switch

switch外伝6 We can go 18

 鬼柳とユージン、そしてエドワードの昔話をユージンから見た視点で語られて、透耶は始終笑顔になっていた。とても面白い関係だったし、ユージンも変わらず妄想を続け、そして10年ぶりに会ったというのに鬼柳も変わらずそれに対応していたことが、透耶としては純粋に面白かった。

「そんな昔話をするために呼んだのか?」
 鬼柳からすれば一体何なんだという話なのだが、透耶の方は興味津々で困っているらしい。

「いや、そういう訳じゃないんだ。これはついでみたいなもんで……実は、俺、結婚したんだよ」
「へーそりゃおめでとう」
 鬼柳はユージンが結婚したと聞いても別段驚きもしない。ユージンの年齢からすれば結婚はちょうどいいくらいだろうし、していて当たり前のことだ。

「そうそう、ソフィアと」
「……ああ? ソフィアって、お前、カルヴァートかよ?」
 鬼柳はソフィアの名を思い出すと、不審な目でユージンを見て言った。

「うん、旧姓はカルヴァート。恭一もよく知ってる人だよ」
「お前、よりにもよってソフィアなんぞ選ぶんだ……」
 鬼柳があまり人の結婚について興味がないように見えたが、明らかに結婚相手の方には不満があるらしい。
 その様子に透耶は首を傾げて鬼柳に聞く。

「そのソフィアさんはなんでよりにもよってなの?」
 その質問に答えたのはユージンの方だった。

「彼女、レズビアンだったからね。恭一は彼女とは知り合いだから、その辺は詳しいけど」
「れ、レズビアンの方って……男の人と結婚するものなの?」
 透耶は自分の常識が間違っているのかと不安になって鬼柳に尋ねた。

「普通はしない。ソフィアの場合、男性嫌悪が酷かったから、出来るとは思えなかったが……」
「その辺はソフィアに聞いてみてよ。あ、やっときた」
 ユージンがそう言って手を振っている。その方向を見えるとスーツを着た女性が慌てながらやってきていた。ユージンの姿を見て笑って手を振っている。

「……お前の目的は、自分が俺に会うことじゃなくて、ソフィアに会わせることだったのか……」
「まあ、そういうこと」
 鬼柳が地を這うような低い声で言うと、ユージンはあっさりと答えた。

「はーい、そこの人でなし。久しぶりね」
 ソフィアがテーブルまで来ると、彼女は物騒な笑顔を浮かべて鬼柳を見て言った。

「随分時間かかったね?」
「あーうん。子供預けてくるのに道が混んじゃって混んじゃって。それにあなたの妄想にも時間はかかるだろうしと思って、この時間でちょうどいいかなって」
 ソフィアはそう言ってユージンの隣に座った。メニューをさっそくみて紅茶を注文した。そして鬼柳をじっと見ると話しかけてきた。

「恭一ってば、あんま年取った感じしないわね。なに、その若作りっていうの?」
「てめーこそ、なんだその化け物みたいな化粧。相変わらずだな」

「化け物って失礼な。女は誰でもこうするわよ。もちろんクレアもね」
「お前、まだそのこと恨んでるのかよ」

「もちろん、私を盛大に失恋させてくれた挙げ句、クレアも失恋させてくれた貴方を恨んでも問題はないと思うわよ」
 懐かしの再会どころか、毒の応酬だったので透耶は唖然とした。
 ユージンを見るとにこりとしているので、どうやら鬼柳とソフィアの間には何かお互いを嫌悪するような流れがあったようだ。

「失恋と言ったって、クレアが勝手に趣向替えしただけじゃねーかよ」
「そのレズビアンのクレアを健全に恋させておいて、こっ酷く振った貴方が言わないでよ」

「酷くも何も、クレアはお前を裏切った上に、俺にコナかけてきたんじゃねーかよ。それを振ったところで俺の意思だろうが。大体クレアは好みじゃねーんだよ」

「好みじゃないにしても振り方っていうのがあると思うのよ。あの後クレアは泣いちゃって半分引きこもっちゃったじゃないの!」

「そうやってお前を裏切っておいて、クレアは性懲りもなくお前に泣きついたっていうのか? 頭おかしいんじゃねーの? その時、失恋したのも裏切られたのもお前じゃねーかよ。酷いのはどっちだ」
「貴方に人の頭のおかしさを語られたくないわ!」

「その頭のおかしな俺からしてもおかしいんだから仕方ないだろうが」
 鬼柳とソフィアが言い合っている内容を透耶は聞いていて、あれ?と首を傾げた。

 ソフィアの言い分は、鬼柳がクレアを振ったことを責めているが、鬼柳の方はクレアがソフィアを裏切ったことを酷いと言い返している。

 ソフィアがレズビアンで、クレアもそう。そしてクレアの相手はどうやらソフィアだったらしい。けれどクレアは鬼柳に惚れて、ソフィアを裏切っていた。なのに鬼柳に振られたら、またソフィアに泣いて縋ったらしい。

 確かに酷さで言えば、鬼柳の言い分の方が通るような気がする。

 クレアはソフィアと付き合いながらも、鬼柳に惚れて、鬼柳と付き合おうとしていたということだから、鬼柳がそれを知っていたとしたら、当然裏切っているクレアを快く思うはずがない。

 酷い振り方と言っても、鬼柳からすれば普通の振り方だったろうし、セラの振られ方を知っていれば、確かに酷いが、鬼柳なりに一応のポリシーはあるみたいだ。

 基本的に鬼柳から女性に声をかけることはないから、当然クレアに声をかけていた訳がない。
 しかも相手はレズビアンだと知っていたし、ソフィアとも付き合っているのを知っていた。

 鬼柳が女性問題を起こした時、当然あるだろう問題は一度も聞いたことはない。
 そう、相手の女性や男性の、付き合っている相手と問題を起こしたことがないのだ。

 鬼柳のポリシーの中で、誰かと付き合っている人は、寝ることすらしないというのがあるのだろう。
 だからこそ、そのポリシーに反したクレアは鬼柳からすれば許されない人間だったに違いない。

 いや、まあ、鬼柳の方も誰とでも寝るというモノだったと見られているようだし、相手が勘違いしても仕方ない状態だったのかもしれないけど。

「あのさ。恭からしたら、ソフィアさんを裏切っていたクレアさんは許されないんだよね?」
 透耶がそう口を挟むと、鬼柳とソフィアがこっちを向いた。

「クレアさんはその時、まだソフィアさんと付き合っていて、恭はそれを知っていた。だからどうしたってクレアさんの告白は二重に駄目だったんだ?」
 透耶がそう言うと、鬼柳は頷く。ソフィアはキョトンとした顔をしていたので透耶が続けて言う。

「だからね。恭からすれば、クレアさんはソフィアさんの恋人なんでしょ。その恋人と別れたわけじゃないのに、恋人にバレないように趣向替えをした挙げ句、ソフィアさんと付き合っていることを知っている恭に告白をしてきた。この時点で恭からしたら、十分許されないことだった。もしクレアさんがソフィアさんと別れていたとしても、恭は今はっきりとクレアさんは好みじゃないって言っているから、どっちにしたってクレアさんを受け入れることは出来なかった。だから結果は見える、どっちにしてもクレアさんは振られてたってことじゃないの?」
 透耶がそう言うと、鬼柳は頷いている。やはりそうだったのかと透耶が納得していると、ソフィアがそれに猛然と噛みつく。

「だからってあんな振り方することないじゃない! お前面倒くさそうだから無理ってどういうこと!?」
 そう言われて透耶は考えた。

「えっと、クレアさんって、なんというか守ってやらないと駄目とか、誰かが付いててやらないと駄目とか、遊び慣れてないとか、男の人に夢見ているようなところってあるんじゃないかな?」
「そうだとしたって振り方っていうのが……」

「確かに恭の振り方っていうのは問題はあると思う。けど、そうした人だっていうことは大抵の人は知ってたんじゃないかな? 取っ替え引っ替え、去る者は追わず。そういう酷さを知っていて、付き合いとしてほとんど寝るだけというのが分かってないと、恭と付き合うのは無理だと思う。そういうのと正反対であるクレアさんは、もし恭に受け入れられたとしても、そういう態度の恭に耐えられるわけがない。だったら恭としては、酷く振って二度と近づかないようにしてやるしか方法はない。情けを向けたら勘違いされてしまうし、何より恭はその時、ちょっと怒ってたと思うから、余計に酷くなっちゃったんだと思うし」
 透耶がそういうのでユージンが不思議そうに聞き返してきた。

「何故その時恭一が怒ってたって分かるんだい?」

「だって、恭はさっきも言ってた。クレアさんが恭に告白して振られたら、裏切っていたソフィアさんに泣きついていたって聞いたら、頭がおかしいって、今でもそのことを怒ってるから」

「……えーっとそうすると、恭一はソフィアの心配をしていたってことになるんだが」

「そうでしょ? 恋人だったはずの人に、レズビアンで男の人は苦手って言った人が、自分を差し置いて男に告白した挙げ句、振られたことを馬鹿正直に告白して、その恋人に泣きついてるんだもの。クレアさんもショックだったかもしれないけど、そんなことを打ち明けられたソフィアさんは二重に傷つくことになってるじゃない。それを恭が怒ったとしても普通だと思う」
 透耶がそう言い切ると、ソフィアが鬼柳をじっと見て言う。

「あんたがクレアのこと嫌いな理由って……」
 その言葉を受けて鬼柳は淡々と言う。

「俺らの前で散々男なんてって言って、レズに走ったくせに、恋人がいる分際で俺なんかに告白してくる、その矛盾たっぷりの思考回路が気持ち悪いんだ。あいつがバイだっていうならまだ話は通ったかもしれないが、俺だけ特別だからっていうのも訳分からんし、理解出来ん。まあ、そのお陰でお前は真っ当になったっていうなら、その矛盾行動はよかったんじゃねーの? 思春期によくある、勘違いを脱出出来たんだし」
 そう言って鬼柳は煙草を吸う。そのゆったりとした行動を暫くソフィアは見ていたし、ユージンもびっくりしたように鬼柳を見ていた。
 どうやら彼らには鬼柳の割とまともな考え方が驚くほどだったらしい。

 鬼柳には鬼柳の考えがある。その許せない部類は、普通に生活をしている人にとっても普通にクレアの行動を見たときには眉を顰めるであろうものだったからだ。

 もしクレアがレズビアンじゃなかったとしても、恋人がいるのに他の男に惚れたとして、その恋人と別れたわけでもないのに好きな相手に告白し、振られたからと言って、恋人にそれを報告して泣きつくというのはどう考えてもおかしいし、恋人は怒っていい立場だろう。
 その立場であるソフィアがクレアを庇う理由が鬼柳には理解出来ない。

 そのポリシーがあったとしたら……。

 透耶はふと考える。あの時、透耶に恋人がいたとしたら、鬼柳はどうしていたのだろうか?
 そう思って鬼柳を見ると、ばっちりと目があった。

「残念だが透耶。あの時はそんなポリシーなんてぶっ飛んでたから考えるだけ無駄だ。それに抱いた時に透耶にはそういうのが居ないってすぐ分かったからな」
 にやりとして言い切られて、透耶はさようですか……と呆れた。

 そういえば、鬼柳の相手をしてきた女性にしろ男性にしろ、
ある意味プロの方ばかりで、素人には手を出したことはないと言っていた。特に透耶のような面倒がかかるような素人は、鬼柳にとっては鬼門にあたり、それなりの覚悟が必要だったと言っていた。しかし、この男、そういうことをぶっ飛ばして手を出したらしいので、ポリシーがあるんだかないんだか微妙なところだ。

「そういう訳があったってことなら、仕方ないか……クレアにはその後結構苦労させられたし……」
 そう言ってソフィアがふうっと息を吐いた。

「散々お前に世話になっておきながら、お前が幸せになろうとしたとたん、いきなりなんでお前だけ幸せになるんだよって言い出して、ストーカーになったとかだったりしてな」

「なんで分かるのよ……」
 鬼柳はソフィアとクレアのことをどうやら十分に把握していたらしい。特にクレアの性格に至っては十分把握していて、その後の行動まで予測出来てたようだ。さすがに相手を見極める能力が高いだけあり、危険を回避するのは昔から得意なようだ。

「ああいう自分だけ不幸だからとか、自分で周りを振り回しておきながら、そうした態度が嫌われているのに気付かないヤツほど、身近の人間が幸せになろうとしたとたん、それまで世話になっていたことすら忘れて、相手を憎む性格なのは、見てて分かったからな」
「……あんた、まさか最初から知ってたわけ?」

「その俺に振られた云々の後、俺も暫くあいつに付けられてたしな。それを見てた馬鹿なケビンが勘違いしてあいつを慰めてやったら、今度はケビンのストーカーにチェンジだ」
「あのケビンが大学辞めて田舎に帰ったのって、そのせいなの?」

「ああ、ハウスまで入れないからって油断してたら、大学にいる間ずっと付けられて、とうとうハウスの外へ出られなくなったんだ。で、大学辞めて遠くのシスコの大学に入学し直したらしい。怖いから居場所は絶対に教えるなって言われてたな」

「ちょっと、なんでそんな状況であんたは平気なのよ!」

「俺の家には日中は執事が居たし、ストーカーと言っても教室と教室の移動中に見られてただけだしな。変な手紙貰ったって捨てればいいし、悪戯電話がかかってきたりしたってその電話番号拒否の設定すればいいし、そもそも俺が家の固定電話に出ることはないから、相手の諦めも速かったし。俺の悪い噂流そうたって、それ以上に悪い噂流れてるから、レズの女振ったくらいの話だったら誰も気にしないしな。なんの問題もない」

 ……問題ありまくりなのに、全部余裕でスルーしてたのか……さぞかしストーカーし甲斐のない男だっただろう。

 ストーカーは基本として気付かれないようにするのが最初の入り口だ。そして段々思いが募っていくと相手に自分の存在を認識して貰いたくなる。だが、鬼柳の場合、とっくに相手は認識してるが、その存在そのものを完全に無視する能力が高いので、存在を誇示してもあまり意味はない。

 それに鬼柳の周りにいる女性は、みなプロ並みの人たちだったらしいので、そういう鬼柳関係で脅迫を受けても、大した打撃でもなかったようだ。
 鬼柳に報告したところで、鬼柳はふーんだったろうし、それからそこへ通わなくなるだろうが、相手は一人ではなかっただろうし、何人いるのか分からない女性関係を洗うのもストーカーには大変だったろう。しかもこの男のことだ、途中で尾行を撒いたり、簡単に姿を隠すようなこともできていたに違いない。だから、クレアごときの素人ストーカーは気になりもしない存在だったのだろう。
 透耶は呆れた顔で鬼柳を見ていた。ソフィアもユージンも呆れている。

「ど、どうりでストーカー対策の時、宝田さん、対応に慣れていたわけだ」

「宝田は家を守るためなら何でもするしな。電話なんてすぐに相手がストーカーだと気がつくと、対応待ちの音楽鳴らして一時間くらい放置するのも慣れてたしな。透耶の時も電話くらいだったら、俺が相手せずとも、宝田一人で余裕でなんとでもやれてるだろう」

「も、もしかして、時々受話器が電話の横に置いたままになってるのって……そうしてるの?」

「当たりだ。透耶に用事がある人間で固定電話にかけてくる相手ってのは、出版社関係くらいだ。透耶の携帯は番号をよく変えているから、足が付きにくいし、番号晒されてもいつの時の番号なのかも把握できるから、漏れた先もすぐ分かる」

「……携帯の番号変えるのがそんなことに役立っているとは思わなかった……」

「漏れた先に固定電話の方を教えるのは、通知された番号で相手を特定してこっちから弾く目的があるんだ。非通知は論外だし、非通知だったら電話は鳴らない設定だしな。悪戯電話だったらある程度溜まったら通報出来るし、透耶の携帯じゃ透耶が隠すし、為にならんことはこっちも学習済みだ」
 鬼柳がニヤッとしているので透耶は冷や汗ものだった。

 悪戯電話が一時期連続した時、透耶は非通知でも電話を取っていた。それに気をよくした相手が頻繁にかけてくるようになって、透耶が困惑しているのに宝田がすぐに気付いた。

 そこで鬼柳が宝田に伝えた作戦で、相手を割り出す作業に携帯の番号を変えて、ある出版社に固定電話を伝えて一日か二日後に悪戯電話が掛かりだしたことで、出版社の電話番号の管理が杜撰だったことが分かり、悪戯電話をしてきた相手も特定できて、相手が起訴された事件があったのだ。

 今では透耶の家の固定電話はある意味、こっちの張った罠だというのが一般的な認識だそうだ。

「それで、クレアはどうなってる? まさかそのまま結婚式までスムーズに済んだなんてことはないだろう?」
 鬼柳が話を元に戻すと、二人は顔を見合わせて困っていた。

「一応騒ぎは起こしてくれたけど、クレアの両親が謝罪に来て、彼女、精神病院の方へ入ることになったんだ。かなり精神的に問題があって、それから薬の常用も酷かったみたいで」

「ふーん。精神薬でも飲み過ぎて式に乱入、ラリってそのまま病院に拘置か。併用してドラッグでもやってたか?」

「……うんそう。たぶん何年かは出てこられないみたい。それにここからかなり遠いところの病院に転院して貰ったんで、こっちは何とかなるかなと」

「で? 俺にそれの何が関係ある?」
 鬼柳はそう返していた。今更クレアがあの後どうなったのか聞かされても何の感情も浮かばないし、そもそもこれに自分が関係しているとは思えない。無関係の鬼柳にそういう話をするからには何か理由があるはずである。

「あーうん。今更なんだけど、恭一が何者なのかって向こうの両親が言ってきて……それで何なのかって聞いたら、どうもクレアが恭一の名前を出して、その……婚約してるとか言ってるらしいんだ」

「……はあ?」
 さすがにこの言葉には鬼柳も訳が分からない。
 透耶もキョトンとして次の言葉を待った。

「いやもうこっちも仰天したんだよ。さすがにそれはないって。大体こっちも恭一が大学を出てからの行き先は知らないし、10年経ってるしで、なんだって恭一のことが出てくるのかってびっくしたりして」
 その話が出た時、ソフィアは当然驚いたし、ユージンも驚いた。そこで二人はお互いが大学時代に鬼柳恭一の知り合いであることを初めて知ったのだそうだ。

 ユージンはソフィアの話からやっと鬼柳とクレアの繋がりを知った。だが、それでもソフィアもユージンも、そしてクレアも10年、鬼柳恭一の名を出したことはなかったから寝耳に水だった。

「それで?」
「向こうの方の病院で分かったことなんだけど、彼女子供産んだらしいんだ……」

「へえ、それが俺の子だって?」
「……えっと、そういう話になってきてて、恭一に連絡を取りたいとか。子供の父親なら責任があるだろうと……」
 ユージンは話ながら、そんなことはないだろうと思っているようだが、クレアが子供を産んだことは事実なので、色々困ったことになったと思っていたらしい。

「ふーん、ラリった女の子供を押しつけるか、金取るかの目的だな。まあいいや、俺のことは教えてもいい」
 鬼柳はそう簡単に言うものだから、ユージンとソフィアは拍子抜けした。

「へ?」
「鑑定出すまでもない。俺の渡航記録見れば一発で証明できることだ。クレアの子は何歳だ?」

「えっと一歳になるかな……生まれたのが去年だから」

「ふーん、二年前に仕込んだことになるな。じゃあ、その時期にクレアが中東へ渡航してないと話にならんな」
 鬼柳はニヤッとしてそう言い切った。

「中東?」
 いきなりそんな場所が出てきたのでユージンもソフィアもキョトンとしている。

「俺、報道カメラやってんだけど、ほとんど中東に仕事で出かけてるんだ。二年前って言ったらちょうど中東の危機とかで、ほとんど日本にも帰れなかったんだよな。それにクレアが中東に来るのも無理だな。ちょうど俺らが入国した直後に空港が閉鎖されて、かなりの騒動になってたから、渡航の許可が出るわけがない。報道陣でもない一般人の渡航はレベル4が出てたからな」

「レベル4って?」
 ユージンとソフィアが声を合わせて尋ねた。そんな言葉はあまり聞いたことがないし、どれだけ危険なのか判断が出来ないからだ。

「退避勧告。現地に住んでいる人間にも隣国に退避してくれっていうレベル。国自体がまともに動いてないし、街中は戦場だから、国の玄関からこんにちわしたら殺されに行くようなもんだ。しかも俺らでも隣国に逃げるのに地上を案内されながら一ヶ月かかったくらいに混乱しててさ。そこで俺ら情勢見るために、4ヶ月暮らしたからな。その国から脱出するのに、捕まえられた飛行機はイギリス行きだしよ。やっと日本に帰ってきたのって、ちょうど年末じゃなかったっけ?」

「あ、うんそうだったね」
 透耶はそう答えながらも内心ではまさかこんなに大変な事態になっていたとは思わなかったので驚いてしまっていた。レベル4といえば、内戦どころかまともに国が機能してなくて、とにかく逃げろという内容だ。鬼柳が出かけてすぐに勧告が出たと言っている。確かにその時期、鬼柳からすぐに暫く連絡が取りにくい場所へ長期潜入取材に行くからほとんど連絡が出来なくなるとメールが来ていた。

 その後一ヶ月というもの鬼柳からの連絡はなく、やっと来たメールではいつものように振る舞ったメールが届いて透耶は安堵した。しかし、それから4ヶ月の間何度か連絡が取れなくなっては心配してを繰り返し、結局年末にやっと鬼柳が帰国した。
 その時の鬼柳は何度も連絡が取れなかったことを謝っていて、珍しく二ヶ月ほど家に居た。

「というわけで、8月から12月末まで俺のアリバイありなんだ。おまけにその年はアメリカに一回も渡ってない。2月から6月まで中東に居たし、7月の休みの間は日本に居た。しかも家じゃなくて日本のある地方に旅行へ行ってた。まさに家にいたのはニューイヤーだけという忙しさだ」
 そう言って鬼柳は自分の当時のスケジュールをすらすらと言ってのけた。

「……恭一なんでそんなの覚えてるんだ?」

「そりゃ恨みの年だからな。長くても三ヶ月までって言ってたのに、この年だけ5ヶ月二回も中東へ行きっぱなしだ。忘れてやるものか」
 鬼柳は本当にその年の忙しさを根に持っていて、ここのところ二ヶ月に一回半月ほどの休みを強引に取っている。ちょうど結婚式の前だけ三ヶ月出かけていたが、それも一ヶ月の休みを取るためだった。

「まあ、お前らが心配するようなことにはならないってことだ。向こうが何か言ってきても、こっちはちゃんと証拠も出せるし、それでも文句言うようなら名誉毀損で訴えてもいいしな」
 鬼柳はそう言ってにやっとしている。そうして財布から取り出したのは、一枚の名刺だ。

「俺のことで何かあったらここへ電話してくれ。うちの弁護士だ。話は通しておくんで、その後何か向こうから接触があったらここへ直に連絡を入れるように言って、今後お前達にこの件で連絡するなら、お前達は法的処置を取っていい。クレアにはストーカーされて式を滅茶苦茶にされているんだ。なんでそんなヤツの両親のいいなりになる必要がある? あいつらの謝罪が本当ならお前らに連絡してくることすら問題なんだぞ。クレアには散々迷惑をかけられている、これ以上その親である貴方たちにまで悩まされるなんて冗談じゃないって言ってやれ」

「……うん。その辺は考えてた。いい加減こっちもクレアのことは忘れたいんで。恭一がそう言ってくれるなら、そうするよ」
 ユージンはホッとしたように頷いた。
 彼からすれば、今更な名前を聞いて動揺していたが、やっと自分たちにはその心配すらもする必要はないと分かって、肩の荷が下りたようだ。

 その後は、クレアの話題を出すこともなく、普通の会話をして午後の休日を四人で楽しんだ。

 いきなり沸いた鬼柳の過去の関係者の問題で、鬼柳はさっそく弁護士に話を通し、鬼柳がファックスで送ったパスポートの内容を確認させて、ちゃんと管理局にも出入国の再確認をさせ、クレアの両親に連絡を取って貰った。

 最初こそ向こうの勢いは凄かったらしいが、こっちがクレアとの接触どころか、子供を妊娠させることが出来る期間に日本や中東に居たこと、そしてアメリカにその期間一年渡っていない証拠があり、クレアがパスポートを持っていないことも確認していることを告げると、向こうもさすがに黙り込んだらしい。

 鬼柳の名前はどこからか漏れ聞いて、鬼柳の父親が新聞社の社長で、祖父が銀行の頭取であることに向こうは浮かれていたらしく、肝心の鬼柳本人が10年も前から日本を拠点にして活動していることも知らなかったらしい。

 鬼柳は「どうせそんなことだろうと思った」と予想通りの反応だったのでつまらんという感想を漏らしただけだった。

 弁護士には今後クレアの問題でユージンやソフィアに連絡を取ることも辞めるように忠告してもらったようだ。親がクレアがしたことを本当に謝罪したのなら、その誠意を見せろとやったらしい。ソフィアからはクレアをストーカーとして警察に相談していた実績もあり、なんなら親共々接触することを禁ずる判決を出してもいいんだと言われたら、さすがに向こうも娘のせいで前科を貰いたくはなかったようで、黙り込んだそうだ。そこで温情を見せて、なんなら当時クレアが付き合っていたらしい、ドラッグの売人らしい子供の父親探しをやってあげましょうか?と言ったところ、ごめんだ!と叫んで電話は切れたそうだ。

 弁護士は暇なので一応クレアが当時付き合っていただろう男を捜しておくという報告があった。向こうがまた噛みついてきたら、本物を出してやろうというわけだ。向こうからすればさすがにこの件をひっくり返したくないだろう。鬼柳ならまだ金を取れる可能性があったが、本当の父親がドラッグの密売人だとしたら、集られるのはクレアの両親だ。

「案外、放っておいてもそのうち、その父親とやらが嗅ぎつけて実家にたどり着くかも知れないな」
 鬼柳がそう呟くので、透耶が首を傾げると。

「ああいうやつらはなんでか金の話になると、鼻がききすぎるんだ」
 苦笑した鬼柳が透耶を抱きしめた。

「悪かったな。まさかあんな話だとは思わなくて。透耶はホテルに置いてくればよかったって、何度も後悔した」
 鬼柳はそう言って謝ってくる。

「ううん、大丈夫。ちゃんと弁護士さんもついて、ユージンさんもソフィアさんも大丈夫みたいだし。恭も絶対に大丈夫だって教えてくれたから」
 鬼柳が弁護士との話を最後まで聞かせてくれたのは、ここで隠し事をしても透耶を余計に不安にさせるだけだと分かっていたからだろう。そうじゃなければ、ユージンが教えてくれたことさえ、鬼柳は綺麗に隠してしまっただろう。

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。俺は恭に関することなら何でも聞きたいし、知りたいと思ってるから」
 透耶はそう言ってギュッと鬼柳を抱きしめると、鬼柳はホッとしたように息を吐いた。

 鬼柳の過去は、自分でも今考えれば無茶をしていた。こんな問題が出てくる可能性だってあったかもしれない。アメリカでのことは問題にはならなくても、日本に居て透耶と出会うまでの間もまた無茶をしていたのは事実だ。

 しかし、透耶はそうやって鬼柳が無茶をして生きてきたことを否定しないでくれている。
 その先に透耶が居る事実があるなら、透耶はそれだけで嬉しいからと。

 透耶がそうやって今までも鬼柳の過去の問題を、そういう意味で捕らえていたことを知ったのは今回が初めてだ。確かに問題もあるし、常識としてもどうかと思っているだろう。それでも透耶は自分に繋がっている一つの糸であるなら、絶対に否定はしないというのだ。

 その言葉がどれだけ嬉しいか、透耶には分かっているのだろうか。
 透耶の言葉には沢山救われてきたけれど、最大の救いを透耶はとっくにしてくれていたなんて。

 なんて希望で、なんて美しい生き物なのだろう。
 自分をすくい上げてくれるのは、いつでも透耶なのだ。
 どうしようもない過去を忘れようとしても、それは追ってくる。自分の不甲斐なさを思い知るのと同時に自分は透耶にふさわしくないのではないかと思うことがある。

 それでも透耶は、それを聞いたとしても、鬼柳を拒絶したりしない。
 こうやって抱きしめて、愛しているからとずっと静かに呟いてくれる。
 大丈夫。一緒に生きていくのだから、何があっても大丈夫。そんな覚悟とっくに出来ているよと何度でも教えてくれて、手を引いて前へと導いてくれる。
 なんて愛おしい存在なのだろうか。
 ニコリと笑ってキスをしてくれた透耶は、その問題はその後気にするような素振りは見せなかったので、鬼柳もそれ以上蒸し返すことはしなかった。
   
 だが問題はこれだけではなかったことを鬼柳はその後知ることになる。