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switch外伝6 We can go 15

 鬼柳家での騒動から二日ほど経ったあるホテルの展望台での出来事だった。
 展望台から見えるニューヨークは、映画などの風景とは違い、実際に目にすると感動という言葉しか生まれない。日本もやはりビル群を東京タワーから見ると、ここに自分が住んでいるのかと少し不思議になってくるものがあるが、ニューヨークは異世界と感じてしまう。まず広さが違うし、新しい街並みと古い街並みが混合した作りになっているのが、とにかく不思議で見ていても飽きない。
 鬼柳とその展望台に来た時、透耶は鬼柳のニューヨーク本社の人に合わせて貰った。
 相手は鬼柳の仕事の写真を管理している人で、もう8年来の付き合いになるのだという。鬼柳やそのボスである宮本の仕事先本社はニューヨークにある写真専門の独立会社だ。そこは新聞社や雑誌などの会社と提携して、各報道記者の取材内容を売っている。
 所属している写真家も多いが、そのほとんどは自分が好きな仕事をしている為、会社がその写真を使える会社に写真を変わりに売って商売としている。どのプロでもそうだが、仕事内容で人生を左右されるような契約を嫌う傾向にある。自由に撮りたいものを撮って生活をしたい。だが、そうなると生活が出来なくなる。そこを手助けするのがこの会社の役割だ。ある程度は仕事を選ばせてやりながらも撮りたいものを撮らせてやって仕事の効率を上げるのが仕事だ。
「この仕事を受けてくれれば、そっちの仕事は好きにしていい」
 こう言われたら人間、少しの我慢をすれば後は希望のことが出来ると納得してくれる。
 そうして我が儘芸術家を何人も育ててきた実績もあるので、彼らの仕事は認められていて、仕事もかなり入ってくるのだという。
 そうした中でも、鬼柳恭一という人間は特殊中の特殊なのだという。
 彼には何か撮りたいという希望がない。仕事は基本、報道のみ。これだけ守ってくれれば、仕事は完璧にこなしてくるのだという。
 確かに鬼柳の撮ってくる報道写真は見事な出来具合で、あの気性が激しいという宮本が傍で秘蔵っ子として育てただけあり、報道の仕事は彼に向いている。
 そんな鬼柳に何か別の物を撮ってみないか?と勧めたところ、鬼柳は暇つぶしには撮っているので、他で仕事をしようとは思わないとはっきりと断られたという。その趣味である写真は一切見せて貰っていないから彼がどんな写真を撮るのかも未だに本社の人間は知らないままだ。
 その鬼柳と揉めたごとが起きたのは、5年前だ。彼の報道写真を勝手に持ってきた宮本から預けられた一枚の写真が原因で、鬼柳は報道の仕事すらもしなくなり、一切連絡が取れなくなった。
 あの時は本社の人間も、あの写真が話題になり、賞の候補にまで上り詰めていたから、その時の鬼柳の本心というものにはまったく気付かずにいた。これは失敗だったと気付いた時には鬼柳は契約を更新することもなく、連絡を一切絶って姿を消していた。
 宮本を鬼だと思ったのは彼の言い分を聞いた時だろう。報道として行った先で撮ったものは、どんな思いが込められていようが、公表されるべきものなのだ。と彼が言い切ったことだろう。
 そしてこの写真は鬼柳が乗り越えなければならない問題の一つであり、彼がこの先報道者としてやっていけるかいけないかが決まる問題でもあるのだと。そういわれればそうだとしか言えなかった。
 その時、彼を支えたのが、榎木津透耶という青年の存在だった。
 鬼柳の荒んだ心を一気に溶かしたものは、恋だった。
 約一年経って帰ってきた彼の写真は、一回りも大きく成長していた。
 再び宮本と組み仕事を再開したが、彼は基本的にこの会社と個人契約をしているので、宮本と行動は共にしていても仕事内容が似ていても、別契約なのだ。
 宮本は鬼柳の勘の良さや土地勘、そして土地に馴染む鬼柳の適応能力を高く買っていて、2年で独立させ、手放したのは痛手だったと本気で感想を漏らしていたくらいに、鬼柳の才能や彼の人の良さを見抜いていた。
 その鬼柳が独立してから築いた取材先の情報は、宮本でも目を見張るものばかりなのだという。そんな高評価をされている鬼柳の恋人というのは誰でも気になるものだ。
 しかし榎木津透耶を見た者は誰もかポカンとした。え?これが?というのが感想だ。
 青年だと聞かされた時は驚きもしなかったのに、本人を紹介されたら、なんとまあ、のんびりとしたほんわかとした雰囲気を醸し出した、鬼柳とは正反対の人間だから驚いたのだ。
「……いや、意外でした。貴方がああいう人を選ぶとは思わなくて」
 正直にそう言ったのは、鬼柳の恋人とやらを見たいと言って付いてきただけの報道部の男だ。
「ああいうの? どういう意味だ?」
 無表情で仕事の書類をチェックしている鬼柳は別段怒っているわけではないが、表情がさっきより無表情だった。
「貴方が選ぶのって、知的で面倒がかからなくて、後腐れなくて、貴方の力なんかなくても生きていけるような力強い人間かと思ってましたんで」
 そういう内容にもう一人の男も頷いた。鬼柳が連れてくるなら、それなりに美人だろうとは予想はしていた。この人は自分でも自覚はしてないらしいが、とにかくメンクイだ。連れている女性にしろ男性にしろ美人が多かった。この辺りは余裕でクリアしているが、そのほかはかなり問題外と言えるレベルに見えた。
「それはセックスするだけの相手の話だろう」
「いや、まあ。えっとそうすると、恋愛をする相手は真逆がよかったんですか?」
「真逆と言ってもな。俺の性格上の好みの問題だしな。とにかく簡単に落ちてくれる相手では話にならんし、いつでも口説いてないと駄目なところとか、面倒がかかればかかるだけいいとか、俺が独占してもさして問題や負担にもならない性格でないと駄目だとか、俺の素性を調べるのは問題外だし、そういうことを知ってもああそうなのかくらいに受け流すような器がないとな。ああ他にもあるな、俺の無表情を見たとしてもそこから何を考えているのか読めるようなのでないと駄目だし、俺のどんな姿を見ても受け入れてくれるのじゃないと駄目だし、欲情する俺を制御できなくしてくれるのではないと駄目だし。家事なんかは俺が得意なんでそれを全部任せてくれるようなのではないと駄目だし、なにより俺も持てるものを全て出し尽くしてまでも欲しい相手でないと駄目だし、まあそういうことだろう」
 こう語っている鬼柳だが顔は至って真面目だ。冗談で言っているわけではなく、鬼柳は本当にそういう相手を自分が好きになると随分昔にエドワードに言い切ったことがある。
「滅茶苦茶事細かに条件多いんですが……」
 呆れた二人に鬼柳はそうか?と首を傾げる。
「その辺、クリアしちゃってんですか?」
「まあ、出会い頭に俺を欲情させたのは上出来過ぎたな」
 あっさりと言う鬼柳にまた二人が呆れる。この人の下半身事情はある程度知っているが、この人から誰かに欲情して口説いたことは一度もないのは事実だ。いつでも相手が声をかけている。
「初めて暴走っていうのをしたなあ。とにかく抱いてみたら収まるかと思えば、余計に欲しくなって馬鹿みたいなことを沢山したし、気を惹きたくて持てる能力使いまくったし、それでも落ちてくれなくて俺を焦らせるし……恋ってのは大変なんだなと思ったものだ」
 そう感慨深く言う鬼柳に二人は突っ込みたかった。
 百錬磨のプレイボーイをそこまで振り回したあんたの恋人の感覚が既におかしいんだよ!と。
 あんなにのんびりな風に見えて、この鬼柳を手の平で転がしてたなんて恐ろしい子だ。
「あ、いや、でも、あんなに従順っぽいじゃないですか。貴方が言ったことは何でも守りそうだし、何でも言うこと聞きそうなんですけど。恋人同士になったら、あんまり手間とかかからないんじゃ?」
「だったらいいんだけどな。ほら見ろ。さっそくどっかのオバさんに口説かれてる」
 鬼柳がそう顎で指すので見ると、透耶の隣にかなりの美人でエキゾチックな美貌の持ち主が座って透耶に話しかけている。透耶の方はニコリとして話しているようだが、鬼柳の顔が怖くなっている。
「誰かについて行くなよとは言ったが、話しかけられても無視しろと言ってなかったのが失敗か……。まったく放っておくといつもあれだ。何処居ても誰と居ても、得体の知れない者ばかり引っかけてくるから始末に負えない。大体、従順のように見えてもそれだけじゃ足りない。行く先々でストーカー両手で足りないくらい引き連れてるのに、どれだけ従順にされたとしても安心すら出来ん」
 むしろその従順っぽく見えることが問題だ。そう誰にでも見えているということは、ストーカーに勘違いさせている要因でもあるということだ。
 相手が透耶に妄想するのは勝手だと思うが、妄想では収まらずに期待させて希望を持たれるのはやっかいだ。
「……ストーカーが両手で足りないって……」
「透耶はあれでも日本では有名な作家の一人だ。顔写真は一切出してないんだが、どこで誰が撮ったのか分からない写真が出回って、その姿を見て狂った馬鹿どもが透耶を付け回っては情報をネットに載せているくらいだ。弟が芸能人だが、それ以上に興味を持たれて、アメリカくんだりまで押し寄せてくるくらいに熱心なのがいる」
 さすがに事件になったこともあるので、慎重に慎重を重ねているが、外の連中がどう思うかなどは鬼柳でも止められないのが実情だ。
 そのストーカーたちがネットで情報を流していることは透耶も知ってはいる。しかし流れている情報を見たところで透耶は何とも思わないのか、へえよく調べてるなーと暢気な感想を漏らしたきりなのだ。
 透耶にとって知られたくない事実は、あの声楽の事件の真相だ。憶測くらいなら全然平気らしく、鬼柳に話したことは誰も知らないので、ほとんど気にしていない。
 むしろ切々と鬼柳に話して聞かせる始末。情報社会なのだからある程度情報が漏れてしまうのは仕方ない。作家という職業を選んだからには過去の事を知るものだって出てくるし、それを喋る人も出てくる。鬼柳のことだって調べられたらバレてしまうから、仕方ない。けれど、誰も本当のことなど知らないし、透耶や鬼柳がどういう出会いをしてどういうことがあって結ばれたのかはほんの一部の人しか知らない。面と向って尋ねるような無粋な真似をする勇気のある記者はいないだろうし、作品と作家は別と考える方は一般的だ。だから何が書かれてあっても本当ではないから気にしない。そう言うのだ。
 実際透耶の作品について語る掲示板に「ホモだ」と書かれていてもほとんどの人が「それが?」というくらいで今では透耶がそういう趣向の人物だと認めた上で、作品が好きだからプライベートは気にしないと言ってくれる人たちが存在している。透耶にはそういう事の方が嬉しいようだ。
 実際問題、透耶がホモであったとしてもそれで男遊びや男漁りをしているわけではないし、鬼柳以外の誰かと問題を起こしたこともないことや、箝口令が敷かれた誘拐事件が殺人事件になったこともあってか、むしろ周りは同情的になっているらしい。
 それに透耶の殺人的スケジュールは有名で、あのスケジュールの間に遊ぶ暇があるのか?と心配されるほどだったりする。この辺は鬼柳も同感だ。
 なので、鬼柳が出来ることは、透耶の盗撮されたであろう写真が掲載されたり、公表されていない個人情報が載ったら削除を要請したりするくらいだ。
 透耶の情報の中に恋人として登場する鬼柳のことはほとんど経歴は雑誌などで紹介されたものばかりで、鬼柳家のことは書かれてはいない。やはりアメリカが本拠地だったからなのか、透耶のように調べることも出来ないのか、どこの大学を出たか、報道写真を初めて何年か、その写真がどこに載っているのかくらいなものだ。
 一度面白かったのは、透耶を盗撮してきた相手が載せた鬼柳の写真に、それを見た者達が「いい男選んでるじゃねーか。趣味が良すぎる」という感想を漏らしていたことだろう。その情報を見た富永が面白そうに教えてくれて、散々論議させたところで写真の削除をしたものだから、確実にあれは鬼柳だったのだと掲示板では盛上がっていた。
 この写真のお陰なのか、それから透耶を批判する者にはもれなく透耶を擁護する目的で鬼柳の名が出ることがある。
 ある意味、鬼柳が世間で言うイケメンだったことが透耶を守ることになるとは予想もしてなかっただけに、この時ばかりは鬼柳もこの顔に生まれてよかったと思ったものだった。
「そんなストーカーが沢山いるのに……この写真、いいんですか?」
 そう言われた瞬間、鬼柳の顔がしかめっ面になる。
 相手が出したパンフレットの最後のページにある鬼柳の写真。そこには透耶が映っている。
 いいもなにも、回収しようにももうどうしようもないほどの規模になっているのだ。今更回収しても追いつかないし、バラまかれてから一年経っている。どうにもこうにも間に合わない。
 だが、この写真で透耶だとはっきり分かるのは、撮った本人と撮られた本人くらいの微妙な写真だ。
 沖縄に休暇で出かけた時に撮ったもので、透耶が全長3メートルある大きなひまわり群と向かい合って背比べしているものだ。逆光で透耶の顔は影になっているのでモデルが誰なのか分からないし、麦わら帽子に裾の長いワイシャツと短パンなので性別も不明。クレジットには鬼柳とはっきり書いておらず、Kの文字しかない。つまり誰が誰を撮ったのか不明にしてあるものだ。
 おまけにこのパンフレットが今の今まで鬼柳の目に入らなかったのは、これがあるホテル内で配られていたものだったからだ。しかもそれを知ったのが、今来ているこの人たちに確認として教えられたことだったからだ。
「……帰ったら速攻で最新鋭の金庫買って、厳重管理の下に置いてやる」
 唸るように鬼柳が言うものだから、二人はキョトンとしている。
 犯人は、鬼柳のネガを盗むことだけは常習犯だったエドだ。
 このパンフレットはエドワードが作ったホテルの紹介のパンフレットだった。
 写真が透耶だと分からないものにしてあるのは、エドワードの意思だろう。これならモデルが誰か分からないと踏んだに違いないのは間違いない。さすがに透耶だとはっきり分かる写真を出したら鬼柳がもっとぶち切れることは分かっていたようで、こういう微妙な写真で手を打ったのだろう。
 会社の人間からこれを教えられた理由は、ただこの写真を使用した使用料金が振り込まれて来たからだった。会社の人間だって寝耳に水だ。鬼柳の写真は管理しているつもりだったのに、こんな仕事を個人的にされては困るのだ。
 だが、見せられた写真は鬼柳が今まで見せたことはないジャンルのものだ。鬼柳が報道以外では人を撮らないことは有名で、個人的に撮った写真は今まで見せて貰ったことはなかった。一体どんな写真だったのかと見た写真は、文句の付けようがない芸術品だった。
 青い空とひまわりには色があるのだが、人物だけは逆光で黒くなっており、表情は見えない。だが、モデルの仕草でモデルがどういう表情をしているのか想像出来たし、状況で何をしているのかもはっきりと伝わってくる。写真を見た者に色々想像させて楽しい気分にさせる技術は、ある意味高等なものだ。
 その写真を撮ったのが、戦場を舞台にしか撮ったことがない鬼柳。
 けれど、この写真を見れば、鬼柳の趣味程度という技術がかなり高等なのは見て取れる。
「鬼柳さんはこういう写真を撮る人だったんですね……意外過ぎてびっくりでした。こういう写真なら写真集でも出せばいいのに勿体ないです」
 そう呟く会社の人に、鬼柳は暫く写真を眺めていたがふっと息を吐いて言った。
「俺が人物を撮るのは透耶だけだ。透耶が入ってない写真なんて、風景くらいしか撮ったことないしな。それに風景のは透耶の趣味になってきてるし、俺が無断で持ち出すのはマズイと思う」
 あくまで断る理由としてあげたのが、人物は相変わらず撮るのは嫌で、榎木津透耶が入っていない写真は一枚も撮ったことはないのだという。しかも風景写真は撮ってはいるが、持ち主の鬼柳には所有権がなく、透耶が趣味にしているので断るなら俺に言うなよということらしい。
 相変わらずの管理投げだ。ただ透耶の写真だけは自分で完全管理をしていたらしく、この写真が流出したことには自分の管理不足だと嘆いているようだ。
「くそエドめ。どっから鍵を手に入れたんだか……透耶だって持ってないってのに」
 透耶を撮った写真は自分の楽しみの為に撮っていると言って過言ではない。撮られた透耶は自分だけが映っている写真にはあまり興味がないようで一度見たら後は見たいとも言わなくなる。その一方他人と一緒に映っている写真は徹底管理をする。その写真は透耶が管理している風景写真と一緒にして棚に置いてあるので誰でもいつでも見られるようにしてある。ただネガだけは透耶も扱い慣れていないので、鬼柳は透耶に指導されながら一応は管理して、きっちり棚などにしまってある。
 その風景写真を狙わないあたり、エドは知能犯だ。
 鬼柳はこれがただの風景写真ならまったく怒らなかった。ふーんというくらいで気にせずにいただろう。だが、その代わりではないが透耶が激怒する。それは間違いない。
 鬼柳が何気なしに言った一言を透耶は今でも嬉しいと思っている。
 あれは鬼柳がまた風景写真を適当に扱っていた時のことだ。透耶はいつものごとく適当に写真を扱う鬼柳にキレていて、そのことで「大事だ」「大事じゃない」と言い合っていた時に出た一言だった。
「そんなにいうなら透耶が管理すればいいじゃねーか。俺はそれでも別にいいし、透耶だって一々腹立てないで勝手に整頓出来る。な? それでいいだろう?」
 そう言った鬼柳に透耶はポカンとした後。
「なるほど、その手があったか!」
 もの凄く納得したように言い、管理を任された写真をネガを見ながら並べる作業まで鬼柳に習って、今では完全に透耶の趣味になっている。お陰で短い休みの間に風景を撮って置いておかないと、帰った時に写真がないと分かった時の透耶の落ち込みようはびっくりするほど酷くなっていた。あれはあれで機嫌を直すのには一苦労したものだ。仕返しとばかりに透耶は鬼柳に自分の写真を一枚も撮らせてくれなかったのだから、さすがの鬼柳も透耶の落胆はこういうことなのかと教えられてしまった。
 こんな下らない喧嘩と周りが笑うような出来事でも、透耶が如何に鬼柳の風景写真を大事にして楽しみにしているのかが分かっていれば、絶対に透耶の許可無くネガ一枚すら誰も盗みはしないだろうし、まして無断で使うことなど考えないだろう。
 それこそ末代まで呪われそうな気分になるからだ。
 エドはそこを分かっていて、あえて鬼柳が管理している透耶の写真を選んだのだ。
 この写真を見せたところで透耶の反応は予想できる。
 透耶がやっと一人になったところでこちらに呼んで、パンフレットを見せ、経緯を説明し、エドワードの名前を出さずに感想を求めると。
「エドワードさん、相変わらずだねぇ」
 だった。
 たぶんそうだと思ってた。うん、思ってた。あっさりと言うと思った。
「あれ? でも恭の方は鍵かかってなかったっけ?」
「かかってたし、無理矢理開けた様子もなかった。だからこうなるまで気がつかなかった」
 正直に言うと透耶はふうっと息を吐いて言った。
「エドワードさん、やっぱり恭マニアだよね……」
 そんなしみじみ言われると、もの凄く気持ち悪い。
「やめんか」
「いやだってね。風景の方、俺が管理してるでしょ? あれ欲しいって言うから、どの写真か決めてくれたら現像を恭に頼みますって言ったらなんかがっかりしてたんだよ。あれネガごとごっそり狙ってたよ絶対。だからそんなことしたら、俺が怒りますけどって言った。もちろん俺が管理してるから、エドワードさんが帰った後、全部確認して無くなってるのがないか調べたけど、潔白だったよ」
 にっこりして言うものだから、鬼柳はがっくりした。
「……潔白じゃなかったな。思いっきり盗んでやがるし」
「うーん。今度からエドワードさんの怪しい行動には気をつけよう」
「……」
「だって、俺の風景写真盗まれたら何するかわかんないし」
 そうだろうよ……透耶はそうだろうよ。
「こっちの方はいいのか?」
 とりあえず聞いてみると透耶はあっさりと言った。
「そっち恭の管理だから俺知らない」
 にっこりして言われたら鬼柳もどうでもよくなってきた。
「えっと、何? これ困るの?」
 呆れた顔をしている鬼柳と写真を見比べて、透耶はやっと写真に興味が出たようだ。
「いや、これ自体はなんも困らない。撮ったのが俺だって分からないようにクレジット出してるし、モデルが透耶だって分からないしな。ただ、うちの会社の奴らが透耶に話をしたくなる展開にはなってる」
 鬼柳がそう言うので透耶が二人を見ると、目が期待の目をしている。
「えっと状況が掴めません……これがあったら俺が困る展開な訳?」
「そうなってる」
 キョトンとしている透耶に向って二人は熱烈に語り出した。
「鬼柳さんは風景写真を沢山撮っているそうですね。その写真見せてもらえませんか?」
「その写真がこんな風によかったら、是非写真集を出してみたいんです! 出版社に持ち込んだらきっと興味惹かれると思うんです、絶対に!」
 ポカンと透耶はそれを聞いて、隣にいる鬼柳を見る。
「よかったね。写真集出せるんだ」
「いいのか? 風景写真は透耶の管理してるもんだし、俺が口出しすることはないから透耶がそうしたいならすればいいし、俺の方で透耶関係を出せと言われたら、俺はちょっと喜んで出すかもしれないぞ」
「…………………………はい?」
 全力で分かりませんとばかりに透耶の頭の上にははてなマークが沢山浮かんでいる。
 大体鬼柳の写真集の話だったはずだ。そこにどうして写真を管理しているだけの透耶が絡んできているのか分からないし、その中に透耶の写真が入ることすらも意味不明だった。
「例えばだ。風景だけってのはちょっとつまらない。あちこちで撮ったのを載せるだけじゃ意味ないし、テーマを決めてやらんと滅茶苦茶な構成になるからな。で、基本的にちゃんと数があるのは、沖縄で撮ったやつなんだ。そこでアクセントみたいに同じところで撮った透耶の写真を入れたりする。もちろん、顔は微妙に見えないやつどころかほとんど隠れて口元だけってのがいいかもしれない。何にもない中に透耶の姿がちらちらする構成で、結局最後までモデルが透耶だって分からないまま終わる。当然見ているやつは気になって仕方なくなる」
 鬼柳がそう言い切ると全員が黙ってしまった。
 かろうじて言葉を口にしたのは透耶だ。
「…………何、その微妙に俺主役みたいな変態構成」
「俺を巻き込んでやるんならここまでやれっていう話だ」
「巻き込むも何も、恭の風景の写真集じゃないの?」
「だから、風景の写真は透耶が管理してるんだから、透耶が指示を出せばいいってこと。俺、風景だけなら関与しないから好きにやれば?」
「…………え? どういうこと?」
「簡単に言えば、風景写真のネガから全部、俺のものじゃなくて、透耶のものなんだ。だから権利は透耶にあるし、著作権とやらも透耶にある。エドももう知ってると思うが、風景写真は全部透耶が著作権者になってるんだ」
「…………えっと勝手にそう言われても困るんだけど?」
「まあ、透耶が混乱するのは当然か。言ってなかったもんな。1年前にアメリカに来て書いた種類の中に、風景写真についての著作権は全部透耶に寄贈するっての作ったばかりだしな」

 にっこりとしてそんな大事な話をついでとばかりに言われた透耶は、暫く呆然とした後、信じられないものを見るように鬼柳を見てから言った。
「なんでそんな一番大事なことを最初に言わないの? それにそんな話、受け入れられません! 俺は管理してるだけです!」
「そう言っても俺に著作権があるからあの写真全部捨てるぞって言ったら?」
「捨てるなんて絶対俺が許さない! 恭でもそれは絶対に駄目!」
 鬼柳の言葉に激高して叫ぶ透耶に鬼柳はほらみろという顔をした。
「ほーら、俺にはネガ一つ動かせないじゃないか」
「す、捨てるなんて言うから!」
 大体あんな綺麗な写真をネガから捨てるという神経が分からないと透耶が怒っていると、鬼柳は尚も言い放つ。
「んじゃ、そっちの方に貸してネガ無くされたらどうするんだ? 俺は全然気にしないけど」
 そういうことだってあることはある。普通の写真家なら激怒モノの話だが、鬼柳はそうされたところで怒ったりはしない。無くしたのは自分ではないし、怒られるのは自分ではない。そういう会社を信用した自分が悪いのだと言って簡単に諦めて別の会社に管理を頼む。そうするだけの話だ。
「…………ん……」
「ん?」
「が、我慢するもん……そんな大事なの無くしたってことは、凄く不幸なことがあったってことだもん……無くしたくて無くしたり恭みたいに簡単に捨てるわけじゃないから」
 想像しただけでも泣きそうなのに、なんで権利が自分にはないというのだろうか……。
 鬼柳は仕方ないとばかりに泣きそうになっている透耶の頭を撫でて慰める。
「そういうこともあるって話だから。そう心配するな。この会社の連中は自分が殺されようと写真だけは守ってみせるようなちょっと頭がおかしい連中だから、絶対に無くしたりしないからな」
 鬼柳はそう言って透耶を慰めているが、聞いていた二人はそれはないんじゃ……という顔をして唖然とした後、鬼柳の透耶を見る顔を見て、思わず寒気がした。
 どうしよう、満面の笑みで慰めている。付き合いがあって約8年、この男がこんな風に笑っているところを見たことがなければ、誰かを慰めてるなんて信じられない事態が受け入れられない。
 そんなラブラブなところを見せつけられて、固まっている二人を置いて、鬼柳はさっさと話を中途半端にしてしまうと透耶を連れて部屋に戻ってしまった。
「……また誤魔化されたんですね」
 一人が言うともう一人もうんざりとして言う。
「あの人はいつもああだったな……」 
 相変わらず、自分に興味のない話はのらりくらりと話をそらして逃げる。そういうところは変わっていない。
 今回の写真集の話だって全然興味なかったに違いない。だが重要なことは、鬼柳は嘘で話を誤魔化したりしないということだ。今回の話に使った著作権の話は本当だろう。鬼柳の自分の写真に対する態度ははっきり言って正気の沙汰ではない。必要ない写真が出来ると写真家に返すのだが、この人に返したが最後。本当に捨ててしまうからだ。大事に保管なんてしやしない。
 なんで捨てるのかを聞いたら当然のように言うのだ。
「は? いらねえっていったじゃねーか。俺だって荷物になるからいらねー」
 という信じられない言葉が返ってくるのだ。
 この人は引っ越すたびに適当に溜まっていた写真はゴミとして出すような人なのだ。
 しかし、その恋人が写真に惚れていて、大事に管理してくれていることは有り難い。しかも鬼柳からその恋人に著作権が移ったというなら話は簡単だ。
「おい、あの恋人の方を落とせば、写真は預けて貰えるぞ」
「……ふむ、恋人の方はずっと日本にいるんでしたよね?」
「ああ、そうだ。口説くならのらりくらり逃げる相手より、その写真を大事にしている方が落としやすい!」
「なるほど。それもそうだ」
「大体だ。こんな写真撮れるくせに、趣味程度なんて言うようなあの人の言葉を真に受けてきた我々が馬鹿みたいじゃないか!」
「ええーそこ?」
 8年も騙され続けた方は、とにかく許せないらしい。
 しかし、彼らはその後、鬼柳恭一という人間が唯一人間の様子を撮って、まだカメラを始めたばかりだというのにある賞を獲っていた事実を知ることになる。
「まったく……あの人は人をおちょくって楽しいのか!!」
 会社に所属するには断然有利なその賞のことを隠す理由がさっぱり分からない。だが、彼が隠したりするような人ではないことは知っている。
 そう言う彼らに鬼柳はきっと本当のことをあっさり教えてくれるだろう。
 それもとても下らない事実を淡々と一言で。
「悪い、忘れてた。だがそれって重要なことなのか?」と。