switch

switch外伝10-2 perfect cadence

 協会の仕事を鬼柳が済ませられたのは、夕刻の十八時を回っていた。
 透耶はずっと鬼柳の側にいて、仕事の内容を耳に入れていたが、どうやら協会の人たちは写真集を出したら、個展をやろうと考えているらしい。
 というのも、鬼柳の報道の写真は毎回報道が対象のマスメディア賞などの候補にあがるほどの腕前で、大賞は取れてはいないが、何かに必ず入賞する常連なのだという。
 鬼柳はそういうことには興味がないのと、毎回授賞式などの時期は、仕事で前線にいたことが多く、出席は不可能であることで、周りのカメラマンからは賞に興味がない仕事人間だと認識されているらしい。
 さすがに宮本雅彦の一番弟子だと言われるほどの腕前であるから、悪い感情を持っているのは入賞しなかったカメラマンくらいなものらしい。
 だがそれでも入賞した人間は写真集を出すのに対し、鬼柳の写真集が出ないことを不審がって、入賞は宮本の裏の力で行われているのではないかという噂が出ているのだという。鬼柳本人はそんな噂も知っているが、「放っておけばいい」と気にした様子は一切ない。
 それもそのはずで宮本がそんなことをする必要は何一つもないことを鬼柳が一番よく知っているからだ。
 鬼柳が賞に興味がないことは、最初の入賞から分かっていることだ。だから選考で選ばれない限り、鬼柳が入賞することはない。
「恭一の実力は我々が一番よく知っている。だが口さがない奴らは好き勝手に言うだろう? それが悔しくて」
 ジェームスはそう言う。
 その鬼柳恭一のことに関して、最近嫉妬が酷いのだとジェームスが言った。
 宮本雅彦がカメラマンとして報道を辞め、妻の看病に専念するために日常風景カメラマンになったことは有名だった。それに追随するように鬼柳恭一もまた戦場報道を辞めたことも広まっていた。
 報道に関して、大賞を辞退した以外に小さな入賞しかしていない鬼柳を叩き始める関係者が増えてきたのだという。理由はただ報道で成果を出していないのに逃げたという臆測の話だ。
 鬼柳が逃げたわけではないことは、透耶が一番知っている。
 ただやってきたことや放り出した環境を整理して納得するまでは報道を続けた鬼柳だが、宮本が引いた時に役割は終わったのだと納得して辞めたのだ。
 元々個人で報道をやる気はないのが鬼柳の一貫しての気持ちであり、それはあの報道を辞めようとしていた時に大賞を辞退した写真の関係のせいだ。もうあんな失敗をしたくはないし、二度目はきっと変わりの誰かを庇って自分が死ぬんだろうと思ったからだ。
 そうした理由を公言したりは普通しない。ただ鬼柳には報道の仲間に伝えることもしないから、辞めた理由など誰にも分からない。
 そうした中で、鬼柳恭一が報道以外でも別の仕事を持っていて、その仕事で儲けているので割に合わない報道は辞めたという噂が立ってしまったのだという。
 別の仕事は確かにあったし、儲けているのも間違いはなかった。エドワードの仕事を少し手伝っていたこともあったし、たまに意見を聞かれて答えることもやっていた。そのお金が振り込まれていることも透耶は知っている。
 だが、その仕事をしているから報道をやめたわけではないので、本当と嘘が混じってややこしいことになっている。
 カメラマンの間でそうした噂が出すぎて、とうとう協会にも鬼柳恭一への仕事がなくなったという。遊びで報道していた人間の写真はいらないというのだ。
「あんまりだろう? たった一つの嘘で、ここまでやる人間がいるんだ。だからそんな奴らを黙らせたいんだ。恭一はちゃんと報道に真剣に向き合っていたって」
 だから写真集を作りたがったのだ。ジェームスには鬼柳の写真一つでそんな連中を黙らせられることを知っていた。
「そんなつまらないことに写真集を使うのか」
 それを聞いた鬼柳はこんな感想だ。そう言いたくなる気持ちは分からなくはない。
 だが透耶にはどっちの気持ちも分かるだけに、ジェームスを批難はできなかった。
 だって鬼柳の写真が心を打つ写真であることは、報道の写真を見た時にちゃんと感じたことだ。この人はすごい人だと。現状を切り取ってその場面をありありと伝えられる人だということが、どれほどの才能なのか透耶は知っている。
「いや、そんなつまらないことじゃないよ。恭の作品をちゃんと人の心に残せるチャンスだから、俺はどんな形でも写真集になることはいいと思うよ。ほら、俺の作品もそういうことだから」
 透耶がそう言うと、鬼柳は不思議そうな顔をする。
「そうだなあ。俺と恭の立場が逆だったらどう思う?」
 透耶がそう鬼柳に言った。
「透耶の作品を妬んで変な噂流して潰すとかありえない」
 鬼柳は即答した。
「ね。そういうことなんだよ。俺もジェームスさんたちも」
 透耶がそう言うと、鬼柳も分かったようであるが、いかんせん、自分の作品に価値を見いだしていないために言ってしまう言葉がある。
「俺のには価値はないだろう? 情報だぞ?」
 報道は伝えることに意味があるのであって、残っている写真はその時に伝え終わったら終わりだと思っているようだった。
「情報はいつの時代にも残る大事なもの。恭の写真だって事実を伝える仕事をしているよ。それを嫉妬というもので妨げては駄目なんだよ。誰にためにもならないから」
 透耶がそう伝えると、なんとなく分かったような顔をして鬼柳が頷く。だが全面的に分かったわけではないが、透耶がそういうならそうなのだろうなという感覚らしい。
「……なるほど、恭一が透耶を選んだ理由が分かった気がする」
 ジェームスがそう言うので透耶と鬼柳がキョトンとしてジェームスを見る。
「透耶はありのままを伝えてくるから、その心地いい」
 ジェームスの言葉に鬼柳はにやりと笑う。
「だろ? ちゃんと透耶の言葉で伝えようとしてくるからな。どんなことでも一生懸命だから」
 鬼柳がそう言うと、ジェームスが頷く。その言葉に透耶だけは首を傾げている。
 確かに自分の言葉で一生懸命伝えようとはしているが、それがいいことだと思われるとは思ってなかったのだ。
「とにかく、写真集を今年中に出して、個展も一緒にやるぞ。ニューヨークで」
 そう言われて鬼柳は透耶を見て謝った。
「ごめんな、こんなに時間がかかるとは思わなくて、旅行は……」
「ううん、大事なことだからいいよ。俺の方は完全に暇だから何処にでもついて行けるから」
 透耶がそう言うと、鬼柳は透耶の頬にキスをしてから透耶を抱きしめた。
「じゃあ、秋にはニューヨークに行って写真選んで、冬は日本に戻って写真を選んでってなるかな」
「そのスケジュールでいいだろう。春には写真集二冊と個展をやろう。ランカスター氏が個展のスポンサーになってくれると言っているから、宣伝も打てるしな。出版社が決まったのもランカスター氏のお陰なんだから」
 ジェームスがそう言うと鬼柳は再度ため息を吐いた。
「なんだってあいつは、こういうことには何処までも手を回してくるんだろうな?」
 透耶や透耶の弟と結婚した真貴司綾乃(まきし あやの)などもいろいろやられている被害者だけに、鬼柳の気持ちが痛いほど分かる。
「まあ、それがエドワードさんだからってことじゃないの?」
 透耶がエドワードだからという理由を言うと、鬼柳も納得したように肩を落とした。
「だよなぁ」
 怒る気も失せるとはこのことかと鬼柳は思った。
 エドワードだからで、すべてを済ませられる男は、やっと仕事が終わった二人を誘って、星空の下のバーベキューに誘った。
 外に出ると、そこに藤丸がいたのに透耶は気づいた。
 その藤丸は鬼柳を見て喜び、透耶を見て、嫌なモノを見るかのような目をした。表情で分かりやすく、透耶も対処がしやすかった。
 ここまで分かりやすくしてくれたら、関わり合うのがそもそも無理なのだと分かる。
 透耶は相手を刺激しないように、なるべく見ないようにしていた。鬼柳は藤丸が一応謝ってきたのを、謝罪として受け入れ、自分も煽ったことを謝った。
「悪かったな、つい」
「……恭一……本当に変わったんだね」
 鬼柳が謝ってくることなど、珍しいのだが、それは透耶に言われたから謝っているのだろうと、藤丸は受け取ってしまった。
「何でもかんでも言いなり……そんなの恭一らしくない……」
 藤丸がそう言い出し、鬼柳は首をかしげる。
「そもそも俺らしいってなんだ?」
 藤丸の理想の鬼柳恭一(きりゅう きょういち)が、どう考えても自分ではない気がして聞き返していた。
 この台詞はよく言われるのだが、それは鬼柳のイメージではなく、鬼柳の態度が今までと違うという意味で使われていたと思う。けれど、藤丸の鬼柳らしくないというのは、どう考えてもそれではない気がしたからだ。
 鬼柳の言葉に藤丸が言った。
「どんな人にだって、同じ態度で冷たくて、傷つくことを言っても謝ったりしない人だった。どんなことでも冷静で、誰でも対等で、特別なんて持たない人だったはず!」
 藤丸がそう言った。
「なんだそれ?」
「その言い方。そういう感じで誰にでも接してて、あんな特別なんてなかった! 一人でいるのが格好よくて、女は使い捨てでも構わなくて誰でも良くて、誰にも媚びなくて! 絶対、恋人なんて作ったりする人じゃなかったっ!」
 藤丸がそう叫んだのだが、鬼柳は首を傾げている。
「あのな。俺だって恋人が欲しいとは思ってたぞ? 本命がいたら猛アタックするってずっと言ってたし、ただ本命が日本にいたから、アメリカではそういう風ではなかったかもしれないが……」
 鬼柳がさすがにその俺は酷くないかとツッコミを入れる。
 確かに酷いことは酷いのだが、ちゃんと相手は選んでいたし、誰でもいいわけでもなかった。素人は嫌いだったし、プロでも割り切った人間としか続けては寝なかった。
 一応のこだわりはあったのだが、藤丸にはとっかえひっかえに見えていたらしい。思春期の男の子からすれば、それは憧れにもなり得たわけだ。
「駄目だ! 恭一は恋人とか作るような人じゃない! 一人で生きて格好よかったんだから! 絶対……恭一はっ!」
 そう藤丸が言った時だった。
 その二人の間に透耶がスッと入っていって、藤丸の頬を手のひらで叩いたのだ。
 パーンと派手な音がして、藤丸が叩かれたことに気づき、一瞬だけ呆気に取られてから、怒鳴り返そうとした。
 しかし、その時の透耶の顔は、それまで見せていた不安そうな顔ではなかった。しっかりと藤丸を睨み付け、はっきりとした口調で言った。
「今の言葉、取り消してくれる?」
「は?」
「今の言葉、取り消してと言ったの分からない?」
「な、何を?」
 透耶は高圧的に藤丸に言い、藤丸は後退りながらも何のことだと問い返した。
「言ったよね? 恭が一人でいるのがかっこいいだとか、一人で生きるのがかっこいいだとか。そんなふざけたことを平然と口にしていたよね」
 鬼柳は透耶が静かに怒っているのが分かって、少し嬉しくなったが、ここは黙って透耶に任せることにした。
「だって、格好いいじゃん!」
「一人で誰も愛しもせずに、誰かを適当に相手してるのが、本当の幸せとか言わないよね? 恭の恋人になろうとしておいて、それでも一人が格好いいなんて言ってるの?」
「……お前なんかが現れるから!」
「俺からすれば、あなたこそ今更なんだけど? 小さいときに可愛がってもらって恭から特別に扱ってもらってただけで、平然と暴言を口にして許されるわけないでしょ? 一人で生きてるのが格好いいとか、じゃああなたが一人で生きていけばいい。誰にも愛されずに誰も愛さずに一人で生きてればいい。恭をそれに巻き込んで格好いいなんて、勝手な想像でそれに当てはめて喜ばないで」
 透耶の言葉に、藤丸が言った。
「なんで俺が一人で生きていかなきゃなんないんだよ!」
「それこそ恭の台詞そのものだよ」
 透耶がそう言った。
「恭がなんで一人で生きていかなきゃならないの? あなたの理想のために恭が犠牲になることを喜んでいるなんて、本当に恭のことが好きなの? それ子供の憧れじゃない? 本当に好きだったら、そんなこと口が裂けても言えないはずだ」
 透耶がそう言い切ると、藤丸もさすがに鬼柳に自分のイメージを押しつけていることに気づいたらしい。
「……あ……」
 ふっと気付いて鬼柳を見ると、鬼柳は首を縦に振っている。
 その通りだなと頷いている。
「俺はずっと恭と生きるために一緒にいる。あなたにとってそれが格好が悪いことでも、俺たちにとってはそんなことはどうでもいい。俺は恭を幸せにするし、恭には幸せにしてもらっている。でも横からそんな暴言を挟むことは絶対に許さない」
 透耶ははっきりと自分たちはこのままで生きていくことを宣言した。それは別に宣言をするようなことではないのだけれど、言わないと分かってもらえないことでもある。
 藤丸と立場が違うことや、もう立っている土台が違うのだと分からせることも必要だ。藤丸はもう少年ではないし、鬼柳もあの頃のやけっぱちな青年ではない。
 藤丸はそう突きつけられて、やっと自分が場違いなことを知った。
 ここにいる人たちは鬼柳の変化を喜んで受け入れた人たちで、その変化を受け入れられない自分がいていい場所ではなかった。
「それで、殴ってごめんなさい。暴力はよくないって分かっているのだけれど、あのままだとあなたが取り返しの付かないことを口にしそうで、怖かったから……思わず……」
 そう言われて藤丸はやっと透耶が殴った意味に気付いた。透耶は藤丸の暴言に怒ってはいたが、殴ったのは怒ったから殴ったわけではなかった。止めるために一旦衝撃を与えるしかなかった。
 藤丸はもう少しで、鬼柳に決定的に嫌われるような言葉を口にするところだったのだ。それは呪詛に似た、酷い言葉だった。
「あ……俺……」
 藤丸は口を押さえて、その言葉を飲み込んだ。
 多分、鬼柳はその言葉を聞いても動揺も怒りさえしない。けれど、宮本雅彦の息子でそれなりに丁寧に接してきた態度は、きっと一切消えてしまっていただろう。
「それは恭を傷つけるだけでなく、あなたもきっと後悔して傷ついてしまう。言葉は一度出してしまったら、なかったことにはならないから。でも殴るのはいけないことなので、ごめんなさい」
 透耶はそう言って頭を下げた。
 そう言われて、藤丸は驚きながら鬼柳を見た。
 鬼柳はそんな透耶を目を細めて、優しい笑顔で見ていた。
 それはずっと藤丸がそうして自分を見て欲しいと望んでいた鬼柳の笑顔だ。 そしてその笑顔は、藤丸が過去に格好いいと思っていた鬼柳恭一(きりゅう きょういち)の姿を打ち消すほどの衝撃でもあった。
 人は変わろうと思えば変われる。けれど、それは大抵誰かのために変わりたいと願ってそうなるものだ。一人では変わることはできない。
「透耶が全部言ったから、俺からの説教はなしにしてやるけど。宮本には報告しておくから覚悟しておけ」
 鬼柳がそう言うと、藤丸がハッと我に返る。
「ま、待って、父さんは駄目だって、冗談じゃ済まないから!」
 急に焦った藤丸が叫んでいるが、鬼柳はふんっと鼻を鳴らして言う。
「やなこった。いい年して親に怒られてこい。宮本にはもうこっちに来てることは知らせたからな」
 そう鬼柳が言うと、藤丸はひいっと飛び上がって庭から走り去っていく。
「ひでえっ! 覚えとけよ、恭一!」
「めんどくせーから忘れる」
 鬼柳がそう答えるのを聞いてから、藤丸はさっさと門の方へ消えた。
 ポカンとしているのは、エドワードたちであるが、透耶はふっと鬼柳を見上げて言った。
「もしかして、宮本さん、怒ると怖い人なの?」
「割と。手が出るタイプなんだけど、自分が何を言われてもやられても怒りはしないんだが、人を陥れる人間を見た瞬間にぶち切れるタイプ」
「ああ、正義感が強い人なんだ? 優しい人が怒ると怖いって感じかな」
「まあ、そういう感じ。藤丸にとっては、甘い親なんだが、ぶち切れると手に負えなくて、確か三年前に馬鹿なことをして逃げてるんだよ藤丸は」
 そう鬼柳が種明かしをする。
「父親に聞いてここに来たとか言っていたけど、聞けるわけない。たまたま近くでエドワードのことを聞いて見に来たら、俺がいたんで嘘吐いて入り込んだだけ。三年前から、お金をもらいながらの家出して、あちこち旅をしてはなんか音楽をやってるらしい。ま、無駄使いはしてないし、母親とは連絡が付いてたらしいから、病院にも顔を出していたようだし、宮本もしゃーないって笑ってたけど、目が笑ってなかったから、相当やばいことやらかして逃げてるんだと思う」
 鬼柳がそう言うのだから、相当なことらしいが、宮本は何があったのか言わないので、鬼柳も事情はそこまでしか知らないらしい。
 藤丸は母親に連絡をしており、金銭に困ると通帳に振り込んで貰い、親のクレジットカードで優雅に音楽旅行という放蕩息子をしているらしい。
「なんか、すごいんだか、すごくないんだか、微妙なラインの子だね?」
「微妙もくそもあるか。ただの坊ちゃんの遊びの家出だ。あの年で何やってんだか」
 鬼柳は呆れたようにそう言う。どうやら途中で宮本に連絡を取ったのは本当のようで、宮本からはいろいろ聞かされたらしい。
「あ、だからあの子が来た時、呆れてたんだ?」
「ああ、よく俺の前に顔を出せたなって。宮本に直通の連絡手段を持ってる俺が黙ってるわけないだろ?」
「ああ、恭もあの子のことに関しては、宮本さんが怖いんだ?」
 珍しく鬼柳が密告を堂々とすると言うので、透耶は閃いたようにそう聞いていた。
 すると鬼柳は言いにくそうにしながらも答えた。
「……ああ、そうだ」
 どうやら、相当怖いらしい。
 両方を知っているだけに、関わり合いになりたくないのだが、八つ当たりが怖いし、面倒くさいので宮本の方に味方をするのは仕方ないらしい。
「面白いね、宮本さん」
 透耶はケラケラ笑っている。
 そうした向こう側で、エドワードとセラフィーナが二人で顔をつきあわせて話していた。
「透耶って、恭のことになると、あんなに怒るのね?」
 セラがそう言うと、エドワードも感心したように首を振る。
「私は怒ったところは、二度目くらいだが、それでも迫力は増したかな。有無を言わせないまま、相手に罪悪感を与えた上で反省を促す流れ、見事だ」
 これで藤丸が鬼柳に対しての恋心を捨ててしまったのか確実だった。透耶によって過去の憧れであることを見抜かれ、指摘されて、その勘違いのまま固まった思いを解き放った。
 さっきの藤丸の姿から反省はしているだろうし、二度と同じことは言わないと決めたような態度から、鬼柳のことは思い出として昇華させられていただろう。
「本当に透耶って、人の心を読んだ上で、とどめを刺すのが上手いわね」
「それが間違ってないから、納得してしまうのだろうけど……普段が普段だから耐性がないと魂を抜かれそうになる。セラは体験済みだったな」
「ええ。でもそれが恭のために発せられるだけのようだから、微笑ましいと言えばそうだけど」
 そのまま透耶達はバーベキューを続け、盛り上がった。
 残りの休暇は一週間続いた。その間に鬼柳の展覧会のことまですべて決まり、残りは写真を選ぶことになった。


 ニューヨークには二ヶ月滞在して、透耶はそのすべての日程を鬼柳と過ごし、仕事も付き合った。
 日本に戻った後も鬼柳の写真集の仕事は続き、春になると鬼柳の本が発売をされたと同時に写真展もニューヨークで開催された。
 そこまで大きなところではなく、人が気軽に入れるように作った入りやすさを重点的にした写真展は、大成功のうちに二週間で終わり、写真集は写真集部門で堂々の一位二位を二冊で飾った。
 風景の写真集の方が一般に受けたので、そちらは暫く一位に輝き続けたが、玄人受けしたのは報道の写真集の方だったという。それまでの噂で傷ついた鬼柳の評価が、完全に覆され、さすが宮本雅彦の秘蔵の弟子という、褒めるにしても素直には褒めたくない人たちはそう言うしかなかったらしい。
 風景の写真は様々な雑誌で特集を組まれて、鬼柳は二週間、展覧会と取材と代わる代わる来る依頼とで、その忙しさは透耶が可哀想だなと思うほどだった。
 全てを義務としてこなした後、鬼柳は透耶を連れてニューヨークを飛び出した。
 誰にも捕まりたくはないという鬼柳の願い通り、冬はオーストラリアで一ヶ月、誰も来ないようなところで過ごしたほどだ。

「透耶、こっち見て」
 そう鬼柳が言うので透耶は鬼柳の方を振り返る。
 すると鬼柳がカメラを構えて写真を撮る。こんなことが日常である。
 透耶も撮られることには慣れて、優しい顔をして写ってくれる。
 写真は山ほど溜まっていくが、それも二人で現像したり、写真を並べたりして新しいアルバムをたくさん作っていった。
「そういや、透耶の本、そろそろ出るんじゃなかったっけ?」
 旅行に出て一年経った日、鬼柳がそう言った。
「あ、恭の写真を使った雑記ね。うん、もう出てると思うけど?」
 鬼柳の写真を選んでいる時に雑記は編集者の手塚に半分渡していた。それを読んだ手塚が更に雑記を集めて一冊の本にした。半年間、透耶が毎日書いた観光したりした日記や日常を書いたものであるが、それに鬼柳の写真を使った。
 手塚からは第二弾を作ろうと言われて、更に半年分の雑記を送ったばかりだ。
「透耶の日記、読んだことないし、写真を選んだの透耶だし、できあがり見てないから見たい」
 そう鬼柳が言い出して、二人は日本に一旦戻った。
「ただいまー、はい、宝田さん、お土産」
 オーストラリアからヨーロッパ巡りと様々な土産が届いていたが、透耶は必ず直接渡すために何かを買ってくる。
「おかえりなさいませ、ありがとうございます」
「変わったことはなかったか」
 鬼柳がそう宝田に問うと、透耶はさっと玄関を上がって飼い猫のクロトを抱き上げる。クロトは久々の透耶に懐いて喉を鳴らしている。透耶達がいない間も好きに過ごしていたらしく、機嫌はいいようだった。
「今日は光琉様と綾乃様がいらっしゃいます。ピアノの練習なのですが」
「あ、そっか。今日は土曜日か」
 綾乃は未だにこの家に通って、透耶の代わりにピアノの練習をしてピアノの様子を見てくれている。本人も大したピアノをジョージに押しつけられてもらっているのだが、それでも宝田が寂しくないようにと気を遣ってくれている。
 光琉は芸能界を半分引退をして、子供を育てる主夫をしながら作詞作曲をして曲提供をするようになっていた。その曲はあちこちでかかる曲になるほどヒットをしていて、透耶の耳にも届いていた。今はネットで動画としてミュージックビデオがあがるため、透耶もそれを聞いていた。
 そうして居間に入ると光流達がちょうどやってきた。
「お、帰ってたのか。久しぶりじゃん、透耶、鬼柳さん」
「先生ー、お久しぶりです!」
 綾乃がそう言って透耶に抱きつくと、小さな子供がヨタヨタと寄ってきて透耶に抱きつく。双子なので両足にピタリと蝉のようにくっついた。
「しっかり走るんだね。もう三歳か」
「うん、力もすごいんだよ」
 綾乃はそういいながら子供をあやしている。
 その様子に透耶は微笑んだ。小さかった少女がすっかり母親になっている。
「今日は鬼柳さんのご飯、期待していい?」
 光琉がそう言い出すと、鬼柳は光琉に聞いた。
「チビ共は、好き嫌いないのか?」
「ない。びっくりするくらい何でも食べる。酸っぱすぎるモノと辛いもの以外だけど」
「分かった」
 鬼柳がそう言ってさっそく台所に入っていく。
 慣れたもので、旅行先でもどんどん地元料理を習い、透耶に美味しいと公表のモノはレシピも残しているほどで、料理の腕前は前よりも上がっている。
「やった!」
 光琉が喜んでいると、子供達が光琉の足にしがみついていく。
 すっかり主夫をやって子供に懐かれているようで、綾乃曰く。
「お父さん大好きなの、私がよく出かけてしまうからなんだけどね。メチャクチャ助かってる」
 綾乃はそう言って笑っている。
 そして二人してピアノに向かい、それぞれが弾き始める。
 透耶はだんだんと過集中していた練習が、一休みしてやれるようになっていて、更に難しい曲もやるようになった。綾乃の腕は更に上がり、日本を誇るピアニストとして世界中で講演会を開いている。
 光琉はその旅行に子供を連れて参加したり、自宅で曲を作ったりと、芸能人でアイドルをしている時よりも充実した生活を送っている。
「先生の本、読んだよ。鬼柳さんとの合作なんだね。面白かったよ」
「あ、良かった。本を送ってたけど、届いてて」
「二冊の写真も良かったなあ。鬼柳さんの写真集もすごかったし、やっぱりあの人はすごいわ」
 綾乃は素直に鬼柳を凄いと認めた。元々凄い人だと分かっていたが、写真集を出したとたん、世間での認知度が上がったらしい。日本人カメラマンの写真がアメリカの写真集ランキングで一位二位を取る快挙で盛り上がり、日本でも展覧会をという話になっているのを鬼柳が逃げ回っている。 
「あはははは、面倒なの嫌いだもんね」
 綾乃がそう笑うと、鬼柳がドアを開けて言った。
「俺は、もう展覧会はやらんぞ。インタビューもだ」
 真剣に鬼柳がそう言いだして、皆が笑う。
「それより、飯できた」
「やった、食べよう」
 綾乃を光琉が二人の子供を抱えて真っ先にダイニングに入っていく。そんな二人を透耶が笑って見ている。
「透耶、ほら早く食べないと、あの勢いだとなくなるぞ」
 鬼柳が透耶を呼んで、透耶は鬼柳の側に駆け寄った。
「ふふ、恭、大好き、愛してるよ」
 透耶がそう言い出して、鬼柳は一瞬驚いたが、ふっと笑って言った。
「もちろん、俺も愛してるよ」
 そう言われて透耶も笑い返した。
「はいはい、ラブラブはいいから食べるよ〜」
 綾乃と光琉が二人を冷やかして、透耶と鬼柳は顔を見合わせてクスリと笑った。
 その日は、とても幸せな日常だった。

 こんな日がいつまでも続いていく。
 少しずつ成長をしながら、少しずつ変わっていきながら。
 たくさんの写真と、たくさんの思い出が、たくさんの人の心と記憶に降り積もっていく。