Sugary-04

 夢の中で電話の音が聞こえる。
 奏はうるさいなと思いながら、やっと現実の世界に戻ってきた。
「……電話……どこで?」
 奏は携帯を持っていない。今時珍しいのだが、奏はそこまで携帯を持っていたいと思わずに生きてきた。
 友達も皆持てばいいのにと言ってくれたが、そう言ってもその友達とはそこまで仲がいいわけでもなかったので、一回程度の催促で終わった。
 その後大学では奏は誰とも友達にはならず、一人で行動をしていた。
 理由があったわけではなく、一人でも割と平気だったのと、大学の教授には何故か好かれるので、よく手伝いをしている間に教授の腰巾着だと思われて、気付いたら誰とも付き合っていけなかった。
 けれど、どういうわけか年上の上級生には顔を覚えられて親切にはしてもらったが、携帯電話を持っていないというだけで、大学以外で彼らと付き合うことはなかった。
 奏はそうした人たちの間に入ることが苦手で、何でも一歩引いてしまうことから、周りからも引いていることが分かってしまうのか、親友になれるような人は現れなかった。
 それでも奏は困ったことに、そのことに不自由を感じなかった。コミュニケーションが足りないとか障害とかでもなく、ただ単に性格の問題だった。
 その代わり、奏はパソコンでするゲーム、それも囲碁や将棋の方が好きだった。周りには麻雀はする人はいたが、奏は一回だけカモにされて連れて行かれたことはあるが、先輩たちを遠慮なく身ぐるみを剥いでしまった。
 それでもそういう同好会には一回行ったきりだった。
 強すぎて誰も相手をしてくれなくなったからだ。
 そういうわけで奏には携帯電話で連絡を取ってまでして、仲良くする相手はいなかった。よって携帯電話の必要性を一切感じず、メールで事たると思っている古い考えの持ち主である。
 だから電話が鳴るのは自宅の電話であるはずだが、ここは仮の住まいだ。
 電話の音も違うし、けたたましく朝から鳴っているのも慣れたものではなかった。
 慌てて奏がキッチンの壁にあるインターホンまで行くと、電話がずっと鳴っている。
「もしもし」
 やっとの思いで電話に出たところ、相手がとても低い声で言った。
『もしかしてまだ寝ていたのか?』
 そう言ったのは西ヶ谷だった。
「……寝てました……」
 思わず答えてから欠伸が出た。
 そんな奏の様子に西ヶ谷は笑っているようで、声が少し弾んでいる。
『もうお昼を回っているぞ、昨日は何時に寝たんだ?』
 そう言われて目の前にあるインターホンのところにある時計を見ると、十二時どころか一時になりそうだった。
「……うそ……うわ、寝過ぎた。昨日はあれからすぐにお風呂に入って寝たんですけど……」
 たっぷり十二時間ほど寝ていた計算になる。
『寝ていただけならいい。マンションから出ていないことだけは分かっていたから、部屋にいるだろうと思っていたが、まだ寝ていたのは驚きだったな』
 クスクスと笑っている様子が耳に入ってきて、奏は顔を赤らめた。
 低い声でただでさえ腰に来るようないい響きなのに、さらにはそれを耳元ではっきりと聴きながら笑われるとくすぐったい。
 何だか寝起きから気分がよくなってしまって、奏はやっと目が覚めた。
「すみません、起きました」
『今起きたなら、朝とお昼がまだだろう。また書類に署名するものもあるから、そのついでに食べに行こう』
 西ヶ谷に誘われて、奏は素直にそれに答えた。
「はい、楽しみにしてます。でも……もうお腹が鳴っているので、近場でお願いします」
 寝起きだと言うのに、それまでに何も食べていないから、奏のお腹はぐーっと空腹を訴えてきている。
『了解、歩いて五分だ。注文もしておくから着いたらすぐに食べられる。ステーキは好きか?』
「大好きです」
『迎えに行くから着替えて待ってなさい。部屋からでないで、だ』
「待ってます」
 奏が笑って答えると、電話は切れた。
 奏は受話器を戻してから、すぐに冷蔵庫から水を出して飲んだ。そして汗を掻いているから軽くシャワーを浴びてから着替えた。
 服はどういうのがいいのか聞くのを忘れたが、いいやつを取り出してそれに着替えた。
 久しぶりに人と出かけるだけでわくわくしている自分がいることに奏は気付いた。
「……はしゃいでる、僕……」
 昨日まで絶望的な状況だったのに、今日は笑ってられる。
 不思議と生きるための行動は、悲しみに打ち拉がれるはずの心を強くするらしい。
 もちろん両親がいなくなって悲しいし、今でもそれを思って泣けるのだが、そうしても多分両親は喜ばないことを知っている。
 奏が嘆き悲しんで引きこもっていたら心配して化けて出てくるだろう。 
 でも、今浮かれている気分は少しだけ落ち着いた。
「待たせた」
 二十分でやってきた西ヶ谷は、スラックスに軽いジャケットを羽織っただけの姿でやってきた。昨日のきちんとした喪服も着こなしていたが、今日はラフな感じで似合っていた。
「さあ、歩いていこう」
「はい。あの服はこれで大丈夫ですか?」
「ああ、軽いところだから大丈夫だ。まあ、変な英語が入っているような服だとさすがに浮くが、そのワイシャツにチノパンなら問題はない。寒いから上に何か羽織るといい」「はい、持ってきます」
 そう言ってモッズコートを着た。実はこれしか持ってきていない。
 そうして二人で食事に出かけ、歩いて五分のステーキ本店に入った。
 食事は既に焼く寸前で用意されていて、入店と同時に焼き始めたといい、すぐにステーキが出てきた。さっそく頰張って食べるとあまりの美味しさに感想の語彙が消える。
「おいしい~」
ぱくぱくと平らげ、一緒に出たパンもあっという間に平らげた。
 西ヶ谷は奏を目を細めて微笑んで見たが、自分も食べ始めた。
 一時間ほどして食べ終わった後は、すぐに部屋に戻って奏は書類にサインをした。
 本当にいろんな物にサインが必要で、弁護士がわざわざ掻き集めてくれた書類に全部サインをして提出まで代理で頼んだ。奏を一人で役所にやるわけにはいかず、代理でも利くものが多いので任せたのだ。
 もちろん、提出した後にはそのことについての説明は受けた。
 そうして騒々しいままに日々が過ぎて、奏が新しい家に慣れてきた頃には、奏も一番問題だった桜庭のことすらも忘れそうなほどに忙しい日々に揉まれた。
 一ヶ月もすると、奏は大学に戻りたいと西ヶ谷に言っていた。
 西ヶ谷も桜庭の動きが全く読めないけれど、奏が動かない限りは向こうの出方も分からないと思ったようだった。
「さすがに大学の講堂から白昼堂々連れ去りはしないだろう」
 という判断から、西ヶ谷は奏が大学に戻ることを認め、バックアップのための送り迎えだけは用意してくれた。
 桜庭が諦めたとはっきりと分かるまで、奏は一人では行動しないように通学することになった。
 大学の中には奏の友達はいないが、その友達がいないことを西ヶ谷は知らない。
 奏もわざわざ言うことでもないと思って言わなかった。
 両親がいなくなってから一ヶ月、奏はゆっくりと普通の日常を始めようとしていた。


奏が大学に通い始めると、西ヶ谷は奏が心配で仕事が手に付かないことが多くなった。
「そんなに心配をしてもどうにもなりませんよ」
 呆れた秘書の入江が言った。入江は西ヶ谷不動産の創業者である西ヶ谷の祖父に使えていて、その祖父が死去した時に西ヶ谷の秘書になった。
 社長の手塚浩樹や会長の西ヶ谷よりも会社のことに詳しい秘書で、西ヶ谷たちは彼を頼りにしている。
「たった一ヶ月で完全に骨抜きですね。さすが年上キラーと言われるだけのことはありますね」
 入江は奏のことをそう表した。
「年上キラーってな……」
「そうでしょう? 同世代には全く関心は持たれないほどであるのに、年上の人たちには気にかけてもらえる人格者。そういう人を年上キラーって言うのでしょう。それにしてもうちの者たちが揃って骨抜きにされてしまっていて、会長までそうなるとは予想外でしたが」
 他人にそこまで興味がない人で、仕事人間である西ヶ谷が年下の大学生にここまで親切にする理由は、正直ない。頼まれたことをするだけなら、もう事は足りている。
 けれど西ヶ谷は日に日に奏に構い倒しては連れ回し、食事などには毎日昼まで会社を抜けだして奏と出かけるほどだったのだ。
 夜には食事をデリバリーして、奏の部屋で一緒に食べるのも日課になったほどだ。
 西ヶ谷が奏のことを話すときは、人生が楽しそうで仕方がないという顔をするほどになった。
「仕方ないだろ……奏は、その話しやすいというか、こっちがはっきりと言ったとしても、聞き分けはすごくいいし理解も早い。要点を理解して察するのも上手いんだ。話していてストレスがないのが一番楽だ」
 西ヶ谷がそう言うので、入江はクスリと笑う。
「聞き分けがいいのは、世話になっているからだからではないですか?」
「そうでもない。本音は分かりやすく、誤解を与えないように柔らかく言うのになれている感じだな。そういう風に生きてきたってことなんだろうが、それでどうして友達ができないのか分からない」
 そう西ヶ谷は言う。
 奏に大学の友達がいないことは最初から調べて分かっている。奏がそれを言わないのは、奏にとってはそれが普通のことで特別に知らせることでもないからだろう。
 それを責めてたりはしないし、奏がそれが日常ならそうするのが奏にとって負担になってないなら、いつも通りにした方がいいだろうと思った。
「上級生と同じように接していたなら、多分こいつとは対等にはなれないのだろうと、何となく思ってしまうのかもしれませんね。何しろ今時携帯電話を持ってないという有様ですし」
 入江の言葉に西ヶ谷は頷く。
「スマートフォンが未知の世界なんて今時の子じゃないよな。普通の携帯電話を持たせるのにも苦労したからな」
「緊急事態だから渋々ってところですか」
「そういうこと」
 奏は携帯電話の必要性を感じなかったのでいらないと言ったのだが、もし何処かで桜庭に出くわすとか、困ったことが起こった時に助けられないのでは西ヶ谷が困ると言う説得をした。
 奏の身の安全が一番なのだが、奏は他人に迷惑がかかると言われる方が、自分のことよりも気になるらしく、それで押し切った。
「どうやったらあそこまで普通に無知に近い子ができるんだか」
 奏は基本的に無知だ。自分に興味がないことは知ろうとはしないらしく、いわゆる友人によって無理矢理教えられたり、知る羽目になるようなことがなかったようなのだ。
 基本的に本を読んではいるが、ファンタジーや歴史物がほとんどで現代の恋愛ものなども読んではいないらしい。知識が偏っていて、知れば知るほど普通ではないと分かってしまうところが、友人ができない理由の一つだろうと、西ヶ谷はやっと分かってきたところだった。
「不思議な感覚というか、世界が違うと同類ではないという反発で集団からはみ出てしまうのですが、普通の人ならはみ出した時にそれに馴染もうと努力はするのですよ。でも奏君は努力を違うところに使っている。一人で世界が完成してしまっていたというところですかね……」
「それじゃこれから生きていくのは辛いだろうと思ったんだけど、どういうわけか年上の十以上離れている世代とは圧倒的にコミュニケーションが上手くいくというか、噛み合うんだな……」
そう西ヶ谷が言うと確かにそうだなと周りが納得する。
「私たちは彼より十くらいは年上ばかりですし、接している人たちは皆そうですよね?」
「だから、前のマンションでも近所の年上の人たちとは上手くやれていたようなんだよな。今でも奏が引っ越したことは驚きだったようだが、まあ、奏には引っ越す理由ができたってことで、納得している人は多かったけどな」
 マンションに一人残されるよりは、知り合いの方に引き取られた方が奏も寂しくはないだろうと言う人や、新しい土地で新たに生活を始めた方が、その生活を維持するのに一生懸命になって、両親の死を嘆く暇もなく時間が過ぎていくだろうから、慌ただしい方がいいと思っている人もいた。
 奏は誰にも挨拶できずにいたが、世話になった人たちや葬式に来てくれた人たち一人一人にお礼状を書き上げ送っているので、事情を察した人たちもいた。
 住人は桜庭の奏への執着をよく知っていて、お互いに気をつけてはいたが、それでもこれから奏が無防備になってしまう環境であるこのマンションにいるのはよくないと思っていたと言う人さえいた。
「桜庭の執着はそれほど有名だったんですね。あの人が小児性愛者だとは思わなかったのですが、どうも今でも奏君に執着しているところを見ると、それだけではなさそうなのですが……」
 そう入江が不思議そうに言う。
 元々の話は奏が五歳の時に桜庭に出会ったらしい。それまでは奏の両親に感心があり、二人に構っていたらしいのだが、奏が五歳の時にどういうわけか奏に執着を抱いた。
「五歳の子供を欲しいといい、養子に迎えたいと熱心に親に頼む独身不動産会社の社長兼会長の男、怪しすぎて渡す親なんていないだろう。その時のことは先輩たちには聞いたから、本気で桜庭が奏を養子に欲しいと思っているのは分かるが、どうして奏だけにそこまで構うのかが分からないと言っている。その後は奏を一人にしないようにして、ほとんど外に出したことはないそうだ」
「だから、友達がいないに繋がるのですかね?」
「だろうな、外に出ることを禁じられただけなら、奏も反発しただろうが、桜庭のおかしな接触があり、その様子に両親が激高しているのを知れば奏も親の言う通りに行動しただろうな」
 その結果が奏が読書を趣味にして、友達ができないわけだ。
 しかし両親にはそのための引っ越しができなかった。
 会社を立ち上げたばかりで資金もなかった。だから奏のことだけを気遣って何とか桜庭の襲撃から耐えてきた。幸いなのは桜庭は今ほどの執着で奏を欲しがってはいなかったということくらいだろう。
「ずっとそうしてやってきたということは、奏君は幼い頃から桜庭の被害に遭ってきたというわけですか」
 そう考えると桜庭の罪は重い。
 奏の人生の根本となる時期に接触を図り、奏はそのことによって不安に陥れられた両親から束縛される人生になった。けれど奏はそれを分かっていてその通りに生きている。
 友達を作らないのではなく、作ってもきっと駄目になると知っているからだ。
 遠くに出かけ帰ってきたら、親が泣いていたということもあったと奏は言っている。
「奏はそうした両親の気遣いを知っていたから、気をつけるようになったんだろうな。大人としては扱いやすかったから、教師には人気だっただろうな」
 奏が生きてきた窮屈さは、まだ奏を支配している。
 桜庭はこうして奏の世界を壊し続けている。桜庭本人にその気は一切なかったとしても、奏の世界は完全に桜庭の思いのままなのだ。
「だが、私がいるからには、桜庭には一生手出しできないようにしないといけない」
 西ヶ谷がそう言うと、入江はふっと息を吐いた。
 西ヶ谷のやる気は本気で、滅多なことで他人に対して牙をむいたことがない西ヶ谷が物騒なことを言い出すことを入江は気に入らないでいる。
「肝心なときに感情で動いて失敗するような真似は勘弁して下さい。あなたは西ヶ谷不動産の会長で立場がある人であることも忘れないで下さい」
「分かっている」
 入江の苦言に熱くなっていた西ヶ谷はふっと息を吐いて気を引き締めた。
 確かに入江の言う通りで、一人で熱くなって暴走するのも桜庭の思惑通りになってしまう。
 もしかしなくて桜庭は、西ヶ谷が奏に対して失態をするのを待っているのかもしれない。そんな気がするほど桜庭の動きは読めなかった。