で渡ったりする時間がもったいないことに気付いて、仕事のボスに愚痴を漏らしたところ、日本に帰化すればいいと言われた。
 何もアメリカ国籍である必要はどこにもない。諸々の手続きやらを考えると帰化した方が楽だっただけだ。帰化については書類を揃えたら通るらしい。
 そういうわけで鬼柳は父親にせがまれた実家で一泊を断ることが出来なかったのだ。
 透耶が子供部屋に居ないことを知ったのは、それから一時間経ってからだった。
 そろそろ帰るかと鬼柳が透耶を呼びに行くと、部屋には朱夏しかいなかった。何処へ行ったのかと聞くとアイリーンが呼びに来て、一貴と一緒に部屋を出たまでは分かった。
 一貴は完全に透耶に懐いていて、母親が来るなというのにも従わなかったらしい。
 そうして執事に何処にいるか探して貰おうとすると、アイリーンと透耶は車で出かけたといわれてしまった。
「なんだって?」
 透耶がアイリーンと出かけるなら鬼柳に一言あってもおかしくないし、むしろ透耶はアイリーンとは一緒に居たくなかったはずだ。
 急いで携帯を操作して確認する。透耶の携帯にはGPSがついている。透耶自身は機能の便利さには気付いていないが買い換えをする時に鬼柳がその機能があるものを選んだのだ。最初はほんの冗談のつもりだった。GPSを使えばネットで透耶の居場所が把握できるし、鬼柳の携帯でも確認することが出来る。海外にいても使えたので、案外便利だと思ったくらいだった。
 それが今必要だった。透耶には家から出たら携帯だけは身につけておけと言っておいたのでそうしているはずだ。
 機能を呼び出してみると、透耶の現在地はこっちに向いて移動している。
 鬼柳は瞬時に事態を把握して舌打ちをし、透耶ではない別の人物に電話をかけた。相手はツーコールですぐに出て鬼柳に対応した。
「今、何処にいる」
 声が低く這うようになっているのは向こうも予想していた事態だった。


 透耶はあまり車の量が多くない道ばたにポツンと下ろされていた。
 アイリーンが透耶から携帯電話を奪って勝ち誇ったようにして吐いた言葉に首を傾げるばかりだった。
「恭一さんはこれから私たちと一緒に住むのよ。あなたなんかに渡さない」
 そう言い切られてしまって透耶は困惑した。
 だって、それはまったく違うことだったからだ。
 鬼柳にその気があったならアイリーンから真実を聞くわけがない。鬼柳は本当にそうしたかったら迷わず透耶に言い放つ。
 だが今朝鬼柳が言ったのは、用事が済んだ、もう帰ろう、だった。
 アイリーンが何をしたいのか分からず、透耶は着いてきてしまったが、これは面倒なことになったなとふと息を漏らした。
「いや、邪魔だと思われているとは思ったけど、まさか、置き去りにされるとは……」
 アメリカの何処ともよく分からない場所に置き去りにされたら、日本みたいに簡単に元の場所に戻るのは難しい。時間にして一時間くらいは走っただろうが、まさか何もないような道路に放り出されるとは予想してなかった。
「うーん、恭と一緒に住むのが目的……か。本人に確認してないだろうし、アイリーンさん、帰って大丈夫かな……というかそもそもそれが目的にしては……」
 やることが大きすぎるような気がする。
 鬼柳が今頃透耶がいない事に気がついているのは透耶でも予想出来る。だが、戻ったアイリーンが無事で済むかと考えると保証は出来ない。なんていっても鬼柳だ。父親の妻だろうがなんだろうが、気にしないだろうし、乱暴にしないかが問題だ。
 こんなところにポツンと置いていかれた透耶も自分の身が危ないとは思っていたし、戻れるかどうか不安でもあった。しかし、それ以上に鬼柳の様子が気になって仕方ない。
「どうしよう……早く戻らないと」
 透耶がそう思っていたところ、向こうから走ってきたトラックが透耶の傍を少し過ぎたところで止まった。なんだろうと立ち止まっていると、運転手のオジさんが降りてきて透耶に声をかけた。
「どうした? 歩いて何処へいくんだ?」
「あー、○○までですが」
 場所は分かっていたが、歩いてどれくらいかかるのかは分からない。透耶が答えた地名にトラックのオジさんはとても驚いていた。
「そんな何十キロも歩くのか? ああーと、東洋人だろ? 観光?」
 色々質問されて透耶はとりあえず答えた。
「何キロあるのか分からないんです。ここで下ろされてしまって。えっと日本人です。観光というか友人の家を訪ねてました」
「なに、日本人なのか? いやーうちの息子が日本の大学に留学をしているんだよ!」
「え、本当ですか!?」
 トラックのオジさんは透耶が日本人だと分かるととたんに表情を崩した。
「ああ、T大とか言ったな」
「T大!? 凄い! 息子さん凄く賢いんですね!」
「そんなに有名な大学なのか?」
「頭のいい人は大抵T大を目指しますよ。うわー凄い」
 透耶が手放しでトラックのオジさんの息子を誉めると、彼は更に表情を崩した。自分の息子が賢いと誉めてもらったのがやはり嬉しいらしい。
「ああ、その場所まで行くなら乗せて行こうか。その近くを通るし、そこからならバスなんかある」
「え、トラックに乗せて貰えるんですか!?」
 まさかアメリカでヒッチハイクな上に、見晴らしのいいトラック。
 絶対に経験出来ないことだ。それを考えたら透耶は現在の自分の状況を考えるよりももっといいことが起こったように舞い上がっていた。
 話がまとまったと思った時、反対側から黒の車が二台やってきた。その車がすぐにUターンしてトラックの後ろと前に止まると、そこから黒服の男達が飛び出してきたのだ。
「透耶様! ご無事ですか!」
 そう言ったのは、SPの石山だ。彼は普段日本でも透耶のSPをしている人で、今回のアメリカにも付いてきた一人だ。もう一人富永も慌ててかけつけてくる。
「申し訳ありません、到着が遅くなりました。鬼柳様がお待ちです」
 そう言われてもう鬼柳がこの事態を理解していることを透耶は知った。
「あー大丈夫です。この方に助けて貰いました」
 透耶はそう言って警戒されるように傍から離されてしまったトラックのオジさんを手の平で見せた。
「あの、それでちょっとお願いがあるんです、石山さん!」
 透耶は神にでも祈るかのように手を合わせて石山にお願いごとをしようとした。瞬時に石山は透耶が何を願いたいのか理解してしまった。伊達に五年も傍にいたわけではない。
「と、透耶様、申し訳ありませんが……そういうわけには……」
 頭痛が今起きたかのように、石山は片手で顔を覆ってしまった。
「だからお願いします。石山さんが一緒だったら大丈夫だって思うんです」
 透耶の必死の願いとキラキラと期待した視線と瞳。これに逆らえるのはきっとこの中にはいない。状況が分かっていても透耶には譲れないことでもある。何しろ本場の体験談になることは透耶にとっては滅多にないことだ。
「富永さん……すみませんが先導お願いします……」
 キラキラした目で眺められて根負けしたのは石山だった。
 本当はこうではいけないと分かっているし、SPの使命も分かっている。今与えられた鬼柳からの命令は透耶の身の安全を確保することだ。身の安全は確保した。あとは鬼柳の要求通りに鬼柳家に透耶を届けること。それが石山たちSPに与えられた使命だ。
 しかし透耶の願いを叶えてやりたい気持ちも強く、特に石山は透耶の精神面の方を担当しているところもあり、透耶の気持ちの方に偏って考えがちだ。なので透耶が無理を言う時は必ず石山を通す。
 透耶もそれが分かっているから石山に頼むのだ。富永辺りに言ったら一蹴されて終わりだ。いつも一緒にいる富永の方がどちらかというと鬼柳の考えに近いやりかたをするからだ。
「分かりました。後でバレて怒られるのは透耶様ですし、構いませんよ」
 富永はそう言って他のSPにも指示を出す。
 呆然とそれを見ていたのはトラックのオジさん。何が起こったのか分からないまま、透耶の必死にお願いに答えることになってしまった。
「オジさん、トラックに乗せてください! お願いします!」
 期待しきった透耶の瞳にオジさんも逆らうことが出来なかったのである。
 トラックに相乗りした石山は、透耶とオジさんの弾む会話に少々頭を抱える羽目になったのだった。
 透耶が見つかったと報告を受けて鬼柳がホッとした。
 SPは透耶がアイリーンと出かけるところを見ていて、鬼柳がいないことで不審に思い、その警護の命令は出てなかったが、透耶の警護が最優先である命令を思い出して、その後を勘付かれないように付けていたのだ。アイリーンのただならぬ様子と、透耶の妙な表情から何か起きるのではないかと不安になり、警戒しての行動だ。
 今回はこのSPの判断は完全に正しかった。透耶が置き去りにされてから数分で彼らは透耶を無事に確保出来ていた。

 透耶を置き去りにしたアイリーンが戻ってきたのはその30分後。
 居間で父親と二人顔を見合わせたままで黙り込んでいた鬼柳だが、アイリーンが入ってくると同時に笑顔で向ってくるアイリーンの首を手で掴んで壁に押しつけていた。
 鬼柳の指が首に食い込み、アイリーンは息が出来なくなった。
 目の前にいる男が自分に何をしているのか理解する余裕はない。
「この家の女主人は客人を見知らぬ土地に捨ててくるような、そんな対応をする馬鹿なのか」
 怒って低い声を出している鬼柳だがその顔には何の感情も浮かんでいない。まだ昨日の方が対応がよかったといえよう。見据える冷たい視線にアイリーンは身の竦む思いをした。
 今、目の前にいるのは、自分を殺そうとしている男だ。
 悲鳴を上げようとするも首を絞められているので声が出ない。必死で暴れているとふっと手が離れた。急激に入ってきた空気にアイリーンが咳き込むのと同時に、上から感情のない声が降ってくる。
「自分が何をしたのか理解したか」
 その声にアイリーンは必死に声を出していた。
「あ、私は、家族で一緒に暮らすのが……この家の為だと……」
「そんないい加減な言い訳で済むと思うか? オヤジが居ない間に俺を咥え込もうと考えてるような女だ。大方、透耶さえいなければいいなんて、下らない打算でもしたんだろう」
「な……っ!」
「違うと言うのか? 透耶とのセックスを最後まで覗き見していた女が?」
 鬼柳があれほどしつこかったのは、透耶にこの女の気配に気付いて欲しくなかったのもあった。最初の悪戯の範囲では居なかったが、途中でアイリーンがドアを開けて覗いているのにはすぐに気がついた。ちょうど部屋と部屋を繋ぐドアだったので廊下ではなかったから、鬼柳はそれが誰なのかすぐに気付いた。
 この家の中で、あの長いセックスを最後まで覗き見するようなのは、この女以外はいないだろう。一成なら平気で部屋に入ってくるだろうし、そもそも隣の部屋からののぞきなんてしない。子供だったら長時間覗くようなことはしない。つまり該当者は一人しかいないわけだ。
「……っ」
 顔が真っ赤になったところを見るとその通りだったようだ。
「仲良く家族ごっこしたいのなら透耶にこういうことをするべきじゃなかったなぁ」
 鬼柳は別段脅すわけでもなかったが自然と口にしていた。
「透耶は俺のものだ。赤の他人がどうこうしていい人間じゃない。もし透耶が無事に戻らなかったら、お前が大事にしてるものは、何も残らないようにしてやる。まず見せしめにお前の子供、それから金づるのオヤジ、鬼柳家の名誉も実家の名誉も全部だ」
「や、やれるわけ……」
 さすがにそこまで個人でやれるわけがないとアイリーンが笑って済ませようとするもその言葉に重なるように鬼柳が言う。
「ないと思うか? 俺の仕事を知ってるな? 人間がどれだけ簡単に死ぬのか、俺はよく知っている。便利なことにここは銃社会だ。ここに一発撃てばそれで終わり」
 鬼柳はそう言ってアイリーンのこめかみに指を当てる。
「あ、あなたは……家族が大事じゃないの!? あんな東洋人、お金目当てに決まってるわ! 騙されているのよ!」
 アイリーンの本音の一部が出たが、鬼柳はそんなことかと苦笑した。
 透耶がそんなものを欲しがると思っていること時点で、この女は透耶のことを知らなすぎる。知っていたらそれこそこの嘲りの言葉は出てこないはずだからだ。
「それも検討外れ過ぎて笑えない。俺は元より、下手したらオヤジよりも透耶はお金持ってるからな。話にならん」
「……は?」
「なんだ。本当に何にも知らないんだ」
 鬼柳は急に興味をなくしたかのように、アイリーンの傍を離れ、ソファに座った。
 それを一部始終自分の夫に見られていたとは思わなかったアイリーンは、顔を真っ青にしていた。
 自分の妻が息子に殺されそうになっているのに間に入らず、一部始終聞いても何の感慨もないような表情なのは、アイリーンがやり過ぎていたということだ。
 ある意味、この親子は似たもの同士だ。表情を完全に殺すことにかけては誰よりも優れている。
 さすがにマズイと焦ったアイリーンが言い訳をしようとしていた時だった。
「ちょーっと待った!」
 と、透耶が慌てて居間に入ってきたのだった。