Sugary-11

 あれから桜庭のことを警戒しながらも調べていた西ヶ谷は、最近の桜庭の様子がおかしいという知らせから、更に詳しく桜庭の周辺を調べた。
 すると桜庭の様子がおかしいのは本当のことであった。
 最近の仕事は桜庭の秘書がやっていて、桜庭はそれこそ飾りになっている。
 桜庭の様子がおかしいことで、秘書は何とかしているらしいが、桜庭は奏が西ヶ谷のところに行ってからというもの、奏のことばかりを気にしておかしくなった。
 社員に至っては、早く次の会社を決めないと、桜庭不動産が潰れると思ったのか、優秀な人からだんだんと抜け出して他の不動産会社に転職を始めていた。
 しかし西ヶ谷の不動産屋には桜庭の不動産会社からは人は来ていなかった。
 というのも、西ヶ谷不動産会社は西ヶ谷が会長に就任した時に騒動があり、西ヶ谷会長に不満を持った社員がごっそりと桜庭不動産に引き抜かれたという過去を持っている。
 そのせいで西ヶ谷不動産は一時期社員不足による経営不振に陥ったものの、西ヶ谷の奮闘のお陰で持ち直して今に至る。
 だから転職を目指した元西ヶ谷不動産社員だった人間は、西ヶ谷不動産に戻ることは不可能だった。ただでさえ今は桜庭不動産ともめている西ヶ谷不動産に桜庭不動産から転職をしたところで信用されるわけもない。
 もし採用されても出世は見込めないし、重要案件を任されるような仕事ももらえないだろう。それくらいの予想はできたらしい。
 しかし一度西ヶ谷不動産を裏切って桜庭不動産に入った社員という経歴は、今は到底受け入れられることはなかった。
 それこそ桜庭不動産にとって不利になるような情報などを持ってこない限りはだ。
 不動産関係の会社から情報が回ってきて、西ヶ谷に好意的な会社は桜庭の情報をくれた。対立もしたことがある会社からも桜庭をやるなら今だからと助言が入るほどだ。
 桜庭は最近になって、マンション建築を十棟ほど始めている。
 ほぼ骨組みはできているところばかりであるが、その段階で建築設計の不備が見つかったという。どうやら現場で中抜きが行われたと言われているが、桜庭が指示をしたようだ。
 もちろんそんなマンションはすぐに立ち行かなくなるに決まっている。
 膨大な賠償金と和解金などで桜庭の資産は食い尽くされるのは目に見えている状況だという。
 西ヶ谷はその告白状が出される事実を知った。
 現場監督である工事を請け負った建築会社が黙っていられなくなったらしいのだ。
 そこで西ヶ谷はその建築会社の社長と連絡を取り、桜庭を訴えるならこちらから弁護士や身辺警護をする旨を伝えたところ、西ヶ谷と手を組むことを選んでくれた。
 そこで桜庭を公式に正面からたたきつぶすために、西ヶ谷は奮闘した。
 会社社長と弁護士が告発をしてとうとう国が動いた。
 十棟のマンション、およそ百人以上にもなる住民からも桜庭は訴えられた。
 それはすぐにセンセーショナルな事件になり、ニュースでも取り扱われるほどの大きな事件に発展した。
 奏はそれをテレビで知ることになったが、その肝心の社長兼会長の桜庭公一の姿が忽然と消えたらしい。
「桜庭さんが消えた?」
 奏がニュースを見て声を上げると、西ヶ谷が説明をしてくれた。
「自宅にはいろんなモノを持ち出した形跡があったらしい。だから分かっていての夜逃げなのだろう。ただ何処へ消えたのかが分からないから、警察も追っているようだ」 
 建築基準法及び建築士法などの悪質な違反と見なされて、刑事罰が必要と判断されたらしいのだ。それで警察も桜庭を追っているという。
「このまま消えてくれれば、話も簡単なのだが……」
 西ヶ谷がそう言うのだが、桜庭にはできれば警察に拘留されて欲しかったというのが西ヶ谷の思惑と外れたところだ。
 桜庭の様子はずっと見張っていただけに、どこで抜け出したのか謎であった。
 その後警察によると、桜庭の屋敷内に地下通路があり、それが隣の敷地に繋がっていたようだ。そこは桜庭の持ち物で私有地なので問題はないのだが、見張りによると違う家のように建っている屋敷で、そこから人の出入りがあったという。
 桜庭は見張られていることを承知で、地下から移動して抜け出したようだ。
 だが潜伏先を用意もせずに夜逃げはしないだろうから、何処かにアジトがあるはずだと西ヶ谷は言う。
「そこに一旦隠れたのだろうが、桜庭はヤクザとも繋がりがあるらしい。そこに助けを求めたのなら、それこそ金さえ積めばどこにでもいけるだろうな」
「そんな、それじゃ……」
「これで桜庭の居所が不明になって、奏の危険性も増したってことだ」
「でも僕のことどころじゃないでしょ?」
 奏は桜庭にとって奏に構っている余裕すらないはずだと言うと。
「追い詰められたからこそ、そんな俗世のことより桜庭の妄想は拍車がかかっていると思った方がいい。奏、ホテルに移動しよう。ここでは人目がなさ過ぎる」
 西ヶ谷はそう言うと、奏に簡単な荷物を持たせた。
 必要なモノを持ち出して奏たちはホテルに移動した。
 高級なホテルのエレベーターは階ごとにホテルから毎回渡されるカードキーでコントロールされていて、同じ階に泊まる以外に接触する方法がない。
 西ヶ谷は小さなホテルでありながら高級なホテルにしたので、部屋数は少ない上にそのフロア一つを貸しきってしまっていた。
 移動したその日の夜に、奏が住んでいたマンションの部屋に何者かが侵入したという報告が警備会社から入ってきた。
「……え? まさか」
 奏の部屋には、ベランダ側から上がり込み、ガラスを切り抜いて鍵を外して入ってきた。そして奏のベッドに行ったようだが、奏がいないことに気付いて、西ヶ谷の部屋に入ろうとしたようだった。
 そこで時間切れとなり、数人の男が車で逃走したというのだ。
 奏が引っ越す予定にしていたのは、その翌日のことだったために、西ヶ谷はすぐに情報が漏れていることに気付いたという。
「疑いたくはないが、誰かが奏の情報を桜庭に流している。奏の引っ越し自体、まだ本決まりではなかったというのにな」
 話には出していたけれど、引っ越し日までは確定していなかった。
「そもそも奏の引っ越し自体も、受付に話したのは数日前で、知る人は少ないはずだ。だから疑いたくはないのだが、マンション内で誰かがそれを聞いた可能性がある」
 そう西ヶ谷は言うのだが、誰のことを言っているのか奏は察した。
「あ……小坂さん……」
「部外者が入り込んだのはその日だけ。なら、そこを疑うのは自然の流れだ。あの用件ならばわざわざマンションまで尋ねる必要はなかったと思っている。いつものように手紙一つで済むはずだ。それにマンションを退所したとしてわざわざ桜庭に会う必要はない。社員とやり取りするだけで終わる」
 西ヶ谷の指摘通りに、小坂は桜庭のことを伝えるつもりできたわけではなく、奏のことを確認し、情報を桜庭に与えることで相当な金額を得ていたらしい。
 普通、二十年も住んだマンションの売却価格は、半額まで下がっているものだ。
 何だかかんだで早急に出て行く上に、新しいマンションに頭金にしかならない。
 新しいマンションを買うお金が主婦とサラリーマンの家庭にぽんぽん出せるわけもなかった。
 だがそのマンションを安く売って貰うとなれば、話は別だ。
 頭金の価格でマンションを入れ替える形で、奏の情報を渡した小坂は受け取ったのだという。
 西ヶ谷が小坂に連絡を取り、奏の家に泥棒が入ったことなどを言ってから問い詰めると小坂は吐いたという。
「だって……お金が必要だったんだもの。あの子のせいで、マンションで孤立して……あんな子の情報一つで五千万よ? 売るに決まってるじゃない」
 開き直った小坂は、マンションを買うために奏の情報を売ったと言った。
 引っ越しをするというだけの情報で、五千万円がもらえると言われたら、奏との関係はそこまで深くなければ軽々と売る人の方が多いだろうと西ヶ谷は言った。
「……そんな……」
 奏はショックを受けた。
 小坂は母親の友人であり、長年の隣人だったはずだ。
 物心が付いた時からずっと知り合って親切にしてくれた人が、平然と奏を裏切っても開き直っているというのだから、奏は人の変わりようにショックを受けた。
「奏、人の立ち位置はその時の環境で変わる。私が初めは乗り気でもなかったこの件にのめり込んでいるのも、環境や心の変化の問題だ。だから小坂が裏切ったのも環境やその時の問題だから、小坂を恨んでも、奏の気持ちは晴れないと思う」
 小坂の場合はバレた時は開き直るしかなかったのだろうと西ヶ谷は言った。
 今更取り繕っても、金のために奏を売った事実は消えない。だからこそ、小坂は自分を正当化することで奏との関わりを切った。
 二度と奏が頼ってこないようにするために。
 悪いことをしていることくらい小坂だって分かっていただろう。だからこそ、下手な弁解もしなかった。
 西ヶ谷は奏を抱きしめて慰め、けれど決して気を抜かないようにと言った。
「奏、そう長くは掛からない。向こうもこっちもぎりぎりのところだと思っている。むしろ桜庭は追い詰められているから、最後の賭けに出るだろう。そこを耐えれば……」
 そう西ヶ谷が言うので奏は頷いた。
「はい……」
 奏は西ヶ谷をしっかりと抱きしめてから覚悟を決めた。


 その最後の賭けに出るであろう桜庭は、奏がホテルを移動した日に現れた。
 及川がホテル従業員が持ってきた食事を取るために部屋のドアを開けた時だった。
 数人のホテル清掃員が及川に襲いかかった。
「奏君! 逃げて!」
 奏はソファに座っていたので驚いて入り口の方を見ると、ゆっくりと清掃員の格好をした桜庭が現れた。
「……何で……っ!」
 桜庭に協力をするホテルがあるのかと、奏は絶望しながらも何とか逃げようとして隣のベッドルームに飛び込んでドアを閉めたが、そのドアは奏の力では叶わず、桜庭は部下にドアを開けさせて部屋に入ってきた。
 奏は窓側まで逃げたが、逃げる先がない。
「こ、来ないで……」
 桜庭は西ヶ谷が仕事で出かけた瞬間を狙ってきた。
 だから奏の情報はどこからか桜庭に漏れていたのだろう。
 そうでなければ、清掃員に化けるという方法を使いホテルで先回りはできない。
 桜庭はゆっくりと近寄ってくるが、奏は慌てて携帯で西ヶ谷の番号を登録しているボタンを押した。
 しかしその携帯に気を取られている間に、二人がもっと近寄ってきた。
 及川は玄関先で制圧されたのか、声すら聞こえない。
 ここまで桜庭が用意周到でくるとは思わなかったから、人数も最小限であったが、それが裏目に出た形だ。
 携帯の向こう側で誰かが電話に出た音がしたが、それ以上奏からその携帯に向かって返答をすることはできなかった。
 桜庭は奏に近寄ってきて、桜庭の部下が奏を捉えた。その拍子に奏は携帯を落としてしまった。
「い、嫌! 離して!」
 奏が暴れるのを部下が制してから奏の腕を後ろ手に縛った。
 そして奏の足も縛り上げてベッドに仰向けにした。
 その上に桜庭が乗ってくる。
「ひっ……」
 怖すぎて奏は声が出なくなった。
 桜庭は面変わりするほど顔が変わっていた。余裕があった不動産会社の社長の余裕は何処にもなかったし、目の周りにもクマができていてくぼんでいる。
 太った身体も何処か痩せていた。見るからにやつれた様子で、成金らしい姿しか覚えていなかった奏はそれにまず驚いてしまった。
「……奏、私の奏……」
「ひいっ……」
 桜庭が奏の頰に手を添えた。
「ずーっと見てきたよ……奏。君が小さいときから……ずーっと……奏、可愛い奏……愛しているよ、さあ私と……一緒に」
 まるで夢でも見ているかのように言う桜庭に、奏はハッとした。
 この人は僕を見てはいない。
 そう感じたのだ。
 小坂が言っていた情報は確かに本当だった。
 まるで想像上の奏と現実の奏の区別は付かないままきたのだろうか。桜庭は奏を撫でていたが次第に怒りの感情を向けて怒りだした。
「私の奏なのに、……なんてことだ。あんなことを他の男とするなんて! そんな淫乱に育てた覚えはないぞ! 奏!」
 そう言いながら桜庭は奏の首を絞めてきた。
「……は……くっ!」
「奏……私の奏……私と一緒にいこう……」
 桜庭はそう言って奏の首を本格的に絞め始める。
「ぐ……! ……っ!」
 息が止まり、奏は必死に暴れるも顔が熱くなってきて、さらには頭の中が真っ白になっていく。
 苦しくて大きな声も出せない。男に押さえられているから身動きもできず、桜庭に殺されるしか奏には道がない。
 こんなところでこんな形で死ぬのかと奏は思った。
 死ぬのは悔しいし、苦しい。
 けれど、奏はあの時西ヶ谷に対してちゃんと思いを伝えておいてよかったと思った。
 ただ死ぬのだけは嫌だったけれど、このまま死んでも運命だったのだと受け入れられる気がした。
 しばらくして耳の奥がキーンと音が鳴り始め、息ができずに奏は苦しくて自然と暴れた。
 そして意識が遠くに行きかけた時だった。
 遠くでバタバタと大きな物音がし始めて、奏の意識が飛びそうになっていた時に急激に桜庭の手が緩んだ。
 急に息が肺に入ってきて、奏は大きな咳と共に身体を震わせながら息を吸った。
 喉は痛かったし、咳は止まらない。息がしにくくてまた苦しかったが、奏は必死に息をした。
 その間に奏は桜庭に抱えられて、ベッドの端で捕まえられた。
「ち、近づくな! きさまにだけは奏は渡さない!」
 桜庭が耳元でわめいているけれど、奏は涙目になりながらも目を開いた。
 その先には、待ち焦がれていた西ヶ谷秀明が鬼のような形相で立っていた。