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switch外伝6 We can go 22

「なんだ、結局戻ってきたのか」
 家に戻ってチャイムを鳴らすと光琉が出迎えてくれた。さっきの電話の様子からたぶん戻ってくるだろうと思っていたらしいが、連れが一人増えているのには驚いていた。

「えっと……誰?」
 透耶が手を繋いで入ってきた老人を見て、光琉が呆気にとられている。観光に出ていたはずの透耶が妙な電話をしてきた思ったら、変な老人と一緒だったからだ。驚くなという方が変だ。

「淳一さんです」
「淳一じゃ」
 透耶がさらっと紹介して、老人もさらっと名乗る。
 透耶はそれだけ言うと、部屋を突っ切ってピアノがある部屋に向かった。それに老人も付き添う。
 鬼気迫った様子の透耶に光琉は突っ込む暇はなかった。

「そういうことじゃなくてな……ヘンリーさん?」
 光琉がヘンリーに尋ねると、ヘンリーも苦笑している。まさか迷子の老人と話していて、透耶たちの曾お祖母様の名前が知りたくなったのが理由だと言うにはちょっと行動が異常だからだ。

「ほら、さっき電話した用件。あの名前が知りたくなった原因があのお爺さんなんだよ」
「ああ、曾お祖母様の名前がどうたらのやつか……え、まさかあの爺様は曾お祖母様の知り合いなのか?」
 光琉は説明を受けてそう想像したが、まさかこんなところで曾お祖母様の知り合いに出会う可能性がほとんどゼロに近いことだから驚いている。

「いや、それが名字は覚えないわ、70年前の話だわ、それに持ってるのが写真一枚で名前が志帆さんで、京都に住んでいたということしか分かってないんだけどね」
 ヘンリーは分かっていることだけ話すと光琉は真剣な顔をして聞いた。

「……写真が問題か。そんなに似てたのか?」
「そう。透耶がお祖母様だって一度は間違えたくらいだから。でも70年前で18歳じゃ、お祖母様はないだろう?」
 ヘンリーがそう言うと、光琉も逆算してあり得ないことは分かった。70年前に18歳だとすれば、それは必然と曾お祖母様になってしまう。

「ああ、そうだな。その70年前に18歳だとすれば、今88歳だしな。俺らのお祖母様が生きていたとしても60歳になるかならないかだ。そうなると曾お祖母様くらいしか思いつかない」
 光琉がそう言うとヘンリーも納得した。透耶が曾お祖母様だと言い切るのには光琉が言ったような事情があるからだ。
 
 その透耶はというと。
「綾乃ちゃん、頼もう!」
 ピアノの置いてある部屋に直行した透耶と老人。透耶は部屋のドアをさっと開けて中に入り、真剣な綾乃に向かってそう大声を上げた。
 真剣に弾いているとはいえ、大声で邪魔をされたらさすがの綾乃も眉間に皺が寄る。

「今良い感じだったのに、邪魔するのは誰よ!」
 綾乃がクルリと振り返って大声を出した透耶を睨み付けた。

「俺です! うちの曾お祖母様の名前覚えてますか!?」
 掴みかかりの喧嘩でもしそうな勢いで言い合いしながらも透耶が言った言葉を聞いて綾乃も怒鳴りながら答えていた。

「覚えてるわよ! 志帆さんよ! それがどうしたっていうのよ!」
 綾乃はあっさりと曾お祖母様の名前を言っていた。やはりあの爆笑集には名前も載っていたらしい。

「やっぱりそうか! 淳一さん、やっぱりうちの曾お祖母様が志帆さんって名前だったよ!」
 透耶は怒っている綾乃を放って置いて後ろにいた老人にそう言った。
 老人はふむと頷いて写真を取り出した。

「そうか……志帆さんのひ孫が透耶なのか……随分遅くなった約束だの」
 写真を見ながら老人は懐かしそうにそう呟いた。

「約束?」
「ああ、志帆さんはいつかアメリカに訪ねてきてくれると言ってくれたんじゃが、あの戦争の後じゃの渡航は難しくての。そうしているうちに70年も過ぎてしもうた」
 老人がそう言ったので透耶はあれ?と首を傾げた。

「えっと、淳一さん、日本から観光に来たんじゃなかったんですか?」
 途中でそれを確認してなかったので、話がおかしくなってきた。

「何を言っておる。わしは元々アメリカに住んでおるぞ。それに志帆さんを誘った時からずっとアメリカに居る」
 そういえば老人はアメリカへ渡る時に志帆さんを誘って振られたと言っていたではないか。だったら日本大使館に電話をかけても老人の迷子なんて人は出てこないわけだ。
 透耶はてっきり一回はアメリカへ渡ったが、日本に戻って暮らしていた人なのだと勘違いをしていたようだ。

「え……じゃ観光迷子じゃなかったんだ……」
 この事に気づけなかったことに透耶ががっくりとすると、怒っていた綾乃があれ?と首を傾げた。

「淳一さんって……志帆さんをアメリカに誘ってきたおませな子供のこと?」
 不思議そうに尋ねられて透耶は驚く。

「え……綾乃ちゃん、なんでそのこと」
 透耶が驚いて振り返る。だが綾乃も事情が分かってないのでキョトンとする。

「え、だってそのこと聞きたかったんじゃないの? 志帆さんの逸話ってその淳一くんの話が多かったし、え? 違うの?」
 綾乃もキョトンとして透耶を見て、そして二人してあれ?なんの話だったっけ?と首を傾げてしまった。
 どっちも一方的に話を進めていたので食い違いが出てきたのだ。
 そこへ光琉がやってきて綾乃が普段の様子に戻っているのを確認してから言った。

「まあ、そこで話すのもなんだから、居間に移動な」
 そう言われたので透耶は老人を連れて居間に行き、綾乃もピアノを片付けて駆けつけてきた。
 ソファに座った老人、淳一はニコリとして光琉からお茶を受け取っている。

「いやいや、まさか志帆さんのひ孫さんたちに会えるとは思わなかったのう」
 淳一一人は最初からこの流れを分かっていたように呟いてのほほんとしているが、周りにいる淳一が何者が分からない光琉と綾乃にさっきあった出来事を話して聞かせた透耶もやっと流れが分かってきた。

「偶然にしても凄いな。たまたま側にいたご老人が、曾お祖母様の写真持っていたってのも」
 光琉はそんな偶然あるものなんだと不思議がっている。これが日本であったらまだ納得は出来なくても偶然という言葉で片付けられた。

 だがここはアメリカでしかもロス。本当は透耶は来る予定はなかったし、来てなかったら淳一とも出会わなかっただろう。

 そして鬼柳が一緒だった場合も観光することに夢中になって淳一に気付かなかったかもしれない。鬼柳の変わりに一緒に行ったのがヘンリーでなければ老人の存在にすら気付かなかったかもしれない。
 様々な偶然が重なって、曾お祖母様の知り合いに出会ったことになる。

「うわ、本当にお祖母様の写真見てるみたいだな」
 光琉は淳一から写真を借りて自分の曾お祖母様を見て驚愕していた。いくら自分たちが顔が似る一族だと分かっていても、昔は少しは違ったかもと思っていたのだが、これによって見事に一致することが確認された。
 曾お祖母様の時代は写真に撮ることはほとんどしてなかった。時代が時代で写真を気軽に撮るということは難しかったからだ。

「それで、綾乃。志帆さんの逸話とやらは何なんだ?」
 光琉が話を進めると、綾乃は思い出して言う。綾乃が読んだという玲泉門院家爆笑逸話集の中の一つである。

「うん、志帆さんは求婚した10歳の少年淳一くんを振ったんだけど、淳一くんは諦めることなく、いつかアメリカに訪ねてきてくれって住所を書いた紙をくれたらしいんだけど、志帆さんがその後結婚して、初めて手紙を出したらしいの、でもそれ宛先が不明で戻ってきたんだって」

「なんで?」
 透耶がそれを聞き返すと綾乃はふふっと笑って言った。

「住所が間違ってたらしいの。調べて貰ったら、ちょっとだけ間違った住所だったとか」
 確かにそれでは手紙は届かないだろう。
 そう言われて淳一もハッとしてしまった。

「わしは間違った住所を志帆さんに教えていたのか……通りで手紙をくれるというておった志帆さんから手紙すら届かないわけじゃのう」
 淳一は暢気にお茶を飲んでいたが、まさか自分があの時渡した住所が間違っているとは思わなかったのだ。それじゃいくら待っても手紙は宛先不明で戻ってしまっている。

「志帆さん、その後落ち着いた後、住所を調べなおしたみたいだけど、戦後の混乱で淳一さん、何処かに引っ越しちゃったみたいで、結局分からなかったって書いてあったよ」
 綾乃がそう付け加えると、淳一はそうかと懐かしそうにテーブルに置かれた写真を見つめていた。

 志帆が手紙をくれると言ったのはただの社交辞令ではなかった。淳一が住所を間違えてしまった為に手紙は届かなかっただけ。それに戦後にまた手紙を出そうとしてくれた志帆は、淳一が戦争中に引っ越したことまで突き止めてくれていたが、結局見つけられなかっただけだった。
 志帆は淳一との約束をちゃんと果たしてくれていたし、戦争後の日本人の扱いが厳しかったアメリカにいる淳一のことを気にしてくれていたのだ。

「最後の日記に、アメリカに行く約束は守れなかったけど、大きくなった淳一くんと話してみたかったって書いてあったよ」
 綾乃はそれを思い出して淳一に伝えた。
 淳一は黙ったまま写真を眺め、こんな行き違いで二度と会えなかった初恋の人の姿を眺めていた。

「そうか……志帆さんは最後までわしのことを覚えてくれておったか……そうか」
 淳一は真相が分かって満足したように柔らかい笑みを浮かべて呟いていた。曾お祖母様が亡くなった頃はちょうどその日記が終わったところだ。遠出してそのまま事故にあって亡くなった。淳一と出会ってから30年くらい経っていたが、曾お祖母様はずっと忘れていなかったのだ。

「良かったですね、淳一さん」
 すでに70年前の話ではあっても、淳一には真相を知らせた方がいい話だった。そうすれば美しい思い出はそのまま残る。淳一が覚えているままの志帆がずっと淳一の中に残る。その方がいいに決まっている。

「そうじゃの」
 淳一は満足して微笑んだので、一同ホッとしていた。老人に哀しい顔をさせるのは忍びない。
 そうして淳一と志帆の騒動が一段落したところで、ヘンリーが透耶に向かってこそっと言った。

「透耶、実はさ、俺、この淳一って老人、どこかで見たよな気がして気になって仕方ないんだ」
 ヘンリーが淳一に見覚えがあると言い出したので透耶は驚いて聞き返した。

「でも、さっきまでそんなこと言ってなかったですよね?」
「日本の観光客だと思いこんでいたからね。でも、よーくみてると、どっかで見たようなという感じがしてきて」
 淳一が元々日本人なのは本人が言っている通りだろうが、70年前からアメリカに住んでいるとなると話が違ってくる。
 身につけているものが高級なものであるなら、何処かで商売か何かをしていて有名になった日本人として雑誌かテレビかで見たことがある可能性もある。特にヘンリーはエドワードとの付き合いもあるので、業界の有名人の顔をよく知っていたりする。

「というか、こっちに住んでいるなら、淳一さんも英語はペラペラですよね?」
 透耶がそう返すとヘンリーも頷いている。

「そうだよなあと今更ながらに思ってる。それだったら俺たちが喋っていたことは淳一さんは全部把握していることになるんだよな。となると、淳一さんが志帆さんと繋がりがあったとしても、アメリカ在住であることを隠す必要はなかったし、付き人と離れたとしても一人で家に帰れたわけじゃない? だったらなんで俺たちを引き留めたりしたのかという根本的な問題が残ることになる」
 ヘンリーがそう言ってきたので、透耶もやっとそれに疑問を持った。

「そういえば……そうだよね。なんで淳一さん、迷子だなんて言ったんだろう。70年もこっちに住んでいて、今更日本語であんなに怒鳴る必要はなかったよね? 英語だったらそこらあたりの人に道を尋ねることだって出来たし」
 透耶でもやっとではあるが淳一の不審な行動に疑問を抱き始めた。

 このまま淳一をここに置いておいてもいいのか分からなくなってしまった。ここに淳一を連れてきたのは透耶であるし、もし淳一に目的があったとしたら、あの写真も偽物である可能性もある。何か目的があってこっちに近づこうとしたという可能性も出てきた。

 透耶や光琉に近づくのには写真があれば簡単にできる。だが、目的となってくると透耶や光琉に近づく目的が見えない。
 淳一が何を目的としているのかが謎過ぎる為、透耶とヘンリーは他の二人にこのことをどう伝えるべきか迷った。
 ここでの有名人となると、当然綾乃だ。先週までのコンサートで綾乃はアメリカではかなりの有名人になってしまっている。

「どうしよう……」
 透耶が不安になって呟いた時、居間のドアが開いた。

「……まったく、あのくそじいい。人を3時間も待たせて何処行った…………」
 鬼柳がぶつぶつと最高に機嫌が悪い顔をして居間に入ってきたのだが、目の前に透耶やヘンリーがいることに驚いていた。

「なんで、透耶がここに? 観光はどうし……」
 だが、その視線は不自然な訪問者である老人に釘付けになっている。

「恭、早かったね」
 透耶は不安だった気分の中に鬼柳が帰ってきてくれてホッとして言ったが、鬼柳は淳一を凝視したあと信じられないとばかりに大声を出した。

「なんで、くそじじいがここに居る!」
 指を差して盛大に怒鳴って見せると、平和に話していた光琉と綾乃もびっくりして鬼柳の方を向いた。

「……くそじじい?」
 鬼柳が怖い形相で淳一を睨んでいるから、皆が淳一と鬼柳を両方を見ては意味が分からないと首を傾げている。

「よう恭一、随分遅かったのう」
 淳一がのほほんと鬼柳に手を振って暢気に答えるものだから鬼柳が更に鬼のような形相に変わった。

「ふざけるなよくそじじい! てめえ、人を呼び出しておいて、自分は暢気にお茶かよ!」

「ふざけておらんよ。ここに呼んでくれたのは透耶だからのう」

「はあああ? てめえ、何勝手に透耶に近づいてるんだよ!」

「お前の嫁じゃというからの、一度は会っておかんといかんじゃろ。どうせお前は連れてこないだろうと思ってのう」

「当たり前だ。じじいに会わせる必要は全然ないだろうが!」

「そうもったいぶるな。顔見るくらい減るもんじゃあるまいに」

「減る!滅茶苦茶減る!」
 鬼柳はそう叫ぶと、座っている透耶を抱き上げて引き寄せると淳一に噛みつかんばかりに牙をむき出しにしている。
 一同は何がなんだか分からずに静かに傍観しているが、この淳一と鬼柳の繋がりはいまいち分からないので静観している。

「お前の行動には秩序も何もあったもんではなかったが、目は確かだのう。志帆さんのひ孫さんを射止めるとは」
 淳一がのほほんと言って返すと、鬼柳は意味が分からずに噛みつく。

「なんだ、その志帆とか訳分からん名前出しやがって!」
「……えーと、それうちの曾お祖母様なんだ」
 鬼柳が怒鳴ったところで透耶は鬼柳にそう返していた。

「…………はああ?」
 ますます訳が分からないという顔をして鬼柳が透耶を見た。

「だからね……」
 透耶はなんとか鬼柳を落ち着けて、淳一が持っていた写真が発端でこうなったことを伝えた。
 鬼柳はそれを全部聞いて更に胡散臭い顔をした。

「だがな、透耶。このくそじじいがさっさと調べたら、その志帆ってのが透耶の曾お祖母様だかってのは分かったとは思わないか?」
 鬼柳がそう言うので透耶はポカンとした。

「え?」

「名字は知らなくても、あの時京都に住んでいて18歳でその写真の場所に通っていた女性を調べたら、玲泉門院家の人間だってのは、寺の住職からだって聞き出せたはずだ。じじいは写真だって持ってるんだろ? なら一発でどこのお嬢様なのか分かる。それにな、志帆という人が手紙を出してそれが戻ってきたとしてもだ。じじいから出してやりゃ一発で手紙の交流は復活しただろう?」
 鬼柳にそう真面目に語られて、周りはその可能性を全然考えてなかったことに気付いた。

「あ、そうか。曾お祖母様には分からなくても、淳一さんには調べられたんだ……そういえば、恭のお祖父様って、銀行の頭取だったよね?」

「ああ、日本人という立場を逆手にとって、ラスベガスで銀行だ。あそこはカジノの町だから、一発でのし上がるのはお手の物だっただろうし、その財力使って一部のカジノ経営もやってるから、じじいには簡単に出来たし、写真持つほど気にしていたなら、志帆ってのがどうなったのか調べさせたはずなんだ」

 鬼柳がそう言うので透耶はそうなの?と不思議そうな顔をした。どうして銀行経営やカジノ経営でのし上がった淳一が志帆に連絡すら取らなかったのか不思議になってきていたが、調べさせたというのが謎だった。

「じじいの時代のカジノっていえば、結構危険があったらしい。身内はもちろん、知り合いなんかを誘拐して金を脅し取る人間も多かった。だからじじいが写真を持つような人間がいるなら、当然そこもターゲットになる。所在を調べないわけがない。だからその子や孫に至るまでじじいは全部把握しているはずなんだ。だから今更白々しく、透耶がひ孫だったのか〜なんて言うじじいの言葉は、嘘なんだ」
 鬼柳が全部のタネ証をしてしまうと、周りはしーんとした。
 だが透耶はそれでやっと納得したような声を出した。

「ああ、だから日本語で怒鳴ってたのか」
 透耶がそう言ったものだから周りは全員がそこ気にするのかってポカンとした。

「透耶?」
 鬼柳がさっきの話の意味分かってるのか?と不思議そうにすると透耶は勝手に話し出す。

「だってあそこで英語を話してたら、淳一さんのこと知っている人にすぐバレてしまうし、もしかしたら誘拐されたかもしれないでしょ? あそこで日本語使って怒鳴っていたらただの日本人観光客かなってくらいで淳一さんのこと気にする人はいなくなる。それにあそこで堂々誘拐する人なんてなかなかいないし、俺たちが近づいてきたら日本語使えば、狙ってた俺たちには確実に近づけるよね?」
 透耶がそう言うので、鬼柳はそれが問題になってるんだろうと呆れた。淳一の目的は透耶に近づくことだったのだから。

「だから透耶に近づく為にそんな小細工したってことだろうが」
「うん。だからね。淳一さん、誘拐されなくてよかったねってこと言いたかったんだけど……」
 鬼柳の言うことと透耶の言うことはちぐはぐだ。

「透耶……あの場にじじいが一人でいるわけないだろう? 周りにはちゃんとボディガードだって配置していただろうし、誘拐なんてそうそうできない」
「うん、それは分かってるんだけど、自分の経験からというか、なさけないけど、絶対ってことはないでしょ?」

「まあ、確かに」
 透耶の場合、その隙間を突かれて連れ出された経緯がこの間あったばかりだから、鬼柳も否定は出来ない。

「だから、淳一さんが誘拐されなくてよかったね」
 透耶がそう締めくくると、鬼柳は怒っている自分がなんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。

「そうだな」
 ニコニコと笑って本当に良かったと言っている透耶に鬼柳は納得して透耶の頬を撫でた。
 いつでも自分のことではなく、相手のことも心配する。結果がどうであれ、透耶にとって淳一が無茶をしてまで自分と会おうとし危険を冒したことを気にしているのだ。

「あーそうか。どうりで見たことあるはずだ。銀行頭取でカジノを経営する、鬼柳淳一といえば、有名だもんな……そりゃ聞き覚えあるはずだ。鬼柳さんのお爺さんだもんな」
 ヘンリーはやっと鬼柳との繋がりが分かって、自分の中の不安が払拭されたことをホッとしていたが、それに驚いていたのは光琉や綾乃である。

「え? 淳一さんって鬼柳さんのお祖父様なの!?」
 やっと状況が掴めて、納得しかけたが、鬼柳の身内に会うのは淳一が初めての二人が驚くのは無理もない。

「そうじゃよ」
 淳一があっさりと認めると、二人は淳一を見たり鬼柳を見たりして顔を見比べている。

「それにしても、まさかのう……一成に続いて、恭一まで玲泉門院関係者に惚れるとは、運命とはどこでどう巡ってくるのかわからんもんじゃの」
 淳一がそう言ったので今度はヘンリーまで驚いてしまった。

「そんなことってあるんだ? って透耶は会ってきたのか?」
 光琉がこんな偶然が繋がるのがおかしくて透耶に聞いていた。

「あ、うん。挨拶してきたよ。それで恭のお父さんも柚梨さんに一目惚れしたらしくて……ほら、柚梨さん言ってたでしょ、アメリカで有名な新聞社の方にデートに誘われて、子持ち主婦に見えなかったらしいって自慢していたの」

「あ、あれか! あれが鬼柳さんのお父さんの話だったのか? うはー世間って案外狭いんだな」
 光琉はもう驚きを通り越して、呆れてしまっていた。自分たちの母親や曾お祖母様までが鬼柳家と繋がりがあったこともそうだが、その子供である鬼柳と透耶が恋人というのももはや運命だったに違いないとしか思えなかったからだ。

「なるほど……結局鬼柳家の人間は一度は玲泉門院家の人間と出会っているわけか。その中で結ばれたのは鬼柳さんと透耶だけとなれば、皆顔を見たくなるわけだ」
 ヘンリーも呆れた顔をして、ことの真相を理解した。淳一がこんな計画を立ててまで透耶に会おうとした理由も分かって、更に呆れたのだ。

「しかし、このピアニストが志帆さんのひ孫さんの嫁さんとはわしも驚いた」
 綾乃を売り込むパンフレットには榎木津柚梨との繋がりは書かれていないし、結婚したことは書いてあっても夫のことまで詳しくは載っていない。
「え? 聞きに来て下さったんですか?」
 綾乃がまさかと尋ねる。

「招待状を貰ってのう。気分転換に出かけたんだが、なかなかよいものを聞かせてもらった。これからもこっちに講演に来たならわしは通わせて貰うよ」
 たまたま招待状をもらって行ったら綾乃のコンサートだったらしい。

「じゃ、招待状お出しします!」
「それは有り難いのう。ほほほ。老後の楽しみがまた増えたのう」
 綾乃と淳一は盛り上がっている。

 この場は和気藹々とした雰囲気になったのだが、一人だけ不機嫌な男がいる。それが鬼柳だ。

「なんだくそじじい。目的は透耶だけじゃないんだな。綾乃も光琉もヘンリーも全部目的だったんじゃないか」
 綾乃はピアニストとして目を付けていて、光琉は志帆のひ孫として会いたくて、ヘンリーは珍しくも鬼柳と親しく友好関係を築いている物珍しい人間だから、ここに居る全員に淳一は会って話してみたかったというのが真相だったようだ。
 鬼柳に会いに来るだけなら問答無用で追い出されるから、こんな手の込んだ回り道で入り込んできたのだ。
 鬼柳を呼び出したのは単に邪魔だったからだ。

「恭?」
「俺を三時間も閉じこめた間にちゃっかり上がり込んでるしよ。だからこのじじいは嫌いなんだ」

「三時間も閉じこめる?」
 透耶が不思議そうな顔をして鬼柳の顔を覗き込む。鬼柳を言葉だけで引き留めて置くのはかなり難しい。本人が待てないと判断したら、さっさと抜け出してくるからだ。その鬼柳を三時間も閉じこめるのはかなり難しかっただろう。

「あのくぞじじい。俺を通した部屋に外から電子ロックかけて閉じこめやがったんだよ」
 鬼柳が忌々しそうに言った言葉に透耶は驚いてしまった。
「ええ? 普通そこまでやる??」
 引き留めるのは難しいと分かっていたから電子ロックで閉じこめたのだろうが、鬼柳はちゃんと抜け出してきている。

「電子ロックかけられたのが分かってから、その裏にある壁掘ってショートさせて抜けてきた。お陰で三時間もかかったけどな」
 鬼柳がふて腐れてそう言うが、それ普通に出来ることなのだろうかと透耶は顔を引きつらせた。
 だが、ふと疑問が浮かんだ。

「ねえ、恭がこっちに来ていることって、どうやってお祖父様が知ったんだろう? ここに泊まったのは偶然だったし、ヘンリーさんが来たのも偶然だよね?」
 つまり淳一が会いたがっていた人が全員ここに揃っていることが偶然の産物なのに、淳一はそれを知っていたかのように鬼柳を呼び出している。

「ははあ……諸悪の根源が分かった。絶対エドだ」
 鬼柳がそう言い切ると、透耶も頷く。

「だよね、こんな偶然あるわけないよね」
 この家はエドワードの持ち家だ。そこに綾乃や光琉が来るのは分かっていたし、ヘンリーがこっちの学会に出ていることも知っていた。
 後は透耶たちが揃うようにするつもりだったのだろうが、そこは綾乃との繋がりや、鬼柳が巻き込まれかけたボストンでの出来事をエドワードが知ることが出来たとしたら、鬼柳が逃げ込むのも分かっていただろう。

「まったく、あいつはいつまで経っても、こういう策略するの好きだよな……」
「うんまあでも良かったんじゃない? 俺たちは恭のお祖父様と曾お祖母様が知り合いだったの知れて嬉しかったし、会えてよかったって思ってるよ」
 透耶がそう言うと、鬼柳は笑顔の透耶を見て、これも仕方ないかと諦めた。

 エドワードが鬼柳と淳一を会わせて、仲を取り持とうとしたのだろうと鬼柳には予想はついていた。今なら鬼柳の考えも柔らかくなっているし、確執のあった時期からもう20年も経っている。
 80歳になった淳一が考えを変えて、鬼柳を許そうとしたのだろう。
 散々好き勝手してきた孫の所業を許せなかった淳一が、鬼柳が好きになって暮らしている相手が、淳一の初恋の人である志帆のひ孫だと知って考えを変えた可能性はある。

 鬼柳もまた、自分を縛ってきた祖父を許そうと思った。確執はあったが、結局は好き勝手させて貰った恩はある。
 憎かった昔の感情はすでに残っていない。
 全てが透耶に繋がったと思えば、そんな些細なことはどうでもよくなっていたからだ。

 ただ透耶のことを遠ざけるような真似に出ないように釘を差しにいった。誰がなんと言おうと透耶とは絶対に離れられないからだ。
 その為にしがらみになる鬼柳家から戸籍を抜くことにした。たぶんこのことで呼び出されるだろうと予想していたが、まさかそれを逆手に取られるとは思わなかった。
 食えない狸だと思っていたが、やはりそのままだったようだ。
 そうして和気藹々のまま夕食までして淳一は帰ることになった。

「世話になったのう」
「いえいえ」
「またです!」
 全員で見送っていたが、淳一は鬼柳を呼び出し、他の人たちは皆部屋に戻った。
 残った淳一と鬼柳は、門の外に迎えに来た淳一の専用車に向かって歩きながら話していた。

「お前もやっと落ち着いて暮らせるようになったんじゃな」
 鬼柳のやりたい放題に呆れて以来、20年も直接会ったことはない。ただ一度だけ銀行の口座の凍結を解くために連絡をして以来だから、電話で話したのも5年ぶりだ。

「全部、透耶のおかげだ」
 鬼柳はそう思っていたから、鬼柳は正直に答えた。

「いや、それだけじゃないじゃろう」
「……?」
 淳一が透耶だけのお陰だとは思っていないようだった。

「お前が変わったんじゃろ。透耶に会ったことでお前の一部が変わったじゃ。お前は長い間探していた帰る場所を見つけたんじゃ。透耶が居て、その周りに温かい人たちが待っている、そんな安心する場所をな」
 淳一がそう言ったので鬼柳はキョトンとする。

 それは透耶と出会って、仕事で離れる時に鬼柳自身がそう思ったことだ。透耶が居る場所が鬼柳の帰る場所。透耶も鬼柳が帰ってくる場所で待っていると言った。
 その周りには、透耶を囲む温かい人たちがいる。それは確かだ。だから鬼柳は安心して透耶の側を離れて仕事に行けた。
 自分たちを取り囲む人たちがどれだけ自分たちを大事に思ってくれているのか、それは年々実感する。そういう場所を透耶は鬼柳に与えてくれた。
 それがどれだけ幸せなことか。鬼柳はずっと知らなかった。

「俺は逃げてばかりだったからな。色んな問題から逃げて、辿り着いた場所で透耶に出会った。そこで俺は逃げてばかりじゃ前に進めないことを透耶に教えて貰った。親父やあんたに向き合うことで俺が前に進めるなら、嫌でも会っておかなきゃいけないことだ。捨てたはずの過去であっても、透耶はちゃんと向き合ってる。俺はそんな透耶を尊敬してる。そんな透耶とは対等でいたい。情けない俺を見せてでも俺は透耶の隣に立っていたいんだ」
 鬼柳が真剣にそう語ると、淳一はふっと笑った。

「お前も一人前に人を愛することを知ったわけじゃの。それはとても素晴らしいことだ」
 淳一は投げやりだった鬼柳を知っている。表向きの評価が高くても、評判が地に落ちようがそんな些細なことを気にする人間ではなかった。それは誰も信用してないから出来ることだ。
 醜く藻掻くことすらしないのは、必要がないと本人が思っていたからだ。そこにはなんの執着もなかったからだ。

 そんな鬼柳が情けない姿を見せてでも欲しい人が出来た。醜く藻掻いてでも我が儘や強引だと言われても、持てる力を全て使ってでも欲しがる人。
 それが透耶だった。
 鬼柳は散々透耶に醜いところを見せてきたはずだ。それでも透耶は離れてはいかなかった。ずっと側にいてくれた。それが鬼柳にとってどれほど救いになったのか、透耶だって知らないだろう。

「母親が未だに死んだ親父を思っている意味も今の俺なら理解できるし、手放したのも理解出来る。そんな母親を助けるように俺を鬼柳家に入れた意味も今なら分かる。俺は子供だったんだ。成績だけ良くできたただの甘えた莫迦だった。だけど、その莫迦なことも透耶は全部知ってて受け入れてくれる。だから俺は、逃げ出してきたモノにやっと向き合えるようになったつもりだ」
 鬼柳がそう言うと淳一はにっこりと笑っていた。
 鬼柳自身が語られなくても、自分が生きている意味を理解することが大事だった。

「そうじゃろうと思ったわ。戸籍から抜けることはお前なりのけじめなんじゃろう?」
 そういわれて鬼柳は頷いた。

 親族の中には鬼柳に女をあてがって子供を作ろうとする輩も存在する。それは全て淳一の遺産を目当てにしたもので、一成とは犬猿の仲である。
 その一成が結婚して子供を作った。だが長男である鬼柳は放置されている。一成と鬼柳の仲が悪いことを知っている親族はここぞとばかりに鬼柳に接触してきたのだ。

 最初は無視していた鬼柳だが、段々と執拗になってきた。さすがにどうにかしないといけないと思い出し、ちょうど日本への帰化の話が話題に出ていたので、鬼柳は戸籍を抜いて日本に帰化することを思いついた。

「そこまでお前が心配することもないのじゃが、あいつらはしつこいからのう。難癖付けてくるだろうし、ちょうどいいかもしれんのう」
「というか、じじいが簡単に死ぬと思ってる莫迦どもの計画が信じられんからな。確実に俺が死ぬ方が早い」
 鬼柳がそう言うと、淳一は笑っていた顔から真剣な顔になった。

「じじいも知ってるだろ。玲泉門院の謎。あんたが調べないわけないからな」
「まあ、信じられない統計だがな。例外はおらんのじゃろ」

「別に俺は例外になろうとは思わない。諦めたわけじゃなく、俺は死ぬときも透耶と一緒がいいだけなんだ」
 鬼柳が言って微笑むと、淳一は苦笑した。

「お前は本当に透耶を愛してるんじゃな。わしはそういうお前が羨ましいよ」
 妻だった人に先立たれ、周りにいるのは財産を狙う者ばかり。息子はいるが、その息子も独立して随分経っている。今更父親の財産を欲しいと言うような身分でもない。親子関係はすっきりしているだけに、頭が痛いのは親類関係だけだ。

「まあ、お前に財産が行くことはないように、念入りに遺言書を書いておくよ。全部一成にくれてやりゃいいじゃろうて」
 淳一がゲラゲラ笑って言うので鬼柳は溜息を吐いてしまった。こういうじじいだから嫌なのだ。父親でさえそれが嫌で、独立して銀行には入らず新聞社に入り、社長にまで登りつめたのだから。

「ちょうどお前がいい機会をくれたしな。勝手に戸籍を抜くような輩に財産をくれてやるつもりはないわ!と言ってやりゃ、あいつらのアタフタした姿も見れるじゃろうしのう」
 ほらみろ、このじじい。人が真剣に考えて戸籍を抜くというのに、その騒動すら楽しむやつなのだ。

「その調子で長生きしてくれ」
 呆れたように鬼柳が言うと淳一はニヤッと笑った。
「ああ、任せておけ。それとこれを渡しておく。気が向いたら行ってやるといい」
 淳一はそう言うと、鬼柳に何か書いた紙を渡してから車に乗り込んだ。

「じゃあな」
「ああ、じゃあな」
 あっさりとした別れだったが、それでも20年ぶりに会ったことを考えれば、穏やかに別れられた。
 鬼柳は走り出す車を見送ると、すぐに家に入った。

 家の中に入ると、居間ではまだ淳一がいた時のように盛り上がっている。ヘンリーや光琉は酒をあけて飲んでいるし、綾乃と透耶は鬼柳が作ったつまみを摘んで感想を言い合っている。

「恭! おつまみなくなっちゃったよ」
「あ、ああ。で、どれがお気に入りになった?」
 久々に手料理をしたのもあって、透耶がせっついて頼んでくる。特に気に入ったものはおかわりするくらいだからかなり気に入ったのだろう。

「これ、胡麻のやつ」
「分かった、材料余ってるからヘンリーたちの分のつまみも用意しよう」
 鬼柳がそう言って皿を持ってキッチンに入ると、透耶はその後をついてきた。
 その透耶は鬼柳の背中にくっついてきて、鬼柳はキョトンとする。

「どうした?」
「うん。恭、お祖父様と20年ぶりだったんでしょ。もっと話さなくてよかったの?」
「ああ、それか。いいんだ。じじいの目的は俺じゃなかったしな。それに言っておきたいことはさっき言ったしな」
「そう、良かった」
 透耶は本当にホッとしたように鬼柳をギュッと抱きしめた。
 鬼柳はそんな透耶を見てふっと笑ったが、透耶の好きにさせておいた。
 そうしていちゃいちゃしているカップルがキッチンにいるので酒のおかわりを取りに来たヘンリーと光琉は二人顔を見合わせて溜息を吐いた。

「ここ、あいつらのうちじゃないってこと分かってるんだかねえ」
「分かってないと思うよ」
 そう言い合ってとりあえずキッチンから退散することにしたのだった。