switch

switch外伝6 We can go 8

 エドワードが透耶を次に連れて行ったのは、高級マンションだった。
 てっきり見せたいものはあれで終わりかと思っていた透耶はキョトンとしていたものだ。そんな透耶をさっさとエスコートしてエドワードは最上階の部屋に案内をした。
 広い。
 それが透耶の最初の感想だ。
 だが次に目に入った光景に、唖然としたものだ。
 部屋にはソファやある程度の家具があるけれど、そんなものは目に入らない。
 それ以上にもっと強烈なものが壁という壁にあったからだ。
「……うわぁ」
 透耶は壁にかけよると、そのものを一枚一枚じっくりと眺めた。
 だが、すぐにこれが誰の手によるものなのか気がついた。
「恭のだ」
 透耶はそう呟いていた。
「さすが透耶だな。一発でそれが恭のものだと分かるとは」
 この部屋にいるのはエドワードしかいない。SPは玄関口にいて、一人がリビングの扉の外に立っているだけである。
 この部屋は40畳はあろうかという広さのリビングで、その壁の至る所に鬼柳恭一の手による写真が大きく引き延ばされて、あるいは小さな額に入って並べられているのだ。
 でも鬼柳の写真は全部鬼柳の仕事部屋にあるはずだ。そこからエドワードが持ち出したことはないし、鬼柳も何も言ってなかった。
 だから何故ここに写真があるのか不思議でならなかった。
「え? でも……これはどうして?」
 透耶が不思議顔で振り返ると、エドワードはニヤリと笑うだけだった。
 一枚一枚見てみると、それはどれも見たことがない写真だった。鬼柳の写真は透耶が整理を手伝ったこともあって、全部を見せて貰っていた。だから見覚えがない写真は一枚もないといって過言でない。
 だが、ここにあるのはただの一度も見たことはない。
 鬼柳が隠して透耶に見せず、エドワードだけに渡すなんてことは絶対にあり得ない展開だ。
 そういえば……恭のアメリカ時代の写真って、エドワードさんが全部持ち逃げしたとか言ってたっけ? それを思い出した。
「うわ、じゃ、これ、もしかして恭がカメラを始めた頃のものですか!?」
 透耶の弾んだ声にエドワードは頷いた。
「あの頃の写真はないって言ってたけど、エドワードさんが持ってたんですね。というか、あの無頓着な人が、この時代の写真を大事に日本に持って行くわけがない。うん、エドワードさん盗んでくれてありがとうございます!」
 透耶は一人で結論づけて、一人で納得して、勝手にお礼を言ってくる。エドワードはぷっと吹き出して笑い出した。まさか窃盗したことで礼を言われるとは思ってなかったのだ。
 この写真は透耶に見せておこうと思った。鬼柳にバレると片っ端から処分しそうだったからこうして秘密にしておいたのだ。
 この場所には誰も来たことはなく、セラでさえ知らない場所だ。まるで秘密基地よろしく、鬼柳の写真だけを飾る為にある部屋といえよう。
 今更鬼柳に戻す気はないが、透耶には見る権利がある。そうエドワードは思ったのだ。
 その透耶は鬼柳の話を思い出していた。カメラを持って、小旅行によく出かけていた。そこでたくさん写真を撮ったけれど、どれもほとんど現像することなくエドワードに持ち逃げされてしまった。
 昔は人物も撮っていた。それは最初に鬼柳の写真が認められた時もそうだった。あの最初の写真だけはパネルで持っていたが、原本はもってないらしい。
 徹底的に昔の写真はない状態だ。そもそも撮った後の写真には執着しない性格だから、アメリカから出る時に持っていたものは全部処分したらしい。
 その後に同じ場所に何度か出かけていたから、過去のものには興味がなかったらしい。
 だがそこにある写真はやはり最初の頃の拙さが出ている。
 日本に行ってから本格的にカメラをやり始めてからは急激に腕があがったらしく、風景も風景写真家顔負けのものを撮れるようになっていた。
 その最初の成長過程の写真は、透耶にとってはもの凄く貴重なものだ。
 鬼柳がこれを知ったら、意外にちょっとは恥ずかしいと思うかもしれない。
 興味津々で透耶はその写真を眺め続けた。どの一コマだろうと見逃せるものではない。鬼柳の写真はその場その場の瞬間を切り取っているかのような息づいている感じがするのだが、特に人物に至っては、それが強烈に伝わってくる。
 鬼柳が撮る人物は何故かその人の背負ってきた背景が見えるような気がするのだ。
 ダイレクトにその人物の孤独や寂しさ、そうしたものを積み重ねてきたからこその強さがあまりに強烈だった。
 報道以外で人は撮らないと鬼柳が決めたのは、自分で人物を撮ったものを見た時に初めてこの強烈さに気付いたからかもしれない。自分が何かを思って撮ったわけでもない、ただの写真が、まさか人の心までを写し撮るなんて思いもしなかっただろう。
 それは人と深く関わることを極端に拒否した鬼柳にとって、ある意味恐怖として映ったかもしれない。
 素人同然の自分が撮る写真に、こんなに強烈なものが写っているとしたら、プロが撮った写真には自分が持っている孤独や薄暗い蠢く何かを写し取られるかもしれない。
 他人に内面を見せようとせず、誰も愛せず孤独に生きることを選んだ男が、自分を撮られることを恐れたとしてもおかしくはないだろう。
 報道で人物を撮ることにはある意味、鬼柳の写真は人にその現状を伝えるには十分すぎるに違いない。だが、日常のゆったりとした中で誰かの心を暴くなど、意外に繊細な男が望むとは思えない。
 鬼柳が透耶を写真に撮りだしたのは、内心透耶の心を知りたかったからかもしれない。
 この少年は何を思ってあそこに居て、何を思って楽しそうにしていたのか。そしてファインダーで見ているうちに透耶の深い心の傷に気付いてしまったのかもしれない。
 それは他人に興味が無く、他人の人生に絡むことさえ拒否した男の心さえも不安に駆り立てた。
 その後も鬼柳は透耶を撮り続けた。ファインダーは正直だっただろう。現像なんかしなくても素直に透耶の心を見せてくれる。取り憑かれたように鬼柳は透耶の心を覗き続けた。

 ――――――なんで好きだなんて言って優しくするんだよ。

 そう言って不安がる透耶の本当の心を見つめたかった。今なら呪いがあったからと片付けられる事柄であっても、鬼柳には覗けば覗くだけ謎だったはずだ。
 だがそれ以上に透耶という存在を撮ることは楽しいと言う男を、本当に馬鹿だと透耶は思った。
 自分だって辛くてたまらない思いをしながらも、そんな透耶のことを一番に気にかけてくれて、最高に優しく、そして極上に甘くしてくれた。

 なんて――――――愛おしい存在だろう。

 透耶にはその時、透耶だけと求めてくれる相手、そして透耶だけを見つめてくれる相手が必要だった。
 小説家として先へ進む不安、そして孤独であった心。それを全て包み込んでくれながらも、透耶が強くあろうとする心を理解してくれる人。
 悩むだけ悩んでいる間も、ふと目を向けた時にある視線と温かい笑顔。それに随分助けられた。
 この写真を見ていると、鬼柳が昔どういう人だったのか分かってくる。
 その写真の中に、病室で撮られたものがある。それは小さな額に入れられていて、中でも大事にしているような雰囲気だ。そこに映っている人はそれは綺麗な人だった。鬼柳が写した写真の中にあるような寂しさを写すものであったけれど、それ以上にこの人の心がとても強く、そして輝いているのが分かる。
 傍らにあるハーモニカを見て、透耶は思い出した。
 鬼柳という男には、友人というカテゴリーに含まれる者はいない。だが知り合いという者が何人かいた。
 鬼柳がそのハーモニカを持っているのを不思議に思った透耶が聞いた話だ。
 その人は病気で亡くなっていて、鬼柳はその形見にそのハーモニカを貰ったのだと言う。しかし当の本人は何故自分にそれが残されたのかは未だに謎なのだという。
 透耶はその写真を見て、すぐに気付いた。
 ああ、この人は変わってない。昔から変わってない。
 人の心の傷にいち早く気付いて、そして必要とあればいつまでも傍にいてくれる存在。
 この亡くなった人が鬼柳をどう思って、そして形見分けにハーモニカを残したのか。その謎が解けるのは、何も透耶だけではない。この写真を見れば、誰だってすぐに分かることだ。
 鬼柳はこの人を絶対に忘れない。この人は鬼柳の心の片隅にずっと居させて貰える。それが死にゆくものにとってどれだけ力になるか。ただの無表情で愛想もない男が、どれだけ輝いて見えたか。この写真が全てを語っている。
 元気で生きている姿を覚えていて欲しいと願って、悪化する状態を鬼柳に一切見せなかったのかが、痛いほどよく分かる。
 鬼柳が繊細で優しい心の持ち主であることは一緒に居た人なら気がつくことだ。死にゆく姿なんて心に残して欲しくはないだろう。その記憶で鬼柳を苦しめることになってしまうから。
 ――――――俺だって、きっとそうする。
 透耶はそう思った。もし鬼柳が自分と別れたとして、きっと泣いている姿より、笑っている姿を覚えていて欲しいと願う。心の片隅にその姿を置いていて欲しいと願う。優しい彼のことだ、きっとそれくらいの我が儘は聞いてくれる。そう信じている。
 この人もそう願ったのだ。そして鬼柳は忘れていない。いつも思い出すわけじゃないけれど、ハーモニカを見れば思い出す。この人と鬼柳の間に流れていた楽しい時間は綺麗な思い出となって鬼柳の中に残っている。
「この方の名前を聞いてもいいですか?」
 透耶は小さな写真に手を添えて、そうエドワードに尋ねていた。
「ヴィクター・キングスレー。恭はヴィックと呼んでいた」
「そうですか……」
「透耶は知ってるのか?」
「名前は知りませんでした。恭は話した時「あいつ」って言ってました。あの、ここに写ってるハーモニカ、今も恭は大事にしていますよ」
 透耶はそう言って柔らかい笑みを浮かべてエドワードを見つめた。
「そうか、それはヴィクターも喜ぶことだろう」
 エドワードは特に何も聞かず、そう返していた。
 ただ、一枚の写真で透耶がいろんなことを悟ったことは読み取れた。
「エドワードさん……本当にこの写真達を残していてくださってありがとうございます」
 透耶は本日二回目になる、深々とした叩頭をしたのだった。
 鬼柳からの電話がかかってくる前に透耶はエドワードにホテルまで送ってもらった。エドワードはそのまま車で帰って行ったが、SPが部屋まで送ってくれた。
 上機嫌で部屋に戻ると、鬼柳は部屋に居た。
「透耶、おかえり」
「ただいまー」
 透耶は鬼柳に抱きついて頬にキスをする。その顔がずっと笑顔だったので鬼柳は透耶の機嫌がいいのを感じる。
 SPを帰すと、鬼柳はドアを閉めて透耶に振り返る。
「何処行ってた?」
 鬼柳がそう聞くのだが透耶はにやっとして言う。
「秘密」
「なんだ? なんで秘密なんだ?」
「秘密だからー」
 透耶はそう言って、ソファに荷物を置いて着替えている。その鞄から黄色の封筒が出ていた。鬼柳は気になってそれを勝手に開けてみた。
 中には小さな紙がいくつか入っている。なんだろうと出してみると、それは写真だった。
「あ! もう、また勝手に開けてー」
 着替えが終わった透耶は、さっさと鬼柳が封筒を開けているのに呆れている。
 だがその顔は怒っているわけではなく、ちょっとだけ苦笑している。
「……どこから持ってきた?」
 鬼柳はその写真を見て、少し驚いたような顔をしていた。
 透耶はバッグをテーブルに置くとそのソファに座って封筒を奪い取る。
「前に言ってたじゃん、エドワードさんが持ち逃げしたフィルムがあるって」
 透耶はそう簡単に言って、写真を並べている。
「驚いた? まさか今でもエドワードさんが大事に持ってるなんて思ってなかったみたいな顔してるけど?」
 透耶は写真を並び終えて鬼柳を見上げた。その顔はどうだ!という顔だ。
「あー、まあ、どうなってるのか聞いてなかったしなぁ……これが残ってるとは思ってなかった」
 鬼柳がそう言って眺めているのは、ヴィクター・キングスレーという青年の写真だ。
 彼の写真はフィルム分、ちょうど24枚揃っていた。それを透耶はエドワードに貰って鬼柳に見せて驚かせようとしたのだ。
 その写真を撮った本人もすっかり忘れていたのだ。
「他にも恭の写真、見せて貰ったよ。凄く綺麗だった」
 透耶は言って並べた写真を見る。
「でも、この人の写真が一番凄かった。恭には絶対見せなきゃって思った」
 透耶はそう言って鬼柳に隣に座るように言う。鬼柳は大人しくそこに座って並べられた写真を見た。
 そこに写るヴィックは病に犯され、いつ発症してもおかしくない状態の不安な時期だったはずだった。それなのに彼は鬼柳が覚えている通りの綺麗で優しい笑顔を浮かべていた。
 この写真を現像する気になれなかったのは、その後彼が鬼柳に一度も会わなかったことでそっちの方に気を取られていて、そのうち忘れていたものだ。
 アメリカを出る時、ヴィックはもう発症していたし、自分は日本へ行くのもあって、手元にあったものは全て自分の手で処分した。この写真もそうしたものの中にあったと思っていた。
「……残ってたのか。懐かしいな」
 鬼柳がため息を吐くように呟いて、写真を一枚一枚見る。そこには沢山の人物が写っている。この写真は他の人たちもカメラを持ってたし、自分は頼まれて撮ったけれど、写っている人たちに配布するほどのことはないと思っていた。
「この人達は誰?」
 透耶はその写真を覗き込んで尋ねてくる。
「ああ……このそばかすがあるのが、フィリップ。こっちの金髪がロバート。バーナードにソフィア。こっちは、フレデリックだったな。みんなヴィックの友達だ」
「へえーみんな楽しそうだね」
「ヴィックがいいヤツだったからな……そうかあいつこんな顔してたのか……」
 鬼柳は納得したようにそう呟く。その顔をちらっと見た透耶はその顔が笑顔になっているのに気付いた。思い出になっている彼の顔が、写真を確認することで更に笑顔で埋め尽くされているはずだ。
「透耶、こっちにいる間に墓参りに一緒に行ってくれるか?」
「うんいいよ」
 鬼柳がそう言うだろうと思っていたように、透耶は即答した。
「あいつに……ヴィックに紹介しておかないとなんか怒られそうだ」
「怒られるの? せっかく近くに来てるのに、おい待て!素通りか!って?」
 透耶が真顔でそう言うと鬼柳は吹き出して笑う。
「俺にちゃんとした恋人が出来たら、絶対に紹介しろってうるさかったしなぁ」
「恭の知り合いって、みんな面白いね。恭のちゃんとしてるかわかんないけど、俺みたいの見たいって思ってるし」
「俺は自信持って透耶を見せるけどなー。これが俺が愛してる人だって」
「……恭」
 ちょっと感動した透耶だったが、やっぱり鬼柳だ。
「もうエロイのなんのって、この間だってちょーエロかったし、むっちゃくちゃ興奮して止まらなかったし、それから……」
「わーわーわーそれ以上馬鹿なこと言うな!」
 透耶は慌てて鬼柳の口を塞ぐ。
 もう人が感動してたところなのに、なんで口開くとこうなっちゃうんだよ!
 それにそのことは今でもむちゃくちゃ恥ずかしいんだから!
 つーか、それ報告の必要ないし!
「俺も愛して貰ってるからな。幸せだって安心させたい」
 鬼柳は自分の口を塞ぐ透耶の手をはぎ取ると真剣にそう言っていた。
 そして透耶の手の甲にキスを落として透耶を抱きしめた。
「俺だって、恭に愛して貰ってるもん」
「そりゃもう当然……透耶の愛は深いもんなぁ。んで、今日もまたお願いします」
 鬼柳がそういうお願いをするのは、もちろん夜の営みのことだ。
「えーと、あんまりしつこくしないでね……」
 透耶もその気はあるようで拒みはしなかった。
 なんだかんだで二人はそのままバスルームに入って一回、ベッドで二回という、鬼柳からしたらあまりしつこくない部類の愛情を注いだのだが、透耶が後で「しつこかった……」と文句を言うのはいつものことであった。