Allegro vivace04

 嗣永裕輔(つぐなが ゆうすけ)がその日実家に帰ると、珍しく兄が自宅にいた。
 ほぼ同等の容姿を持っている兄裕策(ゆうさく)は、モデルをしている。なので顔だけは売れているのだが、最近は俳優もやり始めて人気が出始めている。
 そのお陰で嗣永は兄に似ている容姿や境遇のせいで女性に人気が出始めた。だがそこからが嗣永の地獄で、女漁りをした結果、女性に興味が一切湧かず、自分よりも小さい可愛い男性に興味があることがはっきりとしてしまったのだ。
 いわば、兄のお陰でゲイである自分に自覚を持ってしまったとも言えた。
 嗣永が玄関を入って居間に行くと、母親が笑って出迎えてくれた。
「あら、今日は皆揃う日だったのね。お寿司を頼もうと思ってたけど、極上にしておきましょうね」
 母親は息子達の突然の帰郷に喜んだ。
 同じ都内にいるのに、実家を出た二人の息子はなかなか家には寄りつかなくなっていたから、嬉しいのだろう。そして忙しいはずの父までも今日は帰宅する予定だという。政治家の秘書をしている父親は、ほぼ家に帰ってくることはない。ずっと政治家の自宅に泊まり込む形になっていて、政治家が地元に戻ってきた時にやっと休みをもらって帰ってくることがある。
 昔からそうであるため、家族は慣れていたが、よりにも寄って今日全員が揃ってしまうのは、運命なのだろうかと嗣永は思った。
 すぐに父親が帰ってきて、寿司も届いた。
 家族で食卓を囲んで食べ始めた時に、父親がまず口を開いた。
「裕策、裕輔。今日は何の相談があって戻ったんだ?」
 というのである。
 その言葉に嗣永もドキリとしていたし、兄も同じ様子だった。
「あら、まあ、そういうことだったの? 何かしら、お兄ちゃんからどうぞ」
 母親は相談事であっても、家族を頼りにしてくれていることが嬉しいのか、相談事にのってくれるようだ。
 すると兄は寿司を一個食べた後に口を開いた。
「実は……今度映画で主演になるんだけど、大きな映画で、一気に俺の顔が売れると思う。そしたら父さんの仕事にも影響してくるし、母さんの周りも騒がしくなると思う。つまらないスキャンダルとかも出てくるし、今までみたいに静かって訳にはいかないと思う」
 そう裕策が言うと、母親も父親もなるほどと納得したように頷いている。
「お前がそれで成功すればの話なんだ? よし覚悟は元よりできている。思い存分人気者になれ」
 父親は嬉しそうにそう言った。父親が兄の俳優業はずっと応援している形でいるのは、昔自分が進みたかった道だったからである。有望だった舞台俳優だったのに、家族を養えないと言って秘書になった人である。だから息子の活躍は自分のことのように嬉しいのだろう。
「まあ、裕策、有名になっちゃうのね。じゃ、テレビドラマとか出るのかしら?」
「あーうん。まだ本決まりじゃないけど、そういうの何個か依頼が来ているから、来年辺りには幾つかでると思う」
「そう、テレビで見られると嬉しくなるわ。頑張って」
 そう兄は祝福されている。
 そうなってくると、嗣永の相談が大問題になってきた。
 胃が痛くなってきたが、カミングアウトすることを決めてきたのだから、言うしかない。 
「それで、裕輔の相談は何だ? お前の方が深刻そうな顔をしているが、どんなことだ?」
 そう父親が話を進めてくる。
「あ、……俺も家族に迷惑がかかるかもしれないことだけど、俺自身のことでもあるんだ」
 嗣永は意を決してから、相談事を口にした。
「俺、実はゲイなんだ。ずっとそのことを疑っていたんだけど、最近になって女性とは結婚できないってはっきり分かったんだ」
 そう嗣永が家族に告げると、一瞬でその場が凍ったようにシーンとした。
「気の迷いじゃなくて、明確に分かったんだ。だから、これから付き合うのは男性であるし、将来のパートナーも男性になる。兄貴には悪いけど、弟がゲイとかでネタにされるかもしれないけど、俺はこれで生きていこうと決めたから」
 そう嗣永が告げた途端、父親はふうっと溜息を大きく吐いて、母親はぷっと吹き出して笑い出し、兄は首を横に振っている。
「お前、今までの所業で、今更そういうことを真面目に考えるようになったのか」
 兄がまずそう言い出した。
「え?」
「お前が俺のおこぼれで大変な目に遭ってるのは知ってる。それでもお前はいろいろ考えてたんだろうって。でも恋人は作らなかったから、どこか違うんだろうなとは思ってた。やっと自分の中でちゃんとした答えが見つかったんだろうけど……今更だ。お前が男にしか興味がないのなんて、中学時代から知ってた」
 兄がそう言い出して、嗣永はドキリとする。まさにその時期に性について悩んでいたからだ。
「お前がそっちの人間なのだろうとはずっと思っていた。女性とは関係を持っても恋人は作らないし、自宅には誰も連れてきたことはないしな」
 普通、恋人ができれば一人くらいは実家に連れてくるはずである。高校までは自宅にいたのだから、母親からそういう話も聞こえてきそうなものなのに、それはなかった。
 その辺りから疑っていたらしい。
「あら、誰か可愛い男の子にでも恋したのかしら~」
 母親が興味津々にそう言い出した。
「母さん……」
「やだ、だってお父さん、裕輔って昔からメンクイな上に、可愛い男の子を見つけると、お嫁さんにするんだって、真剣に言ってたじゃない~。その時から私はこの子はそうなるんだなって覚悟はしてたわよ~」
 母親がそう言い出して、嗣永は驚く。
 自分には覚えもない出来事であるが、幼稚園時代にそうしていたらしい。
「そうそう、お前。お嫁さんはいつも可愛い男の子だったから、幼稚園からも「個性の問題ですが、相手方のある問題でもあるので、注意させていただきます」って言われて、いつも可愛い男の子の親が怒鳴り込んできてたんだぞ」
 そう兄が言い出しても嗣永は思い出せない。
 欲望に忠実だった幼稚園時代にやらかしたせいで、小学校では要注意人物として扱われていたらしい。
「そ、そんなことが……」
 今更にそんな事実が掘り起こされて、困惑する嗣永であるが、家族は笑って今更過ぎると言ってくる。
「それで恋人ができたんだろ?」
 兄がそう尋ねてきたが、嗣永は言いにくそうにしながらも素直に答えた。
「あー……というか、合コンで知り合ってまだ一日。俺は一目惚れなんだけど、相手からはお互い知らないことだらけだから、お試しで一ヶ月、それで問題がなければ継続ってことでって言われて……」
 そう嗣永が言うと、母親が舞い上がって椅子から立ち上がり一人でクルクル回りながら喜んでいる。
 父親はそれを聞くと、深く頷いた。
「つまり、やっと本気になれる相手ができたというわけか?」
「そういうこと……なんだ」
「それで相手の親御さんは、どうなる。うちみたいにいかんだろう?」
「あ、いや。あっちはもうカミングアウト済みで、応援してもらっているって言ってた」
 そう嗣永が言うと、兄と母親が顔を見合わせて笑っている。
「つまり、相手がちゃんと親に紹介できるような環境にあるのに、自分は秘密にしなきゃならない環境なのが不誠実に思えてきたのか?」
 父親の言葉に嗣永は頷いた。
「今まで馬鹿してきたと思う。けど、今度はちゃんとしなきゃいけない相手だって、最初から分かっているから、俺もちゃんとしなきゃきっと好きになんてなってもらえないって分かって……ちゃんとしようと思った」
 嗣永の告白に、父親は大きく頷き言った。
「やっと子供から卒業したな。こういうことにも責任を感じてきちんとしようという心掛けは大変良いことだ。そして自分が何であるかきちんと認めて相手にも誠実でいようというのもいい成長だ。頑張れ、俺たちはそんなお前を応援している」
 父親がそう言い切って、兄も母親も頷いている。
「そのお試しが終わって、ちゃんと付き合うようになったら、あちらさんのご家族にも会わないといけないな。何せ、うちのは素行が今まで悪かった。今度は本気であることを認めてもらわないといけない立場だ」
「……そうだな」
 父親にそう言われて適当に過ごしてきた日々のツケが回ってきたことに嗣永は気付いた。真面目に恋人を探しているつもりだったが、端から見ればあっちこっちとつまみ食いをしているようにしか見えなかっただろう。
 そしてその事実を阿古も知ることになる。きっとカミングアウトを友人にすれば自然と嗣永の名前が出てくるだろう。そうすれば、嗣永の素行は暴かれるだろう。
「お前の素行が問題になってくるだろうが、お前はこれからそれを払拭するように生きていかなければならないわけだ。これは結構苦しいぞ。周りは急に変わったお前のことを笑いものにするだろうし、それまでの人間関係はなかなか切れない。だが、お前がしてきたことの代償なのだと納得して、これからやり直せばいい。家族も付いているし、分かる人間も出てくる。それまで頑張れ」
 父親にそう言われて、嗣永は頷いた。
 阿古が呆れるほどの生活態度だった。けれど阿古にあの世界にいて欲しいとは思わない。相手のためにきちんとしたいという気持ちが沸いてくる。
 一目惚れしただけで、ここまで人間は変わることができるものなのか、嗣永は自分の変化に戸惑いながらも、それでも心地よさを感じていた。

 その後、家族で食事を済ませ、その日は泊まっていくことになって、部屋で阿古にメッセージを送った。
 阿古は友達にカミングアウトをしていたらしいが、先に嗣永が報告をした。
 すると、阿古は。
「家族に認められると心が安定するよね。生きてていいんだって思えて、その期待を裏切るなんてできなくなる。考え方もポジティブになるし」
 そう阿古は言う。
「俺の方は友達も察しててくれてた。話したらそんなことかよってだって。もっと重大な問題のことかと思ったって言われて、そしたら高校時代からの友人の今川が、実は察してたってやっと納得できただって。もう、バレてたんだ。それでも俺と友達やってくれてたの、凄く嬉しい。これからも友達でいてくれるって。こんな嬉しいこと、初めてで、泣きそうだった」
 阿古はそう言ってまだメッセージを送ってきている。
「昨日のこと、そこから俺の何かが変わったんだと思う。気持ちとか、見る目とかいろいろ、そういうの気付かせてくれたのが嗣永なんだ。ありがとう。俺本当に感謝してる。これからもよろしくね。お試しだけど、恋人だしね」
 阿古は照れたような絵文字を使って恋人だと打ってくれた。
 それが嗣永は嬉しくて、メッセージを送る。
「俺も阿古のお陰で、家族といい関係が築けている。カミングアウトを悪い方に考えていたけど、全然そんなことはなくて、家族だから皆察してくれてて、俺の荒れていた時も見守ってくれていたんだって分かった」
 嗣永は思い出しながら、泣きそうな気持ちに陥ったことを白状した。
「嬉しくて泣きそうな気分だった。阿古のお陰で本当に家族が家族になれた気がした」
 そう嗣永が打つと、阿古も同じように返してきた。
「俺も嗣永のお陰で、友達と本当に解り合えた気がする。これから何でも話せる関係になれたし。あ、友達が嗣永の真意が知りたいって会わせろって言ってくるんだ。大丈夫?」
 阿古は苦笑しているのだろう。しかし阿古の友達は噂を知っているのだろう。嗣永のしてきたことのツケを払う時である。
「大丈夫だ。俺の家族も、お試しが終わって継続していくなら、家族同士で会いたいって言っている。大丈夫か?」
「うん、大丈夫。そういう相手ができたら紹介するって約束しているから」
 阿古はそう書いてきた。
「じゃ、そろそろ寝るね。いろいろあってもう眠気が」
「うん、おやすみ。明日、大学で会おう。お昼とか会えるよな?」
「うん、大学の門通りの喫茶でいつも食べているから、そこまで来られるなら会えるよ」
「俺もその辺で食べていたから、じゃ明日から一緒しよう」
「うん、明日また連絡するね」
「阿古、おやすみ。好きだよ」
「あのね……もう……俺もって言いたいけど、お試し中ですので保留ってことで……じゃおやすみなさい」
 阿古はそう書いてきて通信を終えた。
 阿古はまだ気持ち的には嗣永のことを本気で好きな訳ではない。ただ付き合っていくなら、お試しでも嗣永といろいろ試したいだけなのだ。
 けれど、それをも利用して嗣永は阿古を手に入れるつもりだ。
 少なくても阿古は嗣永に嫌悪していない。セックスをしたのも大きいが、まずは躰だけでも先に手に入れてでも、阿古を縛りたいと思ってしまった。
 阿古を思うと、誰にも渡したくなくて、阿古の笑顔を自分だけに向けたいと思うようになってしまった。
 一目惚れとは厄介なものだと知っている。
 自分が一目惚れをされる立場だったから、その思いが重いほど相手に重圧をかけることになることも知っている。その立場に自分がなったわけだが、やっと今まで自分に心を砕いてくれた相手の気持ちも理解できてしまった。
 勝手な思いが広がるのを止めることはできず、持て余すほどになってしまうのだから、自分でも制御できないのが怖い気もする。
「一目惚れでこんなことになるとはな……」
 自分でもびっくりなほどにたった一日のことで世界が変わった。
 阿古に出会ったことで心まで変わった気がする。
 それが嗣永には不思議だったが、それが悪いことなわけじゃないことだけが、酷く救いになっている。
 悪い方へ転がるのではなく、いい方へと転がっている。
 あんな小さな阿古の力でだ。
「好きになるなって方が無理だな、阿古……いや、湊人(みなと)」
 嗣永はそう言って隠し撮りをした阿古の写真を携帯で見る。
 阿古が寝入ってから撮ったものだが、今や宝物だ。
 阿古の初めてを全てもらった。これからも初恋と失恋以外の阿古の初めてを全部もらう。
 阿古が経験していないことを、どんどん経験していこうと思った。

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