R18novel短編

きっかけ-1

 失恋は一瞬だ。
 たった一回の喧嘩で、恋人が去って行った。
 何がいけなかったのか、どこが悪かったのか、そう問い正しても、真面な答えは得られなかった。挙げ句、そういうところが嫌いなんだと言う。理由さえ適当な言い分に納得はできなかった。
 暫くして恋人が二股をしていて、本命にバレたので、愛人扱いだった順也の方を切ったことが分かった。
 恋人の男と女のどっちを取るのかと言われたら、九十九パーセントが女を取る。一パーセントは両方から逃げるである。男が選ばれることなんて、まずあり得ない。
 女を取ったというのにはショックはなかったが、その女が妊娠して結婚をする羽目になったらしいのだが、色々と揉めている間に妊娠が嘘で、結婚自体がなくなったらしい。
 すると元恋人は、これで煩わしいことは消えた。今まで通りに二人で楽しくやっていこうと、順也に連絡を取ってきたのだ。適当な理由を付けて振ったくせにである。
「ないよね、こんなのないよね? そっちが上手く処理できたから、こっちは復縁しようだなんて。絶対また同じことが起こったら、俺が捨てられるって分かってるのに、復縁なんてできるわけないじゃん……」
 しかも女とはまだ揉めていて、女が結婚を迫っているのに、妊娠していないなら結婚する義理はないと、今度はその女に順也に言ったように、「そういうところが嫌いなんだよ」と適当な責任を他人に押しつけてきたというから、始末が悪いのはこの元恋人の方である。
「随分、酷いのに引っかかったんですね? そりゃ愚痴も言いたくなるよね」
 そう言っているのは、順也の隣に座っている男。
 居酒屋のカウンター席で座って飲んでいた順也は、居酒屋の板前さんに向かって事のあらまし話していた。
 板前はよくあることなのか、魚を刺身にしながらでも客の話は聞いてくれて、大変ですねと相づちを打ってくれていた。
 一人でグダグダ悩んでいるよりは、誰かに話してすっきりさせたかったので、板前さんには悪かったが、順也は熟々(つらつら)と話していた。
するとその隣に座っていた男が、暇だったのか話を聞いていたらしく、思わずというように順也に話しかけてきた。
「でしょ! 酷い男なんだよっ! ほら、携帯にも何度も同じこと言って、断っても「怒ってるの? なんで?」だって、あり得ないでしょ?」
 そう言って順也は携帯の液晶画面に通信手段であるアプリを開いて見せた。
 そこには復縁を復縁とさえ思ってもいない、元恋人が、何時に会おうやホテル予約した、機嫌直して旅行にいこう(順也に集っている)。元恋人が勝手に作った計画がどんどん送られてきていた。
 振られて一ヶ月。落ち込んでいたら、二日前からこれなのである。
「うわっひでぇ。何これ、こいつ正気?」
 さすがの元恋人の非常識な言葉の数々に、隣の客はどん引きして敬語を忘れている。「これで正気なんだ。元からこんな調子のやつだったけど、離れてみて冷静になったら、駄目男だよね? こいつ」
 順也もやっと恋人が異常にポジティブな性格かと思っていたが、それが自分勝手なクソ野郎であることが理解できた。
「駄目っていうか。ただのクソ野郎だよ。俺も結構クソ野郎だけど、自分で振った相手に、元サヤ宣言なくこんなメッセージは送れない」
「だよね! 分かってくれる人がいてよかった〜」
 順也は同意してくれる隣の客に安堵して、自分は間違っていないと確信できた。
「でもそういう男って、自分が振ることはあっても、振られるなんて思ったこともないやつだから、離れるとなると、全ての連絡手段を絶って、引っ越しとかしないと難しいかも」
「え?」
「自己評価が高いヤツってプライドも高いでしょ。「俺が振られるなんてあり得ない」とか言って、ストーカーに変貌なんてこともあり得そうだし。あさっり振った君のことにここまで執着してるのも、君が一切連絡をしてないからじゃない? 焦ってるんだよ」
 隣の男がそう言い出して、順也は不安になる。
 確かに、順也が今までは従順であったが、今回は違った。順也は元恋人の余りの仕打ちに、一切の連絡手段に一言も返していない。
 もちろん周りからは色々聞かれたが、それでもあの酷い仕打ちを知っている周りは、さすがに元恋人の行動を全員が否定的だったお陰で、順也に復縁しろという人はいなかった。
 ただ所詮他人事、付きまといに関してのアドバイスをくれたのは、この隣に座っている男くらいである。
 するとアプリがぽんっと鳴った。
 元恋人がメッセージを送ってきたのだ。
 「そこには、今からそこに行くよ」であった。
「え?」
 さすがにその意味が分からなくてポカンとしていると、隣の男が画面を操作して、携帯の設定画面からGPSを切った。
「君、ここにいるの元恋人にバレてるよ? 多分GPSでずっと見張っていたんだよ。ヤバくない、ここにいるの?」
 隣の男にそう言われて、やっと順也は自分の身の危険を察した。
「あ、ど、どうしよう……」
「家も危ないよ。友達とか、それか今夜は別の場所で避難した方がいいよ」
「でも……どうしたら……」
 急に尋ねていけるような友達はいない。元恋人の嫉妬のせいで、友達はほぼ切れた状態だ。他の男と一緒にいるのは許さないと言われていたことも、あれは束縛の一種だったのだろう。
「とにかく、この店出た方がいい。俺の行きつけの居酒屋があるから、そっちに移動しよう。そこの方が見つかりにくいから」
 そう言われて、順也は、知り合ったばかりの男について、店を出た。
 外はまだ居酒屋に入る客や、出てきた客で溢れている。その中を抜けて裏道に出る。
「この奥だけど、ちょっと裏道ばかりだから足下気をつけてね」
 男はそう言って、先を歩いていく。店の裏道は狭い道路で、人が一人やっと通れるくらいだった。その道をどんどん入っていくと、やっと突き当たりに辿り付いた。
 そこには鉄のドアがあり、男が鍵を使って入る。
 階段が地下に続いていて、下の方が明るい。
「居酒屋の個室なんだけど、店が狭くて、こっちの地下にも別の個室を用意しているんだよ。前はバーとかあったみたけど」
 男がそう言って降りていくので、順也も続いた。
 階段を降りた先は、ドアが三つほどあり、その一つには居酒屋サタケという看板が付いている。
「で、ここのボタンを押す」
 そう男が言ってチャイムを押す。すると暫くして返答が返ってきた。
『はい、今開けます。何名様ですか? あとお名前をお願い致します』
「俺、小町。いつもの頼む。一人いるから、アレを」
『あ、小町さんですか。わかりました、いつものやつ、すぐお運びしますね。料理はメニューで選んで貰って下さい』
 そう言うと、応対が切れ、ドアの鍵が開いた。
 どうやら遠隔で操作しているようだった。店の裏がこの建物で、ここまで別に酒や料理を運んでくれるらしい。
「いつもは集団で予約を入れるんだけど、緊急事態たしね」
 小町と呼ばれた男が、ドアを開けて中に入る。
 順也も続いて中に入ると、中は結構狭いがそれなりの広さがある部屋だった。小さなバーがあったところだと言っていたように、カウンターがあり、手前にはテーブルと椅子が二つずつある。その横を見ると、居酒屋によくある座敷が取り付けられていて、大きなテーブルが並んでいる。
 個室扱いで、集団客を隔離する形になっている。
「本当は、二十人以上の客しか使えないんだけど、俺、常連でいつもここを満員にしてるから、特別が通るんだ。ここなら、君の彼氏に見つかることはないと思うよ」
 そう言われて、順也も頷いた。
 こんな都会の秘境みたいな個室を元カレが知っているとは思えない。
 部屋に入り座敷に座っていると、すぐに店員が酒と水を持ってやってきた。
「小町さん、またトラブってる人を拾ってきたんですか?」
 開口一番にそう言われた。
「いつものことだって。仕方ないじゃん、元カレに追われているって言っているんだから」
 ビールのピッチャーを受け取ってから、小さなコップに注いで小町が言った。
「へえ、逃げてるんですか。ならここ最適ですよ」
 店員がにっこりとして言った。
 順也は頭を下げて、水を受け取った。
 飲んでる場合じゃないので、水を頼んでくれたのだろう。
 順也はその水を一気に飲んだ。緊張をしていて、喉が渇いていたのもある。酒を散々飲んだあとに結構歩いたので、喉が思った以上に乾いていたのだ。
「お水もここに置いておきますね」
 細いボトルに入った水を店員が置いていく。ここまで一々注文のたびに通うのは面倒なのか、そういうストックを置いておくらしい。
 順也はその水を更に足して飲み、ホッ吐息を吐く。
「音楽も流しておきますので、あと水の追加はこちらの冷蔵庫にいれておきます。お酒はそのビール以外は、インターホンによる注文になります。お料理の方は、こちらの三品以外は、同じようにインターホンによる注文でおねがいします。今日は貸し切りはないので、時間はお好きなように」
 店員はテキパキと準備をしていくと、部屋を出て行った。その時、入り口の鍵を閉めていく音がした。
「会計しないで逃げる客がいないようにな。トイレもそこにあるし、用事がある場合は店員を呼ぶんだ。入るのは自由にできるんだけどね」
 小町がそう言い、順也はへえっと頷いた。
 珍しい店だったので、辺りを見回し、きょろきょろとする。
 バーをほぼそのまま残しているので、中は黒っぽいのだが、居酒屋らしくするために座敷は足したようだ。
 テーブルには、ポテトフライと鳥の唐揚げとおにぎりが四つある。
「俺、この三つがないと始まらないんだよな〜」
 そう言いながら小町がおにぎりを片手に唐揚げを食べていく。それに習って順也も食べた。
 スパイシーな唐揚げが美味しくて、おにぎりも進む。酒ばかり飲んでいて食事をしていなかったことを思い出したが、今回は水で我慢した。さっきからやたらと水が飲みたくなってしまい、ここに来てコップ四杯ほど飲み干している。
 するとだんだんとぼーっとしてきた。
「大丈夫? 疲れているんだね。横になってていいよ」
 そう言いながら小町は携帯を弄っている。
「すみません、何か……ぼーっとしてきちゃって……疲れてるのかな?」
 そう言って順也は座敷で横になった。