R18novel短編

神隠し-1

 その日は午前様になった。
 会社でトラブルが発生、その対応と謝罪に午後十一時までかかり、やっと対応を終えて帰宅となった。幸い、翌日と翌々日は祝日と日曜日のコンボで会社は休みとなっている。その前にトラブルを片付けられたのは会社にとってもラッキーであった。あのミスが翌日に分かっていたとしたら、休日出勤は免れなかっただろう。
 とはいえ、午前様だ。
 最終電車に乗ったのはよかったが、地元までの一時間、思わず寝てしまったのだ。
 終電で居眠りなんて、本当に地獄だ。
 実はこれが二度目のことで、最終駅で駅員に起こされて、中沢は顔を覆って呻いたものだった。
「大丈夫ですがお客さん」
「……大丈夫です……」
 ふらふらしながら電車を降り、駅を出てため息を吐く。
 ここは地元から二時間の山の中である。もちろんホテルはあるが、終電で乗り越した客が泊まるのを見越したホテルである。だが今日に限って満室だと言うのである。
「え……」
「申し訳ありません、修学旅行の学生が多く宿泊されていて……」
 どうやら、ホテルの七割がその旅行の宿泊で埋まってしまったのだという。
「この辺って、他にホテルはありますか?」
「ホテルはないのですが、旅館が一軒あります。地図をお渡ししますね」
 そう言われて渡された地図を頼りに駅から三十分も歩く羽目になった。
 旅館は、山の紅葉を見るために割と有名なところで、夏は夏で青々とした山を見ながら静養なんて人も結構いるらしい。ただ少し値段がする。タクシーで帰った方が安いのか、それとも旅館かというところである。
 しかし中沢は今日は疲れていた。
 とにかく眠たいのもあり、拾えないタクシーよりはと旅館を選んだ。
 そして山に向かって歩き出したはいいが、どういうわけか、街灯はぽつんとあるだけの道を歩く羽目になってしまっている。
「もしかして、道を間違えた?」
 どう考えても道の先に旅館らしき建物すら見えない。
 どこをどう間違えたのかさえ分からないが、今日の自分の判断が少しいつもと違うのは確かだ。とりあえず、道の端に座り、ため息を吐いていたところ、町の方から車がやってくる。
「よし、止めよう」
 さっと立ち上がって、走ってくる車に向かって合図をした。ちょうど街頭の近くだ。
 だが車は無情にも素通りしていく。
「くそっ」
 そう中沢が叫んだ時、その車が急ブレーキをかけて止まった。
 赤いランプが強く光り、その運転席から人が出てくる。
「どうかしたんですか?」
 そう声をかけられて中沢は叫んだ。
「すみません、○○旅館はどっちですか! 道に迷ってしまって!」
 そう叫ぶと。
「こっちじゃないですけど」
「どっちですか、教えてください! 地図は持ってるんですけど、現在地も分からなくて!」
 そう中沢が叫ぶと、運転手が中の誰かに話しかけている。暫く話していた運転手が顔を上げていった。
「よかったら、送りましょう」
 運転手がそう言って手招きをしている。
「た、助かります!」
 中沢は鞄を掴むと車に向かって走った。
 車はよく見ると小型のワゴンだ。後ろの席に誰かが乗っていて、その人と目が合うと中沢は挨拶をした。
 運転手は後ろのドアを開けて中沢に言った。
「一番後ろに相席してる人がいますけど、気にしないでこっちの前に乗ってください。前の席は、果物を乗せてシートベルトをしちゃってるんで、すみません」
 どうやら前の席に落ちては困る果物の箱を乗せている。それをシートベルトで固定して転がらないようにしてある。ふっと見るとそれが高級な箱に入ったメロンであることに気付いた。
 そりゃ落としたくはないよなと納得する理由だ。
 今時期のメロンなら、高級品なら一玉数万、それが大きな箱、五個入りくらいのものなら十万はいく。
「あ、いえ、じゃ失礼します」
 そう言って乗り込んだ後、車が進行方向へと向かっていく。
「すみませんね、この果物、先に届けないといけなくて、先にこっちの用事を済ませてから旅館までお送りしますよ」
 というのである。
「えっと、旅館までどのくらいの距離だったんでしょうか。あそこから?」
「そうですね。真逆の道になるから、もう四十分くらい歩くことになっていたと思いますよ。なーに、こっちの用事は十分で済みますから」
 中沢がその心配をしていることを理解していると運転手が言う。
「あ、ありがとうございます。助かります。俺、中沢といいます」
「私は、種田といいます。この辺りで、農家をやっとります。後ろのヤツは私の友人の若尾といいます。無愛想ですけど、ほっといていいです」
 種田と名乗った運転手は、がははっと笑って言うと、車を軽快に山道を走らせる。
 街灯はすでにカーブにしか存在せず、周りは真っ暗であるが、遠くの隙間から見える街がまだまだ不夜城として輝いているのが見える。
 それを見ながら、流れてきたラジオを聞くと無しに耳にいれていた。
 十分くらいと種田が言った通り、その時間になると、深い山の中で一軒だけ、ぽっと灯りの付いた屋敷があるのが見えた。
「あそこまでなので」
 種田がそう言うと車をそこへ向けて走らせていく。
 ウネウネした一車線の坂道を器用に上って、その屋敷の敷地内に辿り着く。
 大きな屋敷は、億万長者が建てそうな日本屋敷というような佇まいで、周りは塀で囲まれていて、時代劇でよく見る大きな門がある。街灯は少し多めに設置されているが、これはきっと自分の家で設置した街頭なのだろう。
 この舗装された道は、この家に来るために作られた道だったらしい。
「じゃあ、私、この荷物を届けてきますので、少し待っててください」
 そう言うと種田が助手席に置いていた果物を持って屋敷に向かっていった。勝手口を開けてさっと入っていくのを見送り、中沢は少し不安になった。
 とりあえず次は自分を送ってもらえるのだと思っていたので、ホッと息を吐くと、突然、後ろに座っていた若尾が後ろの席から移動して車を降りている。
 どういうことだと降りる若尾を見ると、目が合った。
 若尾は、山の大男といように、顔に無精ひげを生やしている。体が大きく、昔よく見た海外のレスラーのような体つきだ。よくボディービルにハマると筋肉ムキムキになるらしいが、まさにそういう体つきだ。
 しかももう秋になっていて寒い時間だというのに、半袖だから余計にそれが分かった。
ジーパンに半袖黒シャツ、無精ひげに大きな筋肉の男。
 これを見てびっくりしないサラリーマンはいないと思う。
 実際、中沢も驚いて見たから、若尾と目が合ったのだ。
「どちらへ?」
 思わずそう尋ねた。
 一応、乗り合わせた関係上、種田のこともあるので、種田の友人が何処へいくのか聞いておく必要があると思ったのだ。
 てっきり、この家の人間なのかと思っていたが、そのようではないっぽいのだ。実際、種田はそのことに言及しなかったし、若尾もそれまで車を降りようともしなかったからだ。
 すると、若尾は中沢の腕を急に掴んで引っ張り、中沢を車から降ろしたのだ。
「え? え? え?」
 何か悪いことでも聞いたのかと思ったが、車から降りると、また中沢と若尾は見つめ合う形になった。
「あの、何か失礼なことでも言いましたか、俺」
 そう中沢が尋ねる。
 余計なことを聞いて機嫌を損ねたのではないだろうか。もしかしたらこのままこの場所に置き去りにされるなんてことはないだろうか。色んな不安が頭を過ぎって、おろおろとしながら若尾を見上げた。
 そして気付いた。
 若尾はここまで一言も声を発していない。
 もしかしなくても喋れないのではないだろうかと。
「す、すみません……もしかして……」
 喋ることができないのかと言おうとした瞬間、若尾が身を屈め、中沢に近づくと、一気に中沢の見ている世界が反転する。
「うえええ?」
 若尾が中沢の体を肩で担ぎ上げ、背負ったのだ。完全に若尾に抱えられた中沢は混乱する。
 ただでさえ、少し小さいと言われた中沢は身長からしても百七十であるが、さっき隣に並んだ若尾は、完璧に二メートル近い身長で、あの体格だ。当然、中沢が敵わない体格なので、少々暴れても若尾は気にした様子はない。
「ちょっと、すみません! わ、若尾さん!? なんですかこれ!」
 一生懸命叫ぶのだが、それでも若尾は中沢を抱えたまま、屋敷の方へと歩いて行く。
「なんで? なんで人のうちに!?」
 若尾がそのままの体勢で勝手口に向かう。すると中から種田がひょこり出てきた。
「おや、若尾。帰るのか?」
「おう」
「で、その人どうすんだ?」
「もらう」
「そっか、じゃあ、俺は帰るな」
「ああ」
 二人はこんなやりとりをして簡単に別れを告げている。
「ちょ、ちょっと待ってください! てか、若尾さん、喋れるじゃないですか! なんで? 種田さん、助けてください!」
 中沢だけが訳が分からないというように暴れているのだが、種田は、ふうっとため息を吐いて言った。
「若尾が中沢さん、あんたに一目惚れしたってさ。で、この家、若尾の家だから、このまま泊めてもらったらいいよ。明日、迎えにくるし」
「ちょ、ちょっと、何でですか! 一目惚れってなんですか! りょ、旅館に行くので下ろしてください! 若尾さん!」
 そう叫んでいる間にも若尾は屋敷に向かって動いている。
「あ、危ないよ中沢さん」
 そう種田が言ったのと同時に、中沢の後頭部に硬い何かの衝撃が走り、中沢は痛みと同時にそのまま昏倒した。
 勝手口をくぐっている時に上半身を起こしたので、勝手口の上部に後頭部が激突したのだ。
「…………」
 さすがの種田も呆気にとられる。
 ぐったりとした中沢を若尾が大事に抱えるように抱き直して胸に抱き、そのまま勝手口を入っていく。
 種田はそういう様子を見送ってから呟いた。
「後は相手次第ってことか。苦労すんだろうな、あの人」
 だってここは人間の住む地ではない。
 手続きなく入れば、出てこられない場所だからだ。