Sugary-03

 奏は車に乗り込んでから気が抜けたのか、車の中で寝てしまった。
 ゆっくりと進む車の振動が心地よかった。
 そんな奏は夢を見ていた。
 夢の中で、両親が立っていた。それを見た奏は本当は生きていたのだ、こっちが本当なのだと喜んで抱きついたのだが、両親は首を振った。
「いいえ、私たちは死んだの。あなたを一人にしてしまってごめんなさい」
 そう夢の中の両親が言った瞬間、奏は首を振った。
 両親にそんなことを言わせているのは自分の脳だ。夢は奏の思い通りになるのだから、これは奏が両親に言って欲しい言葉なのだ。
「やだ、やめて……そんなこと言わせたくない……お願い……僕は、寂しいけどちゃんと立って、ちゃんと生きていくから、大丈夫だから、謝ったりしないで、お願い」
 両親が事故を起こしたわけではないし、到底あり得ない場所で起こった事故だ。だから誰も死ぬとは思わなかったし、実際死んだのは両親だけだ。
 だから運転手以外は悪くない。その運転手も死んだから誰も恨む事なんてできない。 奏は自分が誰かのせいにして楽になりたがっているのだと気付いた。
「僕は……なんてことだ。僕が一人になったのは他人のせいだけど、そう思って楽になろうとしているなんて……そんなことを思っても仕方ないのに」
 奏はそう口に出して自分の不幸を呪った。
 誰のせいでもないのだ。けれど、奏は今正に他人のせいで不幸だと思っていたのだ。
「大丈夫、僕はやっていける。だって西ヶ谷さんや酒井さんだっていてくれる……大丈夫、一人じゃない」
 奏がはっきりとそういうと、目の前の両親が笑った。
「そうよ、あなたには頼れる人がいる……大丈夫、あなたは大丈夫よ」
 母親の言葉に顔を上げると、その顔が光に包まれて眩しくなって奏は目を閉じた。
 そしてふっと目を開けるとそこは暗闇だったが、ふと周りが明るいことに気付いた。
「奏、起きたか? うなされていたようだが、大丈夫か?」
 助手席に座っている西ヶ谷がそう声をかけてきて、奏はハッとした。
「あ、寝てた……?」
「疲れていたんだろうが、ほんの十分程度だぞ。それに寝たくらい気にすることはない」「……はい」
 奏はふうっと息を吐いてから深呼吸をした。
 随分嫌な夢を見たけれど、最後に両親には笑っていて欲しかったから、それが見られたのはよかった。たとえ、自分の願望であっても生きている最後に見た姿のままで夢に出てきてくれたことは嬉しかった。
「そろそろ着く。大学から遠くなってしまったが、当面は送り迎えをするから構わないな?」
 そう西ヶ谷が言った。
 桜庭のこともあるから、当面は西ヶ谷の指示に従った方がいいのはさっき話し合って決めたことだった。
「はい、大丈夫です。しばらくやることがあるので、大学は一ヶ月くらい休学をしました。大学の教授が進めてくれて」
 葬式の日にわざわざ教授がやってきてくれて、葬儀後もいろいろとやることが多いことを知っている教授は一ヶ月くらいの休学をした方がいいだろうと書類を揃えて持ってきてくれて、責任を持って提出もしてくれた。
 大学はあと一年半は残っているから、続けて通えるのかどうかも、正直奏にはまだ分からないだろうと言うわけだ。遺産を相続して初めて残りの一年を通えるのかどうかも分かってくるだろうと言われた。
 確かに大学は通ってしまいたいが、当面のお金が必要だった。
 その現実的問題を両親はしっかりと用意してくれていたのは不幸中の幸いだった。
「蓋を開けてみないことには、残りの一年を通えるのかさえも分からないから、それらが分かってからでも辞めるにしても猶予が必要だろうって……」
「そうか、いい教授に習っているな」
「はい、本当に有り難いです」
 普通は学生相手にそこまではしない。けれど、奏の身寄りが両親以外にいないことを教授は知っていた。たまたまそういう話になった時に話したのだが、それを教授が覚えていてくれたのが、奏は素直に嬉しかった。
「大学はちゃんと卒業しろ。ご両親がそのために準備もしてくれていたのだから」
「はい」
 両親は毎年遺言を書き換えていたらしい。奏が困らないようにと大学費用をちゃんと遺産として残してくれていたし、マンションだって残るようにいろんな計算もしてくれていた。
 だからおかしいのだと、酒井が言ったのだ。
 マンションを残るように遺言書を残しているなら、退所することになっていたなら、そういうこともまとめて書き換えているはずであるし、退所が一ヶ月もしないうちに出て行くように言われていたなら、新しいマンションか何かを購入しているはずであると。
 それらを調べても、購入した記録はなかったし、そもそも退所するつもりでもなかったことは読み取れた。
 桜庭が適当に吐いた嘘であるのは間違いなかったが、それでも西ヶ谷はそれを利用しようと言った。
「あっちから出て行くように仕向けたんだ。なら素直に出て行ってやろうじゃないか」
 というわけだ。
 残っても桜庭の持ち物であるマンションで、今後奏が楽に暮らしていけるわけもないのは、さすがの奏も分かることだった。
 新しい奏の家は、西ヶ谷の持ち物のマンションで、保証人は西ヶ谷になっている。
 弁護士の酒井に詳しい契約を読んでもらい説明をしてもらって、奏は早々にサインをした。当面は家賃を払うが、そこは西ヶ谷の配分で相場よりもかなり安く借りることになってしまった。
 西ヶ谷曰く。
「遊ばせていた部屋だ。少しでも使ってくれると痛みが減る」
 使わない部屋は一気に傷むらしく、そういう意味でも使って欲しいらしい。
 なので奏は有り難く借りることに同意した。
 それもこれも桜庭のせいで、奏にはその辺の物件を借りるわけにはいかないという理由もあるので、奏も納得するしかなかった。
 マンションが見えてくると、そこは奏が住んでいたマンションとは比べものにならないほどの高級という文字が付くマンションだった。
 思わず西ヶ谷の方を向くと、西ヶ谷は今更駄目とは言わせないぞという顔をしている。
 奏は黙って首を振ったが、西ヶ谷はそれを無視した。
 どう考えても一ヶ月の家賃は百万円はいってしまうような作りである。
 それを六万程度で借りてしまうのは何だか問題があるような気がするが、持ち主がそれでいいと言っている以上、ここは有り難く借りるしかない。
 部屋まで荷物を運んでもらい、奏も西ヶ谷に連れられてマンションに着くと、まずマンションの入り口に受付カウンターがあり、そこに常に人がいた。その人が西ヶ谷を確認してドアを開けるスイッチを押してくれる。
「おかえりなさいませ。そちらがお伺いした、奥上奏様でございますね?」
 執事のような人がやってきて、西ヶ谷に話しかけてきた。
 年齢は四十くらいだろうか、物腰が柔らかく和やかな様子に奏は慌てて頭を下げて挨拶をした。
「は、はい、初めまして奥上奏です」
「私は受付係の深水忠(ふかみ ただし)と申します。以後お見知りおきを。何かございましたら、お部屋の受付への電話でお知らせ願えれば、私どもが解決いたします」
「はい、ありがとうございます」
 軽く挨拶をすると、西ヶ谷は深水から奏の部屋の鍵を受け取った。
「軽く掃除だけはしておりますので、すぐにお使いできます」
 このマンションは海外でも大企業に勤める人たちが住んでいるマンションで、独身でなくなると出て行くことになるマンションらしい。子育てには向かないような作りになっている。
 部屋数は十二、一階は事務所やマンションの受付などがあり、二階から二組の部屋しかない作りとなっている。
 もちろん西ヶ谷の部屋は最上階だ。西ヶ谷の隣の部屋が空いているのは、西ヶ谷が隣の部屋に誰かがいるのが耐えきれないので空き室にし、両方とも自分の部屋にしていたかららしい。
 家主の特権である。
その部屋はそこまで広くはなかった。豪邸というほどの大きさではないが、どうやら入っている電化製品から家具までが高いらしい。ここに入居する人は家具は持たず、自分の服や身の回りの小物だけ持ってやってきて住んでいるのだという。もちろん、家財が壊れたら保証のもと、無料で直してもらえるのだという。
 そういう意味で保険としての家賃が高い。
 完全防音に床には暖房なども入っていて、防犯設備も標準で付いている。受付があるからそうそう他人が入り込むことはできないし、宅配便も全て受付が受け取ってしまうため、部屋まではそうした人たちは来ないのだという。
 そういう意味で絶対的な安全があるこの部屋が奏に宛がわれたわけだ。
 奏の方もこの方が怖くはないし安心だと思えた。
「わあ……」
 部屋に入ると玄関先には大きな玄関と靴のクローゼット。自転車がおけるほどの大きさの物置がある。廊下も少し大きめで、まっすぐに進むとキッチンダイニングに出た。綺麗な家具とオール電化になってるキッチン、そして奥には居間があり、ソファやテレビまでがそろっている。オーディオも一通り揃っている。どうやらシアターで見ても音は外に漏れないらしい。
 居間の隣を開けるとベッドルームがあり、ベッドもキングサイズのベッドだ。シーツや部屋の色は黒と白のコントラストで仕上げていた。ベッドの奥がクローゼットルームになっていて、その隣がバスルームとトイレになっている。
 バスルームがベッドルームに繋がっているのは欧米の仕様らしい。
もちろん、玄関の廊下のところにも部屋が一つあり、その隣にトイレとバスルームもある。ほとんどの人は廊下の部屋を仕事部屋にしているらしい。デスクトップのパソコンも入居時に求めると部屋の備え付けになるらしい。最後は結局パソコンは買取りになるけれどと西ヶ谷が言っていた。個人情報が入っていることが多く、持って行きたがる人が多いのだそうだ。
部屋の住人の入れ替わりは半年に一回くらいで、その全てを西ヶ谷が管理している。口コミで西ヶ谷に申し出ない限り入居はできず、不動産会社などでは入居者を募集していないのだという。
 一つ一つ、西ヶ谷が説明してくれ、部屋の使い方を習った奏はどきどきとして息を吐きながらも一生懸命使い方を覚えた。
「隣には私もいるし、受付の深水を頼ってくれていい。私が仕事で出ているときは、こっちの秘書の及川伸吾に連絡をしてくれていい」
 そう言うと、同じく黒服の男である及川と言われた男が玄関に立っていた。
 身長はほぼ西ヶ谷と同じく百九十はある身長で、体格は西ヶ谷よりもがっしりとしている。
「こんにちは、奥上奏くんだっけ? 西ヶ谷が急にごめんね。何の準備もなく連れ回しちゃって」
「あ、いえ……こんにちは、奥上奏です。こちらこそお世話になっています」
奏が深々と頭を下げて挨拶をすると及川は笑った。
「いい子だね。ご両親のことはお悔やみ申し上げます。私も駆けつける予定でしたが、仕事が片付かず申し訳ない」
「いえ、丁寧にありがとうございます」
 また奏が頭を下げるとすぐに西ヶ谷が及川に話しかけた。
「準備はできたか?」
「はい、頼まれたものは取り寄せましたよ。大分ごねてましたけど」
 及川はそう言いながらも、書類の入った封筒を取り出した。
「契約はまだだったようですよ」
 及川にそう言われて西ヶ谷が書類を開けて確認している。
奏の前で平然と空けている様子から奏も関係があることらしい。
「何ですか、これは?」
「君のマンションの退去に伴う書類だ。桜庭の言い分だと、もう両親とは話が付いていて、退去の契約もしたと言っていたが、それは嘘だったようだ。しかし言った手前、奏がすぐに出て行く決心をしたので書類をすぐに出せと言ったら、散々ごねて後悔しても知らんぞと何度も言ってきた上で書類をやっと出してきたらしい」
 そう西ヶ谷が言った。それを引き継いで及川が続けた。
「つまり、桜庭が言った話は書類すらない嘘だったってことね。それでこちらはそう聞いたのでもう部屋を決めて出ていく準備もしたのでマンションの退去に伴う、部屋の引き取り代金を要求したわけ。奏君に桜庭が言ったんだから嘘の分けないよねって」
 もちろんそんな話は嘘で強制退去によるお金は発生しないわけだが、桜庭はそれを嘘でしたと言えなくなったのだ。奏が弁護士を立てていた事実を知ってしまったからだ。
「桜庭としては君が騙されるだけなら話は早かったが、弁護士が入るということはマンションの工事がない事実が発覚して、虚偽による強制退去という脅迫になって不動産会社にとって不祥事になる。それがテレビにでも取り上げられたら、それこそ評判も地の底になるだろうね、そうなると桜庭が現在やっている建設途中の巨大マンションの入居者が入らなくって大打撃だ」
 つまり桜庭は最初から奏を騙していたというわけだ。
 しかし奏に意外な援護があったために、今回は引き下がったのだが、更にこちらからの反撃によって桜庭は尾っぽを見せたのである。
「まさかこんなに早く引っ越しを決めるとは思ってなかったんだろうね。ごねていたのは書類を作っていたからだと思うけど」
 つまり有りもしないものを作る羽目になり、その時間稼ぎにごねていたのだという。時間がかかったのはそのためらしい。
「この書類は工事による強制退去で損失を受ける奏が受けるべき部屋の売却代金の書類だ。もちろん、こちらから弁護士を一人出していたから、そのまま奏の代わりにサインをした。この即決も向こうには意外だっただろうな。振り込みはいつだ?」
「完全退去が済んだ後です。こちらは明日には引っ越し業者を入れて一日で完全撤退をさせる予定です。もちろん難癖をつけられないように弁護士同伴で作業します」
「頼む。荷物は倉庫に運んでくれ。奏の部屋の荷物で、家具以外はこっちに運んでくれ。奏、落ち着いてから両親の持ち物を整頓しよう」
「はい、ありがとうございます」
 西ヶ谷が全て手配してくれたおかげで、たった一日で奏はあのマンションを退去することができそうだった。他にも書類にサインをしたりする作業がたくさんあったが、その日のうちに当面の書類にはサインをした気がしたほどだ。
 夜の十二時を回った辺りで、その日の作業はやり終えた。
「今日はやることがあって大変だっただろうが、よく頑張った。もう疲れただろうからお風呂に入って寝なさい。お腹が空いているなら冷蔵庫に冷凍物が入っている。飲み物も好みそうなものは用意してあるから、絶対に外に買い出しに行くようなことはしないでくれ」
「分かりました、いろいろとありがとうございます。僕一人では何もできずにいたと思います。すごく助かります。これからもお世話になるし、迷惑もかけるかもしれませんが、精一杯頑張りますので、よろしくお願いいたします」
 奏が西ヶ谷に頭を下げて言うと、西ヶ谷は奏の頭をすっと撫でてから言った。
「明日からはそこまでしなくてもいい。普通に笑ってありがとうと言うだけで構わないから」
 そう言われて奏はふっと頭を上げると西ヶ谷が笑っている。
「今日は大変だったね。よく頑張った、もう気を抜いても大丈夫だ。隣には私もいるし、何ならここにいてもいいが?」
 そう言われて奏は顔を赤らめて慌てて断った。
「だ、大丈夫です、一人で寝られます」
「そうか? じゃ、おやすみ奏」
 西ヶ谷がそう言って玄関を開けた。
「ドアはオートロックだからいいとして、ちゃんとチェーンもかけて、寝るときは」
「キッチンのインターホンのところにある防犯スイッチを入れる、でしたよね?」
「そうそれでいい」
 西ヶ谷がそう言って部屋を出ると、ドアが閉まりそうなときに奏は言った。
「西ヶ谷さん、おやすみなさい」
 にっこりとした奏の笑顔はちゃんと西ヶ谷に届いていて、西ヶ谷は微笑んでいた。
 ドアが閉まるとすぐに奏はチェーンをかけた。
 それから居間に戻ってから冷蔵庫を開けて水を取り出すと、風呂に入った。
 使い方は習っていたし、必要なものは揃っていたのでゆっくりと入ることができた。 風呂から上がるとすぐに布団に入り込んだ。大きな布団だからびっくりしたけれど、いい感じの柔らかさで体がすっと沈んでベッドの中央に収まった。
 何から何まで初めての経験でびっくりしたが、やっと落ち着いて奏は大きな溜め息を吐いた。
 息を吐いた瞬間に眠気は一気に襲ってきて、奏は何も感じることもなく、深い眠りについていたのだった。